天照さま、あたしの話、聞いてました?

*2*


「この人形がウチの境内に?」


 桜雛八幡宮の朝は早い。飛騨高山の朝の固い空気が漂う七時には、神主である父が拝殿に上がり、次に長柄。朝ご飯の片付けを終えた嶋香が揃ったら、全員で天照大明神に向かってまずは礼拝する。本当はここに約一名が揃うのだが、長女・銚子は八幡宮を飛び出して、都会で生活中。


「――天照大明神さま。今日も、平和でありますように」



(一応、銚子姉の今日の一日も祈っておこう。変な男に捕まって、警察に怒られませんように……と)


 手を合わせて振り向くと、2番目姉の嶋香が長柄に問うて来た。


「長柄、さっきの人形だけどさ」


 やれやれ。嶋香は、伴侶である相方の天領准教授の影響か、すっかり謎解きが板についている様子だ。


「おかしな話ね。八幡宮は夜は締め切っているはず。とすると、何者かが忍んでいて、夜そっと這い出て来た話になる。誰かが潜んでいたのかな……」


「そうとも限らないよ。内部の人間が置きっぱなしにした可能性もあるじゃないか」


 ちら、と父が視線を逸らせた。(怪しいな)と長柄は聞こえよがしに続けた。


「例えば、人形のお祓いを頼まれて、まずは日干しと思って、誰も通らない西側の庇に干す。神事で忘れ、そのまま西の門を閉める。で、お夕飯を食べに行って,正門閉める。朝稽古のあたしが気付くまで人形は置きっぱなし。その証拠に朝露吸ってたよ」


「まあ! 祟られたらどうするの、お父さんっ!」


 そそくさ、と父が逃げた。肩を竦めて、長柄は箒を二本、取り出した。



「――謎解き終わり。お姉ちゃん、掃除しよ。どうしたの?」


 嶋香はじ、と庇に置いたままの人形と視線を合わせていた。


「……動いた気がしたの。目がコッチ、見た……ねえ、祭壇に置いたほうがよさそうよ」


「ないない」


(なんだっけ。思い込みから来る恐怖って)と思いつつ、姉が怯えるので、人形をひょいと抱いて、天照さまの祭壇にお邪魔させた。


 長柄も人形の置いてある祭壇に近づいた。

 人形は、しんとしている。人形以外に何があるんだ。


「動いてるはずないじゃん。お姉ちゃんの見間違いだよ」

「ううん、動いた」


 嶋香は頑固である。

「漫画じゃあるまいし」と背中を向けると、視線。人形からだ。



「お姉ちゃんが変なことを言うから! 気になってきちゃったじゃん!」

「あたしのせい? ほら、さっきは左向いてたのに、眼球が右を」

「ばっかばかしー。朝からなんだよ、もう」


 姉妹で冷戦に突入した。むっつりと背中を向けて掃除を始めた。ぼす、と尻がぶつかった。


「あっち行ってよ!」

「お姉ちゃんこそ、おしりつきだしてへんな格好!」


 さかさかさかさか。長柄は箒を動かしながらも、人形をチラチラと見る。白い包みに入っていたから、赤ん坊の死体かと思ったが、人形は人形でちょっと不気味だ。


 ――動いてない、よな……多分……こっち、見てないよね。


 背中の視線がむず痒い。振り返ると、嶋香が箒を抱えて、しゃがみこんで長柄を見ていた。「巫女」らしく伸ばした黒髪がさらりと肩を滑り降りる。


「――不気味よ、あの人形。お父さんに祓って貰おう! 夏越(なごし)まで待てないわよ お父さんは?」


 夏越とは、人形を祓う夏の神事である。人形には想いが宿る。だから、人の念を浄化し、天に還すも、立派な八幡宮のお仕事だ。



「逃げたよ」

「ちょっとぉ! 逃げたって! ハクビシンの仲間よ、やっぱり!」

「いえ、お姉ちゃんと顔が似ています。まごうかたなき、親父です」


「やっぱり、丸顔? あたし。天領センパイにも言われるのよねぇ。饅頭みたいって」


 嶋香は心底困ったとため息をつく。


(クス……)


 女性の、雅やかなかすかな笑い声に長柄はばっと振り返った。人形は鎮座している。


「お姉ちゃん! 人形笑った! 間違いない、笑った!」


 嶋香はふふんと「ほぅら見なさい!」とふんぞり返った。



「――え? 笑った? ……長柄、それって……」



 後で、はっと気づいて唇を軽く震わせ始めた。そう、人形が笑う……有り得ない。



 ――これは、霊障だ!


「お姉ちゃん! あの人形やっぱり変だ!」


(あの子にしよう、後ろの正面、だぁ~れ……)


 瞬間、嶋香が箒を槍のように構え、人形に向けた。唾を飲み下した。じり、じりと箒を構えたまま、拝殿の人形に近づいて行こうとして、すてーんと滑った!


(クックック)


「あんた、笑ったね!」

「違うって! 何かがあたしの袴を引っ張ったのよ! ねえ、まさか……人形……動いてるわよ……」


「まさか」


 姉妹で、ゆっくりと人形を振り返る。


 しれっと人形は座ったままだが、動きが違う。いよいよ、二人で蒼白になって顔を見あわせた。



「こういうときは! 助けを求めましょ! 長柄!」


 嶋香は箒を投げ出し、きゅっと髪を縛った。


「親父さんとこ?」

「違うわよ、天領先輩よ。謎解いて貰って、お帰り願いましょう! 親父はその後!」

「……逢いたいって素直に言えば?」


 ふっくらした姉の頬を見詰める。


 ――あんなに、ほっぺ、丸かったかな……。また人形の密やかな笑い声が零れた気がして、長柄は首を振った。


 あるわけがないと言い切れない。ここは八幡宮で、祟りや、邪なる気など誰より知っている。


(あの人形、なんなんだ)



「今は七時半。九時の開門には間に合わせなきゃね」


 朝露が木々をぐっしょりと濡らしている。

 長柄は蒼空に問いかけた。



 ――天照大明神さま。今日も、平和でありますように……ってあたしの話、聞いてました? 



 朝焼けの中、橙の雲がしれっと流れて行った。

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