「何をしている! キアノ。もっと前に出ろ!!」


 イレチがキアノにげきを飛ばす。

 キアノは頭上から降ってくる矢を、冷ややかに見守っていた。

 イレチが率いていた軍勢は、最早ばらばらだ。

 何しろ、死んだと思っていた宋禮の大宰王英が軍を率いて、現われたのだ。

 キアノの独断で、地方軍の援軍を早々に辞退しておいて良かった。

 これだけ、計画が狂ってしまったら、エスティアは、もう攻めることは出来ない。まずは、一端退いて、精神的に追い詰められている兵士達の士気を取り戻すべきだ。


「馬鹿者! 兵が後退してきているではないか!」


 着飾ることだけに、慣れた男が顔に煤をつけながら、怒声を発している。


(滑稽なことだ)


 キアノはいつも通り、にこやかに応じた。


「兵が後退してきたのは、閣下が後退されたからだと思いますけど」

「お前が行けば、兵士は戦う!」

「無理難題をおっしゃいますな。閣下。貴方が侮っていた宋禮の小娘領主ですら、敵の前に姿を晒してまで、兵士達を鼓舞したのですよ。小娘に出来ることを、貴方がしないのは、おかしいではないですか」

「そんな危ないこと、出来るか!」

「貴方がその程度の器だから、我が軍は退却しなければならないのです」


 冷たい水のように、キアノは流す。

 一方のイレチは活火山のようだ。鉤鼻を真っ赤に染めて、肩で息をしている。


「ふ、ふざけているのか。貴様!」


 怒鳴り散らされても、キアノの心は穏やかだった。

 別に、嘘をついたわけではない。

 自分は事実を指摘したに過ぎないのだ。

 キアノは見飽きたイレチの大きな顔から視線をそらした。

 イレチの背後で、彼の忠実な臣下が縄を引いていることに気がついたのだ。


「……あれは?」

「私が放っていた間者だ。あやつの言う通り、弓で攻撃をしたから、我が軍はこんなことになってしまったのだ!」 


 キアノはイレチを無視して、引き摺られている青年に目を向けた。

 青年は地面にうつ伏せになった状態でいるので、逃げ惑う兵士達に踏まれ放題だ。

 キアノは、イレチの家臣をどけて、退却してくる兵士達から青年を守るように、膝をついた。

 青年がゆるゆると顔を上げる。

 体はぼろぼろだったが、目は死んでいなかった。

 綺麗な碧眼を、獣のようにぎらつかせている。


(志雄……)


 彼もキアノの存在に気付いたようだったが、お互いが知り合いであることは、口にしなかった。

 イレチは、キアノが宋禮に行ったことすら知らないのだから、志雄との繋がりなど、想像がつくはずもない。


「閣下は、彼をどうしようとお考えですか?」

「見せしめに処刑するに決まっているだろう。お前も更迭だ。宋禮の大宰は死んでいなかったからな」

「なるほど……」


 キアノは微笑した。

 そして、そのまま腰の剣を抜き放ち、志雄を繋いでいる縄を切った。


「何をする!!」

「くだらない余興だな。閣下。観客は貴方だけで十分じゃないか」

「キアノ! 貴様!!」


 イレチは激昂の余り、即座に剣を抜こうとするものの、飾り物のような、細い剣は、なかなか抜くことが出来なかった。

 よほど、イレチの家臣の方が早い。

 ――が。

 その家臣が剣を抜いた途端、キアノの部下達がイレチの家臣の背後で、こぞって抜刀した。


「あっ……」


 そこで、家臣はすぐさま降参して、地面に剣を投げた。


「さて、死にたくないし、とっとと退却しましょう」


 周囲を見渡して、独り言を呟いてから、キアノは声を張り上げた。


「宋禮は、援軍が来ない限り、深追いはしてこない! 兵力はこちらが勝っている! 落ち着いて、退却しなさい!」

「…………退却?」


 正式な命令は出ていなかったので、キアノの下した命令を聞いた兵士達は、目を丸くした。

 キアノは念を押した。


「退却だ!!」


 兵士達が波のように、キアノの脇を通り過ぎた。


「た、退却など……。私は許可していない!!」

「この状況で、どうやって戦えと? まったく、イレチ将軍は、こんな状況でも冗談がうまい」

「何を!?」

「正直、火のついた矢を放った時は、貴方も上手いと思いましたけど……」


 イレチの注意を自分に逸らしながら、キアノはぐったりとしている志雄を助け起こして、自分の配下に託した。


「やっぱり、貴方は貴方だった。イレチ将軍。数々の貴方の愚行を、私の人生の教訓にさせていただきます。有難うございました」

「貴様。誰に向かって口を利いている。恐れ多くも、私は先の国王の……」

「…………だから。何でしょう?」


 キアノは一つに結い上げた髪をゆらゆらと揺らして、イレチに接近した。

 憎たらしい顔が憤然と、キアノを見上げている。

 この期に及んで、いまだに自分の立場が分かっていないらしい。


「国王の近親者だって、エスティアと宋禮の混血児のそこの彼だって、何も変わらない。今ある事実は、この状況下に貴方に従う家臣が一人だという悲劇だけでしょうに」


 その家臣も、剣を手放して、キアノの配下に捕らえられている。


「皇帝陛下は恐れ多くも、貴方に最後の更生の機会を与えられた」

「貴様、一体何を言っているんだ?」

「この戦が始まる前に、皇帝陛下は私におっしゃいました。もしも、今回の争いで、貴方が醜態を晒すようだったら、容赦なく貴方を斬れと、そのために私は貴方の副官になったのです」

