第39話 我を忘れたからこそ言えること
ふっと私の恐怖がその一言で消えた。
怒りで頭がいっぱいになる。
何を言っているんだろうこの人は。
「自分の友達を怪我させようとした人と、友達になれると思う?」
応じた声は、震えていた。恐怖のせいなのか、怒りすぎたせいなのかはわからない。
でも三谷さんは不思議そうに首をかしげた。
「誰だって、自分が悪い人だと思われたくないのなら、うわべだけでも合わせるでしょう? 友達をいじめた人でも、自分のことを良く思ってくれる相手なら、友達がたまたま相手と合わなかったんだって思って、仲良くするものじゃない?」
にたっと笑う口元だけが、なぜかはっきりと見える。
でも私は、そんな意見ではゆらがない。
「確かに、誰もがそうしているでしょうね。うわべだけでも合わせて平和に過ごす方が楽だもの」
無駄に諍いを増やして、お互いに疲弊する必要はない。
「ただ、あなたはうわべだけ合わせる相手の範囲を超えたのよ。時には、自分にさえ被害がなければいい。自分さえ守れればいいっていう考えの人もいるでしょう。でもね。自分と価値観が似た友達を攻撃する人って、そのうち自分にも攻撃してくるものなのよ」
特に三谷さんみたいな人は。
私のことをうらやましいと思った瞬間に、ナイフの刃を向けてくるだろう。努力せずに私に成り代わりたいと思って、私に烏をけしかけるだろう。
むしろ……彼女の足元の烏みたいに、殺してしまおうとするかもしれない。
すべては自分のため。
自分だけが愛されるためだけに。
そんな人と友達でいられるわけがない。私だって危険を避けたいのだ。
三谷さんが関係のない第三者なら、避けるだけで済んだ。だけどこうして真正面から喧嘩を売られたら、避けるだけではどうにもならないのだ。
「とにかくあの烏を止めて」
「そうしたらお友達になってくれるの?」
……話が通じないことはわかりきっているのだから、ここで心くじけてはいけない。
「人に烏をけしかけるような人とは友達になれないわ。すぐにやめて」
「お友達になってくれないならダメよ」
三谷さんは微笑む。
「お友達になるには、他の条件が必要よ。そしてあなたは努力しなければならない」
「努力? どうして? あの人は努力せずにあなたと友達になったんでしょう?」
「あなたが私を傷つけたからよ」
私はそこでちらっと沙也の方をうかがう。
どうやら烏は逃げて行き、沙也は無傷で助かったようだ。
「私は動物を平気で殺せる人が嫌い。誰かに成り代わろうとして、その相手を傷つける人が嫌い。あなたがそれをしないと決めて、今日から何年かかってでも私が認めるまでそれらを全て止め続けなくてはならないの」
真正面から条件を突きつけられて、さすがの三谷さんもぽかんとする。
「え、あ……」
「その努力を今後十年は続けるというなら、あなたが烏を殺したことは黙っているわ。これを他の人に話したら、どんなにがんばっても誰もあなたの努力を認めなくなるでしょうから」
うろたえている間に私はたたみかけた。
これで、とにかく動物を殺したり誰かを傷つけたりしなくなればいい。そう思って。
「あう、あ、わたし……」
『わたしが、どうして』
「やめれば、いい……?」
『なぜ……友達になってくれない』
三谷さんの声が二重に聞こえ始めた。
そのうち彼女の体が震え始める。いや、これはけいれん?
思わず後ろに下がった。
じりじりと、すぐに逃げられるように距離をとる。でも林を囲んだロープに足が触れた時、三谷さんの背後からふわりと黒い影が広がった。
カーテンを開くように滑らかに広がった黒が、三谷さんの顔を完全に隠し、私の方にまで手を伸ばそうとして――。
「これを待ってたんだ」
突然、私の横に赤い虎がが現れた。
虎口に黒い影がずるずると吸い込まれていく。
その間中、私の耳には低くつぶやく声が聞こえ続けて、耳を塞いでも止まらない。
――ねたましいねたましいねたましいみんなしんじゃえみんなしんじゃえみんなしんじゃえ――
悲鳴を上げなかったのは、あまりにもぞっとしすぎたのと……声が途切れるまで、それほど長くかからなかったおかげだ。
ふっと静かになって。私はいつの間にか閉じていた目を開いた。
そこは元の通り、日陰になって涼し気な林の中で。
目の前にはいつの間にか、三谷さんがうつぶせに倒れていた。
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