第30話「魔王のパートナーが、そこにいた」
アップデートで追加された、草原フィールド。
荒野フィールドと同じくトレーニングモード専用で、障害物の無いマップだ。
どこまでも広がる大草原。雲一つない空。360度すべてに地平線が広がっていた。
先日、俺と有依子が話をしていた場所。
隔離されていたはずのフィールド。俺はそこで、
「話がある。出てきてくれないか?」
虚空に向かって呼びかけた。すると、
――確認。プレイヤーを隔離します――
アナウンスが流れ、世界が暗闇に変わる。あっと言う間に隔離される。
「……やっと会えたな」
暗闇に声をかけると、そこに、一人の幼い少女が現れる。
長く、足下まで届く銀色の髪。真っ白な肌。身に纏う漆黒のローブは、右腕の袖だけが鮮やかな赤。そしてその右腕に、一冊の本を携えている。
「それとも、久しぶりだな、と言うべきか? ワールドグリモワールよ」
少女――グリモワールは、小さく頭を下げた。
「はい。お久しぶりです。魔王様」
*
ワールドグリモワールは、前世で魔王が創り出した、意志を持つ魔術書だ。
魔王が自分の魔術書に意志を持たせた、という方が正しいか。
魔王の魔法がキャストマジシャンズで再現されるのは。なんのことはない、魔王の魔法を知っているワールドグリモワールが、ゲームのAIグリモワールとして入り込んでいたからだ。
そもそも魔王は、勇者アリスに敗れた時に、魔術書を連れて転生をしていた。
『アリス、私は必ず、お前のホーリーランスを越えてみせよう! さあ、グリモワールよ。共に行くぞ! 生まれ変わり、新たな魔法を創り出すのだ!』
魔王の魂と共に、ワールドグリモワールはこの世界に転移してきたわけだ。が……。
「さすがの魔王の記憶でも、どうしてキャストマジシャンズのAIになっているのか、わからないんだが。説明してくれないか?」
「かしこまりました」
少女は頷き、語り始める。
「まず、魔王様が転生したこの世界には、魔力がありませんでした」
「ん? あぁ……確かに、ゲームの外では魔法は使えないな」
「そもそも黒き力との繋がりが無いのです。これでは、新たな魔法など創り出すことができません」
「魔王も、そこまでは計算できなかったんだな。まさか魔力の無い世界があるとは思わなかったわけか」
「しかしわたしは、この世界にはもう一つの世界があることを知りました。それが、この電脳空間と呼ばれる世界です」
「……なるほど?」
グリモワールが上に顔を向けると、頭上に星空が現れる。いや、点と線がいくつも繋がって……ネットワークか?
「わたしはこの電脳空間に入り込み、知識を得ました。ここは、なんでも生み出せる場所なのです」
「電脳空間なら……魔法を創れるということか?」
「いいえ。わたしが考えたのは、魔力の代替です。黒き力の再現をすれば、電脳空間で魔法が使えると考えました」
「なに? グリモワール、まさか黒き力を再現できたのか?」
「……できた、と。その時は思っていました」
「ふむ……?」
「電脳空間を渡り歩いていると、わたしはクリエイターと呼ばれる人物に発見されました。彼はゲームを作っていて、意志を持つ魔術書であるわたしを、AIとして組み込むことを考えたのです」
「え……マジか? そいつもとんでもないな……」
公式ページとかに名前が載ってたりしないかな。いや、知ってどうする? そのAIは俺のだ、なんて言えないし、言いたいわけじゃないからな……。
「彼は世界を創ってくれます。それは、わたしにとっても都合の良いものでした」
「……魔法を唱えることができる、ゲーム……か」
