第37話

 まだ空が青い頃、クラリスは何時もよりも早い時間に研究所への帰路についていた。

 歩き回る道中、様々なモンスターと交戦していったものの、復活してから初めて斬った時の感触や感覚、感情から慣れる気配はなく、逆に自身への不信感を募らせていた。

 何かに怯えているような表情で、右手を見つめながらクラリスは歩く。


「一体どうしたというんだ私は。今までこんなことはなかったはずなのに……ずっと倒れたままで腕が鈍ってしまったのか?」


 ふとクラリスの思考は、今発生している不可思議な感覚の原因へと向いていく。


「いや、倒れていたのは一週間程で、それだけでこんなことになるものなのか? 私の剣は、そんな短い時間で鈍る程度の物だったのか? ……そもそも、私はドラゴンにあれだけの攻撃を受けて、炎を直接受けて、なぜこんな短期間で問題なく動けるようになっているんだ? ……おかしい、思い出せば思い出す程奇妙な事が幾つもある。私は一体……」


 歩きながら思考していたクラリスは、とうとう立ち止まり両手を見つめる。

 自分の中にある今までの出来事に関する記憶、それぞれを紐解いていくと、明らかに不自然な点が無数にも脳裏に蘇った。

 考えれば考える程それは蓄積し、今まで自分の事を人間だと思っていた事に対してまで揺らぎが生まれた。自分は誇り高い騎士であり、間違いなくそこらの者よりも丈夫である自身はある。しかし、どこまで行っても人間は人間。全身を炎に焼かれて、こんなにも傷痕火傷痕が残らないはずがない。

 もしかしたら、自分は霊魂ではないのか、何かしらの要因で死した魂が一時的に形を持ってしまったのではないかと、今確かに自分がいるということすらも不安になり始め、震える手でクラリスは顔をべたべたと触り始める。


「私は一体……私は……なんなんだ……?」


「やっぱどの世界でもお前みたいな奴はそうなんのか、おもしれえな」


「っ!? 誰だ!」


 クラリスの正面、上空から男の声が耳に入ってくる。その声がした方向へ視線を向けると、そこには両手をポケットに入れ、背中からまさしく悪魔のような翼を生やした長身の男が、クラリスを見下ろしていた。

 今まで一度も遭遇した事のない翼を持った謎の人型の相手に、クラリスは言葉を失い目を見開く。そして切羽詰まった心情と状況から声を振り絞り、投げかける。


「なっ……何者だ貴様は!?」


「そういやお前とは初対面だったな。俺はベルア。こっちでも俺みたいなのは……悪魔って言えばいいのか? まあそういう類の者だよ」


 親切なのか余裕なのか、堂々と名を名乗った後に、悪魔という単語が相手の口から聞こえる。直後、クラリスは覚束ない両手で剣を引き抜き、なんとか引き締めた表情でベルアを睨み付けた。

 そんなことは気にするにも値しないと言わんばかりに、ベルアはゆっくりと地面に足を付け、両手を外に出してそのまま腰へと当てる。


「……その悪魔が、この私に何の用だ?」


「いやー、お前みたいな面白い奴を見かけるとついちょっかい出したくなるんだよな。……機械人形とかな」


「機械人形……?」


 それが自分に向けられた言葉だったのか判断できなかったクラリス。もう一度剣を握り直して攻撃の準備を整え、何か怪しい動きを見せた瞬間即座に攻められるように構えた。

 それを嘲笑うかのように、溜め息をつくような仕草を見せる。直後、ベルアの右手が黒く光る。その光は右手を覆うように球体を作り始め、まるで小さな太陽のようなエネルギー弾となった。


