第四章 雨夜の訪問

 王英は、自分の置かれている状況を冷静にとらえていた。


(これは、俺の書いた文もちゃんと宋禮には、届いていないだろうな……)


 まあ、そんなことはどうでも良い。

 宋禮とは、連絡が取れなくなったほうが都合も良いかと思い始めていたところだ。


「大宰。お疲れではございませんか?」

「いや、初めてエスティアに来て、会談ばかりだったからな。慣れないだけだろう」


 若い部下に一瞥もくれずに、淡々と答える。

 王英は、身を乗り出して、窓から部屋の外を眺めていた。

 夕暮れに沈むエスティアの都は、宋禮とは違ったおもむきがあった。

 高い建造物が陰影を作り、装飾は白を基調にしているので、建物全体が夕陽色に染まっている。

 ……そして、静かだった。

 領主の住む城以外、高い建物など存在していない宋禮とはまったく違う。

 だが、王英は宋禮の夕陽に彩られた麦畑の方が好きだった。


「綺麗ですね」


 漆黒の髪をした若い臣下がそれとなく話しかけてくる。


(その髪は、染めたんだろう)


 瞳の色は黒いものの、そういう混血児の存在は知っている。


「そうだな」


 だから、頷いてやった。

 もしも、この男が瓏国の人間だったら、しっかり否定していただろう。


「大宰は、随分と志雄を信用されているのですね?」

「信用というより、仕事が出来る者は何者であろうと重用する。それだけだ。志雄は、なかなかに勇猛だ。宋禮の剣術大会で二度優勝している。お前達は、知らないのか?」

「…………そうなのですか?」


 男は心底驚いているようだ。

 どうやら、知らなかったらしい。


「独学で、あそこまで強くなるのは、生半可のものではない。志雄の推挙で、お前達を俺の護衛にした。あの志雄が俺に頼んでくるのだから、さぞかし、お前達も剣術に秀でているのだろうな」

「……は、はあ。それは、研鑽を積んで」


 あからさまに、何度も瞬きをして、男は首肯した。


(そろそろ潮時か……)


 王英は決断した。

 この男の顔もいい加減見飽きている。


「俺は宋禮に帰る」

「えっ?」


 男が口を挟む前に、王英は捲くし立てた。


「貿易の交渉という話だったが、エスティアの高官は俺に何か土産を期待しているようだ。皇帝との謁見もさせようとはしない。一体、これは、どういうことか、俺にはまったく見当もつかない。意味の分からないことを期待されても困る。宋禮には山程仕事を残してきた。こんなことならば、とっとと帰るのが妥当だろう」

「……し、しかし。大宰は政略結婚を?」

「何のことだ?」


 王英は容赦なく、鋭い眼光を男に向けた。


「いえ、あの……。エスティアの高官が話しているのを、偶然聞いてしまいまして」

「ああ。お前は確か蛮国の言葉が分かるんだったな。志雄が推挙しただけのことはある」

「少し……だけですが。それで、ええっと。大宰が斎公とエスティアの王子との政略結婚を進めようとしている……と、その」

「馬鹿な」


 王英は、わざとらしく一笑した。


「そんなことをして、何になる」

「これも、噂ですが、斎公は本当の前領主の子供ではなくて、だから、大宰は尊崇などしていないのだと」

「何だ。その馬鹿げた話は?」

「…………えっ?」


 きっと、大いに間抜けな顔を、この男は自分がしていることに気付いてもいないのだろう。


「俺は蛮国のことは、よく知らなかったが、随分と誇大妄想が好きなお国柄のようだな。斎公莉央様は、紛れもなく前領主・貴翔様の御子。国祖から連なる高貴な血筋を受け継ぐお方を、俺が害することが出来るはずもないし、他国に売り飛ばすなど、とんでもない」

「しかし」

「何だ? まるで、俺がそうしなければならないような口ぶりだな」


 押し黙った男に、余裕の笑みで答えて、王英はわざと背中を向けて一歩踏み出した。


「くだらん話は、もういい。俺は決めた。……宋禮に帰る」

「駄目です!」

「何だと?」

「いえ。その、今表に出るのは、危険かと。私が外の様子を見てくるので……」

「お前、外の様子を見て、本当に帰って来るのか?」

「なっ!」


 王英は、姿勢はそのままに視線だけを男に送った。


「そういえば、俺は、エスティアの都は活気があって騒がしいと耳にしていたのだが、随分と静かではないか? まるで戦の前の静けさのような様子だ。俺の見えないところで、こそこそと挙兵でもしたのか?」

