言わないのに。
授業終わりに携帯を見ると、赤羽から返信がきていた。『おめでとう。とりあえず今度黒岩見かけたら罵っておくね』の文章末に天使の絵文字。何度も見て考える。これは赤羽が天使だということ? それとも黒岩が天に召されるということ?
始業ギリギリに入ってきた撫子は教室の真ん中あたりにいて、そちらへ向かうとぐっすり眠っていた。いつも持っているバッグの他に、ギターケース。あのヴァイオリンはどうしたのだろう、最近見ない。
「撫子さん、授業終わったよ」
「む」
起き上がり、最初に前スクリーンの前方にかかっている時計を確認した。それからわたしの方を見て、眠そうに一礼。
「おはようございます」
「おはようございます」
「私返事してたか、わかる?」
「してたよ。だから来たんだなって分かった」
「じゃあそれから寝てたんだ」
一応広げたのであろう参考書をとじる。授業を聞く気はあったらしい。ギターケースが一席分使っていて、それを挟んで話す。
「最近、ヴァイオリンはやらないの?」
「あれね、あげちゃったの。姪っ子に」
「え!?」
「欲しいーってあまりに言うから」
さっぱりと言う。何故そんな、と心の中で思ってしまう。
「大事なものじゃなかったの?」
「んー、私の中で楽器って友達なんだよね。だからまた会って、演奏すれば良いし。それに安物だったし」
「撫子さんって、本当にすごい。そういう価値観を持ってる人に出会ったことなかった」
「そう? 銀杏さんも珍しい方だと思うけどね。すごく誠実で、すごく優秀」
それでちょっと不器用、と笑う。
当たっている。撫子は他人のことをよく見ていないようで、すごく見ている。
ギターケースを背負った撫子と教室を出る。
「そういえば黒岩と付き合ったの? 来る途中で仙斎に会って聞いちゃった」
「あ、うん。お陰様で……」
「何もしてないけどね。おめでと」
ありがとう、とそれに返す。
「例えばの話なんだけど」
「何?」
「わたしが今、どうしても撫子さんのギターが欲しいって言ったら、貰えるの?」
「あ、楽器の話?」
きょとんとした表情。視線をギターへと向けた。
「これはねー、ダメ。あげらんない」
「会って演奏できたら良いんじゃないの?」
「これは友達じゃないの、恋人だから。誰にも渡せない。銀杏さんだって、友達が誰かと付き合っても『おめでとー』で済むけど、黒岩が他のオンナと付き合っても良いかって聞かれたら『ダメ』って言うでしょ」
「それは、ダメ」
「それと一緒」
そのギターは撫子の恋人らしい。
食堂に向かう途中、ラウンジを通る。中に白峯の姿を見て、撫子と一度別れた。
ワイシャツを着ていて、隣の椅子にジャケットが掛けられている。
「先輩、就活ですか?」
「説明会。長野の」
「え、これから行くんですか?」
二限終わり。夕方に説明会が行われるのだろうか、と考える。
「昨日行ってきて、今朝バスで帰ってきた」
「どうでしたか?」
「どうって……」
PCからこちらへ視線を向ける。どうって?
「なんかお前、あった?」
「え」
「へー黒岩と付き合えたのか、良かったな。ジンクス脱出おめでとう」
全てを見透かした顔をして白峯はパチパチとてきとうに手を叩いた。祝の気持ちは微塵も入っていないので、その手を止めた。
「全然思ってませんね」
「まあ、思ってないけど。二人して沼とかに落ちないように祈ってる」
「沼?」
「お前等、死なば諸ともってとこあんだろ」
どきりとする。黒岩はどうか知らないが、わたしにそういう所がある。
「まあ、仲良くやってけよ」
「先輩は」
言いかけて、やめた。いつか一番上の兄、藤が二番兄の柾に聞いたときのことを思い出したからだ。自分が幸せなとき、本当は他人の幸せなんて判断できない。
白峯は肩を竦める。
「俺は順調だ」
少し寂しそうに見えた。前から、白峯は他人と線を引く人間だったけれど。
わたしが黒岩と付き合ったことで、わたしとの間にも線を引く気がした。
「就職先決まったら教えてください」
「嫌だ。櫻井に言うつもりだろ」
「いえ、黒岩くんと祝います」
呆れた顔をされる。
「うぜえ」
銀の眠る春に 鯵哉 @fly_to_venus
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