天国への行きかた

 棺の中には一体の亡骸が、白百合の切り花に埋もれるように横たえられていた。

 亡骸は艶やかな黒髪を持つ少女の姿をしている。丸みをおびた頬には赤みが差しており、笑みを浮かべているようにも見える顔で瞼を閉じている姿は、一見眠っているようにしか見えない。しかし、彼女はもう二度と目を覚まさないのだ。自ら死を選び、それを手繰り寄せた。

 これは、ずっと彼女が望んでいたことなのだろう。彼女が弟を亡くしたときから――あるいは、母を亡くしたときからずっと。もしかしたら、それよりも更に前の、父を亡くしたときからかもしれない。

 だからきっと、今にも口元を震わせて笑い出しそうな顔で、あるいは悪戯がばれるのを待つ子どものような顔で眠っているのだ。

 家族にようやく会いに行ける。そのことが嬉しくてたまらないのだろう。

 そう結論づけて、マリーは最後の一輪の白百合を彼女の胸の上に乗せた。

 そしていつものように、祈りを捧げる。



「ごきげんよう、セシリア・シルバチカ。ルーイ・シルバチカはご在宅でしょうか?」

 帽子をとってそう挨拶したマリーを、私は呆然と見つめ返すことしか出来なかった。

 確かに弟のルーイはテュランの感染が確認されていたし、今日ラディレを飲んで死ぬ予定ではあった。けれど、弟は機械人形オートマトンを嫌っていたから、私は敢えて彼らを呼ばなかったのだ。

 それなのに、何の手違いかこうして二体の機械人形が家に来てしまった。これはまずい。弟が気付く前に追い返さなければ。

 混乱しながらも、なんとか私は頭を働かせて、丁重に引き取りを願おうとした。

「あの、折角来てもらって申し訳ないのですが、」

「いいんだよ、姉ちゃん。俺が呼んだんだ」

 固い声が後ろから聞こえた。紛れもなく弟のものだ。

 喉が引きつるのを感じながらも、弟を振り返って私は何か言わなければと口を開く。

「いいんだよ」

 弟はもう一度だけ言った。有無を言わせない口ぶりだった。

 そして大嫌いなはずの機械人形二体に目配せをして、玄関の扉を閉める。徐々に狭くなる扉の隙間から、黒衣を纏った二人が深くお辞儀しているのが見えた。

 弟が嫌っていた機械人形をわざわざ自分の死に際に呼んだこと、そしてそのくせ、家にあげないで外に待たせていること。

 どちらも不可解で、私には何が起こっているのかさっぱり分からなかった。



 弟と機械人形。

 その二つを結びつけようとしたときに思い出すのは、袖を引っ張られながら言われた弟の言葉だ。 

『姉ちゃん、見ろよ。死神だ』

 嫌悪と侮蔑と、それらで隠そうとして隠しきれていない怯えが滲む声。そしてその声で発された言葉に、私は自然と表情が強ばるのを感じていた。

 それは死神という言葉の不穏さのせいかもしれないし、弟の声音のせいかもしれない。

 あるいはその両方か。

 弟が見ている方向に視線を移すと、背の高い男の人と、私と同じくらいの歳の女の子が歩いて行くのが見えた。

 二人とも、夜のそっけない空気に鋏をいれて仕立てたような黒い服を着ていて、はっきり言ってしまえばそれは周囲から完全に浮いていた。

 黒は喪に服す人が纏う色だ。別にそれ以外では着ることのない色というわけでもないのだけど、やっぱり敬遠されているし、何より服の意匠を見る限り、あれは喪服だと一目で分かる。

 そして何より、二人の行く先にはこれから眠りにつく人が待っている。誰かの死を看取り、それからその亡骸を墓地へ運んで埋葬するのだ。

 弟が死神、と言いたくなる気持ちも分からなくはなかった。

 それでも私は、母がかつてそうしていたように小声で弟を窘めたように思う。弟はまだ何か言いたそうに私の顔をじっと見ていたけれど、気付かないふりをしたはずだ。

 影を圧し固めたような二人が歩いて行くのを見ながらも、弟の言葉が私の耳から離れることはなかった。

 言葉が、というよりはきっと。

 精一杯強がっているようで、けれど怯えを隠しきれないその声が。

『姉ちゃん、見ろよ。死神だ』



「……どうして、呼んだの」

 弟の寝室はがらんとしていた。

 それこそ幼い頃に入院した父を見舞ったときに見た病室のように。まるでここは仮の住まいで、どこか別に自分の住む場所を持っているのではないかと疑ってしまうくらいに。それが私は落ち着かなかった。

