第3話

 大晦日の午後はよく晴れていた。


「……何しにきたの? あんた」


 インターフォンを鳴らしたみかどをドアを少しだけ開けて出迎えた火崎日向子は、面倒臭そうな顔を隠そうともしない。

 マンションのオートロックを開けるのを散々渋ってみかどを追い払う気まんまんだった年下の少女は、風呂敷に包んだお重を下げたみかどを見るや、一層眉をひそめる。


「大晦日まであんたと過ごすのとか嫌なんですけど?」

「はあ? それこっちのセリフだし! あんたのママがインスタ放置してあたしのコメントに返事しないのが悪いんじゃん。まーりんのくせに何無視してくれてんの?」

「……それでなんでウチを襲撃する流れになんの?」

「ママの不始末は子の責任だって学校で習わなかったんですかぁ?」

「あーもうめんどくさいなもー。そんなんだから着拒されんでしょ? 言っとくけど色々ゆるいうちのママに着拒されるのってよっぽどなんだからね」


 父親譲りの赤い髪をベリーショートにしている火崎日向子は、根負けしたのか火崎家の玄関のドアを開いた。


 大晦日だというのに、火崎家には暮れ正月の匂いがなかった。家の中は急の来客が来ても慌てずに済むていどには整えられているが、窓ガラスは曇っているし使っていない部屋に荷物を突っ込んだ気配がある。

 通された居間がわりのリビングダイニングキッチンにも、おせちの中身を煮炊きする醤油や出汁の匂いが無く、代わりに2日ほど煮込んだカレーの残り香が漂っていた。昼に食べたのか。


 ごく普通の、何も起きずだらけた休日の匂いである。

 

 若い衆たちの手を借りて、古い日本家屋である門土家を磨き上げたり台所仕事に精を出す我が家とあまりに違う。日向子が着てるのもジャージの上下だった。

 リビングのソファーには、日向子の弟の央太が転がってゲームに興じていた。みかどに気づくとニカっと笑顔になる。央太は日向子の四つ下になるので10歳になる。


「わーい、ミカっちゃんだ。久しぶりい」

「久しぶり。で、あんたたちのパパとママはどうしたの? あんたら大晦日に何もせず姉弟でお留守番」


 ソファの前に置かれたこたつにみかどはずかずか入る。まだ入れと勧められていないのに。


「うん、父ちゃん母ちゃんは急に仕事が入っちゃってさ。なんかどっかのトンネルの向こう側がギューンドカーングワーンって大爆発して、んで父ちゃんと母ちゃんに応援に入ってって連絡がきて行ったんだ」


 赤みの強いふわふわした金髪が特徴の央太はつぶらな瞳をニコニコさせて説明するが、さっぱり要領を得ない。

 母親の血の濃い顔立ちのほっぺたをむにゅっとつまんだ。


「あいっかわらずアホ丸出しの説明だなあ。国語の勉強してんの?」

「えへへへ……この前30点だった」


 まったく悪びれもせず、ほっぺたを痛くない程度につままれただけでは央太は笑顔を崩さない。自分の尻尾を追いかけ回す人なつっこい子犬のようだ。


 みかどですら央太にはついついものを与えたくなる。


 お重をこたつの上に上げて風呂敷を解くと、央太はぴょこんとコタツの前に飛び出す。

「何? 弁当っ? ご馳走?」


 見えない尻尾を振り回してるような央太の前で、お重の蓋を取る。エビ、かまぼこ、黒豆、きんとん、ごまめ、田作り、数の子、昆布巻き……。きらきらつやつやのおせちが現れて、予想通り央太の目がキラキラ輝く。


「すっげー、ミカっちゃんこれ何? おせちってやつ? すっげーすっげー、おれ初めて見た! 姉ちゃんミカっちゃんがおせちくれたっ!」

「手をつけるなよ! みかどが下心なしに食べもの恵んだりするわけないんだからな!」


 そう言いながら日向子は三人分のお茶を用意していた。通常運転の日向子の反応だからみかども機嫌をそこねたりしない。


「何〜? あんたのママが作ったとんでもないおせち見たキヨさんの『他所のご家庭にはご家庭のしきたりってものがあるがさすがにあれじゃ新年を迎えられない』って純粋な心遣いを無視すんの〜? 材料費手間賃全てウチもちだっつうのに。純粋に厚意だっつうのに」


 正確に言うと、異世界問題のプロである火崎家とは穏便で良好な関係を維持したいというキヨノの思惑もないではない差し入れではあるのだが。

 その意味では下心なしでは食べ物を恵まないという日向子の見立ては正解しているのに、キヨノのことを物騒な仕事をしてるわりに身寄りもないみかどを迎え入れた優しそうなおばあちゃんだと思い込んでる日向子は気づいていないようだ。