「なっ……!」


「やっぱり自覚ねえんだな……飽き飽きするくらい見た反応だが、こればっかりは面白いもんだな。そらよ!」


 作り出した球体を、野球ボールを投げる要領で振り下ろすように投げつける。

 気だるげなフォームからは想定出来ないであろう速さで、エネルギー弾はクラリスに向かって飛んでいき、そのままクラリスの目の前の地面に着弾した。

 その速度から避けることも下がって距離を取ることもは不可能だと判断したクラリスは、即座に剣を右手で持ち、両腕を交差させて左足を一歩後ろに下げて防御体勢を作った。

 着弾したエネルギー弾は爆発を起こし、大きく砂煙を巻き上げた。威力そのものは大したことはなかった代わりに視界が遮られ、前方の状況がほぼ目視出来ない程になっていた。


「クソッ、目眩ましか!」


 一度振り払い、なんとか視界を確保しようとした次の瞬間、砂煙を突き抜けその中から狂気を孕んだ笑みを浮かべるベルアが現れた。

 最初からベルアはエネルギー弾を命中させる気など無く、一瞬で距離を詰めるための手段として使用していたのだった。


「しまった、懐に入られた!」


 直接攻撃を許す範囲内まで瞬く間に侵入されてしまったクラリスは大きく焦り、振り払おうとした腕をそのまま防御体勢へと持っていこうとする。

 しかし、その時既にベルアの腕はクラリスの頭へと伸ばされていた。


「さあ、てめえの記憶を読ませろ」


 長い金髪ごとクラリスの頭を鷲掴みにし、強く握る。再び右手が黒い光に包まれた。


「がっ……あぁ……!」


 強く頭を握られたクラリスは一瞬強い痛みのような感覚を覚えるが、それに怯むことなく逆にベルアの右腕を掴もうとする。

 しかし、頭を掴まれている間、クラリスは不思議と力が入らず抵抗することが出来なかった。

 同時に、クラリスの中に今日幾度となく体験した謎の感覚とはさらに違う、自分の中を無理矢理弄られているような感覚を不快感と共に味わった。


(この記憶の読み取りは生物にしか使えねえ。この機械人形の記憶を読み取れるってこたぁ……決まりだな)


 用済みと言わんばかりに、頭を掴んだ状態で手のひらをクラリスの額を強くぶつけ、転倒させる。

 尻餅をつき、剣を手放してしまったクラリスは、なんとかすぐにでも立ち上がろうと両手を地面に付き、上半身を持ち上げて右足を曲げる。


「こしゃくな……今度はこちらの……ば……ん……?」


 立ち上がろうとしたクラリスの目の前には、どこか楽しそうな邪悪な表情で眺めるベルアが立っていた。

 このままではやられてしまう。剣を突き立てることすら敵わなかった相手にここまで詰められては、為す術がない。クラリスが最後の抵抗とばかりに歯を食いしばり睨み付けたところで、ベルアがゆっくりと口を開く。


「なぁ、人間のふりをするってどんな気分だ機械人形?」


「……??」


 その表情から一方的かつ凄惨な攻撃が始まるのかと考えて身構えていたクラリスは、突然の意味の分からない質問に困惑し、頭上にハテナマークを作る。


「貴様は……何を言ってるんだ?」


「おいおい、もう誤魔化すのはやめろよ。もうてめえも気づいてんだろ? 自分が人間とは違うんだってよぉ? さっきそう考えてたもんなぁ?」


「!?」


 ベルアと交戦するほんの少し前、クラリスが自分の事について疑心暗鬼になり始めた時の事に言及され、心臓を弓で射抜かれたかのような衝撃を受け動揺する。


「貴様、なぜそれを……」


「俺は力の一つとして記憶を読み取れるんだよ。そしてついさっき、てめえの記憶を読ませてもらった。いやあお前面白いよな、あれだけの事をされても自分を人間だと思っていられるなんてよ?」


「な、何を言って……」


 戦う意思がはっきりと現れていたクラリスの表情から、徐々に力強さが無くなり始める。まるで自分の足元が周囲から崩れていくかのように。


「覚えてないなんて言わせねえぞ? 俺が今確かに読んだからな。てめえはその過去の記憶に疑問を抱けず、そして思い出すこともなかった。だが今なら思い出せるはずだ。そしてそれがおかしいと思うはずだ」


 ゆっくりとベルアは歩みを進め、股の下にクラリスの両足が来る位置で立ち止まり、戦意を失い怯える表情のクラリスを見下す。


「私は……ご主人に仕えて……私は……訓練を積んで強くなって……あれ、私はいつ訓練を積んだんだ? ……私の両親は? 故郷は? 子供の頃の私は……?」


 クラリスの中で渦巻く無数の矛盾が、ベルアの手によって間欠泉の如く噴出する。自分が人間ではない何かであり、記憶している何もかもが矛盾や違和感まみれという直視したくない現実が、クラリス自身の中から襲いかかってくる。

