157.5話 生まれた意味


 わたくしには幼少の頃の記憶が……いえ、それ以前に自分が本当は何者なのかさえ自身でさえ何も知らなかったのです。

 ただ覚えているのは……そう、始まりは何処かもわからない水の中から始まりました。


(……ここは、どこでしょうか)


 ゴポゴポと下の方から噴き出す泡の音と共に意識が覚醒していく。これがわたくしの最初の記憶……。

 手足の感覚もなく、ただただ意識がその水中を漂っているだけの不思議な感覚。


「培養体の様子はどうなっている」


「順調ですよ陛下。この調子ならば細胞の元となった人物と同等の存在になるでしょう」


 ふと聞こえてきたのは誰かが話す声。目も耳も……五感を感じる器官もないのにそれは聞こえてきました。


「しかし新魔族の技術というのは凄いものですな……まったく同じ人間を作り出す技術とは。それに陛下の……」


「余計なことは言わないでいい。貴様らのやるべきことは我の指示に従い我の望むものを作り上げるだけだ」


 最初に聞こえてきた重く暗い男性の声によってその場にいる誰もが再び沈黙して作業へと戻っていきます。


(でもなぜでしょう……わたくしはその声を知っている気がします)


 わたくしではないわたくしの意識、記憶、感情、それらが少しづつ呼び覚まされていくような……自分が自分でなくなっていくような、恐ろしさと歓喜が混じりあったような奇妙な感覚。

 あるべき場所へ帰って来るようでもあり、自分の居場所から追い出されるような。

 まるで意識が犯されているよう……それが止まることなく続いている。


「本来我が意識を宿すはずのディーオになぜそれが成されなかったのかはわからない……が、1000年以上続いた我が意識を途切れさせるわけにはいかん。急ぐのだ、我が新たな子を成すべき媒体を……。我らが真の目的のために」


 その言葉を最後に聞き、わたくしの意識は一旦眠りにつくのでした。




 それからどれぐらいの時が経ったのでしょうか。そんなに長い期間ではなかったはずです。

 ふとした時に、わたくしの意識は再び目覚めたのです。

 誰かがここへやって来る……わたくしのとってとても大切な人が訪れるのだと。


「母上が……死。余は……失敗?」


 誰かはわからない。けれど今までここで何かを行っていた者達ではない。

 訪れたその『誰か』はまるで意思のない人形のようにふらふらと動き、虚ろな意識のまま何かを呟き続けていました。


(悲しまないで……)


 それはわたくしの無意識から現れた突然の意識でした。わたくしの中にいる『何か』がすぐそばにいる『誰か』に対して強い感情を示している……。

 あなたは誰? そしてあの子は誰?


(あれはディーオ……そしてわたくしはあの子の母……)


 自身の中に溢れる感情はもはやわたくしのものではなくなり始めていた。その『何か』に支配されていく、塗りつぶされていく……。


(やっと会えたやっと会えたやっと会えたやっと会えたやっと会えた……)


 わたくしの感情は喜びで一杯でした。でも当然でしょう? だって生まれてから一度も会うことを許されていなかった我が子にやっと会えたのですから。

 嬉しい……けれど同時にどこか狂気じみた感情が溢れてくる。これが"元"のわたくしの感情なのか、『何か』に塗りつぶされた感情なのかもうわからない。

 ……けれど、こんなにも嬉しい気持ちで一杯なのだから、もうすべてをその感情に委ねてもいいのかもしれない。


(あの子のためにしてあげたいことが沢山あった。一緒に遊んであげて、一緒にご飯を食べて、一緒に寝てあげて、一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に……でも)


 そこでわたくしのは……いえ、わたくしの中にある『何か』は気づいてしまった。


(わたくしはすでに……死んでいる)


 それを思い出した瞬間、わたくしの中に浮かんできたのはの記憶。それが次々と意識の中に描写されていき、そして最後に見えたものは……。


『お前は我が新たなる器を生み出すために選ばれたに過ぎない。その身に刻むがいい……我らが総意の結晶を』


 それは夫であり自身の住まう帝国の皇帝が自分に行った何か……。


(その後、わたくしはそれに体を蝕まれながらも流されるままにあの方の子をわが身に成した……)


