星に祈りを。
寧ろ、よく誰にも気付かれずに来たよね。と、赤羽から言った。
前期試験がやってきた。
黒岩とは塾や予備校が同じだった。でもそれだけで、学校にいるより短い時間を、同じように塾や予備校生とも共有していたことに変わりない。前の黒岩の彼女のようにわたしたちのことを知っているひとも中にはいたし、「会わないで」と言われるくらいには会っていたのだと思う。
大学が同じになって、一日の殆どを同じ場所で過ごしている今。
自然とそれは目に入る。どうして視界から追いやろうとしても。
「當金、次空き?」
学生ラウンジで午後の試験範囲を見直していると、黒岩が現れた。隣に仙斎の姿がない。
「うん、三限で終わり」
「一緒に飯食お」
「……仙斎くんは?」
「仙斎は一限で終わり」
そういえば撫子と殆ど同じ授業の取り方だったと思い出す。必修以外はあまり取らないスタイル。
昼には赤羽が来るから良いか、と思ってそれを承諾した。思えば予備校の時も一緒に帰ろうとしていたっけ。とりあえず文学部の彼女に見つからないことを祈る。
そんなことを祈っている時点で、罪悪感には勝てない。
「黒岩くん、背伸びた?」
正面の椅子を引いた黒岩を見ると、確かに卒業した時より高い位置に頭があった。
「伸びた、急に。すげー関節が痛い」
「すごいね、成長期」
「今更感があるけど。當金は背伸びてる?」
「まだ止まってないけど、数ミリとかだと思う。お兄……柾がね、この前黒岩くんを学内で見たときに背伸びてたって言ってたの」
まじで、と少し驚いた顔。柾が見かけただけらしい。
黒岩も同じように参考書を開く。付箋がたくさん貼ってあって、奨学金のことを思い出した。黙って試験範囲を浚う顔を見て、それを口にするのはやめた。
試験期間というのもあって、ラウンジにはあまり人はいない。今は図書館の方が込み合っているに違いない。
一通り見て参考書をとじると、黒岩も同じタイミングで顔を上げた。
「當金、夏合宿行く?」
「行くよ。オープンキャンパスと被ってないよね?」
「被ってない。もしかして、学生スタッフやる?」
「うん、人数足りないからって教務の人に言われて……」
この前撫子が休んだ分の資料をコピーしに教務窓口の前を通ったら、捕まった。バイトでーす、と躱した撫子から、わたしに希望の視線が移り、断る理由もなくて受けた。
夏休み中にバイトも決めたい。夏合宿のお金は貯めていたお小遣いから出すとして。
「俺もやるよ、バイト代出るし」
「そうなの? 彼女も一緒?」
「さあ?」
さあって。黒岩は教科書を横にずらして、メッセンジャーバッグからおにぎりを取り出した。
件の文学部の彼女は、天文同好会の新歓には来たものの、結局同好会には入らなかった。赤羽によるとサッカー部のマネージャーをしているらしい。彼女と付き合う前に黒岩もサッカー部に入ろうかな、という話をしていたので、そこで知り合ったのだろう。
「サッカー部は合宿ないの?」
「んーさあ?」
おにぎりを頬張って返事をする。さあって。
わたしは一種の不安を感じて、それを口にする。
「黒岩くん、もしかしてサッカー部」
「ん、辞めた」
「な……なんで?」
もともと黒岩は中学までサッカーをしていた。途中で辞めてしまったけれど、嫌いになって辞めたわけではない、と思う。
「確かに他大との試合は組まれてんだけど、飲み会に練習がくっついてる感じで、時間と金の無駄だから早々に辞めた」
「現実的だね」
「その時間をバイトに当てたいとも思ったし……俺、今ファミレスとスーパーでバイトしてんの。當金来て、安くするから」
「うん、ありがとう」
前なら飛びつくようにして行っただろうけれど。
わたしはバイトの話よりも、サッカー部を辞めて彼女は大丈夫なのかということしか頭になかった。どうして当人よりもそんなことを気にしているのか、自分でも分からないけれど。
参考書をバッグにしまって、サンドイッチを出す。ラウンジの入口が開いて、学生が入ってきた。赤羽かと思ってそちらを向いて、手が止まる。
「春壱、なんでメッセ返してくれないの?」
わたしのことなんて目もくれず、黒岩の隣に立つ文学部の彼女。
黒岩は特に驚きもせず、剣呑な眼差しをそちらに返す。
「試験で携帯切ってた」
「……一緒にご飯食べようよ」
「午後試験ないだろ、帰れば?」
「なんでそんなこと言うの」
その会話を聞きながら、誰よりもわたしがどきどきしていた。嫌なものを思い出す。
修羅場と化す前にここをすぐに退こう、とサンドイッチを手に取った。
「わたし、食堂行くね」
誰に言えば良いのか分からず、テーブルを見ながら言った。
やっぱり、祈りは届かなかったらしい。
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