皐月side
非日常は突然に 3
どうしてこうなったのだろう?私は張りつめた空気の中、何度も思ったその問いを、もう一度繰り返した。
店に三人組の男が入ってきた時、最初やけに急いでいる人達くらいにしか思っていなかった。だけど次の瞬間、男の一人がナイフを取り出し、たまたま入り口近くにいた私に突き付けてきた時は頭の中が真っ白になった。
今は客も従業員も関係なく、人質となった私達は店の奥に追いやられている。人質がこんなにいても邪魔になるだろうと、さっき一部の人を開放してくれたけど、解放されたのは店長をはじめとする男性ばかりだった。
彼らにとっていい選択だ。もし抵抗されたとしても女性の方がねじ伏せやすい。
それに、極限状態では男より女の方が冷静でいられると聞いたことがある。下手にパニックを起こされても面倒だろう。その場合は私達にも危害が及ぶかもしれないから、こちらにとってもありがたいと言えるのかもしれない。
もちろん個人に言わせてもらえば、自分を開放してほしかったけど。
女性ばかりになったとはいえ、人質はまだ十人くらいいる。ふと横に目をやると、そこでは香奈が震えていた。
そんな彼女を見て、ふと罪悪感を覚える。自分が悪いわけじゃないという事はわかっているけれど、私に会いにさえ来なければ香奈はこんなことに巻き込まれずに済んだのだ。
私は、そんな香奈の手をそっと握った。
手を握られた香奈は一瞬体を震わせたけれど、それが私の手だとわかると、少し安心した顔を見せた。こういう時、見知った顔が近くにあると言うのはそれだけで支えになる。
私は仕事仲間もいるからまだいいけど、香奈はもっと不安だろう。手を強く握り返してくるのがわかる。
(それにしても――)
いったいこの状況はいつまで続くのだろう。こういう時時間が分からないというのは辛い。店内に設置されている時計はここからは丁度見えない位置にあり、ケータイはロッカーの中だ。
もっとも、犯人は早々に人質のケータイをすべて没収していたから持ち歩いていても結果は変わらなかっただろうけど。
ただ、ここからでも店の前をパトカーや警察が囲んでいるのはわかる。早く助けてほしいところだけど、人質がいるせいでなかなか踏み込めないのだろう。
もしかしたらこのまま生きては帰れないかもしれない。そんな不安が頭をよぎった。
こんなことなら中学時代に書いた恥ずかしいポエムを処分しておくんだった。引越しの時に燃えるゴミに出さなかったことを、私は後悔する。
(八雲、私が帰らなくてもちゃんとやっていけるかなあ――)
八雲はしっかりした子だ。私がいなくなっても周りの手を借りながら何とか生活していきそうな気がする。でも――
母が死んだ時のことを思い出す。八雲がまだ小さい頃に父が他界し、それから女手一つで私たちを育ててくれたお母さんも去年に亡くなった。
最初はその事が受け止めきれず、何だか心にぽっかり穴が開いたような気がしていたっけ。悲しくて寂しくて、このまま消えてしまいたい。そんな気持が私を支配していた。
けど、私には八雲がいた。
八雲がいてくれたから、お母さんが死んでも何とかやってこれたのだろう。そしてそれは、たぶん八雲も同じはずだ。
私は頼りない姉だけど、それでも八雲の支えになっていると自負することはできる。それなのに私が帰らなかったら、八雲はどうなってしまうだろう。
(八雲に寂しい思いはさせたくない)
もし立場が逆で八雲が帰ってこなかったら、私は今度こそ壊れてしまうだろう。八雲は私とは違う。だけど、誰だって一人は寂しい。だったらそうさせないために、ちゃんと八雲の元へ帰らなければならない。
顔を上げて犯人の方を見る。犯人達は苛だったように何やら話している。
私は何か役に立つものはないかとこっそりスカートのポケットに手を入れる。ポケットの中にあったのは、財布と小説のネタ帳、それを書く際に使用しているシャーペンだけだ。こんなもの何の役にも立ちそうにない。
犯人達は表にいる警察に、車や逃走資金を用意しろと言っている。それだけなら良いのだけれど、逃げる際に何人か人質を連れて行くとか物騒なことも言っている。
「連れて行くのは一人か二人ってとこか?大勢いても仕方がないだろ」
「それよりも、俺が血を吸っちまった方が良いんじゃないか。そうしたら警察を蹴散らして逃げられるぜ」
犯人の一人がギョロッとした目でこちらを見る。ゆうに身長百八十はあり、頬に傷のあるその男は、私達を見ながら不気味に舌なめずりをしている。
(アイツ、もしかして吸血鬼?)
そう言えば逃走中の強盗の中に吸血鬼がいるとニュースで言っていた事を思い出した。もしかして彼らがその強盗で、今は何らかの事情でここに立てこもっているのではないだろうか。だとしたら迷惑な話だ。
テレビを付ければこの状況がニュースで報道されているかもしれないけど、犯人達がテレビを見せてくれるはずもない。現場で人質になっている私達の方が遠くでテレビを見ているだけの人より状況が分かっていないと言うのはなんだか理不尽だ。
私は以前基山に聞いたことを思い出した。献血者の同意無しに血を吸っても大した魔力は得られない。けどここにいる全員の血を吸ったら少しは違うのではないか。
それとも、もしかしたらアイツは献血程度ではなく、危険なくらいの量の血を吸うつもりではないだろうか。傷の男は獲物を目の前にした獣のような眼で、脅える私達を見ている。
「やめとけ。もし外の警察にばれたら踏み込んでくるかもしれないぞ」
仲間の一人に制止され、傷の男は興が覚めたように私達から目をそらした。
思わず安堵のため息が漏れる。それは隣で話を聞いていた香奈も同じだったようで、一瞬手を握る力がやわらいだ――が――
「やるなら最後だ。金と車を受け取ってから、逃げる前に吸っちまえよ。遠慮はいらねえ、もし吸いすぎて死んじまったとしても、その時はその時だ」
話を聞いていた人質達に再び戦慄が走る。私はどうか警察が犯人の要求をのまないでほしいと祈った。
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