とかげくん【おはよう】

 ぽこん。ぽこん。と。

 あぶくが昇ってゆく。


 細い蓮の茎に遊ぶようにその間をくぐって、水面みなもを目指してゆく。


 はやく、はやく、と急かすように。

 半夏生の葉が揺れる。


 ほら。今日もいいお天気だよ。

 早く起きておいで。


 そよぐ葉の音に。

 薫る水のに。

 優しく呼ぶ声に。


 ぼくは閉じていた瞼を震わせる。



 繰り返し繰り返し夢を見て、ちゃんと教わっていたから大丈夫。

 ぼくは水のなかで眠っているんだって。

 だから、目を覚ましたら息が出来なくなっちゃう。だけど慌てちゃだめだよ。まずは落ち着いて。蓮の茎がまっすぐに水面に向かって伸びているから、それを辿って上っていくんだ。


 そうしたらね。

 やっと会えるんだって。

 ずっと待ってるって。

 約束してくれたんだよ。



 夢のなかで、ぼくはいろんなことを思い出した。こんなに大切なことを忘れてしまっていたなんて、ぼくはどうかしてたよね。


 ぼくが眠っている泉には、たくさん、たくさん、蓮の花が咲いたんだ。そのお花がね、ぽこんとはじけるたびに、ぼくに教えてくれたよ。

 それから、すいりゅうさんがね。いっぱい話しかけてくれたんだ。だからぼくはちっとも寂しくなんかなかった。


 だけど。

 すいりゅうさんはどうだったのかな。

 ひとりぼっちで、寂しがっていないかな。

 はやく。

 早く会いたいなあ。



 ぽこん。と。

 あぶくが昇ってゆく。

 白い卵の硬い殻が、ゆうるりと溶けてゆく。



 きらきらと光が降り注ぐ水のなかで、ぼくはゆっくりと目を開けた。




     🦎🦎🦎




 ぼくは教わっていた通りに蓮の茎を上っていった。水を蹴って、ときどき口の端からぽこんと上がる泡を追いかける。細いしっぽが水の中でゆらりと揺れる。茎を掴む指は、少し丸みを帯びたうす茶色。


 ふふ、と。笑みが浮かぶ。

 すいりゅうさんと一緒だね。

 ぼくたち、やっと一緒になれたね。


 水面近くにつぼみを付けた茎に掴まって水から顔を出したとき、まるでぼくを待っていたみたいにお花が開いた。ぽこん、と。可愛らしい音を立てて。

 うんしょ。っと、花びらの間から這い上がった、


 つもりだった。


 ぽちゃん。


 細い茎の上に咲く花びらは、ぼくの重さの方に傾いて。



 あれえ?

 ぼくは水に浮いたまま考える。

 なんだか、前にも似たようなことがあった気がするよ。

 松ぼっくりと違って蓮の花びらはとても柔らかいから、そっと張り付くのも難しいね。どうしようか。

 あ! そうだ。ひらめいた。


 ぼくは蓮の花にうんと体重をかけて水に沈めた。そして力を緩めて、流れ込む水の勢いに乗ってお花のなかに転がり込む。

 えへへ。大成功!

 花びらの隙間からお水がざあっと流れ出て。ぼくは黄色い花芯のうえで立ち上がった。


「スイレン?」


 名前を呼ぶ声に振り返る。


「透けてない。本物か?」


 呆けたようにこちらを見つめる、ずっと会いたかったひと。


「うん。そうだよ」


 ぼくは笑った。


「おはよう。すいりゅうさん。今日もとってもいいお天気だね」


 すいりゅうさんの顔にも笑みが広がる。ぼくは嬉しくて。


「ただいま!」


 大好きなひとの腕のなかに飛び込んだ。








 つもりだったんだけど。



 ぼくの乗っていたお花から岸までは結構距離があって。



 ぽちゃん、と水に落ちたぼくを、すいりゅうさんが慌てて引き上げてくれたんだ。



 ごめんね。ありがとう。




 えへへ。

 だあい好き。

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