「はい。わたしはわたしが創り出した疑似的な黒き力を使い、唱えた呪文に応じて魔法を用意しているのです」
「あぁ、なるほどな……そういうことか。道理で魔王の魔法があっさり発動したわけだ」
俺が一人納得していると、グリモワールが首を横に振る。
「いいえ、わたしの創った擬似的な黒き力では、魔王様の魔法は再現できなかったでしょう」
「……どういうことだ?」
「やはり、完璧な代替にはならなかったということです。魔王様の魔法ほど強い魔法は再現できないと、途中で気付きました」
「だが、実際再現されたぞ?」
「はい。あれは……このゲームに多くの人が入ってくるようになって、比較的すぐのことでした。疑似的な黒き力に異常を検知しました」
「異常……? それは、なんだったんだ?」
「擬似的な黒き力が、本物の黒き力に入れ替わっていたのです」
「……は? なんだよ、それ?」
入れ替わった? そんなばかな……。
「記録を調べてみて、原因がわかりました。……勇者アリス。彼女の転生体であるユイコが、ホーリーランスの呪文を唱えたからです」
「……! いやまて、それでどうして黒き力が入れ替わる?」
「はい。魔王様もご存じの通り、ホーリーランスは白き力を使用した魔法です。本来なら黒き力は関係無いはずでした」
アリスのホーリーランスは、魔王の魔法と違い、黒き力を使用しない。
神の意志、白き力を汲み上げて魔法にしている。
やっていることは同じなのだが、その根源が違う。
(だからこそ、私の魔法に打ち勝った。だからこそ、その魔法を越えてみたい。神の力に、挑みたい――)
「わたしは白き力がわかりません。触れることはもちろん、理解することもできません。ですが……黒き力が、白き力の魔法に引き寄せられて、この電脳世界への扉を開き、入れ替わった。そう考えることはできます」
「……ははっ、そういうことか。なるほどな」
さっき俺は、魔王は魔力のない世界があることを考えていなかった、と思ったが。
そうじゃない。黒き力は引き寄せることができる。そう考えていたのか?
「キャストマジシャンズの世界に、魔力が流れるようになりました。わたしはより自由に魔法を管理することができます。……もっとも魔王様は、ご自身で黒き力を扱っていますが」
「まぁそうだな。……あぁそうか、発表された、次期アップデートのあれは……」
キャストマジシャンズの次期アップデート。
極大魔法の種類の追加と、専用魔法の実装。
前者は、俺が使った自己強化型の極大魔法のことだろう。
後者は、唱えた最初の人にしか発動できない、特殊な魔法だ。
もし他の人が同じ呪文を唱えても、まったく同じ効果にはならず、劣化したものになってしまう。オリジナルの効果は創った人だけが使える。それが専用魔法。
すべての魔法がそうなるわけではなく、専用魔法になるかどうかは、やはりグリモワールの判定次第。
俺の魔王の魔法や、魔王の水刃、魔王の宝杖、そしてホーリーランス・オリジンが専用魔法ということになる。
「あのアップデート。グリモワール、お前の仕業か」
「はい。魔王様が、気兼ねなく魔法を使えるように。わたしがシステムを改良しました。クリエイターの彼は、随分と慌てていましたが」
ゲームが勝手にアップデートされていたら、そりゃ慌てるよなぁ。
ちなみに魔王の魔法、ヴォーテックスハンマーなどの呪文は、今なら普通に記録することができる。俺が翻訳した呪文をこちらの世界の言葉で残すことができる。以前の動画も、何故か音声が直っていて、ちゃんと詠唱を聞くことができるようなっていた。
それも……キャストマジシャンズの世界が、アップデートで書き換わったから、なのか?
