第10話

 クランの研究所へと連れてこられてから5日後の朝、動いてもほとんど気にならない程度に胸の痛みが引いてきた明里は、身体に自由が利くようになり始めたことを実感するために、大きく背伸びをする。

 まだ胸の一部分にじんじんとした感覚は生じるが、それ程問題にも感じない。


「う……うーーーん……ふぅっ、やっぱり動けるっていいですね!」


「おっ、おはよう明里くん。 ついに復活か」


「まだ痛みは残っていますけどね……でも、このくらいならもう動けますよ」 


 胸に手を当てて、以前よりもどこか一つの壁を乗り越えたかのような風格が増した眼差しで、クランを見つめる。


「そりゃいいことだ。それじゃあ快気祝いもこめた朝飯としようじゃないか。おーいエステルー!」


「カシコマリマシタ、マスター」


 孝太郎のいるコンビニからの用事も終えて、戻っていたエステルは、手早く無駄の無い手付きと動作で調理を始める。新しく朝食を作っている間に、冷蔵庫から作り置きらしき鍋を取り出して温めている。


「……ところでクランさん、なんだか前よりエステルさんの喋りが滑らかになってませんか?」


「アップデートしたからな。科学は日々進歩ということだ」


「なるほど」


 調理を終えたエステルは、てきぱきと料理を皿の上に載せていき、二人が座るテーブルの上に寸分の狂いも無く同じ配置で綺麗に並べる。

 二人の前には、作り置きらしき具沢山のポトフ、溶け始めたバターを乗せた食パン、ふわふわのスクランブルエッグ、エステルの手で搾られたオレンジジュースが揃えられた。


「おいしそう……いただきます」


「いただきます」


 サクッとした食感と食パンの甘味、バターの動物性油脂の味わいが明里の歯と下の上を駆け抜ける。

 その味を残したまま、コンソメやウインナー、ベーコンの旨味、人参や玉ねぎ、キャベツの甘味旨味が染み出し、崩れたじゃがいものざらざらした舌触りを含んだスープで舌を潤しながら刺激を加える。


「ううう……おいしい! すごくおいしいですよ!」


「アリガトウゴザイマス、明里サン」


「いやあ、日頃の健康はこういうところからだねぇ、うんうん」


「マスターハ、深夜ニスナック菓子ヲ食ベルコトヲオヤメクダサイ」


「あれは私の燃料だよ。あれは私の精神の健康でもあるんだからな」


「あはは……そういえば、クラリスさんは今どうなんですか?」


「クラリスはこの後改めて稼働予定だ。スライムの生態や傾向もある程度サンプルも取れたから、その対策を施しておいた。それと、クラリスの剣も新調してある」


 知らぬ間にスライムに浸食されていたクラリスは、今回新たにアップグレードされることとなった。

 クラリスがさらに強くなり、モンスター相手の心配が減ったことに安堵すると同時に、この短期間でクラリスの武装を強化、そして修復することに成功しているクランの技術力にただただ驚嘆した。


「クラリスを稼働させるところ、改めて見ていくか?」 


「はい! お願いします!」


 今のクラリスへの期待と心配、機械への情愛等、様々な感情が入り混じった輝く瞳で快く返事を返した。 


* * *


 クランに着いてきた先に広がっていたのは、以前にも見た光景。調整台の上で人形のように横たわるクラリスが目の前にいた。しかし、数日前とは違う箇所がいくつか見られる。

 まず、全裸ではなく、Tシャツと下着が既に履かされている。多少気になる点ではあるが、おそらくそれ自体には深い意味は無いのだろう。

 そして、側にいる間、ずっとクラリスのことを食い入るように見ていた明里には、何よりも気になる箇所があった。


「……気のせいかもしれませんが、クラリスさんの身体が大きくなってませんか?」


 明里が最後にクラリスの姿を見た時よりも、僅かに、だかほんのりと雰囲気でわかる程度に身長や胸なども含めて、全体的に身体そのものが大きくなっていた。


「さすがはクラリスの相棒。新たに機構や武装を追加するにあたって、そろそろ限界が来そうだったんでな。しかし、その分武装以外にも出力その他の面でもパワーアップしているぞ。前から計画はしていたが、短期間かつ機材のやりくりでここまでしたんだからな」


