128話 厄介者の遺産
私は……その手を取らなかった。
「そうですか……残念です」
私に拒絶されたヘヴィアの顔は変わらず静かな微笑みのままだった。
本当にこれでよかったのかなんてわからない。私は選んだのだ、彼女と対立することを。
「ヘヴィア……いや、旧魔族へーヴィ。私はお前という存在を許容することはできない。だから、次合う時は必ず終わらせてやる。この永遠に続く悲しい復讐劇を」
「わかりました。……じゃあ、もうこの姿でいる意味はないですね」
そう言うと、彼女の体から魔力が剥がれ落ちていく。
青白い肌色に特徴的な角と小さな羽……旧魔族、彼女の本当の姿だ。
「それじゃあ、また会いましょう。あなたがあの子の傍にいる限り、私は必ず現れますから……」
私に背を向け、森の奥へと歩き出すへーヴィ。
引き留めはしない、私にはもうその資格はない。だが今ここで争うこともない……それが彼女がすべてを語ってくれたことへの礼儀だ。
「最後に一つ、教えてほしい。お前の語った旧魔族の先祖の墓……それはどこにある?」
ダメ元で聞いてみる。そんなところを教えてしまっては自らに不利になる可能性があるかもしれないから教えてくれないと思ったのだが。
へーヴィは後ろを向いたまま立ち止まり、スッと指をさした。
「あの先ですよ、そう遠くない……。その中でも一番大きなお墓の下に研究室はありました。私にはもう必要のないものですから、お好きにどうぞ」
そう言い残し、今度こそ森の奥へと消えていった。
必要ない……つまりへーヴィにはもう亡くなった者達との種族との絆さえいらなくなってしまったのか……。
一族の復讐のために生きているのに、一族との繋がりは絶ってしまった……か。
世の中は理不尽だ。身勝手な欲望で人ひとりの人生が狂い、突然の不条理に幼い心は怒り狂う。
栄光を夢見て辿り着いた先には今まで以上の絶望が待っていたり、突然異国の地に放り出され今までの自分の意味を見失う……。
「どれだけ長い時を生きて、人々が争わずに生きていける世界を望んでも、いつかは崩壊する現実を突きつけられたリ……とかな」
歩きながら私は思い出していた、数々の出来事を。
どんな人間も、一度はそんな経験をしていた……そして、そこから這い上がれるかどうかというのも人それぞれだった。
人は皆、運命という理不尽の波に流されて生きている。流された先の現在を受け入れるしかない……一度通った流れに戻ることはできない。
もし、同じ時間を繰り返せたとしても、自分の中にある流れてきた道というものは消えてくれない。一生自分の中に残り続けるのだ。
ならば、我々は運命に逆らわずただ流されていけばいいのか? 答えはNOだ。
人は過去の流れに戻ることはできない、ならどうするか……未来への流れをより良いものに変えればいい。
過去の流れも現在の流れも逆らえない……ならば未来へ向かう流れに必死に逆らえばいい。
その流れの中にどんな障害があろうと、その先に辿り着いた場所を受け入れる。そしてさらに先の未来への流れにまた翻弄されようと強く生きていくしかないんだ。
「ここか……」
暗い森の中、他よりも若干人や獣が踏み荒らしたことのある道の先にそこはあった。
墓地だ……どれほどの間手入れされていないのか、中にはボロボロに欠けているものや樹木に浸食されているものもある。
そして、その中でも一際大きい墓石は中央にあった。何か特殊な仕掛けでも施されていたのか、その墓石だけは他と違い風化せず綺麗な形を保っている。
そして同時に、私は思い出した……。
「ああ、そうか……私は前世に一度、ここに来たことがあったな」
なぜ気づかなかったのか……当然だ、前世に訪れた時ここの周りはこんな鬱蒼とした森ではなく、人の営み溢れる旧魔族の街だったのだから。
「第一大陸の旧魔族というところで気づくべきだったのかもな」
いつから隠れ里になったのかはわからない、だが気づけるきっかけはいくらでもあったはずだ。
それが、この場所の、しかもこの墓石を見てやっと思い出すなんて。
アルフレド・ヴァリアント・アーリー
エリアル
『愛に生きし二人 ここに眠る』
そこには、私の前世で共に戦った仲間の名前が刻まれていた。
"女"に裏切られる運命を背負った人族の男、アルフレド。"男"を求めなければ生きられなかった魔族の女、エリアル。この二人については……今は語らないでおこう。
問題なのは、この墓を作った人物だ。
前世で訪れた当時にも気にしてはいたが、その時はあえて追及はしなかった。二人のためにこれだけ立派な墓を作るという、あいつの純粋な厚意に免じて、ささやかな墓参りを最後に二度と訪れることはしなかった……。
(が、それが間違いだったようだな。あのヤロウ……)
『愛に生きし』……墓石に刻まれたこのフレーズだけで誰が作ったか予想はついた。
……メリクリウスだ。こともあろうか、奴は二人の眠る墓の下に研究室を作り、そこに様々なものを残していたんだろう。
「これか……この部分をずらせば……。って魔力で封印されてるじゃねーか!」
どう考えても今の技術力では解読不可能な超高度な魔力封印。
これがある限り入口の扉を動かすのは愚か、周囲の地面を掘り返すこともできない。
手の込んだことしすぎだろ……。
「とりあえず、ケルケイオン解析モードっと。……しかし変だな、だったらどうしてへーヴィとその姉は扉を開けることができたんだ?」
と、考えている内に解析完了だ。
えーっと、何々? 《この封印を解くには、"愛"の定義について4000字以内にまとめたあなたの考えを魔力に込めて入れてください 判定で合格が出れば扉は開かれます》
「できるかぁ!」
死んでも迷惑な奴とはわかっていたがここまでとは。採点者がお前の残留思念な時点で合格はあり得ねぇっての!
