調伏されし京の桜は


「長柄ちゃん、これ!」


 颯真と天領と王領寺とともに姉の待つ部屋に向かうところで、鈴音が長柄を呼び止めた。


 長い物体を抱えているが、すぐに正体は分かった。


「あたしも、長柄ちゃんに憧れて、少しだけ始めたのですわ。巫女服には合わないかもですけれど」


 まるで刀を差し出すように、鈴音は竹刀を長柄の前にゆっくりと差し出した。片手で掴むと、慣れた冷たさと、独特の堅さが指先から伝わって染み渡る。


「さんきゅ。有り難く、借りるよ。鈴音」


 肩に竹刀を弾ませて、長柄は小さく息を吸った。


「あんたといると、ちゃんとドキドキするよ。嫌われたくないって、いつも緊張していたよ。心配しないで。あたしも、鈴音が好きだから」


 気丈な陰陽師は無言で通り過ぎた。長い廊下の曲がり角で振り向いた。


「行きましょう。皆様」


 廊下にも注連縄……違う、注連縄よりももっと編み込まれた標縄(ちょうじめ)が下がっている。それだけで、姉に憑依した幽霊の巨大さは知れた。


「すげェな……映画のセットじゃねぇんだよな」


 王領寺の反応は真っ当だ。そんなものに目もくれず、スタスタ歩いている天領のほうが異常。


「天領さん、怖くないの?」


「黙っていてくれ。今、どうしても解けない謎に没頭して逃避してるんだ」


 ――なるほど、真っ当。鈴音、長柄、颯真は霊的な世界には慣れている。それでも、この寺の雰囲気は怖い。


「お父様に、護摩をお願いしておきましたわ。さ、本職のお仕事のお時間ですわよ」


 ちら、と鈴音は長柄を窺い、「驚かないでね」と一言。その後、颯真とひそひそと話を交わし、颯真が王領寺に耳打ちした。


「――わかった」


 鈴音は微笑みを浮かべると、「行きますわ」と障子に手をかけた。


 ッパーン! と放たれた和室には、天井からぶら下がった大きな注連縄に、嶋香が縛られていた。足は水に浸されている。綱の中に腕を埋め込まれた状態で、姉は目を閉じていた。白い着物に、顔にはふくれっ面の女性のお面。


「ここは霊祓いのお堂。吹き抜けになっていますの。念の為の、魔除けのお面ですわ」


「お姉ちゃん!」

「嶋香!」


長柄と天領が同時に駆け寄ろうとして、王領寺の足が伸びた。


「俺の役目、失礼」


 突然突き出された足に蹴躓いた。固い床に、竹刀が落ち、滑る音は大層大きく響いて、転がった竹刀は床を抜ける。


 厭味な足で長柄を止め、王領寺は片方の足で天領を蹴り、腕を掴みあげた。


「兄坊主の言う通りか。見るなり、駆け出す子猫二匹――確かに、捕獲した。どうぞ、仕事をすればいいさ。こいつらは、俺が押さえておく」


「ご協力感謝ですわ。天領さん、アナタの巫女を取り返す。お忘れにならないで」


 鈴音が飛び上がった。ふ、と姉が目を開ける。


 相変わらずの短い陰陽師服で鈴音はスタンと降りる「ふ、やっぱり完璧」とぶつくさやって、すくっと立った。


 ちゃぷ、と嶋香の足の水が揺れた。


「嶋香さん、そろそろ我慢もきついのではありませんこと?」


 御札を構えると、鈴音はちら、と長柄を窺い、片手を挙げた。


「いつまでも、幽霊さんの味方をしてますと、大切な人が死んでしまいますわよ」


「……大切な人など、いません」

「強情ですわねえ……ホホ、失礼」


 頬を叩いた音が響く。


「急々如律令――」

「だ、だめ……っ」


嶋香が首を振る。


 ――本当だ。姉は幽霊を庇っている。


(まさか、あの瞬間に、姉は何か幽霊と交信している?)