「うわっ、あんたのおばあちゃんもあれ見たんだ……」


 コタツの上にお茶とアルフォートの徳用袋を運んできた日向子は顔を曇らせた。子供の目からみてもあれは恥だった模様。


「どうせあんたが見せたんでしょ?」

「はあ? あんたのママが好きで全世界に見せてるくせに被害者ぶんないでくれる?」


 みかどと日向子がいつものように言い合ってるあいだ、央太はお重の中身を確かめて一層テンションを上げていた。


「すっげー! ホントにテレビとかで見かけるおせちみたいだ! ミカっちゃんの家は毎年こういうの作るのっ?」

「ウチは仕事がらこういう年中行事には拘るからね。つか、あんたの家はなんもやんないの?」

「やらないよ。ママの故郷にはこういう風習ないしパパもこういうのどうでもいいって人だし。ウチじゃ年末年始は曜日の感覚が狂う連休だよ」


 日向子の説明にみかどはおもわず甘い気持ちになった。


 みかどの好きな人、つまり日向子の父は年末年始に過剰な思い入れがないのか。それもそうか、家庭の暖かさの無縁な幼年時代とそもそもこの世界にいることの少なかった少年時代を過ごした人だもの……。


 みかどが甘い気持ちに浸ってる間に日向子はお重を再び重ねて場所を移す。


「まあ、ちょうどカレーも飽きてきたし晩御飯のおかずが決まらなかったからありがたく頂くわ。あんたのおばあちゃんに後でお礼を言っとくね」

「はあっ、あんたバカじゃないの? おせちだよおせち! それを宅配弁当扱いしないでくれる? 常識ないの?」

「……あんたに常識を語られた。屈辱」


 本当に屈辱だったらしく、日向子の口が悔しそうに歪む。


「ところでまーりんのつくったゲロみたいなおせちがどうなったの?」

「これは絶対元日まで持たないからってパパが言ってその日の晩御飯になったよ。はい、用が済んだ ? じゃ帰って。火崎家はこれから姉弟水入らずの年末年始を迎えるんだから」

