桜雛の桃色御朱印帳 1

――春爛漫かな、桜雛八幡宮……麗しき春の桜……


「あら、ごめんなさーい!」


 桜の木々につんのめりそうになった。続いて「どいてどいてどいて~!」と愛らしい声。(嶋香だ)と嬉しさで振り返ると、段ボールにゴインとやられた。

「俺の眼鏡!」トレードマークの眼鏡がずり落ちる。「あ、先輩ごめーん」嶋香はよっこらせと段ボールを持ち上げる。

「八幡宮の春祭り」と掲げられた大きな看板を持った男巫女たちが通り過ぎて、天領悠斗は自分の役割を思い出した。

 優雅な桜を見上げ、花びらの入った酒を嗜むなど夢のまた夢。まして桜吹雪の中で、愛おしい巫女を抱きしめ愛を語る、なんて那由他の夢。

「せんぱーい、お弁当運んで~~~~! 業者さん、来ちゃったから」

 そう、これが桜雛の春祭りである――。


***


「御朱印帳?」聞くと嶋香は「そ」と段ボールからいくつもの冊子を出した。御朱印帳とは、神社やお寺の参拝記念に書いてもらう、朱印のことで、それは神社や八幡宮にとっても重要な事項である。桜雛は飛騨高山でも大きい部類の八幡宮。三月には御朱印帳を販売するらしい。


「よっこらせ」と嶋香は御朱印帳を販売台に並べ始めた。(まるで、コミックの……)とは間違えても言ってはいけない。簡易販売台はお祭りの時のみ置かれるもので、その時は合わせた賽銭箱やおみくじの簡易場所も作られる。


 普段は一足が少ない桜雛八幡宮の、春の見どころは「桜」それも、おみきさくら、と呼ばれる白川から移築された黄色の桜だ。


「今朝、開花宣言出たでしょ! もう、いつも突然なんだからっ」


 そう言いながらも、嶋香の頬は嬉しそうに撓んでいる。(可愛いな)と思ってみていると、「なに?」と気付かれた。天領は「いいや?」と隣に腰を下ろして、嶋香がばりばりと開ける袋を箱に戻す。


「御朱印帳、結構売れるから」一生懸命な嶋香の尻に、ぽん、と御朱印帳を乗せてやる。「うがあっ」と嶋香は振り返ってくす、と笑った。


「可愛いな、コレ」

「ん、お姉ちゃんがデザインしてたよ。わたしはここにカエルを置いたらどう? って言ったんだけど」


「ああ、それはやめとけ。おまえさんは黙ってたほうがいいな」


 嶋香のセンスはちょっと怪しい。天領はぽん、と嶋香の頭を叩くと、ポケットから五百円玉を出した。


「俺にも一冊頂戴」「1200円でーす」……思ったより高かった。1500円を払って、300円をお釣り。小腹がすいたので、300円はタコ焼きになった。

「はふ」と頑張る巫女の口に入れてやる。「テキヤのおっちゃんも頑張ってんな」ほこほこのタコ焼きを転がしながら、嶋香はうん、と一冊の御朱印帳を手渡した。

「じゃあ、さっそく第一弾は桜雛八幡宮の御朱印を」


「待って」嶋香はモジモジして腕を引いた。はいはい、キスですか? と思ったが違ったらしい。眼鏡が緩んだので外そうとしたら、見事に押し返されて、刺さった。

「明日、来て。多分、ビックリするから」

 ――おう?



***


 さて、ここは飛騨高山にある桜雛八幡宮。おとぼけな神主と、三人の巫女が切り盛りする賑やかな八幡宮である。


 わたし、雛嶋香は、八幡宮の巫女チーフを勤めている巫女。まもなく天領悠斗と結婚……はどうなのか、まだまだいちゃジレほのラブ状態で。


「嶋香~、天領くん帰ったのか」


 1200円の売り上げをポケットに入れて、嶋香は振り返った。


「うん、明日来てって言っておいた。御朱印欲しがってたけど、明日、ねえ、お父さん、あたしが書いてもいい?」


 うきうきしながら嶋香は神主に聞いてみる。明日だけは、桜雛の御朱印は実は桃色に変わる。桜墨と言って、桜のエキスを入れたインクを春に見立てて使用する。今年の桃色はぱっと明るくて、可愛い色合いで、今からが楽しみだ。


「それに合わせて御朱印帳もエンジの布綴じにしたのよ。明日はあたしも書くかな」

 普段は都会暮らしの姉、銚子もそろって、更に。


「ふうん、甘めかしいね」のクール三女、長柄もそろっての三人官女(意味は違う)勢ぞろい。


「嶋香、あんた天領くんからのお金、ここ」としっかりものの姉が差し出した「寸志」とかかれたブタの貯金箱に、天領からの1200円をしぶしぶ入れた。


「あんたたちいつ、結婚するのよ?」


「えっ?」

「えっ? じゃないわよ。じれじれじれじれじれじれじれじれ」


「うわ、ジレ過ぎて気持ちわるっ」三女の頭を叩いておいて、嶋香は机の奥に突っ込んだままの婚姻届けを思い出す。


「あ~~~~~~~」考えるとこんがらがる「結婚」の文字。「だって、まだ八幡宮にいたいんだもん、あたし、巫女だし」


「巫女だって別にやることやるでしょ」銚子は「そうだ、憐にも御朱印帳!」とブタの貯金箱に二千円入れて、振り返った。


 春爛漫の風が三人官女の前を通り過ぎる。今日を連れてくる、今日の風は、ちょっと甘ったるい気がした。桜が揺れている。嶋香はそっと境内から見える桜の木を見上げた。


 桜雛の桜インクは、この木から作るんだって。業者さんが少しだけ摘み取って、再来年の分のインクをつくるから、このインクは二年前。

 つまり、あの竜巻が起こった春の桜で、きっと、竜巻に飛び込んだ天領を見詰めていたに違いない。屋根が吹っ飛んで、巻物も吹っ飛んだ。


 色んな謎を見つけて、二人で喧嘩しつつやってきた二年前を。


(くす。なんか、懐かしいな)


 そして、わたしは彼氏をカモにしてよかったのだろうか、は置いておいて。天領はいつだって優しい。だから甘えて結婚を先延ばしにする。だって、このままがいい。結婚なんて考えないで、ここで、日向ぼっこしながら巫女やって、天領は准教授として研究して。


 四季を一緒にゆっくり超えて。

 ――それだけじゃ、だめなのかな……。


「嶋香、インク振り過ぎ」補充用のインクの瓶を揺すって、姉に叱られた。


(あの時間を見ていた桜かと思うと)


 あの頃も、わたしも、変わってないようで変わった。追い越した季節はその度に成長したねと囁いてくれる。


「一緒に、謎を解こう」天領の口説きと共に――。


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