もっとも記録できたところで、専用魔法になっているから俺にしか使えないわけだが……なるほど、俺が気兼ねなく魔法を使えるようにって、そういうことか。
「色々と謎が解けたよ、グリモワール」
「……魔王様。わたしは、お役に立てましたか?」
「あぁ、もちろん。ものすごくな。……これからも頼むぜ。ホーリーランス・オリジンを越える魔法を創るには、ワールドグリモワール、お前の力が必要だ」
俺は魔王の外套、オーバードブラックフォースを創り出したが、それはホーリーランスを越えるために創ったものではない。
その、足がかりとして創り出したものだ。
あの恐るべきホーリーランス・オリジンを越えるのは並大抵のことではない。
一歩ずつ、登っていくんだ。そしていつか、越えてみせる。……神の力を。
「……魔王様。わたしはいつまでも、どこまでも、あなたについて行きます」
俺がグリモワールの頭を撫でてやると、嬉しそうな笑顔を見せて――ふっと、消えた。
暗闇だった世界も、大草原に戻っている。
「これから、どうなるんだろうな」
専用魔法が追加されたということは。
俺たちの魔王の魔法のような、特殊な魔法を使うプレイヤーが現れるということだ。
「……面白くなるのは、間違いないな」
遥か地平線の彼方に向けて、俺はニヤリと笑ってみせたのだった。
*
「遅かったじゃない。一人でなにしてたの?」
いつもの駅前のゲーセン、その隣のフードコート。
グリモワールとの会話を終えた俺は、待たせていた有依子の正面に座る。
「ちょっと話……じゃなかった、試したい魔法があってな」
「ふぅん? ……また、魔王の魔法?」
「ま、そんなところだ」
俺は誤魔化し、買ってきた炭酸飲料を飲む。
魔王のことは一応話したが……さすがにグリモワールのことまでは話せない。
「ホーリーランス・オリジンも、専用魔法ってことになるのよね」
「そうだな。あんだけ強いのをバンバン撃たれても困るだろ?」
「どうかしら。聞いてたでしょ? 詠唱すっごく長いのよ」
「まぁなぁ。使い勝手はアレンジ版の方がいいのか」
「そうよ。あれだって、作るの大変だったんだから。なかなか上手く極大魔法になってくれないし。いっそのこと一から考え直した方が早かったんじゃないかって思うわ」
「そんなに苦労したのか……。ちょっとホッとした」
「うん? なんでホッとするの?」
「なんでもない」
あっさり作れたなんて言われたら、アレンジで苦しんでいた俺は立ち直れないからな。
「そうだ、有依子。すごく今さらな話なんだけどさ」
「うん? なに?」
「俺がキャストマジシャンズを始めたのって、あのホーリーランスの動画を見たからなんだが。……あれ、有依子だったんだよな」
「……そ、そうね。なによ、本当にいまさらね」
「俺、アリスのこと、すげぇカッコいいとか、憧れてるとか、惚れ惚れするプレイだとか、言いまくってたよな……」
「惚れ……?! や、しょうがないわよ、しょうがない。知らなかったんだから。もう忘れなさい!」
「しょうがなくないだろ。そう思った相手が、有依子だったのは変わりないんだから」
「うぅ……な、なんなのよ、もう。突然……」
「特に意味はないっていうか……なんか唐突に最初の頃のことを思い出したんだよ。つーか話してて恥ずかしくなってきた」
「なにしてんのよ! 恥ずかしいのはわたしの方なんだから! ……そうよ、あの頃だってすっごく恥ずかしかったんだからね? 知奈ちゃんも未咲先輩も憧れてたとか言うし……あぁ思い出しただけで顔が赤くなってきたわ」
有依子って意外と恥ずかしがり屋なんだよな。
思い返せば、有依子の様子がおかしい時って、アリスのことを話していた時だ。
……なんで俺、気付かなかったんだろう。
「あぁ~もう、ほんとダメ。ネットで動画の拡散は止まったけど、わたしの顔は広まってるのよね。アリスとして。大会に出た時に覚悟してたけど、やっぱり恥ずかしい!」
ちなみに、アリスの顔がカワイイ、美人だ、と噂になっていることは、知っているんだろうか。……知らなさそうだよな。
「いっそ、大会には顔を隠して出るか? アバターのコスプレってことで、仮面付けるとか」
「えぇ~? それはそれで目立って恥ずかしいわよ」
「こないだのサングラスも結構目立ってたけどな」
「あれは……いいのよ。オシャレだから」
「ん~~、しかしそうなると、どうすればいいんだ?」
「い、いいわよ。そんなの。我慢するから。大丈夫」
「そうもいかないだろ。これ以上、有依子の顔を広めるわけにはいかない」
「……なんで? な、なんか、広まって欲しくないみたいな言い方だけど」
「え? ……そ、そうか?」
「そうよ。……なんで?」
気が付くと、有依子は真剣な顔で、俺の顔を覗き込んでいた。
頬を赤く染めて、なにかを探るように……なにかを期待するように。
「俺は……その、有依子のファンが増えたりしないように、というか」
「ファンって……。なんで? なんでそう思うの?」
「えぇ? いや、それはだな。俺は……お前が……」
「え……晃太……? わ、わたしが……?」
俺は、有依子が――?