「っだよ、火崎家の人間にとって年末年始は曜日感覚の狂う連休なんだろ? 連休に遊びにきた友達追い返していいのかよ?」

「門土さんちは年末年始のしきたりを大事になさってんすよね? だったら家族皆さんで紅白でもみて年越しそば食って除夜の鐘でもお聞きになったらどうですかぁ〜?」


 口ではぶつくさ言うが、火崎日向子はお重をダイニングテーブルに運んだ後はコタツの上にアルフォートの袋を開けて広げ、みかどにやかんで沸かした番茶をふるまう。

 火崎家の味らしい、渋みが舌に突き刺さる雑なお茶だ。でも先日議員の家で飲んだお茶よりみかどの口に合う。


 大晦日のコタツに足を入れて向かい合う。日向子はリモコン片手にザッピングし、ニュース番組をやってるとじっと見入る。

 どうやら数日前に起きた、賽の山トンネルという、界壁越境トンネルの向こう側で起きた消息不明の大事故の続報を気にしているようだった。

 しかし年の瀬のニュースはどこも駅伝や賑わう市場や忙しい蕎麦屋の話題に切り替わる。めでたい空気を演出したいようなニュース番組に、日向子はちっと舌を打つ。


「トンネルの向こうで前代未聞の事故が起きてるのに、なんなんだよもう! 緊張感がないなあ。これだから年末年始ってヤなんだ」

「あー、ユーマとあんたのママはその事故の始末に駆り出されてんだ?」

「そういうこと。異世界問題のプロのお二人にお力をお借りしたく……ってさ。よっぽどのことが起きてるらしくて連絡が一日に一回しか来ないし」


 だから数日前からインスタの更新もストップしてたのか……とみかどは納得しながらアルフォートの小袋を破った。


「じゃああんたと央太と二人で過ごしてたんだ」

「へっへーん、フリーダムぅ〜」

 答えたのは央太で、お菓子が開封されるやちゃっかりコタツに入り込んでむしゃむしゃやりだす。

「今日は絶対貫徹して日付が変わるまで起きてんだ〜。そしておれは生まれ変わって新たなレジェンドになる!」

「バカじゃないの。伝説になるってどういう意味よ? トンネルの向こうで何が起きてるのかわからなくて困ってる異世界の人多いのに」


 正義感に凝り固まってる女子らしく日向子は憤懣やるかたなしという口ぶりでお菓子をかじりつく。

 その後もう一度じっとみかどを見た。


「……で、あんたいつまでいるの? 用が済んだなら帰れば?」

「うるさいなあ、帰るよ! あんたのパパのいないあんたの家とか無意味だし」



 言われるまでもない、みかどももう帰るつもりだった。術者元締めの次期頭目として年越しと年明けの行事は目白押しだ。

 みかどは日向子と同じ市内にすんでいるが場所は離れている。そろそろ電車に乗らないと。


 早く家から追い払いたそうにしていたけれど、それでもみかどは玄関先でみかどに告げる。

「じゃあね、みかど。おばあちゃんによろしくね。来年は世話焼かせるなよ」

「そっちこそ、おまえんとこのママにいいかげんSNSに依存する癖やめろって言っとけよ。絶対一発当てるのムリだから! 書籍化とかねえから!」


 んじゃあな、と、みかどは火崎家の人々が暮らすマンションを後にする。



 後数時間でことしが終わるという暮れの町をみかどは歩く。

 一人は好きだ。小さい頃から常に

 とっちらかった頭が静かになる。


 みかどはさっきまでいた火崎家のリビングを思う。大晦日にカレーの匂いが残っていたあの家。

 年末年始とはいっても特別なことはしないという両親不在の家で、二人はカレーで晩餐を済ませるのか。きっと日向子が作れる料理がカレーくらいなもんだからだろう。


 年中行事にこだわるみかどの家からすると不思議だが、年末年始に特別なことをしないのが当たり前な火崎家のしきたりがみかどにはうらやましかった。ユーマはそういうルールの家庭をこちらで作ってきたのだ。マーリエンヌとその子供たちで。

 そこにみかどの入りこむ余地はない。



 街灯やネオンがともり出す街を歩きながら眺める。

 明日になったら歳神様を迎え、挨拶、初詣、年始の挨拶まわり……多忙だ。

 火崎家の子供たちはどうせダラダラ寝てすごすんだろうけど。



「……」

 あたしが着物きて、営業用の笑顔を浮かべて歩き回ってる時に、あの二人はあたしが差し入れたおせち食ってダラダラ過ごしてるんだろうけど。


「…………」

 あたしが正月だっつうのに年中行事にこだわる階層の老若男女に本年もどうぞご贔屓に〜……なんてやってる間に、あの二人は呑気なお笑い番組でも見ておせち食って親の帰りを待ちながらダラダラすごしてるんだろうけど!


「………………」

 あたしが正月だっつうのにアホほど忙しかった師走の間に疲れた体を酷使して年中行事にこだわる階層の老若男女に本年もどうぞご贔屓に〜……なんて笑いたくもないのに笑いながら慣れない草履で足を痛めてる間に、あの二人は呑気なお笑い番組をつまんないな〜これだから正月は……こんなのいいから界壁越境トンネルの事故の詳細報じろよとかグチ言いながら見てあたしが差し入れたおせち食って親の帰りを待ちながらダラダラしているうちにユーマとマーリエンヌが帰ってきて「あらっ、この美味しそうなおせちはどうしたの? まあそうなの? みかどちゃんがくれたの? じゃあお礼を言わなきゃあ。まったくもうみかどちゃんってばもっと素直になればもっと可愛いのにどうしてそうしないのかしら?」なんてたわけたことを抜かしながら朗らかに正月をすごしやがるんだろうけどっ‼︎‼︎



「……………………っ!」

 みかどは回れ右をし、コートのポケットからスマホを取り出した。

 キヨノにやっぱり今日の帰りは遅くなる、ヘタをしたら帰れないと連絡をする。


「ああ、かまやしないよ? 火崎さんちの日向子ちゃんと一緒なんだろ? あのお嬢さんとの仲良くしといて悪いこたあない。たまにそういう年末年始も過ごすのはいいことさ」

 キヨノはあっさり許可を出した。おそらく日向子がマーリエンヌの実家にあたる異世界の王族の血脈を重視した末の判断だろう。




「で、帰ってきたって?」

 本日二度目、みかどを迎え入れた日向子は一度目よりうんざりした顔になる。


「何だよもう! 帰るんじゃなかったのかよ」

「気が変わった。あたしが年末年始を忙しく過ごしてるのにあんたがダラダラしてるのが割に合わない。というわけでお前にも私の多忙さを分け与える。年が明けたらすぐ初詣に行くぞ!」

「……なんで勝手に決めてるんだよ、あーもうめんどくさい! 帰れっ」


 面倒臭がる日向子を振り切って、再びみかどは火崎家にずかずか上がりこむ。案の定カレーを温めなおしていたらしい。


 玄関でのやり取りを聞いていた央太がソファから飛び降りて、何々初詣行くのっ⁉︎ と期待に満ちた目でこちらを見上げてきた。真夜中の冒険に繰り出せると知って期待している。



 界壁越境トンネルのトラブルにてんてこ舞いな火崎家の大人にはまだ連絡するゆとりはないようで連絡はない。



みかどが17歳の年はこうして暮れた。

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門土みかどの大晦日。 ピクルズジンジャー @amenotou

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