かぐや姫伝説と、憑りつかれし嶋香

 通された八畳茶室には、既に結界らしき注連縄が張られていて、さすがに長柄は不安を隠せなかった。


 明かな世界と世界の境界線。神道でいう境界樹だろうか。黄泉の国で引っ繰り返っている注連縄だらけの木々には、悪霊たちがコブになって蹲っているという。

 高天原に行けなかったものたちの怨念や、邪念。


 しかし、姉は頷いてスタスタと結界の中に入ってゆく。


 と、天領もひょい、と注連縄を潜ろうとし。「おまえまで入ってどうする」と鈴音の兄、颯真に止められていた。



「注連縄は異界の境界線だ。桜雛の巫女ちゃんは修練を積んでいるが、おまえはむしろ足でまといになる」

「嶋香だけ、一人にしておけるか」

「分からないヤツだな。消し跳びたいのかよ」

「構わない」

「なら、消し飛べばいい。愛に殺されてしまえ」


 ハラハラと見守る長柄の前で、王領寺が動いた。(まさか)と思って見ていると、王領寺は長い脚で天領の背中を思い切り蹴った。


(おい! それはないだろ!)


「ごちゃごちゃうるせえ。――おい、天領。俺の僕の准教授で、〝俺の巫女〟を護りたいなら、死ぬ気でやりゃいい。坊主、こいつは言い出したらきかない。注連縄の中で反省するがちょうどいい。なァに、惚れた女の隣なら、例え異界でも、ラブホみてェなもんだ」


 ――またそういう阿保なことを。長柄は王領寺を見上げ、吐息をついた。今からでも遅くはない。どうだ、あたし。……心変わりしないだろうか。


 願いも虚しく、長柄の心は王領寺色に染色中だ。

 鷲のような瞳が、強いから、いけない。



 心から強いヒトを、ずっと、探していたんだ――……。



「先輩、無理しないの」

「するよ。嶋香のそばにいられるなら……寒……」


「ほらぁ」でも姉は穏やかそうに笑顔で天領を迎えていた。奥手のくせに、あからさま。


(――でも、お姉ちゃんも、天領さんも凄いな。ちょっと羨ましいよ)



「あとで亡霊の護摩を焚く。――それまでの辛抱だ。鈴音、鈴音はどこに」


「ハーイ!」と元気な声がして、ひょこっと鈴音が顔を出した。小さな膳を持っている。


「巫女さん、食べて食べて」と注連縄の中の嶋香の前に膳を置いた。



「嬉しい。いいの?」


 精進料理だ。姉は嬉しそうに微笑んで、箸を取り上げた。


「はい、彼氏さんの分もね! でも、お肉とかは食べられないですわよ。巫女さんに憑依した霊の正体が分からない限り、生殺与奪のある食物は口にしちゃ駄目。さて、長柄ちゃんと…………アナタ、さっっきから長柄ちゃんの何ですの?」


 腕に捕まった鈴音の声が不愉快色に鳴らされる。


「長柄ちゃんは、あたしの大切な方ですわ。――御札、貼りますわよ」


「保護者」と王領寺が厭味な説明をし、鈴音はじとっとした視線を、カラリと変えた。


「なーんだ。彼氏かと思っちゃった! そうよね? だって、長柄ちゃんにはあたしがいるもの。長柄ちゃん、保護者さん。あっちで牛鍋でもいかが? お兄ちゃんはどうする?」


