第47話 私の知らないエピローグ

 私は喫茶店への道を急いでいた。

 走っていると、誰かに呼ばれたような気がした。


 槙野君の声に似ていた気がする。

 でも不思議と、気にならずに私はそのまま走り続けた。


「これが効果か……」


 あの日、記石さんが私の額に手をあてて、なにかをつぶやいた後からだ。

 呼びかけられても、鬼のだと思われるものには振り返らなくなった。


 おかげで学校からの道については、あれから三日は何事もなくすごせているし、昨日と今日は一人で歩くようになっていた。


「ほんとにすごいなぁ記石さん」


 あれから登下校どころか、学校でもおかしなことはなくなった。

 おかげで槙野君とどうこうという噂は、立ち消えてくれたのだ。


「他の人が、噂になっているみたいだけど。私にどうこうできるわけでもないからなぁ」


 記石さんに、大元のことは頼めたのだ。ゆくゆくはその噂の的の人も、解放されるはず。

 それとも、もう終わったのだろうか。


 早く聞きたいけれど、委員会が長引いて、先に記石さんに知らせていた時間よりも遅れてしまっている。


 あらためて遅れていることを知らせ直したし、記石さんは気にしなくていいと言ってくれたけれど、やはり気が咎める。


 ようやく喫茶店に到着した。

 喫茶店はいつも通り、客が一人もいない。

 外側からその様子をちらりと見てから、裏口へ。


「こんにちは、出勤しました」


 そうお店側へ声をかけると、振り返ったのは記石さんではなかった。似ているけど雰囲気がこう……より艶っぽい感じがするので、間違いなく柾人だ。

 人のふりをしている鬼は「来たか。客はいないからゆっくりしていいぞ」と言ってくれる。


「ありがとうございます」


 礼を言いながら店のバックヤードにある着替え用の部屋に引っ込んだ私は、首をかしげた。

 柾人を店番にして、記石さんが留守にするなんて珍しい。


  ***


 彼女を呼び止めようとした彼は、今日も走りすぎるその背中を見送るしかなかった。

 でも今日こそは。

 もう時間がないのだ。だからその背中を追いかけようとして……。


「そこまでですよ」


 肩に手を置かれて、彼は驚いて振り向く。

 全く気配を感じさせないまま、自分に近づいていたことが信じられなかった。


「そう驚くことではありませんよ、槙野さん」


 槙野の気持ちを見通したように言うのは、茶髪の青年だ。自分よりも何歳も年上だということは知っている。

 教室でしか話せない彼女から、なんとかそれを聞き出すことができたのだ。

 いや、話を振った後、彼女の側にいた友達が口を滑らせたおかげか。

 名前は聞きそびれたことが苦々しい。名前さえわかれば少しは……。


「あなたは誰ですか。どうして僕の名前を知っているんですか」


 立ち止まった槙野の肩から手を離し、その青年は答える。


「もちろん、美月さんに聞いたからですよ。そしてずっと見ていたからです。彼女の周囲を」


 一度言葉を切って、数秒置いてから青年は続けた。


「美月さんにあんなにも鬼ばかり関わって来る、元凶を探すために」

「鬼? 元凶? 何のことだ?」


 槙野は一歩後ろに下がった。

 だめだ、この男は危険だと感じる。

 今すぐ逃げてしまいたい。でも、鬼と言いながらもこちらのことを全ては知らないだろう。きっと言質を取ろうとしているだけ。それなら、穏便に離れなくては。


「よくわからないが失礼な人だな。それに鬼だなんて時代錯誤な……」

「最近、不調のようですね」


 青年はじっと槙野を見つめたまま言う。


「調べましたよ。梅雨が明ける前頃から、試合でもなかなか成果を出せず、テストでも点数が下がる一方のようで。そしていつもぼんやりしていることが多くなったとか」


 槙野は青年から目をそらせなくなる。


「急に不調に陥る人の場合、鬼を使っていることが多いものなのですよ。なにせ自分の実力に、鬼の力を上乗せしているわけですからね」

「な、何を根拠にそんな夢みたいな話を……」


 槙野は焦った。そうして、青年に気取られないように、自分のポケットに手をしのばせる。指先に触れるのは、小さな木片を繋いだブレスレットだ。

 青年は槙野の返事を気にもせず続けた。


「美月さんにそれとなく確認してみれば、あなたの周囲には病む人が多すぎる。最初は自分のライバルだった相手。それがほとんどいなくなると、なんでもいいからと思ったのか……自分に気持ちを向けている女性達を使うことを思いついた。そうではありませんか?」