 それ自体は別段悪い事でもありませんでした。たとえ父親に愛されない子供だとしてもこの子は自分の子なのだから。

 自分が誰よりも愛してやればいい……そう思っていたのに。


(わたくしはあの子の母親になれなかった……。あの子を産んでからというものの体は衰弱していき、皇帝陛下もわたくしがあの子に会うことをお許しにならなかった……)


 しかし、今目の前にいる『誰か』が自分の子だというのはわかる。これは記憶云々ではなく、心がそう感じているのでしょう。

 でも……ああ……。


(許されないことなのに……心が求めてしまう。生まれ変わってあの子を愛してあげたいと)


 あの日、死した自分の魂はただ流れのままに大いなる温かい光の中へと還っていくのだと感じていた。

 ……だが、生前陛下がわたくしに植え付けた何かはそれを許さないというように魂の内から湧き出て……そして。


(ああ……そうでした)


 それが発した跡を辿るかのように現れた暗い闇のような腕がわたくしの魂を捕らえ、この場所へと……再び現世へと引きずりおろされたのでした。

 だからこそ、今こうして未だ芽生えて間もない未熟な魂と重なりその意思を乗っ取ろうとしてしまっている。


(でもそれはきっと罪深いこと……)


 大いなる流れに逆らって再び現世に戻ることなど本来あってはならない事態。一度命を落とし、あの温かい光に触れたことを覚えている自分にはそれがわかる。

 けれどわたくしの中に蠢くあの暗い力がわたくしの欲望を刺激し、現世に舞い戻りたいという感情を溢れさせる……それが許されざることだとわかっていてながら。


(でも、今なら……まだ間に合うかもしれません)


 本来ならばわたくしの意識は今目覚めるべきではなかったはず。

 まだ肉体が完全に生成されていない今の状態では魂が定着することも難しい。

 だというのに今わたくしの意識が目覚めたのはやはりあの子……ディーオのおかげなのでしょう。


 しかしどうにかしようにも動かせる体も何かを伝えるための器官も持ち合わせていない自分には何もできない。

 ならば希望は一つしかありません……。


(ディーオ……お願い、こちらに来て)


 自分でできないのなら誰かに行ってもらうしかない。けれど今この場にいるのは魂の抜けたように呆然としているディーオだけ……。

 このままわたくしが生まれ変われば、きっとディーオは不幸になる。それだけはなんとしても阻止しなければ。


(お願い!)


―――――――


 その時、一瞬だけあの子と繋がった気がした。それはわたくしとあの子の繋がり……温かい光で結ばれたかのような微かな繋がりを確かに感じられることができたのです。


「……?」


 ディーオがこちらに向かって歩いてくる。しかし、その顔は変わらず虚ろなままで、感情が感じられません……。


(ああ、今すぐあなたを抱きしめてあげたい、慰めてあげたい)


 暗い感情がまたわたくしを刺激してくる。現世に戻りたいという欲求が抑えきれないほど強くなっていく。

 そんな感情が際限なく高まってゆき、それが完全に元あった意識を取り込み消し去ろうとしたその時……。


ポチ


(……!?)


 ディーオが何かしたのでしょうか。わたくしの意識が段々と閉ざされ、目覚める前の状態へと戻っていく。

 けれどこれでは解決にはならない。たとえ元の意識の中に戻ったとしてもまたわたくしの意識が浮上すれば同じことが繰り返されてしまう。


(だから……なんとかしなくては)


 わたくしは最後の正気を振り絞り呼びかけました……わたくしの中、あるいは外に存在するの意識に。

 けれど、残された時間は多くない。……だから一言、たった一言だけ言葉にして彼女に伝えましょう。


(あの子を……ディーオをあなたに託します)

(了解いたしました)


