左手をかえして―憑依した和宮―


*2*


「お姉さん、気分は?」


 朝を迎えた寺からは、いつの間にか、注連縄は外されて、夜の禍々しい雰囲気はすっかり消え去っていた。姉のそばには御札と、人形が置いてある。

 嶋香は特徴の優しい目と、ふっくらとした頬を輝かせて長柄の手を取った。


「ごめんね。長柄。――許せることと許せないことがあるから」


 だから、何に怒ってたんだか。

 頑固な姉は理由を口にはせず、陰陽師の服装の鈴音に向いた。


「うん、すごくいい。大丈夫。降ろしていいわ。天領先輩も謝ってくれたし……ね」


 天領は背中を向けて、タブレットに夢中だ。また姉が臍を曲げて、異世界の住民と仲良くしなければ良いが。


「――天領、懲りないヤツだな。仲直りした途端に」


「教授、入札が開始されます。有栖川宮の神刀。あと20分でオークションが」


「死ぬ気で落とせ。用立ててやる。――いよいよ幽霊さんとのお目見えか。さては、おまえ。怖くて背中」

「向けていません。俺にも、関わって来る話ですから。嶋香、大丈夫か」

「大丈夫。先輩と繋がったと想うと、安心するの」


 ――子供には刺激的な一言だ。だが、奥手な姉の話だから、実際の交わり等ではないだろうけれど。


(良かった、やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんのままがいい)


「なら、手を握るくらいなら構いません。一番はお姉さんがリラックスして、霊を受け入れることですもの。――え?」


 嶋香は何故か真っ赤になって、長柄の手を選んだ。桜雛の巫女姉妹。姉と手を繋ぐなど、幼児以来だ。ちょっとくすぐったい。


「天領さんのほうが良いんじゃないの?」


「興奮して、それどころじゃないから。……あ、何よ、その目。や、やましいことはしてないわよ? 私的にけじめをつけたけどね」


 ――聞く気、ないから。囁くと、嶋香はほっとしたように目を閉じた。


「桜が見える。すごくたくさん。赤い橋があって……でも、不思議ね、ちょっと目線が低いのよ――……月が大きいわ。紫色の桜霞が取り巻いてる……」


 長柄が昨晩見た幻想だ。

 鈴音と颯真が真剣な顔で、姉に札を持たせ、足を注連縄で絡めた。


「いや、行きたくない! 大きな口が見える。京都にいたい! どうして、私だけ、私だけこんな想いさせられるの? 助けて、誰か――兄様! みんな、大嫌い!」


 告げると姉は一瞬背中を引き攣らせ、ピタと静かになった。


「降りましたわね……長柄ちゃん、手を離していいわ」


 鈴音が嶋香の前に屈み込んだ。


「貴方の、お名前は? 今なら、聞けますわ。――さあ、何をすれば、空に還る?」


***



『わたしの…………左手……』

「左手? ああ、左手が何か?」


『左手の、あの人の……ごと、消えた……逃げるが、やっと……足も、動かな……。桜の下で逢える……月が綺麗な、あの、橋……』


 誰もが息を殺した。それほど幽霊の声はか細く、この世界に存在できない証拠とばかりに異質な雰囲気を醸し出している。


『わたしに――贈ってくれるはずの……ない。そして、殺された……わたしは京都に帰れな……大坂で……だから、殺す。わたしを、全てを――……!』


***


 見開いた眼は姉ではない。人形の目と同じ。見開いていて、動かないが、眼球の何かが突き動かしているような。鈴音の声が霊を遮った。


「そこまでですわね! お兄様!」


 颯真が結界を解く。姉は再びぐったりと蹲り、長柄は掌の痛みに顔を顰めた。

 姉の爪が食い込んでいる。痛いわけだ。


「左手……和宮だ。間違いないな。――和宮は左手に持っていたものごと、無くしたんだ。俺たちが見た景色は、生前の和宮の思念……?」


 王領寺が首を振った。


「いや、違ぇな。――もしかすると……」


「人形の中にお戻りいただきましたわ。王領寺? 正体は分かりましたの? 考えたら便利ですわね。知識があるから、歴史の亡霊を言い当ててしまえる」


「まあな。長柄、ちょっと付き合って欲しいんだが」


 王領寺は端正な顔を顰め、思慮に耽っている様子だ。いつもの軽妙な口調ではない。歴史を追う、声音になって。



「――でも、お姉ちゃんは」


「俺がいるよ。……どっちみち、俺の役割はこの刀の落札だ。片手と耳は嶋香に使うよ、約束する」


 ほ、と嶋香が頬を緩めた。


(五感で役割決めてるあたりが、天領さんらしい)