 弟は収集癖があって、どこから買ってきたのか拾ってきたのかよく分からないような鉱物や、昆虫の標本――ミゼルカに昆虫はいないから、『大陸』のものだと思うけれど、たぶん贋物だ。本物はきっと、子どもが手を出せるような値段で取引されていないだろう――、ジャンルも様々な本を床や机に積み上げていた。そして片付けようとすると不機嫌になったのだ。

 けれど今は、それらがいくつかの箱に綺麗に収められて部屋の隅に追いやられている。

「だって必要だろ。……ほら、俺の死体を埋めるときとかに」

 弟が私から視線をそらして答える。

「でも母さんのときは呼ばなかったでしょ」

 反論すると、弟は少し黙った。

「……あのときは俺もいた。でも今回は姉ちゃん一人だし、無理だろ」

 ようやく弟がこちらを見る。

 これ以上追求しないでくれと言っている目だった。

 その目に私は一瞬たじろぐ。

 弟の言う通りだ。

 半年前、母がラディレを使って死んだときは、一切機械人形の手を借りずに自分たちだけで母の埋葬を行った。

 母は機械人形に対して悪い印象は抱いていなかったと思うけど、弟が機械人形の手は借りないと言って聞かなかったのだ。

 私たち姉弟は、自分たちの手で母を棺に納め、それをなんとか墓地まで運び、埋葬した。泥だらけになってなんとか家に帰って、正直その後のことはよく覚えてない。

 疲れきってそのまま寝てしまったのかもしれないし、朝まで目を腫らして泣いたのかもしれない。

「……そうかも、しれないけど」

 それでも私だって、弟の最期の望みを叶えてやりたいと思う気持ちくらいあるのだ。弟が機械人形による埋葬を望まないというのなら、私がなんとか自力で埋葬までやったのに。

 そう主張したけれど、弟は首を横に振った。

「いいんだよ、姉ちゃん」

 静かに弟が言う。

 弟は澄んだ目をしていた。何もかも諦めたようにも、達観したようにも見える目だ。

 母がラディレを飲む前も同じ目をしていた。

 やめてほしいと、心の底から思った。

 おいていかないで、と喉から声が漏れそうになって、飲み込む。

 それすらも見透かしたように弟は微かに笑った。

 ごめん、姉ちゃん。たった一言だけそう言って。



 針金で作った人形のように、ひょろりとしたシルエットをもつ機械人形――ソロルの手で棺が弟の部屋に運び込まれて、同じくソロルの手で弟の亡骸が棺に納められる。

 粛々と、けれどもどこか機械的に進む作業にマリーは手を貸す気配はない。ただ黙って相方の作業を見守るだけだ。

 それが気になって、思わず私はマリーの方を不躾に見てしまった。

 視線に気付いたのか、マリーは憂いを帯びた微笑を私に向ける。作り物めいたそれを向けられるのは何とも居心地が悪かった。

「ご遺体に触れるのはソロルの仕事なのです。それに私は非力ですから。ソロルを手伝おうとすると却って邪魔になってしまいます」

 視線だけで私が言わんとしていることが分かったらしい。マリーが懇切丁寧に説明してくれる。

 完全な分業体制というわけか。効率的なことだ。

 マリーから視線を外してソロルの作業をみるともなく眺めながら、私はそんなことを考えた。

 そんな私の目の前で、今度はマリーが弟の亡骸の周りに切り花を敷き詰め始めた。しかしソロルは手伝おうとしない。立ち尽くしたままマリーの仕事を見守っている。

 前言撤回だ。あまり効率重視というわけでもないらしい。



「これから弟君の亡骸を埋葬しますが、ご覧になりますか?」

 棺の蓋を閉じて祈りを捧げたところで、マリーがそんなことを私に訊ねた。私は一も二もなく了承した。言われずとも最後まで見届けなくてはと思っていたのだ。弟はきっとそう望んでいるだろうし、私だってそうしたかった。

