吸血

皐月side

吸血 1

「―――ッ」


 私は血の付いた肩を擦り、爪を立てて掻き毟った。しかしそれでも血は取れてくれない。

 当たり前だ。シャツに着いた血がこんな簡単に取れるはずがない。だけど混乱する私は爪を立てるのをやめなかった。


「水城さん、落ち着いて!」


 基山はそう言ったけど、私はやめることができなかった。たとえ肌が傷つき、本当に血が出たとしても続けただろう。

 これがあると追ってこられるという恐怖もあったけど、何よりあの男の血が付いているというのがたまらなく嫌だった。


 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い―――


 せっかく逃げられたと思ったのに、どうしてこんなにも苦しまなきゃならないの!

 吐き気がする。泣きだしそうになる。それでも私は血を拭きとろうと擦り続ける。

 。

「水城さん!」


 基山が手を掴んできて、無理やり止めようとする。だけど私はそれを振り払った。


「いやっ」


 今は基山の好意でさえ煩わしく思えた。

 嫌だ――嫌だ――もうこんな思いをするのは嫌だ。そんな気持ちで頭がいっぱいになる。いっそこのまま気が変になってしまったらどれだけ楽だろう。私は再び爪を立てようとする――


「水城さん!」


(――――――えっ)


 一瞬、自分がどうなったのかわからなかった。正面に立つ基山が、両手を私の背中に回し、優しく抱きしめてくれている。


「―――ちょっと、基山?」


 体を動かそうとしたけれど、不思議と力が入らない。基山は背中に回していた右手を、今度は私の頭に持って行き、優しく撫でる。


「……大丈夫……大丈夫だから」


 私を落ち着かせようと、優しく言葉を紡いでいる。

 なぜだろう。基山の腕の中にいると、さっきまで混乱していた頭が徐々に落ち着いてくる。

 だけど心臓の鼓動は収まらない。むしろだんだんと大きくなっている気もする。しかし不思議と嫌な感じはしない。

 基山はそうやってしばらくの間抱きしめてくれていて、私が落ち着いたのがわかるとそっと手を放した。


「………ありがとう」


 照れながらも、基山にお礼を言う。基山はそんな私から一歩、二歩と後ろに下がり……ふらついて尻餅をついた。


「ちょっと、基山?」


 すっかり忘れていた。基山は女子アレルギーだった。

 それなのに私を落ち着かせるためにあんな―――ハグのようなものをしてくれたのだ。相当無理をしていたに違いない。


「基山、大丈夫?」

「だ、大丈夫…大丈夫だから」


 そうは言うけど、とてもそうとは思えない。一応笑顔は作っているけど、引きつっているし。無理をしているのが丸分かりだ。


「無理しないでよ。女子アレルギーなんでしょ」

「それはそうなんだけど……どちらかというとこれは力を使いすぎたからで」

「力?どういう事?」


 気になって顔を近づけると、基山は慌てたように少し身を引く。力というのが何のことかは分からないけど、やっぱり女子アレルギーも原因だと思うけどなあ。


「実は昼間から魔力を使いすぎていたから、ちょっとふらついたみたい。けど、もう平気」


 そう言ってよろよろと立ちあがる。そう言えばさっき私を追うのに術を使ったって言っていたっけ。

 もしかしたら昼間の攻防でも魔力を使っていたのかもしれない。基山の様子から、魔力を使いすぎると体に負担がかかるらしいというのはわかる。そうでなくても基山はあの男にやられて怪我をしているんだし、これってかなりマズいんじゃ?


「本当に大丈夫?」

「平気。それより水城さんは――」


 不意に基山の言葉が途切れた。そしてその表情は強張っている。


「アイツが、近づいてきてる」


 瞬間、私にも戦慄が走った。

 基山の行動で一瞬忘れてしまっていたけど、私に付いているのはたぶんアイツの血だ。おそらく基山の言っていた術とやらを使って私の居場所を突き止め、追って来たに違いない。

 どうしよう。基山は平気だって言っているけど、どう見ても強がりだし。


「アイツがこっちに向かってるって、間違い無いの?」

「うん。さっきアイツを殴った時に僕の血が付いているはずから、今の僕にはアイツの居場所が分かるんだ」


 絶望的だ。

 警察は全員やられてしまったのだろうか。いくらなんでもそれはないだろうけど、基山の言う通りだと男が警察の手を逃れ、こっちに向かってきているというのは間違いない。

 どうしたら良い?アイツの血のついている私は、おそらく逃げてもすぐに追いつかれるだろう。だけど、基山なら。

 そこまで考えた私は、湧きあがる恐怖心を抑えて基山に言った。


「私が囮になるから、基山は逃げて」

「ちょっと、何言ってるの?」


 基山は慌てた声を出す。


「逃げるのなら水城さんでしょ」

「アイツの狙いは私よ、基山じゃない。それに私にはアイツの血が付いてるから、絶対に見つかる。一緒にいたら絶対基山だって危ない目に遭う」

「だからって」


 私は断固譲る気はないけど、基山も引こうとしない。こうしている間にも、男はこっちに近づいてきているはずなのに。


「とにかく、僕は逃げない。ここで逃げたんじゃ、来た意味が無いもの」


 そう言う基山の顔には、やはり疲労の色が見える。それでも基山はあいつが来たら、きっと私を守ろうとするだろう。そうしたら、今度こそ無事では済まないかもしれない。



(考えろ、考えろ、何か方法はあるはず―――)


 座り込んで思考を巡らせる。あいつは今、どれくらい近づいているのだろう?

 せめて警察と闘って消耗してくれていればいいけど、私の血を吸って大きな魔力を得ているのならそれも期待できないかも――あれ?


 一つアイディアが浮かんだ。もしかしたら二人とも逃げられるかもしれない。でもそれは私にとってとても嫌な、最悪な方法だった。


「水城さん、大丈夫?」


 よほど顔色が悪かったのだろうか、基山が心配そうに私を見つめている。

 自分がこれからしようとしていることを思うと気分が悪くなり、呼吸が乱れるのがわかった。だけど―――


「基山、お願い」

「何?言っておくけど、僕は逃げないから」


 そう言ったけど、それは的外れだ。私はもうそんなこと頼まない。頼むのは――


「私の血を吸って」

「………えっ?」

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