神さまの肉声を聞く

 頼まれた通り、あらかじめプレーヤーにセットされていたレコードに針を落とすと、微かなノイズの後にピアノの穏やかな旋律が流れ出した。

 そこに、透通るようにうつくしく、それでいて芯の強さが感じられる歌声が重なる。

「……ドロシー・キャボットですか。ずいぶんと」

「昔の人でしょ? まだミゼルカが出来る前の人だもん。でも大好きなの」

 ふわりと床についているモニカが頬笑み、マリーもそれに合わせる。

 流れる曲はマリーにとって馴染みのないものだったが、耳に入ってきたその音をそのまま元老院の情報統御室のデータと照合して、誰のものかを知ることは簡単だ。だからこうして、さも既知であるかのように話を合わせられる。

 ドロシー・キャボット。夭折の天才シンガー。見つかったデータに添付されていた写真のドロシーは、アッシュグレーの艶やかな髪が緩くウェーブを描いていて、長い前髪の隙間からのぞく瞳は冷ややかなアリスブルーをしている。

 彼女の死因はなんだったのだろう。このミゼルカではラディレによる安楽死が大半を占めているが、彼女が生きた時代は違ったはずだ。

 ドロシーの詳細な情報を得ようとしたマリーは、けれどモニカの声に情報統御室への接続を打ち切らざるを得なくなった。

 ねえ、マリー。鈴を転がしたような声でモニカが呼ぶ。返事をしない代わりに、マリーはそっとベッドサイトに膝をついた。

 視線を合わせて、モニカに話の続きを乞う。

「あなたは神さまの声を聞いたことがある?」

 モニカが、大事な秘密を打ち明けるように囁いた。

 ひょっとして、試されているのだろうか。機械人形が神を信じるか否かを。

 マリーは緩く首を左右に振ってみせる。

「いえ、私は信仰を持ちませんから、そういったことは分かりかねます」

「そういうことじゃなくてね、神さまって比喩よ。もっと具体的に言うならそうね……いるだけで、心の支えになるような存在かしら」

 前半は苦笑して、後半は目を伏せて何かを思い出すようにモニカが言う。

 マリーは仕事の対象にこうして苦笑されることが多い。そんなに的外れなことを言ってしまっているのだろうか。

「しかし、ドロシーはとうに亡くなっていますが」

「でもレコードの中では生きている」

 控えめなマリーの反論も、モニカはばっさり切り捨ててしまう。実際の生死なんて関係ないし、存在するかしないかだって関係ないの」

「ドロシーは私にとっての神さまだし、こうしてレコードでだって構わないから、声を聴けるってだけで満たされるのよ」

 流れる旋律に身を委ねるように、モニカが瞼を閉じた。

 マリーは黙ったまま、モニカの無防備に投げ出された手に自らの手を重ねて軽く握る。

 目を閉じたまま、口角だけを緩くつりあげて、モニカはどうやら笑ったようだった。

 ねえ、マリー。あなたは神さまの声を聞いた事がある?

 もう一度モニカは言って、それが彼女の最期の言葉になった。



「それで――おいマリー、聞いているのか」

 ダニエルが大きな丸眼鏡の奥から剣呑な眼差しを寄越していた。 

 モニカのことを思い出しているうちに、知らず相槌が単調になってしまっていたようだ。

 こちらを睨みつけるダニエルに、マリーはごめんなさい、と素直に謝る。

 謝られたことでそれ以上強く出られなくなったのか、ダニエルは居心地の悪そうな顔になった。

 黒い癖毛を乱雑に掻き回すダニエルをぼんやりと眺めているうちに、マリーの頭にひとつの疑問が頭をもたげる。

 ――そうだ、ダニエルはどうだろう。

「ダニエルは、神さまの声を聞いたことはありますか?」

「神さまの声? いきなり何を言い出すんだ」

 驚いたとも呆れたともとれる声でダニエルが言う。

 たぶんその両方だろう。

「僕は信仰を持たない。だからその質問は無意味だ」

 そう吐き捨てて、それからダニエルが苦虫を噛み潰したような渋い顔になる。「何を笑っているんだ」

 言われて、マリーは表情をやや引き締める。

「私、笑っていましたか」

「ああ。いつも笑ってるみたいなもんだけど、なんかこう、もっと気が抜けて思わずわらってしまったみたいな、まるで、」

 そこで唐突にダニエルの言葉が途切れて、更に苦々しい表情になった。

 薄々、マリーにだってダニエルが何を言おうとしていたのか想像がついた。『まるで、人間みたいな』――ダニエルはそう言いたかったのだろう。

 しかし、ダニエルはマリーが人間に近づくのを良しとしないし、マリーが人間に近しい存在だと認めたくないらしい。

 どうしてそうなのかは分からないが、マリーを作ったのはダニエルだからこそ、自分の意に添わない存在であるのを認めたくないのだろう。

 ともあれ、ダニエルは以前自分が言ったことと同じことを言っていたのが、マリーはおかしかった。

 マリーにとってダニエルは親とも言える存在だから、やはり子は親に似るのだろうか。

 ダニエルはまだ少しだけ腑に落ちない顔をしていたものの、諦めたように息を吐いて話を再開した。

 難しい顔をして話すダニエルがこちらを見ていないことを確認して、マリーは目を閉じる。

 レコードで聴いたドロシーの声は、どこかつめたい印象があったものの美しかった。

 ドロシーと同じ女の子だけど、ダニエルの声は少し低いし、ドロシーのように美しいわけでもない。

 それでもマリーはダニエルの声にずっと耳を傾けていたいと思った。低いけれど、柔らかくて、どこか温かいその声を好ましく思った。

 そう評したらきっとダニエルは不機嫌になるだろうけれど。

 

 いずれマリーが目を閉じていることに気付いたダニエルが、怒って、あるいは呆れて、マリーの名前をその声で呼ぶのだろう。

 そのときを思って、マリーは目を閉じたまま密やかに微笑んだ。


 

 

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「箱庭に雨は降らない」番外編 市井一佳 @11_1ka

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市井一佳 @11_1ka

人に似た人でないものたちと、すこし不思議な話が好きです。 文芸サークル「フロッケリプカ」で文フリやコミティアに出展しています。 サイト:http://aliena.silk.to/もっと見る

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