第48話『大丈夫ですか?』

 この学園は、かつて王城だった建造物を改装して学園として利用しているため、学園とは思えないぐらいに豪華な内装の上、無駄に広い。

 入学当時はお姫様にでもなったような気分で学園内を歩き回るのが楽しかったが、一月も経ち、移動教室に要する時間や掃除をする範囲の広さを体感すると、生徒たちは夢から覚め、この建物の大きさを疎ましく思うものも少なくない。

 その中でも理事長室は、教育棟とは別棟にある教員棟の最奥部にある。

 学園がまだ王城だった頃、国王の執務室だった部屋を改装して使っているために、普段生徒たちが活動している教育棟からは一番遠い。

 普段なら何てこともない距離だが、昨日の戦闘で心身共にダメージが多く残っている今のマリンにとっては、長い道のりだった。

 疲労も残っているらしく、教員棟が異常なほどに遠い。

 その上、一歩、歩く度に傷が痛みを訴えてくる。ノルンにユニコーン族特有の天をも疾走できる行路、『風の道』を出して貰えば良かったと、今更ながらに思っていた。

 階下に続く階段は、緩やかで立派な、王族や来客者が使っていたものと、使用人が使っていたらしい、狭くて勾配が急だが実用的なものがある。

 マリンは普段、効率を考えて狭いほうの階段を使っていたため、今日も足の怪我をしているにも関わらず、いつもの習慣で狭いほうの階段を選んでしまったが、改めて上から下を見ると、階段と言うよりは坂に近い。

 踏板は狭い上に手摺りもなく、そのくせ、一段いちだんにやたらと段差があり、使用するもののことをまるで考えていない作りになっている。

 こんな階段を良く毎日当たり前に使っているな、などと自分で感心してしまった程だ。

 この足でちゃんと下ることができるのか一縷の不安はあるものの、緩やかで大きな階段に行くにはここからかなりの距離がある。回り道をする時間のロスを嫌い、マリンは軽く溜息を吐くと、覚悟を決めて階段を下り始めた。

 まずは傷の浅い右足を伸ばして一段下の踏板に着くと、そっと添えるように左足を着いて、踏み外さないように慎重に一歩いっぽ下っていく。

 一段下る度に突き抜けるような痛みが足元から全身に駆け抜けて、休みやすみになってしまう。そんなペースで階段を下りているのだから、まったくと言っていいほどに先には進んでいない。

 これでは時間的には変わらないのだから、少し遠回りになっても大きな階段に行ったほうが身体的には優しかっただろうと後悔した。

 そんなことを考えていたのが命取りだった。ただでさえ狭い踏板が老朽化により崩れており、マリンは階段を踏み外してしまった。

「しまった」と思った時には遅かった。怪我をした足では体を支えきれず、体勢を崩して階段を滑り落ちそうになり、なにかを掴んで取り敢えずは落下は免れようと手を振り回したが、不幸にもこの階段には手摺りはなく、壁に手のひらを着こうと両手を伸ばしても指先が触れるだけで力が入らずに体を支えられるには至らない。

 迫ってくる階下の床と、足元のやたらと高い階段に、どうしようもないと諦めて、傷みに備えて体を強張らせ瞳を閉じたとき、誰かに腕を強く引かれて落下が止まった。

「大丈夫ですかぁ? イングヴァイさん……」

 痛いほどに引かれた手に転げ落ちないで済んだのだと理解して、内心でほっと胸を撫で下ろしながら瞳を開くと、ユーリが愉悦に浸ったような笑みを浮べてマリンの腕を掴んだまま見つめていた。

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