基山side
吸血 2
一瞬、水城さんが何を言い出したのかわからなかった。僕等は地面に座り込んだまま動けず、静寂が流れる。
「私の血を吸って」と、確かに彼女はそう言った。その言葉の意味を理解した瞬間、僕は声を上げていた。
「それは絶対に出来ない!」
水城さんがビクッと震える。脅かしたかったわけじゃないけど、僕はこれ以上彼女を怖がらせないよう声を絞る。
「血を吸えって、どういう事か分かってるの?」
「わかってるわよ。私の血を吸えば基山は回復するんでしょ。そうしたらまた二人で逃げられるじゃない。基山はもう限界でしょう」
「だからって……」
水城さんは分かってない。自分に流れる血が、吸血鬼にとってどんなに魅力的かを。
確かに彼女の言う通り、僕が血を吸えば二人で逃げられるかもしれない。だけど、彼女の血を口にした僕は、果たして冷静でいられるだろうか。
僕は未だ魔力体質の血なんて吸ったことがない。会ったのも水城さんが初めてなのだから当然だ。僕は初めて彼女の血を見た時、頭の中が真っ白になったことを思い出す。
ただひたすらに不安だった。彼女の血を見ただけでも心を乱されたのだ。それなのに血を吸った後、僕は果たして正気でいられるだろうか?
吸血は何かを成すべきための手段でしかない。ずっとそう教えられてきたはずなのに、僕は水城さんの血だけを求め、理性を失い、その血を全て吸いつくしてしまうのではないか。それがすごく不安だった。だから―――
「……やっぱり……できない」
「―――どうして?」
水城さんの顔に落胆の色が見える。なぜ血を吸おうとしないのか、本当に分かっていないようだ。僕はゆっくりと自分の気持ちを吐き出した。
「水城さんも見たでしょ、血を吸った犯人が凶暴になったのを。血の味に興奮して我を忘れているんだよ。そりゃあ、もともと強盗なんだからそう言う所はあったかもしれないけど」
僕も彼と同じ吸血鬼だ。同じようにならない保証などどこにもない。
「水城さんに流れている血は僕達に大きな力を与えてくれる。それこそ正気を失うくらいに。僕は血を吸った後、今のままでいられるか分からない。正気を失って水城さんを傷つけてしまうかもしれないのが、怖いんだ」
俯き、顔を見られないようにする。今の僕は、きっととても情けない顔をしているのだろう。本当はこういう時、格好よく彼女を守らなきゃいけないのに、自分自身と彼女の血を怖がって動けずにいる。
水城さんは、きっとこんな僕を軽蔑しているだろう。何もできない自分が悔しい。勇気が持てない自分が悔しい。好きな子一人守れない自分が悔しい。
さっきは水城さんを落ち着かせようと少し勇気が出せたけど、今度は僕の方が頭の中がグチャグチャになって、壊れてしまいそうだった。
そうして混乱する中、水城さんの呟くような声が意識を現実へと引き戻す。
「……私だって、怖いわよ」
水城さんはそう言って、そっと手を握ってくる。彼女の手は、震えていた。
「私、あいつに血を吸われた。それも二回もだよ。覚悟はできていたつもりだったのに、思っていたよりずっと怖くて……嫌だった……」
辛そうな声に思わず顔を上げたけど、水城さんも俯いていて、顔を見ることはできない。ただ、肩も震えていて、僕の手を握る彼女の手はあまりに冷たく、彼女が今とても辛いのを我慢しているという事だけはよくわかった。
「血を吸ってと言ったけど、それも本当は嫌だった。アイツを思い出すから。相手は基山なのに、基山とアイツは違うって分かっているのに。吸血鬼っていうだけで基山まであんな奴と同じだって思えてきて、とても嫌だった。気持ち悪いって思った。助けにッ……来てくれたのにッ」
水城さんの声に嗚咽が混ざる。目には涙を浮かべていて、彼女が受けた苦しみが痛いほど伝わってくる。
「本当は、また血を吸われるくらいならこのまま死んだ方がマシかもしれないって思った。さっきは基山に逃げてって言ったけど、血を吸われる時の事を考えたら、今度は私が基山を見捨てて逃げ出したくなった。基山なんてどうなっても良いから、自分さえ助かればそれで良いって。けど、やっぱり一人で逃げるのも怖くて、だから仕方なく基山に頼ったんだよ」
水城さんからぶつけられた言葉は、思っていたよりもずっとショックで。どんな酷い事を言われても仕方がないとは思っていたけれど、まるで言葉の一つ一つが研ぎ澄まされた刃物のように僕の心を傷つける。だけど―――
「私はこんな酷い奴だよ。私の血が吸えないって言うなら、初めから助けになんて来ないでよっ。今からでもいいから一人で逃げてっ。私のことなんて放っておいて―――」
気がつけば、僕はまた水城さんを抱きしめていた。彼女の言葉はとてもショックだったけど、それでも。そんな弱い部分を目の当たりにしても、僕は彼女を愛おしいと思ってしまっていた。
「……ゴメン」
腕の中にいる彼女に謝罪の言葉をかける。怖がっていたのは自分だけじゃなかった。水城さんもまた、込み上げてくる恐怖を押さえながら、それでも僕に血を吸ってと言ってきたのだ。
怖がっているのは二人とも同じ。だけど、僕は男だ。こんな時こそ、自ら動かなければならないんだ。
抱きしめていた水城さんをそっと放すと、彼女の右手にそっと触れた。
「―――ッ」
瞬間、水城さんがかすかに震える。なんだかいつもと逆だと思い、こんな状況にもかかわらず、少し可笑しくなった。
「ゴメン、怖い?」
「怖い……でも、基山なら、そんなに嫌じゃない」
「じゃあ、やっぱり少しは嫌なんだ」
水城さんは申し訳なさそうに目をそらす。
ちょっと残念だけど、無理もない。それだけ彼女は怖い思いをしたのだろう。だけど、それでも彼女は勇気をくれたから。僕は、ここで逃げるわけにはいかなかった。
正直僕はこの吸血を、魔力を得るためだけの手段だと割り切れたわけじゃない。魔力ではなく、彼女の血そのものを求めている僕も確かに存在した。
だけどそれは、彼女の体質なんて関係無い。僕が欲したのは『魔力体質』の血ではなく、『水城皐月』という一人の女の子の血なんだから。
そんな下心があるのは、やっぱり良くない事だけど、絶対に彼女を傷つけるような事だけはしない。最後には二人で笑っていたいから。
僕は彼女の細い指に、そっとキスをするみたいに口をつけた。
両親以外の誰かの血を吸うなんて、初めての経験だ。牙を立てると、口の中にゆっくりと血の味が広がっていく。
(………熱い)
彼女の血はとても甘く、まるで全てを溶かすような味だった……
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