 その言葉を聞いたわたくしは安心して意識を閉ざしてゆくのでした。






-----






 次に目覚めた時、わたくしは地面に横たわっていました。全身が濡れ、辺りも一面緑色の水が散らばっています。

 そして次に気づいたのは、わたくしに肉体があるということでした。今まで意識でのみ外界の存在を感じられなかったのに、今では目で見て耳で聞き肌で感じられる……本当の体がそこにはあったのです。


「……あ……あ」


 しかし、声を出そうとしても上手く発声することができません。思えば体もまだまともに動かすこともままならない状況だということが理解できました。


「無理矢理成長速度を速めたので肉体を扱う機能がまだ十分ではないのでしょうな。どうされますか陛下?」


「そこは貴様らで何とかしろ。だが絶対に誰にも存在を知られるな」


 目の前で誰かが話す声が聞こえる……この声には聞き覚えがありました。

 しかし以前は意識だけだったので、こうして耳を通して聞くとまた違った印象があります。

 ……いえ、それ以前にわたくしはこの声をずっと前に聞いたことがあるような……。


「……さて、では連れていく前に一つ質問をしよう。お前の元となった人物……サリア・フロイデンの記憶、あるいは意識はそこに存在しているか」


ドクン……


 その言葉を聞いた瞬間わたくしの頭の中に浮かぶのは様々な情景、会話……わたくではないわたくし自身が感じたすべて。


「……なんで、これ……誰」


「ふん、どうやら記憶は受け継いだが意識は表に現れていないというところか」


 この時はまだその言葉の意味をわたくしは理解できませんでした。ただ自分の意思とは関係なく脳裏に思い浮かぶ記憶に混乱するだけ……。

 そのまま苦痛に身悶え続け、いつしかわたくしの意識はゆっくりと落ちていくのでした。

 そして、落ち行く意識の中最後に聞いた言葉は……。


「貴様の名はこれよりサロマだ。これからお前にはディーオスヘルムと行動を共にし、その内に眠っているサリアの意識を目覚めさせてもらう。その時こそ……」


 そこでわたくしの意識は一旦途切れます。そして思い出したのです、あの声こそこの帝国の絶対にして頂点に立つ者のものだということを。




 それからというものの、わたくしは陛下直属の侍女の皆様によって教育を施されました。

 これに関しては何の問題もなくすべて無難にこなすことができました。

 与えられた課題をこなすわたくしを見て侍女の方々は大層驚かれていたご様子でしたが、わたくしには何がそこまで凄いのかがわかりません。

 体が覚えているのです。何を覚えるにしてもわたくしの頭はそれを瞬時に理解してしまいます。


 そんなわたくしに重大な仕事が舞い込んできました。それはこの国の皇子たるディーオスヘルム殿下の専属を務めよというものです。

 それも陛下直々のお達しとのこと。

 皇帝陛下……最初の拝見からわたくしもこの帝国の歴史、皇帝の歴史については教育によって知ることとなりました。

 だからこそ、これは名誉なことだということも今のわたくしならばわかります。


「本日付でディーオスヘルム皇子殿下の専属世話係兼教育係となりましたサロマでございます。どうぞよろしくお願いいたします」


ドクン……


 その最初の邂逅は衝撃的なものでした……。

 最初に殿下……ディーオ様のお姿を拝見したその時、わたくしの心の中から何か湧き出るものがあるのを感じたのです。

 それは以前もどこかで感じたことある感覚。


(しかし思い出せません。なぜ……この感覚は一体?)