「張 王英!!」


 男は、袖の中に隠し持っていた短剣を抜いた。

 鞘が音を立てて、男の背後に落ちたのが合図だった。


「ふん」


 男が勢いだけで、王英に向かって来る。

 王英は、その手をたいして力をかけずに捻り上げると、後ろで縛り上げた。


「志雄の仲間にしては、出来が悪いのではないか。こうして俺が人を遠ざけて、直々に相手をしてやっているのに」

「くそっ!」

「お前如きに、俺は殺せないな」


 王英は男の腹に拳を入れた。うめき声とともに、男が王英の肩に落ちてくる。

 意識を失ったのだろう。

 命を奪わなかったのは、時間が惜しいし、ここに死体を転がしておくと、王英が逃げたことが、すぐに露見してしまうと感じたからだ。


「まったく、手間がかかる」

「大宰」

「……捕らえたのか」


 王英は部屋に入ってきたのが家臣だと思い込んでいたが、そうではなかった。


「俺の家臣は、どうした?」


 艶やかな金髪と、白い外套が目に眩しい。


「キアノ。答えろ」

「彼らは、懸命に貴方が連れてきた密偵たちを捕らえていましたよ。その隙を見て、私はここまで来てしまいました」

「笑顔で嫌味を言うのは、祥玲様の直伝なのか?」

「嫌なことを言わないで下さいよ。これでも、私、色々と裏から手を回してあげたのですよ。ここの屋敷を丸々貴方の家臣が泊まるように計らうのは、大変だったんですからね。振り分けたほうが、攻撃しやすいじゃないですか。エスティアも、大人しい老人ばかりではありませんし。間諜ならまだしも、血気盛んな若者に襲い掛かられたら、貴方もいらぬ苦労をしたことでしょう」

「……貴殿が抑えたのか?」


 いざとなれば、仕留めなければならないと覚悟を決めて、キアノと対峙していた王英だったが、話を聞いているうちに、拍子抜けした。


「権力というのは、こういう時くらいしか使いようがないので」

「しかし、こんなことをしても、貴殿には何も利点がないではないか」

「私は私の目的で、動いています。今回の戦いは私も本意ではありませんからね」

「なるほど。こちらの皇帝も、やる気はないのだな」

「いいえ。やる気は満々でしたよ。皇帝陛下にその気がなければ、兵は動きません。ですが、やるからには、こちらが勝たなければね。ここで貴方を殺したところで、何の意味もないでしょう。きっと、貴方が殺されることも含めて、祥玲アイツは動いている。そういうときは手を出さないほうが良いと、私は思っただけです」


 キアノは綺麗な微笑のままだった。腰を見れば剣も帯びていない。

 一つに結った金髪は、糸のように細かった。

 祥玲と一緒だ。容姿は女のようである。

 先日、宋禮に現われた時よりも、更にゆったりとした衣装を着ていたので、見違えるほどだった。

 女であれば美人の部類だが、男で武人なのだから、あまり意味のない容姿だ。


 ……しかし、頭は切れる。


(さすが、祥玲様の友人ということか……)


「翠 慧月先生とは知己だったとか?」

「翠先生には、大変お世話になりました。祥玲殿は、すぐにエスティアの言葉を覚えてしまいましてね。私は腹が立ったので、宋禮の言葉を猛特訓したのですよ。おかげで、瓏国の言葉を操る武官として、出世の道が開けました。翠先生には、感謝してもしきれないくらいです」

「では、貴殿の翠塾に対する感謝の一環として、そのお言葉に甘えよう」


 王英は、すっとキアノの横を通り過ぎた。

 駆けつけた家臣たちが、キアノの存在に驚愕し、今にも襲いかかろとうとしている。


「やめろ!」


 王英が一喝すると、家臣たちは一斉に直立の姿勢に戻った。


「帰る。急ぐぞ」


 キアノの存在などなかったかのように、王英は歩き始めた。その背中に、毒の仕込んである矢のような一言が飛んでくる。


「ここからは、手は貸せませんからね! 貴方の力で切り抜けて下さいね」


(俺は、子供か?)


 憤然としつつも、家臣を伴い前進を続ける王英に留めが刺さった。


「宋禮が弱すぎれば、エスティアは容赦ないですからね」

「言われるまでもない!」


 王英は、耐え切れずに、叫んだ。


「精々、首を洗って待ってろ」

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