 台車に乗せた棺をソロルが押して、その後ろをマリーが歩く。私はマリーの横に並んで歩くことにした。

 何の会話もないまま暫く歩き続けたものの、私は一つマリーに謝らなくてはならないことを思い出して口を開いた。

「そういえば、さっきはごめんなさい」

「さっき、とは?」

 心当たりがないのか、マリーが小首を傾げる。肩口で淡い金色の髪が揺れた。

「追い返そうとしたでしょう。謝らなきゃと思って」

 言葉を重ねるとマリーも合点がいったらしい。ゆっくりと首を振ってみせる。

「こちらこそ、失礼いたしました。かえってセシリアを混乱させることになってしまいました」

 今度は私が首を捻る番だった。

 どういうことだろうか。聞き返そうとして、気付けば共同墓地まで辿り着いていたので断念した。埋葬が終わったら改めてマリーに話を聞こうと決める。


 弟の埋葬は納棺のときと同様に呆気なく終わった。それはもう鮮やかで無駄のない流れだった。

 真新しい墓標の前で、私は膝をついて祈りを捧げた。マリーとソロルは敢えて横に並ぶことはせず、私の後ろに控えていた。その心遣いが有り難く、そして少しだけ意外だった。

 なんとなく、機械人形は死に際の人間と遺体ばかりを相手にしているイメージがあったので、私のような一応は死ぬ予定にない人間に対する接し方を分かっていないのではと思っていたのだ。

 祈りを終えて立ち上がると、マリーが私に一礼して、「ご迷惑でなければ」と切り出した。

「あなたを家まで送らせていただきたいのですが」

 その提案は素直に嬉しかった。了承の意を示すと、マリーが柔らかく微笑む。

 聞きたい話もあったし、少しずつ私はこの機械人形たちに傍に居てほしいと思うようになっていた。



「ねえマリー、さっき私を混乱させたって言っていたけど、どういうこと?」

 空になった台車を押して歩くソロルの後ろを、私とマリーは共同墓地へ来たときと同じように並んで歩いていた。

「そうですね。まず前提として、私たちのことをあなたの弟君が決して快く思っていないことは分かっていました」

 いきなりそんなことを言い出したマリーに、二の句が継げなくなって私は口を噤む。

 紛れもない事実だけど、それを咄嗟に取り繕うことは出来なかった。

「そしてそれを誰よりもセシリア、あなたが知っていた。だからこそ、絶対に私たちと弟君を引き合わせてはならないと、そう思っていたはずです。でもあなたの弟君は私たちを呼んだ。なぜだと思いますか?」

 マリーがじっと私の目を見ていた。

 明るい翠色の瞳だ。珍しいのもあるけれど、ただ純粋に綺麗だと思った。

「分からない。自分が死ぬときに、わざわざ……その、」

「嫌いなものを呼び立てるなんておかしい。そうですよね」

 私が言い淀んだ言葉を、マリーは事も無げに引き取った。

 言われ慣れているのかもしれない。だとしたら、なんだか胸が痛くなる話だった。

 相変わらず私の目を見つめたままでマリーが続ける。

「セシリア、弟君はあなたを一人にしたくなかったのだそうです」

 思わず足が止まってしまった。

「あなたは機械人形に対して嫌悪感を抱いているわけではない。だから、自分が一緒にいられない代わりに、私たちを呼んだのですよ。でも正直にそれをあなたに打ち明けたくはなかったようです。だから、死ぬまで弟君はあなたに黙っていたのです」

 そんなことまで考えていたのか。弟は。

 これから自分が死ぬというのに。

「……マリー」

 呼びかけると、マリーがゆっくりと微笑んだ。

 声は――私の声は、震えていないだろうか。

「その……ありがとう」

 なんとか言うと、マリーは帽子を胸に当ててお辞儀してみせた。初めて見たときも思ったけれど、芝居がかっているのに、妙に様になっている。

 容姿が整っているからだろうか。

 立ち姿が美しいからだろうか。

 それとも、人間ではないから――機械人形だからだろうか。

「礼には及びませんよ、セシリア。どうか弟君が安らかに眠れますように」

 真っすぐに私を見据えてマリーが言う。

 私はもう一度礼を言って、そこでマリーやソロルと別れた。家までのわずかな道のりを走って、乱暴に玄関の扉を開けて家に入る。靴を脱ぐのももどかしく、二階の弟の部屋に転がり込んだ。