 妹のぶっ飛んだアレコレを頭を抱えて見守っていたらしい。颯真は首を振った。


「僕はこっちで、同じものを戴くよ。ど阿呆な友人が無茶しやがるから、結界が壊れた。天領、そこの注連縄直せよ。さっき、潜った時に解いてるやつだよ」


「あ、これか」


「きちんと結べ。今夜そこに怨霊を呼び出すために貼ったのに」


 天領は慣れない手つきで、注連縄を直し始める。気付いた嶋香が手伝い始めた。


「注連縄は、逆むすび。うふふ、むすび、思い出すね? 謎解き」


「白川郷か。……今もみんな、幸せだよ。時の流れは残酷だけど、幸せに過ごせる現在もあるってこと。……嶋香、あのさ」


 共同作業をしつつ、視線が合うと、嶋香は頬を染め、天領は目元を染める。


 思わず顔を背けたくなる、仲良しぶりだ。


(しかし、あの姉の異様な苛立ちと、天領さんに対する怯えはなんだったんだろ)


 ――やはり、アレは姉ではないのか。多分、天領さんに対して頬を染める今の姉が本当の姉で――……


 考える長柄の横で、王領寺が呟いた。


「なんだ、あの巫女さんのぎこちない態度。姉巫女さん、天領の前で作り笑いかよ」


「どこ見てんだよ。あんなに幸せそうなのに」


 王領寺はふん、と皮肉を放った。


「俺には、演技にしか見えねェけどな――。さー、飯、飯!」

「待って! 演技ってなんだよ!教えろ、おっさん!」


「おまえの肉、全部くれたら話すかも知れないし? 話さないかも知れない」


 王領寺は誤魔化すように告げ、足を止めた。



「おい、長柄」



(どき)王領寺の長柄の呼び方は慣れてきたが、あまりに自然に呼ばれて、長柄は肩を小さく震わせている自分に気付いて、むっとした。


 ながえ。柄杓の名前が可愛く思えてくるから不思議だ。


「高校生だろ。親にちゃんと連絡を入れておけよ。ま、いざとなったら、俺が頭下げてやる」


「あ、忘れてた……そっか。あんたって教職者だったよね」

「おっさんになるとですねェ、要らんところまで知恵が回んだよ」


 王領寺は告げると、庭先に足を向けた。


「――長柄、ごめんね。お父さんに連絡しておいてくれる?」


「いいけどさ。お父さんまたぶっ倒れるよ」


「巫女の役目、果たすから。知ってるよね? 本来の巫女は神女で御巫(みこ)と読む。その身に邪を宿して、声を聞く。――大丈夫、おまえの姉さんは強いのよ」


 腕を振り上げる姉はともかく。天領の保護者ぶりが憐れ過ぎる。


「天領さんが不安そうだけどね」


 注連縄の中の姉の顔はいつもどおりだ。鈴音の御札が効いているのだろうか。


「頑固な姉だよね。あれ? 王領寺は?」

「教授なら、庭に出て行ったよ。長柄ちゃん、王領寺教授を呼び捨てにしていいのか」と天領に教えられて、爪先を庇に向けた。




 王領寺はぽっかり昇った月を見上げているところだった。


「王領寺」


 月光の下、伸ばした足がたおやかに視界に入る。


「長柄、かぐや姫って本当にいるのだろうかね」


 ――かぐや姫? 首を傾げる前で、王領寺は目を細めた。


「俺の好きな女に〝藤原薬子〟がいる。ま、歴史の悪女だ。藤原一族は存亡を掛けて、栄華を築いた。「かぐや姫」知ってるだろ。爺が竹切ったら、姫が出て来たってヤツ」


「知ってるけど」


 王領寺は夜空を見上げ、月に囁くように告げた。



「――出て来た皇子は全て実在しているとの説がある。歴史によれば藤原氏は8世紀、権力の掌握を目的に多くの政敵に血の粛清を加えて「藤原氏だけが栄える世」を構築した。



 藤原氏批判の書を焼き捨てる等の政策を繰り返したが、その中で表立っての藤原氏批判などが出来ようはずもなく、同時代に成立したと考えられる『竹取物語』という物語の中に様々な工夫を凝らして藤原氏に対する批判が込められていたとしても不思議なことではない……ま、おまえの姉ちゃんがかぐや姫のように見えたって話だ」

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