本物の花は死者のためのものだった

「かわいそうだと思ったことはない? ダニエル」

「……何が?」

 何のことわりもなくフィネがダニエルの部屋を訪ねてくるのはいつものことで、フィネが唐突に真意の読めない質問をするのだっていつものことだった。

 だからダニエルも読みさしの本から顔を上げずに惰性で相槌をうつ。フィネの方も、そんなダニエルの態度に気を害した様子はなかった。

 慣れているのだ。雑に扱うことも、雑に扱われることも。互いに。

 少しの間、フィネはダニエルの言葉に答えず、ただその俯きがちのかんばせを見つめていた。それでもダニエルが顔をあげないとみて、答える。

「花だよ」

「花?」

 予想もしない答えだったのだろう。ダニエルが目をあげる。深い青の瞳がフィネに向けられた。

 ついで「しまった」というように顔をしかめる。フィネの話題に食いついてしまったことを後悔している顔だ。わかりやすいことこの上ない。

 もちろんそんなこと言ってしまったら最後、今夜ダニエルはフィネと口をきいてくれなくなるだろうから、フィネもわざわざそれを指摘するつもりはないのだけれど。

「だって丹精込めて育てられて、綺麗に咲いたと思ったら、棺桶に入れられて埋められるんだよ? あんまりだと思わない?」

 もっともらしい言葉にダニエルの眉間に刻まれた皺が深くなる。それを伸ばしてやろうとフィネが指を伸ばしかけたとき、引き結ばれていたダニエルの口が開いた。

「……本当のところは?」

「え?」

 今度はフィネが目を瞬かせる前だった。

「フィネがで花を憐れむとは思えない。もっと他に考えていることがあるんだろ」

「ダニエルはあたしのこと、なんだと思っているの」

 心外だ、と言いたげな声音をつかうくせ、フィネはその口の端に笑みをひっかけている。

「でもそのは半分当たり。――ねえダニエル、覚えてる?おばあちゃんのところにあった本のなかで、花を砂糖漬けにしたお菓子が出てきたこと」

 唐突な話題の変わりように面食らいながらも、ダニエルは記憶をたぐる。

 うっすらと覚えがあった。

「……たしか、リーザ・エクハルトの本だっけ?」

「そうそう」

「それが何か」と続けようとしたところで、ダニエルは機嫌良さそうに笑うフィネの顔を見て瞬時に何もかもを理解した。

 理解して、しまった。

「……まさかとは思うけど、フィネ」

「察しがよろしいようで」

 ポケットに入れられたフィネの指先が、焦らすようにゆっくり小瓶を取り出すのを、ダニエルは為すすべなく見ていた。

 その中には白い花弁が砂糖の衣を纏って詰められている。

 ばらばらにされてしまっているものの、その花弁には嫌というほど見覚えがあった。

 棺に納めるための花で、死者に手向けるための花だ。

 ミゼルカの住民であれば誰もが知っている。

「……フィネ、確認だけどこの花は」

「温室から少々」

「……それ以外に生花が手に入る場所なんてないもんな……」

 目眩がした。

 一体なんてことをしてくれたんだろう、フィネは。

 思わず眉間を押さえるダニエルの正面では、澄ました顔のフィネが小瓶を弄んでいる。


「思い出したらどうしても食べてみたくなって作ってみたの。花だって死体と一緒に埋められるより、美味しく食べてもらった方が幸せだろうし」

「……そんな滅茶苦茶な」

 言いたいことは山のようにある。あるけれど、そのどれもがフィネに対しては無意味だと思えた。

 ダニエルが今感じている言いようもない気持ちだって、言葉にしたところでフィネはきっと鼻で笑ってしまうだろう。

 これ以上は何も言うまい。何も聞くまい。そう決め込んだダニエルが無理矢理本に目を戻したところで、そうはさせないと言わんばかりにフィネの声が降ってきた。


「で、ダニエル。ここからが本題なんだけど、食べてみたくはない?」


 これを。

 白い指先が小瓶の蓋を叩くのが視界の端に映る。

 つられてまた、ダニエルは顔を上げてしまった。

 そして、後悔した。

 明るい翠色をしたフィネの瞳がゆるりと弧を描く。

「こんな機会、もう二度とないかもしれないんだしさ。ね?」

 歌うように言いながら、フィネは瓶の口をあける。

 そのまま花弁をつまみ出すと、迷うことなくダニエルの唇の前に突きつけた。

「さあさあ遠慮せず」

「いや、僕は……」

 だめだ。こんなこと。

 何がどうだめなのか、フィネを納得させるだけの理由を提示することは出来ないけれど、だめなのだ。

 口を開こうとしないダニエルに、フィネは少し首をひねって、それから得心がいったように「ああ」と呟く。

「大丈夫だよ、毒味ならしたから」

「……そういうことじゃない」

「実を言うと、あたしも食べたのはついさっきなんだよね。だからもしかしたらこれから何か起こるかもしれないけど」

「このタイミングでよくそんなことが言えるな……」

 けれどこれは、断る理由に充分だろう。

 わざわざフィネが用意してくれた逃げ道を使わない手はない。

「やっぱり僕は」

 断り文句を口にしながら、改めてフィネへと視線を向けて――ダニエルは本日何度目かも知れない後悔をした。

 フィネは、ダニエルの口元に花の砂糖漬けを寄せたまま、無邪気に笑っていた。

 ダニエルがそれを口にすると信じきっている顔だ。

 ずるい、と思う。

 更に無理強いしてくるようだったら容赦なく断ってやったのに、こんな顔されてしまっては、フィネの思うようにするしかダニエルに道はない。

 意を決してダニエルは小さく口を開き、フィネの指先に摘まれた花弁を招き入れる。

 ざらりとした砂糖が舌先にふれ、ついでひやりとした何かに触れた。

 砂糖でも花弁でもないそれがフィネの指の腹だと思い当たって、慌ててダニエルは舌を引っ込める。

 フィネもまた、自分の指先から花弁がなくなったことを確認して手を自分の口元へ引き寄せた。

 その口から赤い舌がのぞいて、指先に残った砂糖を舐めあげる。

 なんてことない仕草のはずなのに、見てはいけないものを見てしまったような感覚をおぼえてダニエルは視線を逸らした。

「……それで?」

 しかしフィネは、ダニエルを放っておいてはくれなかった。

 下からのぞき込むように目を合わせると、何が楽しいのかにっこりと笑う。


「お味はいかが?」


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