無意味な雨音。


じめじめとした空気。窓を叩く雨音に何度も視線を向けてしまう。

紫陽花が綺麗に咲いている。高校までとは違って、大学の人はビニール傘を使う人が多いことを知った。


バイトに行くまで赤羽とラウンジで潰した後、文庫本を同好会室に忘れたことを思い出した。大学の近くのカフェでバイトをしている赤羽と別れた後、同好会室へと向かう。午後六時を過ぎていて雨も降っているけれど、そこまで暗くはない。

階段を上がる。サークル棟は運動部以外は殆ど静かで、もしかしたら白峯がいるかもしれない。

案の定、天文同好会の部屋は電気が点いていた。ドアノブに手をかけたところで、会話が聞こえた。白峯ではない声。


「いや、赤羽は脚が良いだろ」

「お前足フェチか」

「當金も普通に可愛くね? なあ黒岩」


同好会の男子たちだ。普通に知らない顔をして扉を開ければ良かったと、後悔した。少なくとも、自分の名前が出る前に、そしてそれが黒岩に振られる前に。


「思わねえけど」


低い声。

びくりと肩が震えた。ドアノブから手を離して踵を返す。

そんなの、知っていた。

『なわけねーだろ』という声がまだ頭に残っている。わたしは結構、かなりおめでたい人間だ。

可哀想? わたしが誰かを可哀想なんて、思うわけがない。

雨が頬が当たって、降っていたことに気付く。化粧が落ちるのも躊躇わず、ぐっとそれを手の甲で拭った。





実験を終わらせて結果を計算していると、器具を返して戻ってきた撫子が隣に座る。視線を感じて顔を上げる。目が合った。


「最近元気なくない?」

「え、そうかな」

「今度さ、花火見に行こうよ」


撫子からそんな提案があるのは珍しく、返事に止まる。高校の同級生たちとバンドをしているらしい撫子は、授業がないとき以外大学に居るのを見ない。


「どこの?」

「ここの近く。バイト先が露店やってんの」

「撫子さん、売るひとなの?」

「ううん、普通に花火見に。あ、仙斎と黒岩!」


ちょうど廊下を歩く仙斎と黒岩を見た撫子が呼び止める。教授は違う班の学生と話していてこちらには気づいていない。


「どうした」


仙斎が驚いて足を止める。隣に黒岩がいた。


「波結の花火大会見に行こうよ」

「おお、俺は良いけど」

「銀杏さんもいる」

「行く行くー」


二人の軽快な返事。得意げな顔をして撫子がこちらを見る。


「いや、わたし行くって……」

「赤羽も誘う?」

「お、良いね」


黒岩と撫子が話を進めていく。ちょうど本鈴が鳴り、実験が終わる。

周りががたがたと椅子をしまっていき、席を立った。

わたしも電卓を片付けて立ち上がって、廊下に出る。


「次、授業?」

「うん、分子生物学。黒岩くんたちは?」

「大気化学っていう眠い授業。やっぱり二年になると授業被んないなー」

「そうだね」


専門科目が一気に増えるので赤羽ともお昼が被れば良い方だ。黒岩の隣に並んで、その横顔を盗み見る。同じタイミングでこちらを見るので、どきりとする。


「そういえば柾さんってどこに就職したの?」

「中学校で教師してるよ」

「え、まじで」


しかも柾が波都大最寄に引っ越したからなのかは分からないが、この近くの中学。

配属校は決まっていなかったのに、その強運に兄と感心してしまった。


「あの性格だからそれなりに教師してるみたい」

「それなりに教師できるのがあの人らしい」


それは同意見。次の講義室についたので、そこで黒岩たちと別れた。

撫子が隣にきて、下から顔を覗く。ふわりとパーマのかかった髪の毛が落ちる。

その仕草が可愛くて見ていると、舌をべっと出した。


「銀杏さん、花火行くよね」

「……行きます」


脳裏にはずっと、雨音がこびりついている。



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