「女性を使うってどうやってだよ。本当に変な人だな。気持ち悪くて関わりたくない」


 槙野は怒ったふりをして、青年から離れようとした。


「おや、お帰りですか」


 青年は槙野が諦めて帰ることにしたと勘違いしたようだ。

 槙野は『かかった』と思った。

 背を一度だけ向けた後で、すぐに手に持ったものを投げつけるため振りかぶって――。


「まだまだですね」


 いつの間にか距離をつめていた青年が、槙野の手を掴んでいた。

 驚いている間に、持っていた木片をつなげたブレスレットを取り上げられてしまう。

 しかしその瞬間、密かに槙野は喜んだ。


 ――それに触れさえすれば、こちらの鬼に相手は影響される。

 今までだってそうだった。

 通りすがりにぶつかったフリをして。手にブレスレットとして身に着けた状態で、肩や腕に触れるだけで、相手はじわじわと自分の中に――鬼を産み出す。


 めずらしく効果がなかったのは、一ノ瀬美月ぐらいだ。

 代わりに、彼女には生み出した鬼が寄っていくので、後始末のことで悩まずに済むと思ったのだけど。


 なぜか彼女に嫉妬心を向けた人間から、鬼が消えてしまった。

 たぶんこの青年のせいだろう。

 でもこれでチェックメイトだ。

 槙野は冷静に言った。


「返してくれ」


 手元に戻りさえすればいいのだ。しかし青年は薄笑いを顔に浮かべた。


「いいえ。あなたの鬼ともども、依り代のこれも私が頂きますよ」

「なっ……!?」


 槙野は背筋に鳥肌が立つ。だめだ。この青年にあの木片を渡してはならない。


「鬼よ、そいつを食え!」


 槙野がそう言ったとたんに、木片から白い影が湧き上がる。

 その影は大きな死神の持つような鎌を振り上げたような形だ。そして生き物のように動き、その鎌で青年の首を刈り取ろうとする。


 しかし青年は笑った。

 振り下ろされる鎌を、片手を挙げて刃を受け止める。

 そのまま静止した白い影は、青年の指先に手繰り寄せられて紙のようにくしゃくしゃと丸められていく。


「あ……あ……」


 最後には白い丸めた紙ごみのようになったそれは、青年がふっと息をふきかけると消えてなくなった。

 呆然とする槙野の前で、青年は微笑んだ。


「さ、あなたの中にある余計な記憶をいただいていきましょう。うちにお腹をすかせている犬がいるもので。いい栄養になってくれると期待していますよ?」


 槙野の頭の中には「どうして」という言葉がぐるぐるとめぐっていた。

 なぜこんな強大な力を持つ人物が、自分を滅ぼそうとしているのか。

 そもそもどうして、一ノ瀬美月に関わっているのか。


 そう、こいつなのだ。一ノ瀬美月に関わった鬼を全て消し、槙野の力の元を枯渇させたのは。


「なぜ、どうしてそうまでして一ノ瀬美月を守る……」


 うめくような槙野の声に、青年は目をまたたき答えた。


「冥途の土産……というとアレですが。どうせ忘れてしまうのですから教えてあげましょう。彼女には恩があるんですよ。僕はそれを、返さなくてはならない時が来たんです」

「恩だと?」

「僕に鬼を与えてくれたのは、彼女ですから」


 そしてゆったりと槙野に手を伸ばしてきた。

 恐怖と混乱で身動きできなくなっていた槙野は、やすやすと頭を鷲掴みにされる。


「では、あなたももう、普通の生活に戻りなさい」


 その言葉の後、槙野の意識は途切れた。


 ***


 喫茶店に戻ると、すでに美月さんが店内の清掃を始めていた。

 テーブルを拭く彼女の様子から、何も問題がなかったことを改めて確認し、手に持っていた本を店内の書棚に収めた。

 すると美月さんに尋ねられる。


「新しい本を買ったんですか?」


 外から持って来たから、そう思ったのだろう。

 これは鬼が記憶を食った相手の物語だ。でも素直に話して、彼女がこの記憶の主についてずっと心を残すことは、僕の本意ではなかった。


「いいえ。人から譲っていただいたのですよ」


 そう言えば、美月さんはすぐに気持ちが離れたようだ。

 元々、どんな本でものべつまくなしに読む人ではないし、鬼が記憶を食った相手の物語を彼女は避ける。

 人の秘密を覗いているみたいで、ちょっと気が引けるのだそうだ。

 であれば、彼女はもうこの本のことは忘れて、二度と読まないだろう。

 それでいい。


「お帰り透哉」


 カウンターの中にいた柾人が言う。


「ああ、用事は片付いたよ」


 そんな話をしている間に、早々にテーブルを拭き終わった美月さんが、「すみません、家から電話が」とバックヤードの方に行ってしまう。

 それを視線で追っていると、柾人に言われた。


「これからもまだ見守り続けるのか?」

「お前が記憶を消去するにしても、子供が記憶喪失になるのとは勝手が違うよ。もう封じ込めることもできない」


 だから。


「まだまだ、側にいるさ」

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喫茶オルクスには鬼が潜む 佐槻奏多 @kanata_satuki

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