「嘘を言え!」

「嘘でも何でも、私は構いやしませんが……。どうせ、ここで貴方は死ぬんです。戦で名誉の戦死を遂げたということにしておけば、国葬もしてもらえるし、最期に一花咲かせられて、良いんじゃないかな?」

「うわああああ!」


 やっと、剣を抜いたイレチは、剣術をしたこともないような素人の構えで、キアノの懐に飛び込んできた。

 悲しいくらい、及び腰だ。

 キアノは、あっさりとかわして、剣を抜き放つと、綺麗に横に払って、イレチの剣を跳ね飛ばした。


「あっ、あっ」


 少し反応が遅れてから、自分の手中に剣がないことを、イレチは知ったらしい。


「私が強いわけではないんだけどな……」


 キアノは剣を持ったまま、イレチに近づいていく。

 一歩、近づくたびに、イレチが後退していくさまを、淡々と見つめていた。

 たった今、逃げてきた敵の兵士側に、彼は足を向けているのだ。


「キアノ様! お時間が」

「分かってるって……」


 背後で、退却準備をしている兵士達に、片手で軽く手を振る。

 だが、キアノは殺気を消したわけではなかった。


「や、やめてくれ!」


 裏返った哀れな声が戦場に轟いた。

 そんな将軍の姿を、兵士達が見送りながら、去って行く。


「お前、はなから私を負けさせるつもりでいたな!」

「まさか。私だってエスティアの兵士です。むざむざ国民を死なせるような真似しませんよ。ただ単純に、私は貴方に手を貸さなかっただけです」


 イレチは、荒地の砂を投げつけて来た。しかし、重い黒土はキアノの服を汚しても、目潰しにはならない。


「こんなことをしたら、兵がお前を訴えるぞ」

「別に。何か告げられたところで、やましいことは何もないのです。皇帝陛下の命令ですから」

「皇帝陛下が、そんな非情なことをするわけがない!」

「うるさいな」


 キアノは、イレチの頭の天辺を切った。切り取られた数本の金髪が風に舞う。

 頭を手で覆い、完全に縮こまって動かないイレチを、暫時凝視していたキアノは、やがて剣を鞘に戻して、来た道を引き返した。


(馬鹿馬鹿しい……)


 背後で、イレチが目を開けた気配に気付いたキアノは、ぶっきらぼうに言い捨てた。


「本当は、貴方を斬ろうと思ったけれど、何だか面倒になっちゃいましたよ。貴方は本当にどうしようもない。名誉ある死よりも、暗い牢獄で、一人ひっそりと死んでいくほうが、性に合っているみたいだ」


 キアノの目配せで、イレチはキアノの部下達に捕らえられた。


「こ、こんなことが許されると思っているのか!!」


 キアノが去った途端、イレチはいつものように大口を叩き始めたが、それもあと少しのことだろう。

 将軍イレチは、今日戦場で死んだのだ。

 そして、それはこの男に対しても言えた。


「死んじゃったの? 志雄」


 志雄はキアノの指示で、配下が抱え込むようにして、馬に乗せていた。


「残念ながら、まだ生きています」


 見た目だけならば、死んでいてもおかしくないほど、ぼろぼろだったが、何とか生きているらしい。薄目を開けて、キアノを見上げている。


「へえ。意識があるんだ」


 宋禮で、武人をやっていただけのことはある。


「あれだけ忠告したのに、君も馬鹿だねえ。君のような青年が将軍の下で働いちゃいけないよ」

「それは、大宰にも言われました」

「そんなに周囲から、忠告されているのに、どうして、君は余計な真似をしてくれちゃったわけ。エスティアは君たちが考えているほど、優しい国じゃないよ。私は君を殺さないといけなくなっちゃったじゃないか」

「本当。どうしてなんでしょうね……。私にも分かりませんよ」


 志雄は切れた口の端を舌で軽く舐めてから、微笑した。

 その表情は、キアノが一度会った時の志雄の印象から、大きくかけ離れた、満ち足りたものだった。


「何だ。…………見つけたんじゃない? 居場所」

「えっ?」

「以前会った時の君は、何か自棄っぽかったからね。そんな優しい顔の男を、私は処刑しなければいけないのかと思うと、正直気が重い」


 馬に跨るとキアノは手綱を引き寄せて、素早く移動を始めた。

 志雄を乗せた馬が続き、整然と兵士達がついてくる。


「……ねえ、生きたい?」


 キアノは前を見据えたまま、何気無く志雄に尋ねた。


「翠塾の名を出せば、貴方は私を助けて下さるそうですね」

「はっ?」


 さすがに、キアノは振り返った。

 志雄が口にしたのは、エスティア語ではなかった。


 ……宋禮の言葉だった。


 仕方ないので、キアノも宋禮の言葉で応対する。


「何、慧月先生に宋禮の言葉を教えてもらった、借りを返せとか、そんなことを言いたいわけ? 嫌な感じだな。誰がそんなこと言ったの?」

「これも大宰です」

「祥玲も怖いけど、笑えるくらい怖い大宰だね。言動には注意しよう。そういえば、私、こないだ首洗って待ってろって、言われたんだけど。あれは本気だったのかな」

「それは当然、本気です。追ってきますよ。何処までも」


 矢がすぐ側にまで、落ちてくるようになった。


(洒落にならないな……)


 キアノは、馬の出せる最大の速さで駆けることにした。

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