「しかしこうなると本当にへーヴィ達はどうやってこの扉を……ん? 解析結果に続きがあるな」
《ただし、特定の血縁者は無条件で扉を開けることができる》
これは……とどのつまり抜け穴ということか。そしてへーヴィの血縁者はこの封印の制約を無視できる存在だったということか。
確か、へーヴィは語っていた……この墓の人物は自分の遠い祖先だと……。
「まさか……」
私の中にある仮説が生まれる。もしこの仮説が正しいのなら、へーヴィは……。
だとしたら、なんとしてでもこの中を確かめなくてはならなくなった。
『この扉を開きたいのなら、問題に答えてくださ……』
「うるさい、『
そんな無理難題に構っていられるか。私は魔力を通して脳内に直接聞こえるとても不愉快な声を無視し、ケルケイオンの力で無理矢理扉をこじ開けた。
『ああ、そんなご無体な……』
うるせぇ……。
魔力の残留思念だけで私をここまで不愉快な気持ちにさせるのは過去にも先にもあいつだけだろう。
「そんなわけで、ちょっくらお邪魔させてもらうぞ。……『
明かりを灯す魔道具はそこらに完備されてはいるが、不法侵入者である私のためには作動してくれないらしい。
『設備を利用したいのならば"愛"を語ってください。今からでも遅くありません、さぁ!』
「やかましい!」
あちこちに残留思念残してんじゃねぇよ! このぐらいの設備なら前世の記憶さえありゃ無理矢理にでも動かせるわ!
それにしても、見事なまでに前時代の遺産だなこりゃ。戦乱時に作られた魔力に作用する武器やその設計図、加工された魔石もどれも高純度を綺麗に整えて保管されている。
本棚には前世に使われた魔法の技術や知識、魔力回路構築や精霊とマナについて……ではなく、全部メリクリウスが書いた『真実の愛』についての研究をまとめたものじゃねぇか!
「ポエム集とか何冊あるんだよ……」
まぁあいつの千と数百年分の成果がすべて詰まってるんだからそりゃ多いか。
なら魔術類に関する本とかはどこにあるのだろうか?
「ん?」
と、思ったらなんか踏んだ……ノートだ。
とりあえずおもむろに手に取って内容をパラパラと呼んでみる。また書きかけの愛について語ったものじゃないだろうな。
「なになに……『自身の魔力を世界のマナと同調させることによって長き時を老いることなく過ごすことができる。また、食事の必要も』……ってオイイイイイイ!?」
不老長寿の呪法じゃねぇかあああああ! こんなもん床に放っておくんじゃねぇよおおおおおお!
ノートは他にも散らばっている……。恐る恐る手に取ってみると、どれもこれも旧時代の魔力技術が書き記されていた。
『私にとってはどれもどうでもいものなので』とニッコリと笑顔で口にする奴の姿が目に浮かぶ。
ああ……奴がこの場にいれば即座にぶん殴ってやったというのに……。
「おいおい、まさかこんな風に『
『いやいや、あればかりは特別ですからね。キチンと奥に保管してありますよ、厳重に』
この残留思念、要求だけじゃなくて受け答えできるんかい。
……残留思念とはいえこいつに頼むのは不本意だが。
「奥とはどこだ。声だけで案内できるか?」
『それを知りたいのならばあなたの考える"愛"についての考察を……』
「お前に聞いた私が馬鹿だった」
自力で探すことにした。そこまで広い場所でもないし、見つけるのにそこまで時間はかからないだろう。
ってなわけで見つけた。何時間もかかるフラグだと思ったか? 残念! 超天才の私にかかれば探索なんてお茶の子さいさいよ!
