第54話
時刻が午後九時を過ぎた頃、菓子やジュースの暴食と土砂の補充ですっかり元通りになったクロムは、未だに明里とクラリスが戻ってこないことに、テーブルの下でそわそわしていた。
「遅いなぁ、クラリス、さん」
「クラリス様の事ですから心配ないとは思われますが、確かに遅いですね……」
通常ならば既に帰宅しているような時間にもかかわらず、未だに帰ってきていない事に、リリアは不安そうな表情を見せる。
「……そろそろ、あたしも、探した、ほうが、いいかな」
まだ明里を発見できていない場合の事を考え、クロムは両手を閉じて開く動作を繰り返し、調子を確かめてからテーブルの下から抜け出した。
下手に何か言うよりは落ち着くのを待った方がいいと考えていたとはいえ、その結果どこかに行ってしまった事に、クロムは責任を感じていた。その末に悪い結果が待っていては元も子もないと、直ったばかりの身体を動かして外へ出ようとした。
「待ってくださいクロム様! 無理をしては……」
外へ出ようとするクロムに対し、まだ回復から殆ど経っていない状態では危険性が高いと判断したリリアは、その足を引き止めようとする。
「軽い、運動は、大事、でしょ? それに、いくら、ボロボロ、だからって、こういう、状況に、なったのは、あたしが、ちゃんと、止められなかった、からだし。あたしを、頼ってって、言った、そばから、放って、おくような、真似した、んだから……」
「クロム様……」
大切な仲間だと言っておきながら、真っ先に力になってあげられなかった不甲斐なさが、今のクロムを動かしていた。
せめて今からでも動かなければと、気持ちが収まらなかったのだった。
「二人とも、大好きだし、だから、せめて、一緒に、いたいから……それじゃ、行って……」
真っ暗な外へと向かうために入り口の扉を開けようとしたその瞬間、その目の前の扉が勝手に開き始めた。
クロムは突然の事に呆気に取られる。
「遅くなってすまなかったな、みんな」
扉の先から現れたのは、すやすやと眠る明里を背負ったクラリスだった。その左手には、明里愛用の工具セットも一緒についている。
「クラリス、さん……!」
探そうとしていた矢先に現れた二人の突然の出現に、クロムは言葉を失った。
「クロム殿、すっかり元通りになったみたいでよかった。身体の調子は……うわっ!」
クロムは、有無を言わさずクラリスに正面から抱きついた。
それまで募っていた心配が杞憂だったことがわかり、クロムの表情が一気に明るくなったと同時に、大粒の安堵の涙が流れた。
「ごめんなさい、クラリス、さん……あたしが、力に、なれなかった、ばかりに……!」
「そんなことはないさ。クロム殿のおかげで私達はこうしてここにいるんだし、そうやって心配してくれただけでも嬉しいよ」
「……クラリス、さん、なんか、また、少し、変わり、ました?」
「ん? そうか……? 私にはよくわからないが」
泣きながらの謝罪を行い、それに対して優しく受け入れてくれたクラリスに感謝の念が沸き上がるクロム。
その際の声の調子と、手を離してからその眼に写し出されたクラリスの顔つきに、クロムはどこか以前とはまた違う何かを見いだした。
「おかえりなさいませクラリス様。明里様は大丈夫でしょうか?」
姉の帰宅に、リリアは両手を前に合わせて一礼で出迎えた。
「ああ、ちょっと色々あってな。疲れて寝てしまったらしい。起こさないよう静かにしてくれ」
「はい、かしこまりました」
リリアは、姉からの命令に従って声のボリュームを下げて返答した。
明里を背負ったクラリスは、そのままゆっくりとソファーへと向かい、その上に刺激しないようにゆっくりと、仰向けの体勢になるように下ろした。そして、風邪を引かないように毛布をかけてあげた。
「これでよし」
「……なんだか、本当に、雰囲気、変わったね。すごく、柔らかく、なったと、いうか」
「……もし変わったのだとしたら、それは明里のおかげだな」
外にいる間に、二人の中で何が起きていたのかは知る由もなかったクロムだが、クロムは確かに、クラリスから感触ではない人肌の温かさを感じていた。
その日の深夜、クロムは寝静まり、リリアも充電をしながらのスリープモードに入っていた頃、クラリスだけはスリープモードに入らずに充電用のケーブルを接続したまま目を覚ましていた。
明里に代わって、クロムがリモコン操作で二人をスリープモードにしようとした時、少し考え事がしたいからとモード操作を後回しにしてもらい、自分のタイミングで眠るためにリモコンを手渡されていたのだった。
クラリスは、扉の向こうの調整室から聞こえる小さな音以外は何も鳴っていない真っ暗な部屋の中で座り込み、今日一日起きた出来事を深く何度も思い出していた。
「本当に色んなことがあったな……これ以前にも私に自我が生まれていたら、その時もこんなことを思っていたのだろうか」
儚げな表情で自らの頬に触れ、そっと物思いにふける。
そんな中、ふと、帰ってからもずっと眠り続けている明里の方へと目が向いた。どうしても気になってソファーまで立ち上がって歩き、もうすぐ寝顔が見えるかもしれないというところで、後ろから引っ張られるような感覚に襲われた。
「なぁっ!?」
思わず情けない声を出してしまったクラリス。落ち着いてちょっと下がってから後ろを向くと、接続された充電ケーブルがピンと張っており、これ以上伸ばせない状態になっていた。
「……情けないな」
誰もこの恥ずかしい姿を見ていなくてよかったと安堵する。
もう一度改めて、ケーブルが限界まで伸びるまで歩くと、なんとかギリギリ明里の寝顔を見ることができた。その寝顔は、数時間前の爆発した感情とはうってかわって安らかなもので、見ている方も癒されそうなそんな表情だった。
「……今日は、本当にありがとう――明里」
心の底、本心からの真っ直ぐな言葉を小さな声で伝え、そのままクラリスはリリアの隣に戻ろうとした。
「くらりす……さん……」
「……」
小さく明里の声で、自分の名前を呼ばれたような気がしたクラリスは、寝言とは思いながらも、柔らかな笑みで軽く返してから寝静まったリリアの側まで戻っていった。
「そろそろ眠ろうか。やっぱりこういうところは、人間とは違うものだな」
やりたかったことを一通り終えて満足したクラリスは、明日に向けて睡眠を取るために、自らにリモコンを向けてスリープモードの操作を行った。
「自分で自分を機械で操作する……か。なんだか奇妙だな」
世にも珍しい自らを機械で操作する様に自虐をこめてほくそ笑み、クラリスは発生した眠気にゆっくりと身を委ねていった。
「これからもよろしく、明里」
小さく細いくすぐるような声で、聞こえないようにそっと呟くと、クラリスはゆっくりと眠りについた。
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