 鈴音が片眼を瞑って見せた。


「あたしたちは後始末。――あとは、歴史の専門家さんのお仕事ですわ。嶋香さんは少しゆっくりしたほうが良いでしょ。他でもない長柄ちゃんのお姉さま。手厚くお迎えしますわ」


「ついでに、そこの俺の准教授も。見つかれば、警察にしょっぴかれる。大学には研究で留守にすると通達済み。大人しくしてろ」


 ――忘れてた! 天領は青ざめてゆき、「なあに? 何のお話?」と嶋香がすり寄っていた。


 王領寺は「面倒臭いから、天領が嶋香と駆け落ちして、止めてる最中」と説明していた。


 もっとなかったんだろうか。


 長柄は呆れて王領寺を睨んだ。


「――仲直りするにゃ、徹底的に話し合うことだからな」


 言葉で怒りが引いた。


「うん、そうだね。……ちょっとほっとしたかな。お姉、怒ると怖いからね」


「どうせ、ウチの准教授が「歴史」と「愛」を天秤にかけて怒らせたに違いないけどな。いくら歴史にとりつかれても、愛を忘れちゃ駄目だっつの」


 長い脚に追いつかず、小走りしながら、表門に辿り着いた。


「おー、俺の愛車。無事だったかァ」と王領寺はヴェルファイアを撫で、ドアを開けた。


「え? 車? どこへ行くの?」


「京都の宝積寺。盗難の報告を聞きたくてね。――天領が刀を落札するまで待ってられん。無理にとは言わないぞ。ここに残りたいなら」


 長柄はすいっと助手席に乗り込み、シートベルトをカチリと閉めた。


 王領寺はにこりともしなかったが、それが当然とばかりの空気が嬉しかった。


「距離は226キロ。岐阜経由の方が近い。東海北陸自動車道は対向2車線の区間が長く、そこで渋滞する場合がある。逆に北陸自動車道は飛ばせる上に渋滞が殆どない……ということで、目指すは北陸自動車道だ。寝てていいぞ」


「あんたの運転、乱暴で寝てられるか」


 言いかけたところで、バックミラーに鈴音の姿が見えた。


「鈴音!」

「朝ご飯! 食べてないでしょ? 不格好だけど……持ってって。三個だけだけど」


 と鈴音は包まれたおにぎりを差し出した。


「――気をつけてね。王領寺! 安全に運転しなさいよ!」


「はいはい。あんたの大切な長柄は、ゴールド免許の俺が護りますよ」やりとりに慣れた口調で告げると、王領寺はアクセルを踏んだ。



「あの子、本当におまえが好きなんだな」



 王領寺は性格通りの運転をこなしながら、クスと笑った。


「――同性に好かれるおまえは、きっといい女になる。俺は育てるタイプじゃねぇから、待つわ。姉ちゃんの幽霊騒動も落ち着いたし、俺のお仕事と行きますか」


 鈴音のおにぎりは少ししょっぱい。塩が多すぎる。


 それでも、長柄は一つ平らげた。二個目をどうしようか迷っていると、王領寺が笑い始めた。


「ハハハハハ。盗難されたはずの和宮の人形が残した思念とかぐや姫か。ふむ、良い題材になりそうだ! 考古学を馬鹿にした歴史研究者、ひっくり返してやるぜ!」



 ――もう、何も言うまい。ついて行こう。



 上機嫌な王領寺、不安いっぱいの長柄を載せて、車は北陸自動車道を滑り出して行った――。

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