第6話 ルテミス
ラムズはルドの首筋にカトラスの切先を突きつけると、低く穏やかな声で言った。そして次の瞬間、ルドの腕を引っ掴み、投げるようにして彼を船長室の外へ出した。
「勝手に入んな」
ああ、この声。
ラムズはときどき、背筋が凍るような声をだす。声に温度なんてあるはずないんだけど、ラムズのあの声は冷たいって言うしかない。比喩なんかじゃなくて、本当に身体でそう感じられるの。
それに、彼は手も冷たい。さっき腕を掴まれたときだって、服越しとはいえその冷たさが伝わってきた。今が冬ってわけでもないのに。
「すんません! これから気をつけます! 入っていいっすか?」
ルドは馬鹿なのだろうか。うん、たしかに馬鹿だったような気もする。
ラムズは無言でジウに合図をした。ジウはルドの手を掴むと、スタスタと甲板の方へ歩いていった。
わたしも同じくルドたちのあとを追おうとして、用事を思い出した。くるりとラムズの方を向く。
「ねえ、サフィアっていう男、知らない?」
ラムズは首を傾げた。青い瞳がサファイアのように七色に光る。
彼の瞳は海の
鋭い右眼がひやりとわたしの目を撫でた。
「知らねえな。そいつがどうかしたのか?」
「ううん、知らないならいいの。ありがと」
ラムズはすぐに興味を失ったようで、部屋の奥に入って行った。わたしはその後ろ姿をなんとなく目で追う。
──海賊の
サフィアも、わたしにとっては王子様っていうくらい綺麗な顔立ちだった。
頬をパンパンと叩く。うかうかしてはいられない。彼のことは忘れなきゃ。
でも、例えばラムズのような人間以外の人を好きになれば、サフィアを殺すのも楽になるのかもしれない────。
ふっと頭に湧いた雑念を打ち消して、わたしは足を踏み出した。
船長室を出る。
薄暗い船長室とは違って、外はかなり明るい。太陽は
ラムズの宝石狂い具合は異常だった。あんだけ宝石を船長室に並べていたら、窃盗だって起こるんじゃないかしら。移乗戦中に盗まれたりとか? 何か対策でもしているのかな。
わたしは甲板を歩いて、何か手伝う仕事がないか辺りを見回す。すると、不意に後ろから若い声がかかった。
「おいっ」
振り向くとわたしとほとんど同じくらいの身長の男の子が立っている。茶色い髪に茶色い目。小柄で筋肉はあんまりないように見える。最近海賊業を始めたのかしら?
もちろん、彼はルテミスではなくただの人間だ。
「いきなり何よ?」
初対面で「おい」はないわよね。しかもきっとわたしの方が年上なのに!
振り向いたわたしに、男の子はぎょっとして目を
「悪い……。ちょっと教えて欲しいことがあって」
素直に謝られてしまうと、なんとなくこっちも戸惑ってしまう。それよりこんな血塗れの女によく声がかけられるわね。わたしもさっきロミューに言われて気付いたけどさ。
「わたしが分かることなら。でも、どうしてわたしに?」
「オレ、この前このガーネット号に乗ったばかりなんだ。お前は今回の新入りだろ。だから話し掛けやすいかなって……」
言葉尻が消えて自信が無さそうな返事。話しかけたのを後悔しているのかな。わたし何かしたっけ。
「なるほどね。さっきの移乗戦でわたしに殺されなくてよかったわね」
ちょっと得意げにそう言ったら、男の子は
失敗した! わたしが慌てて謝ろうとしたら、男の子がぼそっと呟いた。
「……人選間違えた」
「え? 何か言った?」
「なんでもねえ! あのさ、ルテミスってなんだ?」
「ルテミスを知らないでこの船にいたの?」
「おう。オレ、ペイナウ大陸から来たんだ」
ペイナウ大陸──。
なかなか
わたしは男の子に話しかける。
「ペイナウには
「
「そうよ」
「
神力持ちのうち、
(殊
男の子ははっとして、また口を開いた。
「ルテミスは
「そうよ。それに
かつて人間だった彼らは、『赤い髪と赤い瞳、そして
ルテミスは、意外と最近にできた新しい
「なになに、俺たちの話?」
トントンと肩を叩かれる。他の船員が来たみたい。噂のルテミス様だ。
赤髪はわたしのものより鮮やかで目立つ気がする。彼は髪の毛を短くしていて、
「メアリちゃんだっけ。俺話してみたかったんだよね、かわいいし」
──前言撤回。なんか浮ついてない?
ニヨニヨしながらわたしの頭をポンポン叩いている。でも顔は
「やめてよ! もう」
「そう
爽やか青年くんと人間の男の子くんが並ぶと、どうにも男の子の方が可哀想だ。身長もそうだし、それに体つきが……。まだ成長期だもんね! 頑張れ、少年!
