グレン【不安】

 泣きそうな顔でフレアが訪ねてきた。こいつがこんな顔をするのは名前を付けてやったあの夜以来だ。


「何とかしておくれよ」


 普段なら嬉々として頼みを聞くところだが、弱り切った顔で乞われて心配になる。


「どうしていいか分からないんだよ。あの子の我慢を無駄にしたくもないしねえ」


 口調まで脱皮したてのあの頃に戻っている。一体何があったのか。訊ねてみてもフレアは首を振る。


「それが分からないから弱ってるんじゃないか。ほんの二、三日前まではあんなに幸せそうだったのに。やっぱり、水神様だろうねえ……」


 水神様あ? これはまた随分な大物が出てきたな。俺は頷いてフレアを椅子に座らせ、先を促した。


「元々はね、ただ憧れてただけみたいだった」


 飲み物を準備する俺の元にフレアの声が流れてくる。曰く。



 あの子が水神様の元に通い始めたのは、春も終わりのことだった。毎日嬉しそうに出掛けてって、夕暮れ時、幸せそうな顔をして帰ってくる。一度だけ、帰りが遅くなったことがあった。あのときは肝を冷やしたね。あたしは夜に人が帰らないのは駄目なんだよ。何年も前のことなのに、あれは未だに忘れられないねぇ。

 まあ、当の本人はケロッとしたもんで。私に心配かけたと思ってか神妙な顔つきだったけど、いつにも益して幸せそうだった。それでね。言うんだよ。

「松の枝に触りたいから、うんと大きくなりたい」って。

 そうは言うけど、多分あの子が触れたいのは水神様なんだろう、って分かるじゃないか。あの子が毎日何処に出掛けてるかなんて、とっくに知っていたからね。

 そんな大それたことってあたしは思ったよ。でもさ、グレン。本当に水神様に触れられるなんて思うかい? 思わないよ。でも努力ってのはたとえ失敗しても己の糧になる。

 だからあたしは止めなかったし、あの子は本当によく頑張った。そしたらさ。

「触れたよ! すっごくさらさらできれいだった!!」

 だって。ふふ。松の葉がさらさらな訳あるもんかい。

 しかし驚いたねえ。届くもんなんだねえ。

 それからのあの子は益々幸せそうで。もっともっと頑張ってて。ちょっと前に遂に、水神様と会ってるんだってあたしに打ち明けてくれたんだよ。お泊りしたいって言うから駄目だって言ったけどさ。本当に幸せそうだったのに。

 あの子が塞ぎだしたのは、水神様が居なくなってからだよ。この旱じゃあ、帰ってくるのはいつになるやら分かりゃしない。

 ねえグレン。一体何があったんだろう。あたしはどうしたらいいと思う?



 ふたりの前にカップを置きながら俺は溜息を吐いた。


「どうするって言っても、水神様が相手では俺たちに出来ることなど高が知れてる」


 両手でカップを包んでフレアが不安気に見上げてくる。そんな顔、しないでくれ。


「だけど、お前がするべきことは分かっている」


 抱き寄せて、慰めて、心を軽くしてやりたいところだが、今はその時ではないしフレアも望んでいないだろう。


「普段通りに、あの子を愛してやれ」


 俺の言葉にフレアが目を見開く。


「何もするなって言うのかい? あの子が苦しんでるのに?」


「そうじゃない」


 俺は殊更ことさらゆっくりとカップのお茶を啜った。ハーブの香りが鼻を抜けてほっと息が漏れる。見つめると、フレアも同じようにして溜息を吐いた。


「あのときと一緒だ。いじめられて泣いているあの子にお前は惜しみなく愛情を注いだ。それがどれだけあの子の力になったと思う? 今回も同じだ。笑って、愛して、もし倒れ込んできたら支えてやればいい」


「あの子は乗り越えられると思うかい?」


 こちらに向けられた瞳をしっかりと見返す。


「もちろん」


 俺はにっと笑った。


「だって、お前の子じゃないか」


 蒼褪めたフレアの頬にうすく赤みが差す。俺はお茶を啜って安堵の息を誤魔化した。

 はったりだが、多少無茶でも信じた方が前を向いて歩いて行ける。

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