 あのガラクタの類が綺麗に片付けられて、持ち主もいなくなってしまった部屋は、妙に広く、寒々しく感じる。

 決して、私たち姉弟は特別仲が良かったというわけでもない。顔を合わせれば話はするし、母が亡くなって二人暮らしになってからは家事だって分担してこなしてきたけれど、私も弟もどちらかと言えば一人で何かをするのが好きな性質で、そんなにべたべたしていることもなかった。そしてそれは、母を亡くしてからもだった。

 それなのに。

 殺風景な部屋にへたり込む。板張りの床はひやりとしていたけれど、そんなことは気にならなかった。

 もうこの部屋で、弟がなんだかよく分からないものに埋もれて本を読む姿を見ることは永遠にないのだと。二度と顔をあわせることも話すことも出来ないのだと。そんな事実が信じられなかったし、受け容れたくもなかった。

 けれど、死んでしまったのだ。弟は。

 覆りようのない事実を噛み締めて、私はようやく、赤ちゃんみたいに声を上げて泣いた。



 天涯孤独の身なんて、別に今のミゼルカでは珍しいことではないのだけど、いざ自分がそうなってみると感慨深いものがあった。

 はじめのうちこそ弟や母を思って泣いたけれど、腹立たしいことに健康な私の体は食事を求めたし、悲しみもじわじわと薄まっていった。たぶん、ミゼルカの人間は私も含めて、身内かどうかなんて関係なく、人の死に触れすぎてしまって麻痺しているのだ。喪失の痛みや悲しみに対して鈍感になっているのだと思う。

 肉親を失った悲しみが薄まった頃に待ち受けていたのは、途方もない退屈だった。何もすることがないのだ。家の中で何かをやるのは嫌いではなかったはずなのに、どうしてか家にいるのも辛くなってしまった。たぶん、独りになってしまったと否が応でも自覚させられてしまうからだ。決して広くはない家だったけれど、それでも一人で暮らすには広すぎる家だった。

 だから私は、なるべく外に出るようにしていた。あてもなく、変化の乏しい街を歩くのも悪くはなかった。機械人形の二人と顔をあわせることが出来たからだ。

 二人はいつ会おうと喪服に身を包んで、連れ立って歩いていた。会えば私のことを覚えていてくれるのか(そもそも機械人形が人の顔を忘れるなんてことは考えられないのだけど)、挨拶をしてくれたし、余裕があれば立ち話にも付き合ってくれた。

 ソロルが口を利けないことを知ったのも、そんなふうに立ち話をしていたときのことだったと思う。

 私が二人と会ったときは、マリーは必ず帽子をとって丁寧に挨拶をしてくれて、その横でソロルが目礼するというのが常だった。それがどうにも気になって、私はソロルにも話を振ったことがあったのだ。何と話しかけたかもう忘れてしまったけれど、そのときマリーがそっと私に耳打ちしてくれた。

『ソロルは口を利くことが出来ないのですよ、セシリア』

 申し訳なさの滲む声で言って、マリーが困ったように微笑んでいた。ソロルは相変わらず無表情だったと思う。

(もちろん、今なら分かる。あのときのソロルもまた、マリーと同じように申し訳なさそうな顔をしていたと)

 そのとき私は触れてはいけないところに触れてしまった気持ちになって、無神経な自分を恥じた。

 マリーは私の表情を見て察したのか、気に病まないでほしいと言ってくれたけど、肝心のソロルからは何も言ってもらえない以上、私はしばらく罪悪感を抱えて過ごすことになった。



 ソロルは口を利くことが出来ないけれど、表情はいくらか変化するということに気付いたのはいつだっただろう。

 いつ頃からか、それこそ毎日のように、私はマリーやソロルと顔をあわせるようになっていた。そして、少しずつ分かってきたのだ。大体はマリーの表情の変化とシンクロしていたように思う。マリーが驚けばソロルも僅かに瞼を大きく開き、マリーが満面の笑みを浮かべているときには――これは本当に分かりにくいのだけど、少しだけ柔らかい顔つきになる。

 能面のようだと思っていたソロルにも、わかりにくいけれど表情の変化がある。その発見はなんだか嬉しかった。



 ソロルとマリー、二人の姿を見るのが当たり前になってくると、ある考えが頭をもたげるようになった。

 それは、『機械人形は誰かを好きになったりするのだろうか』ということだ。

 もっと言うと、『二人は恋人同士なのだろうか』ということ。

 誰に話しても笑われてしまう考えだということは分かっていた。彼らはあくまで死者を弔うための機械であって、人間と同列に扱うのは間違っている、と。あるいは、機械人形に対して夢を見すぎていると。

