第7話 不思議なのはやっぱり彼です

 その日の放課後。

 ゆっくりしていたら確実に捕獲されてしまうからと、私はHRが終わるなり教室を飛び出した。

 急いで階段を駆け降りて、靴を履き替えてから、念のため目につかない裏門から出る。


 いつもの喫茶店まで、学校からは徒歩七分くらいの距離だ。

 私は走って走り抜いて、店の前までたどり着く。

 周囲に亜紀の姿も、同じ学校の生徒の姿も見えないのを確認して、息を整える。それから携帯を取り出して見れば、亜紀からのメールが届いていた。


『もう学校から出ちゃったの?』


 という文面に、ため息をついた。重たい気分で打ち返す。


『先に友達と一緒に勉強する約束していたから。テスト終わるまではしばらく無理』


 その頃になると息切れも治まったので、ゆっくりと喫茶店の中に入った。


「いらっしゃいませ」


 珍しくレジの近くに居た『記石さん』に出迎えられた。

 驚いて肩が跳ねる。こんな驚き方をしたら失礼だったと思ったけれど、彼は気にした様子もなく、奥の席へ案内してくれた。

 記石さんに従って、私は奥へと歩く。そうして席についたところで、そこが衝立のある、窓からも見えない席だということがわかって「あれ?」と思った。


 確かに藁にもすがる思いでこの喫茶店に来た。それは彼が、亜紀と目が合いそうになった時に「あなたの姿は見えない」と言ってくれたからだ。

 嘘でも私の勘違いでも、ここにいる間は大丈夫かもしれないと期待できるから。

 でもあの話が本当なら、奥まった衝立のある席じゃなくても大丈夫なような気がするんだけど。やっぱりあれは気休め?

 その時、記石さんが小声で言った。


「姿が見えないとお教えしても、そうそう信じられないでしょう?」


 まるで心を読まれたみたいなタイミングだった。


「な、なんでわかったんですか」


「見ていれば、なんとなく察せられますよ」


 記石さんはなんでもないことのように言って、私に座るよう促した。


「昨日、あなたは外を通りがかった女性に、見つかりたくなさそうにしていました。だからお客様が会いたくない相手は、中は見えないようになっていると伝えました」


 やっぱりあれはそのままの意味だったの?


「そして今日も店に来たあなたは、誰かに見つかるのを恐れるように、走って来ましたね」


「見てたんですか!?」


 私は思わず声を上げてしまい、慌てて自分の口を押さえて席に座って引っ込む。

 他のお客に、視線を向けられてしまったのだ。

 うるさくしてごめんなさい、と心の中で謝る。

 一方の記石さんは平然と答えた。


「もちろんです。そして息を整えてから入って来た後も、不安そうな顔をしていました。これはきっと、僕の言葉を半分信じながらも、やっぱり外から見えてしまったらどうしようという、不安が残っているせいだと思ったんです」


 息を飲んだ。

 ……鋭い。

自分が考えていたことを、全部当てられてしまい、その先を尋ねるのをためらうほどだった。


 ――どうしてそこまでわかるんですか。

 ――見えないって、何か不可思議な力のせいなんですか?


 そんな私の様子に少し笑い、記石さんがいつも通り「ご注文は?」と尋ねてくれる。


「え、あ、紅茶を……あと、その、クッキーも」


 さすがにここまで配慮してもらって、お茶だけというのも申し訳ない。

 せめて売り上げに貢献しようと思った私は、クッキーを頼むことにした。

 彼は「承りました」と言って、キッチンへと姿を消す。


 私は、ほっと息をついた。

 なぜあんなにも心を見透かせるのか。本当に心を読まれているような、居心地の悪さがあった。


 似たような感覚は、芽衣と話している時にも感じたことはある。

 芽衣はとても鋭い観察眼のある人なので、沙也と私はいつも彼女に色々と言い当てられて、驚いているから。でも恐怖を感じたりはしないのに。


 ただ怖いという気持ちが過ぎ去ると、説明しなくても配慮してくれるところは、とても楽だなと思う。

 頼まなくても、窓の外からは絶対見えない席に案内してもらえるのも、とても安心できた。


 とりあえず勉強をしよう。それを口実にした手前、テストで点数を落としては困る。

 でも一応、記石さんに許可を取ることにした。勉強をしていても怒らないでいてくれたので、たぶん今日も大丈夫だろうとは思う。

けど、公然と許されていない状態では、やりにくいから。

 ややあって紅茶とクッキーを運んできてくれた記石さんに尋ねると、彼は笑って許してくれた。


「今さらですよ美月さん」


「そうですよね、今さらで……」


 私は言葉を止めた。

 今ものすごく違和感があった。一体どうしてと考えて、すぐに違和感の元に思い当たる。

 彼に名前を教えた覚えがないんだ、私。


「どうして私の名前を知ってるんですか?」


 つい尋ねた私に、記石さんはなんでもないことのように答えた。


「実は、テーブルに広げていたプリントの記名を拝見してしまいました。申し訳ありません」


 爽やかに謝られて、私はそれ以上指摘出来なくなる。

 仕方なく、私はお茶とクッキーに口をつけながら、宿題を始める。

 でも疑問が消えたわけじゃない。むしろ増した。

 だって私は、名前が見えないようにいつも隠してたはずなんだもの。何かの拍子にずれてたこともない。


 ――やっぱりおかしい。


 そうは思っても、真正面から尋ねたのに答えてくれなかったのだ。もう一度聞いたところで、話してはくれないだろう。

 仕方ない。諦めよう。

 だからその日は、勉強に集中することにした。でも三十分もしないうちに、マナーモードにしていた携帯が振動する。


 画面を見れば、沙也からだ。

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