 そして皮肉にも、そのベルアによってもたらされた矛盾した過去を振り替える時間が、今日幾度となく感じてきた奇妙な感覚への疑問を氷解させていった。


「おかしいよなぁ? てめえみたいな成長した女が、昔のまともな記憶もないなんてなぁ?」


「……いや違う、そうだ、私は記憶喪失に……」


 考えれば考えるほど矛盾と奇妙な点ばかりが散見される記憶に、クラリスは苦し紛れの逃避の手段として記憶喪失を持ち出す。

 しかしそれに一瞬の不愉快さを覚えたベルアが、クラリスの顔をつま先で蹴る。


「ぐっ!」


「それでなんとかなると思ったのか? はっ、典型的な逃げの一言だな。今の蹴りも普通の人間なら首が折れてるぜ? だが一瞬痛がるだけでなんともねえ」


「やめろ……」


「お前みたいな痛みを感じない機械人形が、痛がるフリで人間になりきろうとしても無駄なんだよ」


「黙れ……」


 気分が高揚し、回る舌でクラリスへと事実を突きつけるベルア。

 クラリスの表情は締め付けられるような苦しみに歪んでいき、今にも耳を塞ぎたくて仕方がない震える両手は動けずにいた。どうせそれはせき止められるとわかっているからだ。


「そもそもどうしててめえはまだ生きている? てめえがいくらでも修理できる機械だからだろうが!」


「聞きたくない……」


「ドラゴンに黒焦げにされ! ドラゴンに地面に叩きつけられ! 顔半分皮破れて! 全身に電撃浴びて! 耳障りな音鳴らして! スライムに全身埋め尽くされ! 模倣ですらない魔法を武器を偽り! 腕が折れても何も感じず! かと思えば唐突に痛がるフリを覚え! てめえの仲間に瞼を切られ! 首を切られ! その首を何の疑問も抱かずぶら下げたまま動いて!」


「嫌だ……」


「それだけの事がありながらもてめえはこうして何事もないように動いている! それでもてめえは!」


「やめて……」


「自分を人間だって言い張るのかァ!?」


「やめろ!!!」


 ベルアは読み取った記憶からひたすら事実を並べ、心が弱まった状態から傷口に硫酸を流し込むように罵倒した。

 ベルアの口から出た言葉全てが、確かにクラリスの記憶の中にある。例え拒否しても忘れることの無い過去は、ベルアの言葉によって強制的にフラッシュバックされ、クラリスの精神を完膚無きまでに嬲り潰した。

 一度切られたはずの瞼を強く瞑り、耳を塞ぎ、必死に振り絞って大きな声で食い気味に発した拒絶の言葉も、ベルア相手にはなんの効果も発揮せず、ただの弱々しい降伏宣言となるだけだった。

 クラリスの表情はぐしゃぐしゃに崩れ、猛獣を前にした小動物のように震えながら今にも泣き出しそうな顔をしていた。しかし、クラリスの瞳からは涙は一滴も流れなかった。


「やめてくれ……嫌……やめて……」


「俺はただ事実を言っただけなんだがな。まあいい、てめえのその人間が傷ついてるように振る舞う姿、すげえ笑えたわ。しかもこれだけ言われても涙一つ流してねえんだもんな。てめえを造った奴は残酷だよなぁ? それだけ人間そっくりに造っておきながら人間らしい悲しみを見せることすらできねえんだから。そんじゃあな」


 散々罵倒を撒き散らして満足したのか、ベルアはクラリスから離れて後ろを向き、そのまま歩いてその場を離れていった。


「ああ、もう一つ言い忘れた事があったわ。さっき俺が喋ってた時、実はお前の左手踏んでたんだよ。ま、痛みがわからねえなら気づかないよな。そういや俺、見たからわかんだろうが魔法使えんだよな。んで、踏んだ足を通して軽く傷つけてやったんだよ。俺は親切だねえ……痛そうな怪我を教えてあげるなんてな」


 振り向き様に、ベルアはとても白々しくわざとらしい大声で、ひっそりと手を踏みつけていた事を、足裏からぶつけた魔法を含めて丁寧に教える。

 意識を全てベルアに集中させていたクラリスは、言葉の意味を考えながら、恐る恐る踏まれていたらしい左手をゆっくりと目の前まで持っていく。


「あ……あ……!」


 クラリスの左手には、中心部分にまるで刃物で貫かれたような細長い傷穴が作られていた。

 その傷からは血は一滴も垂れ落ちておらず、皮膚の下には無機質な機械が顔を覗かせている。

 この光景を目の当たりにしたクラリスはとうとう限界を迎え、流れない涙と共に、生まれたばかりの自我から振り絞られた悲痛な叫びがこだました。


「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

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