047

 団長の娘のヤーナとTBは仲が良かった。ふたりは姉妹のように育てられた。もちろんヤーナはTBのような技術はまだ身に付けていなかったけど、普通の子供よりも筋はよかった。ヤーナにとってTBは憧れの存在だった。

 事件が起こったのはTBが十歳のときだった。ヤーナが綱渡りの練習中に落下した。まだ綱渡りは早いと団長にいわれていたにもかかわらず。しかも安全ネットも張っていなかった。

 団長たちはすぐに異変に気付いて倒れているヤーナを発見した。なぜこんなことをしたのかという団長の問いに、ヤーナは苦痛に顔を歪めながら無言でTBを指さした。

「私も気が動転していて、ニキに激しく詰め寄ってしまった。お前がやれといったのか、と。この子がそんなことをいうわけがないのに」

 団長はそういってTBから膝の上に組んだ手に視線を落とした。

 その後、医者のところにヤーナを運んで、必要なものを取りに戻った団長が見たのは、テントの外で血を流して横たわっているTBの姿だった。

「ニキは自分で自分の喉をナイフで突き刺したんだ。たぶん私はその場に呆然と立っていたんだろう。我に返ると、若い男女がニキの手当てを始めていた。まだ助かるかもしれないから、宿に運んでいくと彼らはいった。ようやく私は、その日ニキの件で医者が訪ねてくる予定だったことを思い出したんだ」

 事件の数ヶ月前、ニキを検査したいという医者から連絡があった。ニキのような症状を調べていると。できれば預かりたいとその手紙には書いてあった。

 でも団長はTBを手放す気はなかった。TBの症状はサーカスにとって有益でこそあれ決して有害なものではなかった。確かにTBが普通に暮らすのは難しい部分もあったけど、サーカスにいればその不便さも緩和されていると思っていた。事情を説明してその医者には引き取ってもらうつもりだった。

「だが、そのときの私には彼らにニキを預けるしかなかった。それから私たちはヤーナの看病にかかりっきりになってしまった。もちろんニキのことも気がかりだった。ニキを運んでいったのは若い夫婦でどちらも医者だった。奥さんのほうは、あんたみたいな肌の色をしていたよ」

 そういって団長は僕を見た。

「いや、肌の色だけじゃない。あんたはもしかして――」

「その医者の名前はドクター・マーシュ」

 団長がバーニィの言葉にうなずいた。

「ああ、そうだ。マーシュ夫妻だ」

「この坊やは彼らの息子だ」

「やっぱりそうだったか。君はお母さんによく似ている」

 僕がうなずくと、団長は話を続けた。

 ヤーナは命に別状はなかった。でも、一生杖なしでは歩くことができない体になってしまった。

 なぜあんなことをしたのか、ヤーナはなかなか口を開かなかった。団長夫婦もあえてそのことを無理に聞き出そうとはしなくなった。ヤーナが理由を話したのは事故から一ヶ月近く経ってからだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る