 内側から何かかやって来るような、しかし不思議と怖くはない。


「よ、余は専属なんぞ要らん!」


 はっ……と、殿下の声で我に返ると、そこにはなにやら不満そうな顔でこちらを見る殿下のお姿が。

 どうやらわたくしのことが気に入らないご様子のようです。


 しかしわたくしは陛下より直々に殿下の世話係を命じられた身。投げ出すわけにはいきません。

 殿下はなにやら無茶な命令をわたくしに投げかけてきますが、どれもわたくしにとっては難なくこなすことができるものばかりでした。

 そんなわたくしを見て殿下は……。


「その何事にも関心もないような無表情が気に入らん……」


 と、わたくしに聞こえないよう言ったのでしょう。わたくしは耳も良いので聞こえていましたが……。


 しかし、改めて自分のことを考えてみれば殿下の言う通りでした。

 わたくしは勉学だろうと給仕だろうとそつなくこなすことが出来ます。……ですがそれはわたくしの中にある記憶の通りに行ってるだけでわたくし自身が自分で何かを成し遂げた気になれないのです。

 だからこそ、何も感じない……。


 ですが、殿下のお世話に関しては何かが違いました。

 命じられたことは普段の業務と変わらないはず……だというのにわたくしにはそれに何よりも充実さを感じていたのです。

 殿下の……あの人のために何かをしてあげられるということが。


(この気持ちは……何なのでしょうか?)


 自分の中にそれを問いかければ、もしかしたらわたくしを突き動かす記憶が答えてくれる……そう思っていたのですが、何も浮かんできません。

 そう、殿下と接している時だけは、わたくしがわたくしでいられるのです……。




「む、サロマよ……専属であるお主には特別に余を名前で呼ぶことを許すのだ!」


 この時、はじめて殿下……いえ、ディーオ様がわたくしのことを認めてくださいました。

 それはディーオ様が無断で城を抜け出し暴漢に襲われかけている時のことです。

 わたくしがそれを知った時、胸の中で張り裂けそうな想いが溢れ出すような……を助けに行かなければならないという気持ちがわたくしを突き動かしました。

 幸いディーオ様もご無事で、さらにはこれまで以上に皇帝を目指す意欲を見せるお姿を見せてくれたことがわたくしは大変嬉しく思いました。


 ……ですが、それと同時に気づいてしまったのです。わたくしの中に眠るサリア様……ディーオ様のお母上様の記憶に。

 なぜこんな記憶があるのか、どうして自分が皇帝陛下に優遇されているのか……。


(自分が生まれた……意味とは)


 それからというものの、わたくしは自分の感情が段々とわからなくなっていきました。

 ディーオ様への気持ちが自身の内から現れたものなのか……それともサリア様が感じている母性なのか……。


(ならば閉ざしましょう)


 そうしてわたくしが下した選択は、どちらにも傾かないようただ機械的に尽くすことでした。

 すべてはディーオ様が何者の意思にも縛られずに生きていくために。


 しかし、肉体が成長するにつれてサリア様の記憶が甦ると同時に、内にあるディーオ様への気持ちも強くなっていきました。

 だからこそ、ディーオ様にはわたくしを意識してほしくはなかったのに……。




「……出て行ってくれ。今はお主の顔を見たくない」


 その拒絶の一言は今までわたくしが積み上げてきたものを容易く崩したのです。

 そう、わたくしは……。


(ディーオ様の……良き従者となれなかったのですね)


 傷つけてしまった、わたくしはもうあの方の従者にはなれない。

 ならば、どうすればいいのか……。


(だったら、あの子にとって従者以上の存在になればいい)


 誰もいない静かな廊下を歩いていると、どこからか聞こえてくる暗く、甘い誘惑の声。

 きっとそれは、明るく温かな想いを失った我が子を望む欲望……。


 ですが、その選択はあの方を傷つけて……。


(もう、戻れないのに?)


(……ああ、そうでした。わたくしはもうディーオ様の下へは)


 意識が……引き寄せられていく。暗い暗い闇がわたくしの今までの努力をあざ笑うかのように飲込んでいく……。


 そして、それを待ちわびていたかのように、わたくしの前に現れたのは……。


「行くぞサロマ。……最後の調整を行う」


 その言葉にもはや抗うことは許されない。まるでこうなることは運命だったかのように、わたくしはその存在に従うだけ。


「はい……皇帝陛下……」


 拒む必要はありませんでした。何故ならわたくしの命はただこの時のために生み出されたのですから。


(なのに……何故でしょう……?)


 こんなにも悲しくて、涙が頬を流れるのは……。


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