 王領寺の前で立ち上がると、長柄は転がった竹刀を掴んで、姉の元に駆け寄った。


(すげぇ呪縛……あとで、お姉ちゃんの身体、縄の痕だらけじゃないか)


「だめ、と言いましたわね」


 鈴音が鋭い声音になった。見た事も、聞いたことも無い鈴音。陰陽師としての道を歩む鈴音の本当の姿。


 遠くから護摩の儀の声が響いている。今頃、八幡宮も穢れの儀の最中だろう。


(お父さん、お姉ちゃんは連れて帰るからね)


 ――でも、どうやって……泣きそうになった前で、すいと影が二つ動いた。


「近寄ってはなりませんわ!」


 鈴音が金切り声を上げた。構わず、天領は床に置いておいた和宮の人形の前にしゃがんだ。


「……俺の巫女、返してくれないかな。何か、悩みがあるなら、聞くよ。嶋香にだけ、教えるってのはないんじゃない?」


 颯真が笏を振り上げた。鈴音の牽制も構わず、天領は、縛り上げられた嶋香の前に立ち、そっと面を外した。


「俺の巫女。――戻って欲しい。謝るから」


 嶋香が驚愕の顔で、天領を見詰める。千年先を見通すような、そんな深い視線だ。


「やだ」

「――はは、言うと思った。嶋香、俺の声が聞こえるんだな」


「聞こえません」


「――婚約届。深いキス……聞こえるまで揺さぶるよ、俺の性格分かるな?」


 聞いていた颯真が「筋金入りの無礼者か」と結界のための笏を高く掲げた。


「うっ……」首を項垂れさせた瞬間、姉の背中に紫の桜のような靄が立ち上った。


 一瞬息を飲む。


 長柄には紫の桜は京都の夜桜のように見えた。鬼と現世をわける三条大橋。その後ろにあやかしの千本桜がずらりと咲いているような深く、遠い。時の彼方のあやかしの幻想世界。


 哀しみの靄だ。この幽霊の根源は哀しみ。和宮さまの怨念なのだろうか……。


(涙、出る)


 姉を通し、世界を透過し。

 無数に咲き誇る哀しみの桜と、大きな月――視えた世界は、此の世のものか。本当に、かぐや姫が降りてくるのか。


 もしかすると、生前に和宮が見た景色だったのかも知れない。

京都から、江戸へ移送された和宮は、ずっと春の大橋を眺めて別れを告げたのだろうから――。


「出ましたわね!」


 鈴音の声に我に返った。


「鈴音、こっちは大丈夫だ」


「お兄様! 面倒な。封じさせていただきますわよ! 嶋香さんから、離れなさい! 長柄ちゃん、王領寺! あの無鉄砲を引き剥がしなさい。邪魔だ!」


 無鉄砲――天領の話だ。天領は泣き笑うと、嶋香の傍を離れた。


 鈴音の手の御札が青白く光る。まるで舞いのように両腕で宙に円を描くと、青紫の靄は一気に消えた……がすぐに現れて、長柄に向かって来た。


「性懲りもなく! あたしの長柄ちゃんに向かうなんて! 調伏ですわよ!」


「えいっ!」竹刀を振ると、靄は霧散し、舞い上がった埃を王領寺が手で払った。


 しんとなった部屋には、鈴音の御札が揺れる以外の音はしていなかったが――。


「冷たい! 冷た、ちょ、冷たいからっ」


 姉が足を跳ね上げた。水の冷たさに顔を顰めて、両腕をギシギシと引いた。



「もう、良いでしょう。お姉さん、現世の人でありながら、幽霊さんの味方は戴けません。この後、ちゃんと受け入れて、お話を聞かせてもらいますわ。長柄ちゃぁん……どこ……」


 がくりと床に膝を折った鈴音に駆け寄った。


「あは、長柄ちゃんだ」と鈴音はほっとしたように目を閉じる。


「まだまだですわ。眠気が来ますの。お兄様、この御札を伽藍に。嶋香さんを解放……長柄ちゃん、膝枕、して」


「我が儘陰陽師」と額を突くと、鈴音はえへへ、と笑った。

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