第52話

 必死の逃走の甲斐あって、明里達は一人もかけること無く研究所へと戻ることが出来た。

 しかし、ドラゴンの時と同様に、皆非常に消耗しており、暗い雰囲気を醸し出していた。

 クラリスには強く握られた手の痕が首に残り、人工皮膚が破れかけているような状態になり、リリアは魔法による攻撃を吸収しただけだったが、そのパワーの強大さに手のひらが焼け焦げていた。

 クロムは残っていた魔力とエネルギーを放出し、全力で起こした砂嵐の影響で身体が縮まり、満足に身体を動かせない上に核も剥き出しになっていた。

 エステルは顔面の人工皮膚が殆ど剥がされた上に首が真横に折れ、正常な動作は現時点では不可能なまでに痛めつけられていた。

 帰還してからすぐにクランによって調整室に運ばれ、頭を撫でて褒めてから修理が開始された。

 そして明里は、ずっと楽しみにしていた両親との再会、それが全て嘘である上に、既に二人とも死んでいるという事実、その両親の皮を被ったグールによる直接の襲撃、明里の心をぐちゃぐちゃにするような事柄が立て続けに発生したその結果、明里の眼からは光が消え、ずっと部屋の隅で踞ることしかできなくなっていた。

 比較的軽傷で済んだクラリスとリリアの二人は、それぞれ明里とクロムの側に着き、可能な限り回復させようと努めた。


「クロム様のお身体は……大丈夫なのでしょうか?」


「うん、大丈夫。苦しいけど、死には、しないと、思う」


 いつも寝転がってPCで遊んでいるテーブルの下に入っているクロムだが、縮んだ身体にそのスペースは大きかった。

 喋り、表情を変えるなどのコミュニケーションは取ることは可能だが、いつものようにキーボードを叩いてマウスを動かすどころか、PCを起動させる動作すらままならない程にクロムは消耗していた。

 そんな状態であるにも関わらず、クロムは優しく笑顔で、リリアの質問に答え気丈に振る舞った。


「元に戻るには、時間がかかりそうですか?」


「うん、何も、しないと、時間はかかる、けど、すぐに、でも、エネルギーや、魔力、それと、土や、砂が、あれば、元に、戻るかな」


「本当ですか!? それでは今すぐに……」


「できれば、2リットル、ジュースと、色んな、スナックで、お願いねー」


 適切な補給を行えばすぐに直ると聞いたリリアは、即座に行動に移った。その様子はまるでパシリ扱いのようでもあった。


「クロム殿は相変わらずだな……」


「こういう、時こそ、普通に、してなきゃね。あっちの、ことも、あるし」


「……」


 あっちのことと言われてから、クラリスが口篭る。

 帰還してからずっと沈んだままの明里に対して、クラリスはどう接すればいいのか、どう話しかければいいのか、どう慰めたらいいのか全く解らなかった。

 クラリスには両親が存在しない。それと似た意味では、開発者であるクランが一番近い存在ではあるが、クラリスは両親と開発者は似ているが全く違うものであることを理解している。

 親しい者が傷つき、さらにその姿を破り異形の者が襲ってきた事に対するダメージの大きさも、ぼんやりとは理解しているが、はっきりと理解しているとは程遠かった。

 クラリスは確かに自我を得た。しかしそれでも、本当の人間とは全く違う存在であること、そしてその間にある壁が、今の明里に対して自分が無力であること痛感させ、クラリスの心は沈んでいた。


「私は、どうしたらいいんだろうか」


「……今は、そっと、しておこうよ。こういう、時は、下手に、慰めても、逆効果、だったり、するし」


「クロム様、ジュースと菓子を持ってきました」


 ちょうどいい話の区切りで、リリアが大量のジュースと菓子を運んできた。

 クロムは天国だと語るような目の輝きで、その山が運ばれるまでを悦んだ、

 目の前に正面から見るとクロムの姿が見えなくなる程の菓子とジュースの山が積み上げられ、早速手の届く位置に落ちたトウモロコシスナックの袋を開封する。

 そして、その一袋を今まで以上の驚異的なペースで口の中に含み、しっかりと噛んで飲み込んだ。


「よっぽど腹が減っていたんだな……」


「よかった。クロム様、あと必要なのは土と砂ですか?」


「うん。確か、土は、外から、持ってきて、くれれば……」


「はい、了解しました!」


 元気に食事をしている様を見て、喜んでいるような反応を返すリリア。

 その調子のまま、今度は外へと土を運び出しに笑顔で向かっていった。


「……優しいね、クラリスさんの、妹は」


「ああ、血は無くとも、繋がった自慢の妹だ」


「あっ、そういえば、調整室の、方の、冷蔵庫に、こっそり、冷やしてた、チョコが、あるから、持ってきて、もらっても、いい?」


「……いつの間にそんなことを」


「お願い……」


 クロムは自分が小さくなったことを最大限に活かし、目を潤わせて両手を重ねて懇願し、まるで小動物のような魅力的な可愛さを振り撒いた。


「っ……しょうがないな」


 クラリスは媚び媚びの動きをするクロムに、初めて感じる射ぬかれたような衝撃を胸に受けた。

 それに心を動かされたか、クラリスは渋々調整室に向かった。


「やった、可愛いは、正義」


 漫画のキャラクターから容姿を引用しているだけあって、クロムは今の自分が可愛いことをよく自覚している故のやり方である。

 冷蔵庫のチョコレートを探しに、クラリスは一人で調整室へと入っていった。入ってすぐに目にした光景は、肩から上が酷く損傷した状態で機能停止しているエステルと、それを全く集中を欠く事無く、何時にも増して真剣な表情で修理を行う主人のクランの姿だった。

