皐月side

特別な血 6

 さっきまでは茜色だった空も、今では暗くなってきている。五月だというのに山の傍だからだろうか、少し肌寒い。

 本当ならそろそろバイトを終えて八福荘に帰っている頃だろうけど、私は未だに小屋の中で、傷の男と二人でいた。


 本当は逃げ出したかった。この辺りの土地勘もないし、きっとすぐに捕まってしまうだろうけど。けど捕まった後で殺されてでも良いから、とにかくこの男の傍にはいたくない。

 こんなにも男を拒絶するのは単に危険な奴だからというだけでなく、やはり血を吸われたことが大きい。


 ―――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


 もう血を吸われたくなんかないし、吸った男がそばにいると思っただけでも虫唾が走る。これ以上一緒にいるくらいなら、死んだ方がマシだ。

 そう思っているのに。それでもいざ逃げようと思うと、足がすくんでしまう。そして何より――


(……八雲)


 死んだら二度と八雲に会えなくなる。その恐怖が、軽率な行動に走るのを思いとどまらせてくれた。

 男は簡易ベッドの上で横になって寝ている。お話では心臓に木の杭を打ち込めば吸血鬼は殺せるそうだけど、木の杭なんて無いし、あったとしても刺そうとした瞬間、返り討ちにあうだけだろう。何より私に実行しようという度胸がない。

 そんな事を考えていると、男はむくりと体を起こした。


「来たか」


 何が来たのかはわからなかったけど、男は私の腕を掴み引っ張る。


「何するのよ」

「安心しな、今は外に出てもらうだけだ。来てくれるよな」


 残念ながら嫌だとはいえない。私は言われるがままに男に連れられて小屋の外に出る。

 近くに街灯はないけど、まだ何とか辺りの様子を見る事は出来た。だけどどうして外に出たか理由が分からず、男を見上げる。


「もうすぐ警察が来る」


 視線の意味に気づいたのか、そう呟いた。

 私にはまだ分からないけど、おそらく優れた聴力で車のエンジン音でも聞き取ったのだろう。それにしても、直に警察は来るとは思っていたけど、思っていたよりもずいぶん早い。ペリカンに置きざれにされた男の仲間がこの場所を吐いたのだろうか。

 いや、そんな事はどうでもいい。問題なのは警察が来ると言う事は、また交戦が始まると言う事だ。そうなるときっと、こいつはまた私の血を吸おうとするだろう。

 すると案の定、男はさっき噛みついた左手を掴んできた。


「ひと暴れする前に、また吸わせてもらうとするか」

「いやっ」


 私は抵抗したけど、力でかなうはずもない。

 力任せに手を引き寄せられ、血がとまってきた左手の傷口に噛みつかれた。


「―――ッ」


 左手に痛みが走る。けれど私は痛みよりも血を吸われている事の方が嫌だった。私の体中を流れる血液が、左手から男に吸われていくのがわかる。


(気持ち悪い!)


 もう二度とこんな思いなんてしたくはなかったのに、私は自分の目に涙がにじむのを感じた。

 おそらく血を吸われ始めてからほとんど時間はたっていないはずだけど、私にとっては彼の吸血行為が、永遠に続く拷問のように思えた。


「―――ふぅ」


 ようやく口を離す。いったいどれくらい血を吸われたのだろうか。それが分からないのも、恐怖を与えた。まさか命に関わるくらい、大量に吸ったりはしてないだろうか。

 私はすぐさま後ずさり、男と距離を開けたる。


「おいおい、そんなに嫌がるなよ。傷つくなぁ」


 そうは言うけど、全く傷ついた様子は無い。それどころか満足げにニヤついている。


「それにしても美味い。今すぐ全部の血を吸いつくしたいくらいだ」


 恐怖を感じ、思わず身を縮める。

 この男にとって、私は単なる魔力の供給源なのだ。欲しい時に血を吸い、必要だから生かされる。私を道具、もしくは美味な食べ物のだとでも思っているのだろう。


 男はさっき私を殺さないと言っていたけれど、そんな事はわからない。邪魔になれば殺されるかもしれないし、つい多く血を吸いすぎてしまう事もあるかもしれない。そう思うと震えが止まらない。


「寒いか?けどちょっと我慢してくれよ。警察を追い払うまで俺の傍を離れるんじゃねえぞ」


 寒いのは苦手だけど、こいつから逃げられるならどんなに寒くたっていい。これから来る警察が男を逮捕してくれるよう、必死に祈る。

 やがて私にも車のエンジン音が聞こえてくる。何台ものパトカーが山中の畦道を越え、小屋の周りに集まってきた。

 パトカーの中から一斉に警官が降りてくる。だけど男は逃げる様子もなく、余裕の態度で警官を見ている。


「人質を放せ!」


 おそらく指揮をとっているであろう刑事風の人が男に呼びかける。けれど彼は従わないだろう。警察もおそらく初めから期待はしていないはずだ。

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