せっかくなので、お言葉に甘えてルテミス青年の出した片腕にわたしは掴まってみた。青年は簡単に腕を上げた。
「んっ、よっと」
「わあっ!」
「え?! まじ? すげえ!」
男の子はどうやら青年くんとの色々な差は感じていないよう。素直に青年くんの凄さに感動している。
「よかったら君もやる? 片方の腕、空いてるよ」
青年はそう言うと、わたしが掴まっていない方の手をひらひらと動かした。男の子は目をキラキラさせながら「やる!」と叫んでその腕を掴んだ。
「はーい、ほらよ!」
「すげえ! オレも浮いてる!」
「二人ってすごいわね」
青年はわたしたちを腕に掴まらせたまま、余裕の声で話し始める。
「ほんとさ、人間の頃と比べて変わったよー。この筋肉すげえだろ? 前はあんだけ筋トレしてもヒョロヒョロだったのにさ……。神って偉大だよな」
わたしがくすくすと笑うと、青年も満足気に頬を緩ませた。わたしはぽんっと飛んで
でも、ずっと掴まっていてもきっと彼は疲れたとは言わなかっただろうな。本当に余裕そうだったもの。
「で、他に聞きたいことある?」
「えっと……そうだ! 筋肉以外は何が変わったんっすか!」
男の子の質問に、青年は柔らかい笑顔で返す。
「んー。あーそうだな! 怪我をしても痛くなくなったんだよな! 耐えられるっていうか、これくらいいいやって平気で戦っていられる。前だったら回復頼んでいたようなことでもな」
「たしかに。戦っているこっちとしてもそれは感じたわ。この前なんて腕を2本も折ったのにまだ戦おうとしてきたのよ? ルテミスって本当すごいわよね」
男の子はヒィッと息を呑んで目を見張った。わたしのことは強いって尊敬してくれないのかな。ちょっと落ち込む。
「ルテミスの仲間を殺した話なんて、今はしない方がいいんじゃ……」
「え? あ、そういうこと?」
「俺は全然気にしないよ。殺されたやつが悪いし、そいつが弱かったんだしな。メアリちゃんは強いんだなー! 俺のお嫁さんになってよ」
青年の言葉をわたしはハイハイと軽く流す。こういうのはテキトウにあしらうに限る。
というか、男の子はそれを気にしていたのか。人間ってそんなことまで考えるのね。ルテミスはどうなんだろう? 青年に聞いてみよっか。
「ルテミスになったら、やっぱりそういう気持ちってなくなるの?」
「仲間を思う気持ちとか? たしかにそれは消えたな。前は殺されたら怒っていたかもしれない。あとは、敵だったやつがいきなり仲間になるのも、今は全然違和感ないなあ」
「へえ……。オレにはそれ、わかんないや」
男の子はわたしたちを見上げながら複雑そうな顔をしている。横目でチラっとそれを見たあと、また青年に問いかけてみた。
「
「うん、もちろん酷いと思うけど、他の奴隷に対する気持ちと変わらないよ。ルテミスだからどうってのはない。ルテミスは力が強いからな。戦闘奴隷として需要があるのは仕方ないよ」
「元は同じ人間だったのに、変な話よね」
「
「たしかに!」
男の子はルテミスが奴隷にされていることについても知らないみたいだった。わたしたちの会話を興味深そうに聞いている。
男の子は青年の袖を引っ張って、また話しかけた。
「なあなあ、
「実は覚えてないんだよね……。目が覚めて鏡を見たら、髪の毛の色が変わってたんだよ」
「なんだそれ! テキトウだな!」
「だよな。俺の住んでいた辺りでは、ルテミスになった人間はいなかったからさ。最初は訳分かんなかったよ。いつもと同じ力を出しているのに、物が壊れたり痛いって言われたり」
「苦労したのね」
「もう慣れたけどな。それに人間の頃よりずっといいや」
いきなり姿が変わったら誰だって驚くわよね。しかもこの青年が
そういえばルテミスは、ある帝国付近で多く生まれたって聞いたことがある。それはなぜなんだろう。ふつう依授される人間が一定の場所に偏ったりしないのに──。
「おいエディ! いつまで女引っ掛けてんだよ!」
遠くから他の船員の声がした。同じルテミスの知り合いみたいだ。
「俺、呼ばれてるから行ってくるな」
「……あ、ちょっと待って。サフィアっていう名前の男を知らない?」
──サフィア。
わたしが探している男の名前。
彼を知っているか聞く時はいつも心臓が少し高鳴る。
彼らが答えるまで、一秒、二秒────。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます