「我が軍が、勝っているらしい。まだ一軍しか出していないのにな。これは圧勝だな」


 欠伸交じりに、イレチが言った。

 キアノは年季の入った無意味な笑顔を装着して、曖昧に頷いみせる。

 これから、打って出るというのに、緊張よりも、眠気の方が勝っているらしい。

 キアノの記憶が正しければ、この男が先陣を切った戦いは皆無だった。


(ある意味、大物だな)


 呆れるくらいに愚物の象徴だ。


「ええ。これでイレチ将軍が出れば、現場の士気も高くなり、瓏国全土がエスティアとなる日も近いでしょう」

「そうだな」


 イレチの鼻息が荒い。

 真っ赤な鎧をつけて、純白の外套を身につけている。格好だけは、目立っていたが、元々猫背なので、鎧が体にまったく馴染んでいなかった。


「ところで、大宰はどうした? お前が志願したからこそ、大宰のもとに行かせたんだぞ。始末は出来たのか」

「確認はまだですが……」


 キアノは慇懃に返す。

 ――あの後。

 王英が完全に姿を消したことを見計らって、キアノは追っ手をかけたが、おそらく王英のことだ。生きているに違いない。


 しかし、キアノは思惑とは、正反対のことを口にした。


「エスティアが挙兵したと察知して、大宰は逃げたようです。すぐに追っ手は放ちましたし、宋禮に戻ったという話は聞いていないので、今頃は殺されているでしょう」

「ああ。大宰はまだ宋禮には戻っていないそうだな。俺のところにもそう報告が入っている」

「密偵ですか?」

「さきほど、宋禮からエスティアにやって来て、宋禮の情報を置いていった。宋禮内部は、混乱の一途で、小娘の領主は、優柔不断で命令が定まらないらしい」

「予想通りですね」


 キアノは顎に手を当てた。

 志雄が戻ったのだろう。

 どういう意図で戻ったのか?

 絶対に、祥玲に正体が見破られているはずだ。


「一応、瓏の国王に助勢を求めているらしいが、国王が重い腰を上げる前に、エスティアの地方軍が合流して、宋禮を占拠しているだろう。瓏国攻略の足がかりが出来るわけだ」


 イレチは上機嫌だ。

 キアノは、瞳を細めて冷淡に、その様子を眺めていた。

 ……分が悪いわけではない。

 キアノがただ祥玲と、宋禮領主を買いかぶっているのであれば、十分にイレチの兵力だけで、宋禮を占拠できるだろう。


「私はすぐにでも、出るぞ。良いことを思いついたのでな。試してみたいのだ」

「今回は、将軍の素晴らしいご活躍をたっぷりと目にすることが出来そうですね。私は後方の支援で十分かな?」

「何だ、だらしない。臆したのか?」

「ええ。久々の実戦に怖気づいているようです」


 イレチは少しの間、肩までの金髪の巻き毛を指に絡めて考えこんでいたが、やがて、許可した。

 キアノには、その理由が分かっていた。

 イレチは、キアノに手柄を渡したくないのだ。

 キアノは、皇帝に気に入られている。

 この戦いが勝利で終わった瞬間、皇帝はイレチよりも、キアノを褒める可能性が高い。

 キアノが後方にいたとしたら、手柄は完全に自分のものとなる。


(多分……)


 志雄に暗殺命令を出さなかったのも、そんな理由だろう。

 領主が暗殺されてしまっては、すぐには戦争にならない。さすがに喪が明けてから戦わなければ、大義名分を得にくい。

 エスティアは武勇の国だ。特に皇帝はそういう礼に関してはうるさかった。


(だから……か)


 イレチにとって、志雄とは、開戦となって自らが手柄を取るための、密偵だったのだ。


(本当、つまらない男だな……)


 そして、そんな男に縋るしかないほど、追い詰められていた志雄を哀れんだ。


「今、軍は、えーっと。宋禮の……」

「……拝県はいけんだ」


 優越感に満ちた声が、間髪入れずに返ってくる。


「ああ。そうでしたね。失礼しました」


 恍けながらも、キアノの脳裏には、国境を区切るように、築かれた拝県の砦が浮かんでいた。無難な策である。

 この国境を、突破した方が宋禮の都を制圧しやすい。


(とりあえず、同行してみるか)


 イレチが通ると、兵士達が波のように頭を下げていく。

 キアノは、前を歩くイレチに一定の距離をとって、歩き出した。

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