 作ったオモチャの説明をする子供のような声色で、苦労の吐露も含めて嬉々として明里に絡んでいくクラン。

 ぐわんぐわん口が回っていくが、途中で説明のし過ぎで事が進まないことにハッと我に返り、改めてクラリスを起動させる準備に移る。


「しまった、話が長くなってしまったな。それじゃあ起動させるぞ」


 クラリスの剥き出しにした端子から、ケーブルを使って接続された端末から操作し、コードを入力してクラリスを起動させる。


「信号を受け付けました。人型対策兵器クラリス、起動します」


 一度見た起動時の様子と全く同じように、システムメッセージや小さく鳴る駆動音、電子音が耳に入ってくる。


「起動しました。続けて擬似人格を起動します」


 以前聞いた物と同じシステムメッセージを喋り終え、再び目を瞑る。数秒経った後に再び目が開き、瞳に光が宿ったクラリスの顔が戻ってきた。


「よかったクラリスさん、無事だっ……?」


 目覚めた友へ喜びの声をかけようとしたが、クラリスはそれよりと先に動き、明里を抱き締めた。人体の負担にはならない程度の力で抱き締め、震えたような声で話し始める。


「心配していました明里殿!! ……そして聞きました、明里殿がスライムに襲われながらも、勇敢に戦って勝利したと。しかし、明里殿も気を失い、しばらく目覚めなかったと。私の不覚……」


「ううん、気にしないでくださいクラリスさん。クラリスさんは何も悪くないです」


「し、しかし……」


 本来ならば、実力を持った自分自身がか弱い明里を助けるべきである。しかし、そうプログラムされていながらも、それが出来ず不甲斐ない結果を見せてしまったクラリスは、明里に対してとても申し訳なさそうな表情を見せた。

 クラリスに対して、不満や不信感等は微塵も湧いていなかった明里は、優しくそれをなだめる。


「明里くんもこう言ってるんだし、素直に受け止めたらどうだ?」


 その横から、クランが面倒なしこりを残さないようにと明里を後押しした。


「御主人……わかりました。次はこんなことにならぬよう、私の全てを尽くしてお守りします!」


 二人の前で膝を付き、完璧に護衛をするという誓いを立てる。

 それを了承するように、クラリスの右手を両手で握って、輝かんばかりの笑顔で返す明里。


(これで二人とも回復はしたというわけだな……研究サンプルも手に入ったし、私もやる気を出さねばな)


* * *


「よし、それじゃあ行きましょうか!」


 久方ぶりの日の光を浴びて上機嫌の明里。自宅がスライムに侵略された結果、家に残されたままの衣服は必然的にほぼ全てお陀仏になってしまったため、新しくクランから用意された服を着ての外出となった。

 いつも履いているスカートよりも、多少丈は短めではあるが、むしろ動きやすくて良いと感じている。


「明里殿、本当に体調は大丈夫なのですか? それと、その……足の露出に抵抗は……」


 恥ずかしそうに視線を反らし、チラチラとスカートを見ながら質問する。クラリスの性格には、下着以外の露出の多い服には抵抗があると設定されているため、初々しさを感じさせるような反応を見せる。


「もうそこまで痛くもないし平気だよ。もしかして……クラリスさんスカート苦手なの?」


「うっ……だ、大丈夫ならも、問題ない! いきましょう明里殿!」


 機械的な物とはまた違ったぎこちない歩きで、質問丸々を誤魔化すように太陽の下を歩き始めた。


「意外な一面見ちゃったかも……あれ?」


 ふとクラリスが進みだした方向とは反対側の方へ視線を向ける。すると、今まで出会ったことの無い人影が視界に映し出された。

 離れた位置からの認識ということもありはっきりと断定は出来ないが、黒い長髪で純白のワンピースを着た少女のようなシルエットが確認できた。


「ねえねえクラリスさん、ちょっと……」


「なっ、ななななんでしょうか明里殿! 私はその服には何も!」


「そうじゃなくて! あれ……」


「ん、幼い少女があんなところで何を……?」


 クラリスもその対象の少女を認識し、二人はしばらく少女の動向を観察する。少女は周囲を何度もキョロキョロと確認しながら移動している事が見受けられた。どうやら何かから逃げるように動いているようだ。 

 その後もしばらく様子を伺っていると、すぐ側にそびえる駅ビルの中へと入り込んで行った。


「ちょっと気になりますよねあの子」 


「うむ、何かから逃げているならば、私達が保護したほうが良い可能性もある」


「そうですよね……行きましょうか」


 話し合う必要も無く意見は一致した。二人は少女を追いかけて、廃墟となった駅ビルへと走って向かった。

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