 けれど彼らを見慣れてくると、どうしても人間と同じように見てしまわざるを得なかった。

 特に、マネキンも同然にしか見えなかったソロルの中に、マリーと同じような人間らしさを見出してしまってからは。

 一度気にしてしまうと、矢も楯もたまらず私はマリーを捕まえて問い質すことにした。

 これから研究所に帰るところだという二人から、なんとかマリーだけを引き離すことに成功する。

「マリーは、ソロルのこと、どう思っているの?」

「ソロル、ですか?」

 小声で訊ねると、マリーが小首を傾げた。質問の意図を図りかねているらしい。

 ややあって、マリーが平坦な声で答える。

「仕事上のパートナーです。彼がいなければ仕事になりませんし」

 なんとも既視感をおぼえる答えだった。

 そうだ、あれはまだ学校に通えていたころだった。ある日を境に女友達が同じクラスの男子と一緒に家に帰るようになったことがあって、それを冷やかしたときのことだ。

『家が近いから、一緒に帰るだけ』

 むっとして言い返したあの子も、たしか既に亡くなってしまったはずだ。結局あの二人はどうだったのだろう。私は知らなかったけれど、手をつないで帰ったりしたのだろうか。

 マリーの声にあの子のような誤摩化そうとする意思は感じられなかったものの、それでも釈然としないまま、私は二人と別れた。



『仕事上のパートナー』

 自室のベッドに寝転がって、私はマリーの言葉を思い出していた。

 きっと彼女は嘘を言っていない。ではソロルは? ソロルはどうだろう。実はマリーに思いを寄せているのかもしれない。

 もしかしたら、ソロルが口を利けないということ自体が嘘で、マリーに対してだけは何かを話したりするのかもしれない。

 妄想は止まるところを知らず広がり続ける。

 だとしたら、ソロルはどんな声で話すのだろう。顔立ちからはなんとなく低めの声を想像するけれど、意外と高めの声なのかもしれない。でもどちらにしても、きっと柔らかい言葉を選んでゆっくりと話す気がした。

 目を閉じて、私はマリーとソロルを思い浮かべる。

 機械人形は。

 微笑むマリーと、一見無表情の、けれどその実、豊かな表情を持つソロル。

 機械人形は、誰かを好きになったりするのだろうか。

 ――違う。そうじゃない。

 ベッドから身を起こして、私は知らないうちに浅くなっていた呼吸を落ち着かせるように深く息を吐いた。

 機械人形は、ではなく、ソロルは。

 誰かを、ではなく、私を。

 正しくはこうだった。

 私は、どうやらソロルのことが好きになってしまったらしい。

 彼は私に何かをしてくれたというわけでもない。ただ、会う度に優しいまなざしを一つ、残してくれただけだ。

 けれどそれで、私には充分だった。

 私がソロルを好きになるには、充分なのだった。



 皮肉なもので、ソロルに対する気持ちを自覚した翌朝に、私の順番がきてしまった。

 母と弟を相次いで亡くしたから、私の順番だってすぐだと思っていたのに、これまでずっと、順番は回ってこなかったのだ。なんというタイミングだろう。神さまの気まぐれなのか、あるいは悪戯なのか。

 順番というのはつまり、死の順番だ。テュランのテスターが陽性を示したとき、私はやっと順番が来たとほっとする気持ちもあったし、そう思ってしまった自分に対して少なからず罪悪感を感じてしまったりもした。母や弟、父はなんと言うだろう。――恐らく天国にいるであろう、私の家族は。

 既にマリーとは連絡がとれていて、私は陽性だと判明した今日この日に死ぬと伝えていた。

 時計に目をやる。

 そろそろ時間だった。

 マリーとソロルが私を看取るためにやってくる。


 ごきげんよう。いつもと同じ調子でマリーが挨拶するのが、なんだか彼女らしいと思った。

 彼女にとってはこれが当たり前なのだ。きっと、接する人間すべてを自分の仕事の対象としか見ていないのだろう。

 それが例え、初対面の人間だろうと幾度となく顔をあわせた人間だろうと差別なく。平等に。

 それでも別に構わなかった。いつも通り喪服を纏って戸口に立った二人を家の中に招き入れる。

 二人を家に入れるのは今日が二度目で、そして最後だ。



 自分で出来るのに、と言っても聞かず、マリーは甲斐甲斐しく――まるで病人にするように――水差しからグラスに水を注いで、私に死をもたらす用意をしてくれる。

 テュランに感染しているという点において、確かに私は病人と言えるかもしれないけれど、それでもこうして体が元気に動く以上、人に身の回りの世話を焼いてもらうのはなんとも落ち着かなかった。