 クラリスには目もくれず、ただひたすら、クランは目の前にいる機械を直すその姿に、クラリスは尊敬の念とあたたかいなにかを覚えた。


「……頑張ってください、ご主人」


 考える間もなく、自然と口から溢れた言葉を呟き、そのまま再び冷蔵庫へと歩みを進めた。

 チョコレート探しの為に冷蔵庫に入ってからしばらく経った後、再び冷蔵庫の扉が開くと、ところどころに霜が付着し、髪がまばらに濡れているクラリスが現れた

 その表情は呆れているような、もやもやしているような、そんな微妙な感情が混ざりあったような顔だった。


「なんであんな分かりにくいところに……」


 実質クラン専用の物となっている高性能な巨大冷蔵庫の中には、ダンボールの中にまとめられた無数のエナジードリンクや眠気覚まし、常用している冷蔵庫に入りきらなかったために移したが、それ以来結局使っていない野菜など、七割はまともな物が入っている。

 そのような冷える倉庫のような場所の中で、クロムがこっそりとチョコレートを置いたのは、端っこの積み上がった荷物の影に隠れた箇所という非常にわかりにくい場所であり。その前にはさらに別の荷物が壁のように立ちはだかっていた。

 下手に崩さないように少しずつ荷物を移動させながら進んでいたクラリスだったが、うっかり崩してしまい、その結果、身体中の霜や濡れた髪の状態になってしまっていた。


「しかもこれは……チョコというよりチョコレートチップス?」


 さらに冷蔵庫に存在していたのは、クラリスが知りうる中から考えた板チョコ等ではなく、そこにあったのはポテトチップスにチョコレートをかけた物であり、それが混乱に拍車をかけて時間が余計にかかってしまっていた。


「……まあいいか。早くこれをクロム殿に……」


「クラリス、さん! 明里、さんが……」


 調整室から帰ってくると、クロムが声を振り絞ってクラリスへ何かを伝えようとしていた。それをしっかりと聞き取り、明里に何かあったのではと、それまで踞っていた場所へ視線を向けると、その明里がいなくなっていた。


「クロム殿、明里はどこへ行ったんだ?」


「それが、『ちょっと、気分を、変えてくる』って、言って、そのまま、外に……」


「なんだ、それなら別に……」


「よくない! 今の、状態、だと、どこに、行くか、わからないよ! 止めようと、したけど、そのまま、無視して……」


 クラリスはそれを聞いて、自分がベルアにズタズタに心を痛めつけられた時の事を思い出した。

 主人の言葉に傷ついて外に飛び出し、それから泣きながら人工皮膚を自ら剥ぎ、当てもなく逃げ出した後に屋根の下でじっとしていた時の事が、クラリスの頭の中、胸の中で反響した。


「そうだ、私もそうだった。私も張り裂けそうな辛さに耐えきれず、考えも無くどこかに飛び出して行ったんだ」


 一度自らの手で人工皮膚を剥いだ左手をじっと見つめ、握り拳を作った後、視線を入り口へと向けた。


「……リリアはまだ戻ってきていないんだな?」


「まだ、土や、石を、取りに、行ったきり」


「わかった。私一人で明里を探してこよう」


「探す、宛は、あるの?」


「少しだけなら……それじゃあ行ってくる」


「待って! あたしも……っ!」


 クロムは明里を止められなかった罪悪感から、せめて自分も何か手伝えないかとテーブルの下から出ようとした。しかし力が入らず、立ち上がることすら出来ずにダウンしてしまった。


「クロム殿はリリアと共に待っていてくれ。無理をしたらそれこそ危ない。……それと、私が探しに出たことはリリアには言わないでほしい。きっと、私と共に探しに行こうとするはずだからな」


「……ごめん、なさい。こんな、時に、役に、立てなくて」


 クロムは自分のか弱さ、無力さにうちひしがれた。この非常時に力になることができないことに強く悔しさを覚えた。


「いや、クロム殿のおかげで今こうして動いていられるんだ。クロム殿には感謝しきれない。それでは、行ってくる」


 フォローも兼ねた感謝の言葉を伝え、クラリスは明里を探しに外へ向かった。その一言は、クロムの心に小さくも大きい安堵感をもたらした。


「……ありがとう、クラリス、さん」

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