目の前には魔力を感じる小さな金庫……が開けっ放しで放置されていた。
「これは……メリクリウスの不用心ってわけじゃなさそうだな」
おそらくへーヴィが開けてそのままってとこだろう。
中にあった黒いノートの表紙には『間違った愛の貫き方』と書かれている。
(……この言いえて妙な言い回しがなんかムカつくな)
内容は……やはり『
想いの力を利用して世界に干渉、無理矢理世界から力を引き出す禁じられた呪法……私の知っている通りだ。
しかしこの金庫にも相当強力な封印(おそらくまた"愛"について語らないといけないのだろう)がされていただろうに、それをへーヴィは難なく開けた。
それはつまり、彼女の血縁がそれほどまでにメリクリウスに優遇されているということだ。
……確かめてみるか。
「もしかして、ここの封印を無視できる血縁ってのは……アルフとエリアの子孫か」
『正解です。その子達だけは特別に封印の影響を受けません』
やっぱりか……。
本来ならこうしてへーヴィが悪用してしまっている事態に、どうしてそんな簡単に解ける封印にしてしまったんだと怒鳴り散らすところだ。
だが、あいつらの子孫……となると私も怒るに怒れない複雑な気持ちになってしまう。
入口の墓石に刻まれた二人の名前……あいつらは、私の仲間の中でも特に不運な人生を送った二人だ。
最後の戦いでやっと救われた直後に命を散らしたあの二人。その子供をメリクリウスは育てると言い残し私達の前から姿を消した。
「あークソ……。ってことは、へーヴィはあいつらの子孫の最後の生き残りってことになるのかよ」
もやもやする……。すべての事象が繋がっている。
私の前世の事象とセフィラが持ち込みやがった他世界のいざこざが、複雑に絡み合ってもつれ合う。
私は、それをほどいてやりたい。
だが、この問題の解決方法……永遠に続く『
「術者とそれを受けた者……その二者を消すことでしか終わることはない……」
これは、誰にも言っていない事実。
あの術を消すためには、術者かそれを受けた者……そのどちらかをこの世界から追放するしかない。
それによってもう片方はリンクが切れ、その肉体を維持することができなくなる。
それこそが、唯一の解決方法。
「一番酷いのは、どう考えても私だろうなぁ……」
ミネルヴァの呪いを解くために協力すると豪語しておきながら今までずっと隠してきたのだ。
私が協力してきたのは、『
私は……ずるい奴だ。今まで私はそれをわかった上で誰にも打ち明けなかったのだから。
これを知ったらミネルヴァは受け入れるだろうか……。アポロは私を許さないだろう……。へーヴィは、どう思うんだろうな……。
「どうして私は、こんな世界に戻ってきちまったんだろうな……」
前世のすべてを過去のものとして、日本で平和に暮らしたかった。
だが結局私はここに戻ってきてしまい、過去のしがらみに囚われ続けている。
君が選ぶ未来に、幸あらんことを
私は一体、何を選べばいいというんだ……
キィ……
「ん?」
何かの軋むような音に顔を向けると、半開きになっていた金庫が完全に開ききっていた。
そこには、今まで死角で見えていなかったもう一つのどぎついピンク色のノートが顔を覗かせていた。
「趣味わるっ!」
なんかハートマークとか沢山描かれてデコレーションされてるし、キモッ!
これ男が使ってたノートなんだろ、キモすぎるだろ……。
「読むのに凄く抵抗があるが……読まないわけにもいかんだろう」
いやいやながらも、私はその気色悪いノートを読み進める。
だが、読んでいく内に私の表情はどんどんと真剣なものへと変わっていく。
「これは……」
それは、過去の仲間からの贈り物なのか、はたまた罠なのか。
だが、この一冊のキモいノートによって私は選ぶことになる……二人の悲しい少女の、その運命を。
私はそのノートの内容を頭に叩き込んだ後、旧友が残した研究室を跡形もなく爆破し、この場を離れるのであった。
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「ううううう……あああ……」
痛い! 痛い! 頭が割れるように痛い。
……油断した、今までは直接的な攻撃しかされてこなかったから、こんな精神的な攻撃をされるとは思わなかった。
いつもこうだ……どれだけあいつに近づいたと思っても、こうして平然とわたしをあざ笑うかのように去っていく。
「花嫁! しっかりしろ!」
先ほどからアポロが懸命にわたしの意識を呼び戻そうと叫んでいる。
大丈夫、私はどれだけ苦しもうと死ぬことはない……なんて言えたところでこいつは止まらないだろうけど。
わたしがどれだけ拒絶しても、そんなのお構いなしにわたしを想ってくれている。
だから失いたくない。失いたくないものが……できてしまった。
「花嫁……ミネルヴァ! 待っていろ、必ず我が助ける!」
一瞬、ドキリとしてしまった。名前を呼ばれただけなのに。
……あー、なんでだろ。どうしてこんな奴が傍にいてくれるって思うだけで痛みが和らぐんだろ。
なんだか、わたしが折れたみたいで少し悔しい。
「仕方ない、あれをやるしかないか」
そう言うとアポロの体から光が放たれて人化する。
視界がぼんやりして霞むけど、腰に布だけ巻いて前だけ隠しただけじゃない。
今度、ちゃんと魔力の籠った素材で服作ってあげなくちゃね。
「では、失礼して」
人化したアポロがわたしの横に座ると、そのままわたしの頭を掴んで自分の顔を近づけいていく。
(……え?)