「未咲さん、いまだに私たちのバトル、ネットで話題になっていますよ」
「ん~知奈ちゃん、もうあんまり気にしない方がいいよそれ。たぶん」
その時、聞き慣れた声が近付いてきた。俺は咄嗟に答える。
「心配だからだ! ほら、ストーカーとか怖いだろ?」
「そ、そうよね! うん。そういうの、気を付けないとね!」
「いまだにそういう物騒な事件を聞くしな。あははははは!」
「そうね。ふふ、ふふふふふふ!」
「……晃太くん? 有依子ちゃん?」
「おはようございます……。お二人とも、どうなさったんですか? 顔が赤いようですが……」
未咲先輩と知奈が、俺たちの座るテーブルの側にやってきた。
「なんでもないわよ? なんでもない、なんでもない」
「そうともなんでもないさ。あはははは」
文字通り、俺たちは笑って誤魔化した。しかし内心は、大慌てだ。
あ……あっっぶねぇぇぇぇ!
今、俺、有依子になにを言おうとしたんだ?
――いや、なにも言おうとしていないな。ストーカーの心配をしていただけだ。
(理解不能だな。何故違う答えで納得しようとするのか――)
黙ってろ! 魔王!!
「なんだかわかりませんが……」
「すっごいタイミングで、あたしたち来ちゃった気がする」
気のせいだ。気のせいだから、それ以上つっこまないでくれ、頼む。
「ま、いっか。それより、アップデート。正式に来たね」
「え? あ、あぁ。そうっすね」
未咲先輩と知奈が隣のテーブルに座る。
俺は軽く頭を振って切り替えた。
キャストマジシャンズのアップデート。例の極大魔法と、専用魔法の追加。
「私たちの魔法より、強い魔法が現れるということでしょうか」
「そういうこともあるってことだな」
「ふふん、望むところだよ」
「でも本当に思いきったわよね。環境がガラリと変わるわ。戦法だって一新されるかも」
有依子の言う通りだ。それほどに、今回のは大きなアップデートだった。
……その原因が俺というか、グリモワールにあるわけだが。
「でも大丈夫ですよね」
「そうだね。晃太くんがいるし」
「え? お、俺?」
知奈と未咲先輩が、俺の方をじっと見る。
「だって、魔王の魔法、まだありますよね?」
「あたしたちの魔法、もっと強くしてくれるんだよね?」
――あぁ、そうか。そうだ。
ホーリーランスを越えるという目標はあるが、いまの俺には、もう一つ。
自分が創りたい魔法を創る、という目的がある!
そしてそれは、自分のためだけの魔法ではない。
「……ははっ、はははははっ!! 当然だ、任せろ!」
魔王の水刃や魔王の宝杖で満足していたらダメだ。
二人にはもっと強い魔法で戦ってもらわなくては。
知奈と未咲先輩には、魔王の仲間として、最強になってもらう。
そのための魔法を俺が創るんだ。
……これほど楽しくて面白そうなことはない!
そしてもちろん有依子にも、新しい魔法を――
「……そうよね。わたしも、ホーリーランスだけじゃダメね。環境は変わっていく。どんどん強い人が出てくる。わたしも、新しい魔法を創ろうかな」
――さすが。言わなくても、わかっていた。
有依子にも、新しい魔法をどんどん創って欲しい。黒き力ではない、白き力による魔法を。
「有依子。俺と一緒に、魔法を創っていこう」
「晃太……。うん。一緒に、最強の魔法を創りましょ」
かつて魔王にとって、勇者アリスは弟子であり、越えるべき目標であり、そして敵になってしまった存在だった。
やがて二人は転生し、隣で戦う仲間になる。
共に、魔法を創り出す――パートナーに。
ひょっとして、魔王が本当に望んでいたのは……。
(……………………)
魔王は、なにも応えなかった。
俺は椅子から立ち上がると、グローブを着けた右腕を掲げた。
「有依子と俺の魔法。そしてそれを使う知奈と未咲先輩がいれば、俺たちは最強だ。さあ、キャストマジシャンズにダイブしに行こう。魔王の魔法で、勝利をこの腕に!」
キャストマジシャンズの世界で、俺たちは叫ぶ。
勝利のための、魔王の詠唱を!
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