 そんな私の心中を見透かしたように、マリーが微笑む。

「落ち着かないですか?」

「……あまり、こんなふうに世話を焼いてもらったことはなかったから」

 正直に答える。特に母を亡くしてからは、自分の世話を焼いてくれる人間なんて周りに誰もいなかった。

 強いて言うなら、弟が最期に小さな気遣いを私にみせてくれたことぐらいだ。

 ふと思いついて、私はマリーに訊ねる。

「ねえマリー、天国への行きかたって知ってる?」

 マリーが小首を傾げる。見慣れた仕草だ。天国という存在そのものについて懐疑的なのかもしれないし、急にどうしてそんな話を、と思ったのかもしれない。

 それでもマリーは、すぐに馴染みのある柔らかな微笑を浮かべてみせる。

「そうですね、残念ながら私には分かりませんが、それでもセシリアが天国へ行けるようにお祈りすることは出来ますよ」

 胸の前で手を組んでみせるマリーを見ながら、模範解答だな、と思う。きっと、この言葉に救われてきた人も少なくないのだろう。

「……前に、私が母さんに言われたのはね、」

 言うべきか少しだけ悩んで、けれどマリーがじっと耳を傾けていたのが分かったから、私は話を続けることにする。

「なるべく身軽でいなきゃ天国へは行けないんだって」

「身軽、ですか?」

 またしてもマリーが首を傾げる。

「そう。たぶん、思い残しとかを作らないようにしなさいってことだと思う。たぶんその重さが碇になって、動けなくなってしまうんじゃないかな」

 私はマリーに気付かれないように、そっとマリーの斜め後ろに立つソロルを盗み見て、素早く視線をマリーに戻す。

 マリーは相変わらず、分かったような分かっていないような顔で微笑んでいた。その翠色の瞳から逃げるように私は目を閉じる。

 そう、思いは碇だ。けれど。

 好意と呼ぶには大き過ぎて、恋と呼ぶにはあまりにも淡くてあやふやなこの気持ちだけは、持って行こうと決めた。自分の体に押し込んで、誰にも見せまいと思ったのだ。

 もちろん、ソロルにだって。

「セシリア?」

 名前を呼ばれて目を開く。マリーが眉を寄せてこちらを見ていた。これから死ぬ人間だというのに、心配してくれているのだろうか。

 そっとソロルへ視線を滑らせると、彼もまた、ほんの僅かに表情を曇らせていた。たぶん、私と――マリーくらいしか分からない表情の変化だ。それでも私は嬉しかった。



 ラディレを口に放り込んで、グラスの水を煽る。いよいよ死ぬのだと思うと、却って気持ちは穏やかになっていた。

 横向きに体を寝かせた私の右手を、マリーがそっと両手で包む。

 思えばマリーとは何度も会っていたけれど、彼女に触れられるのは初めてだ。柔らかくて温かい、滑らかな手。マリーの体は何から何まで人工物で出来ていると聞いたことがあったけど、そんなことが信じられないくらい、人間そっくりの手だった。

 ラディレの効果が現れてきたのか、瞼が重くなって頭も働かなくなってきた。それは眠りに落ちる直前の感覚に似ていて、たしかにこのまま死ぬことが出来るなら何も怖くないな、とぼんやり思う。それに、マリーが横で手を握っていてくれる。むしろ幸せな最期だと言えるかもしれない。


 ふと、私は思い出す。

 マリーは死者に触れるのはソロルの仕事だと言っていた。確かに弟の亡骸を納棺したのもソロルだったから、きっと私の遺体を納棺するのだってソロルの役目のはずだ。死んでしまったあとだけど、私はソロルの腕に抱かれることが出来る。彼は細身だけど、たぶん筋肉が――機械人形だから、もっと違う何かだろうけれど――ちゃんととついていて、しっかり私の体を抱きかかえてくれるのだ。


 それはたぶん、すごく嬉しくて、少しだけ寂しい事実だった。





 

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