ちょ、ちょっと待って!? こ、こういうのって確か、凄く幼い頃に子供向けの物語が書かれている書物で見たことがあるような!?
呪われたお姫様に接吻することでその呪いが解けるっていう……。
(う、嘘……ちょっとま……!)
「ゆくぞ! 『龍気入魂』!」
ゴツン!
わたしが脳内で描いていたピンク色の妄想とは裏腹に、頭に強い衝撃が与えられる。
……一瞬頭が真っ白になった、というかちょっと気絶してた。というか……
「いっっったぁ!? ちょ、何するのこの馬鹿ドラゴン!」
「おお! 正気に戻ったか!」
「なんで頭突きなのよ! むしろあんたの方こそ正気を疑……あれ?」
いつの間にか、わたしにかかっていた精神を汚染する魔術が消えている。
自身の呪いもあってか、わたしは以前と同じようにピンピンしていた。
「あんた、何したの?」
「うむ、我の中の龍の魔力を汚染の魔術にぶつけたのだ。龍族の魔力は他種族の魔力に同調させることもできるのでな」
相変わらず、常識はずれな奴……。
あのへーヴィでさえこいつの規格外の力には怖気づいていた。今頃になって、こいつの凄さを再確認してしまった。
「して花嫁よ、もう体に異常はないか?」
「……もう名前で呼んでくれないんだ」
「ん、何か言ったか?」
「何でもないわよ。それよりも、早く何か着るか元の姿に戻りなさいよ」
「おお、そうであったな」
また光に包まれると、今度は元の姿に戻るアポロ。
これでわたしの魔術は取り除かれたわけだけど……。問題は、あいつを追いかけていったもう一人の……。
「ガウガウ!」
あいつの使い魔が吠えてる。さっきまでは気が動転していて気にも留めていなかったけど、あの小さいのがあんな姿になってることにも驚いた。
それよりも、その使い魔が吠えてる先から人が歩いてくるのが見える。
あれは……。
「おっす、ただいま。そっちは大丈夫そうだな。こっちは……悪い、取り逃がした」
まるで何事もなかったかのように平然とした表情で帰ってきた。
あのお師様すら圧倒するへーヴィと一対一だったというのに。やっぱりこいつもどこかおかしいんだろう。
「そうか、ならば早急に探さねばなるまいな。花嫁にまた危害を加えに現れるやもしれん」
「いや、相手は狡猾だ。何の考えもなしに飛び出さない方がいいだろう」
そう、奴は狡猾。だからこそ村もこんな目にあってしまった……。
「ねぇ……考えるのは後にして、まずはこの村の人達を……弔ってあげないと」
炎は……すでに燃え尽きている。
わたしのせいで……わたしがこの場所に安らぎを感じてしまったせいで犠牲になってしまった村。
だからせめて、わたしの手で弔いたい。
「そうであるな……。彼らの墓を作ろう」
「その後は……ちょっと仏さんには悪いけど、簡単な寝床を作って今日はそこで休もう」
こうして、わたしたちは手分けして村の住人達の死体を丁重に弔っていった。
絶対に、敵は打つと誓って……。
カサ……
「?」
途中、わたしの懐の中で何かがこすれる音がした。
手を入れると……出てきたのは一枚の折りたたまれた紙。
(なに、これ?)
広げると、それにはなにやら文字が書かれた手紙のようだった。どこかで見たことのあるような字体。
そして、その内容に……わたしは一人で戦慄する。
「花嫁よ、どうかしたのか?」
「え!?」
急に声をかけられ、慌ててそれを懐にしまいなおす。
「何でもないわ……。それより、早くしましょう。もたもたしてると朝になるから」
「うむ、そうだな」
そうだ……もう巻き込めない。これは……わたしの……わたしと奴との、因縁なのだから……。
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