第9話 頑張ったけど

 その後、チヤコ先輩は何度も何度も言い方を変えてごめんなさいを繰り返した。


 僕を傷つけないように最大限に気を遣っているのは痛いほどよく分かったが、僕は最大限に傷ついていて、最大限に再起不能だった。


 その時、体全体からあの「ずーん」という音が聞こえてきた。というより、僕が「ずーん」という音と一体形になった、そう感じるくらい僕は「ずーん」という音に全身を指の先まで支配されていた。


 いや、支配されているというのも感じられないくらい、その感覚のなすがままだった。



 僕はその場を何も言わずに立ち去ろうとした。いや正確には何か言葉を発することなんて思いつきもしなかった。


 自分が何をしようとしているのかも分かっていなかった。とにかくすぐにそこから離れたかったのだ。


 それまで一度も女の子と付き合ったことがない、いい歳をした大人が初めて告白して玉砕したらこんなものなのかもしれないが、目の前が真っ白で、その真っ白に名前をつけるのなら「絶望」だったのかもしれない。


 大げさだけど、その時の僕は本当にそんな状態だった。そして僕はそんな自分に精一杯だった。その横できっとチヤコ先輩は戸惑っていただろう。


 このまま立ち去ってはよくない。自分の負ったような傷を相手に負わせられるかもしれないけど、そんなことをして何になる、踏みとどまるんだ、と僕は思った。



 その時だった。地平線の彼方から何かがすごいスピードで飛んできた。ワンダーねこだった。


 もちろん、街中での出来事なので、地平線など見えるはずもない。でも紛れもなく地平線の彼方からワンダーねこはやってきた。


 赤いマントがいつもよりも大きく揺れながら、「たま」と書かれたハチマキを光らせながら、ゆらぎない自信に満ち溢れた笑顔のワンダーねこが、すごい爆音で、すごい光速のスピードで、すごい猛烈な勢いで、足元から遥か上空までスパイラルを描きながら飛んでいった。


 爽やかな七色の砂埃が舞って、流星群のように華々しく散っていった。



 いつもワンダーねこが出てきた時にそうなるように、自信でみなぎった僕は、僕の想像する遥かに上の事を言い出した。


 本来なら、これまで付き合ったこともないのにここで振られて、その後は傷つかないようにますます守りに入って、また付き合うという事から遠ざかってしまいそうな僕が、なんとこう言い出した。


「先輩が好きな人がいる気持ちも尊重したいけど、僕も本当に先輩のことが好きだから、今の雰囲気に流されてつい言ったわけではないから、チヤコ先輩がその人と付き合い出して、その人から守ってもらえるようになるまで、できれば僕がチヤコ先輩のそばにいて、チヤコ先輩を守ってあげたい」


 言いながら僕はびっくりした。心の底からびっくりした。付き合ったこともない僕が、どこでこんな度量が大きく、且つ相手を思いやったような発言ができるようになったのだろう。


 自分に誰かが乗り移ったような気にもなったのだが、よく考えてみると、言葉の使い方から、確かにそれは僕自身が考えた言葉だと自分で実感できた。



 ただ、残念ながらこういうことは努力だけで何とかなるものではない。結局は相手の気持ちあってのもので、自分なりには相手を傷つけないように、びっくりするほど最善の発言だったが、チヤコ先輩にそれはあまり響いていなかったかもしれない。


 チヤコ先輩は困ったようにさらに真っ赤になりながら、でも笑顔でこう言った。

「ありがとう。そんなに言ってもらえてすごく嬉しい」でも言葉は続いた


「でも、それだけ真剣に言ってくれたから、自分の都合よく、それまでそばにいてほしいなんて言えないよ。そこまで言わせておいて今まで通りとはいかないと思う」そう言ったチヤコ先輩の目は少しうるんでいるように見えた。


「ごめんね。今はこういう表現が精一杯。改めてまたお話しようね」


 チヤコ先輩はそう言って走って去っていった。僕はなんとなく去っていくチヤコ先輩が綺麗だなと思いながらそれを見ていた。しばらくは、チヤコ先輩の残像をその道路に映し出してほうけていた。


 それで終わりだったが、それでも僕は振り絞ってさらに自分の気持ちを言えた自分を、いやその前に頑張って告白した自分も誇りに思えた。


 後悔することは何もないのだ。こう考えるとすごく胸のうちがスッキリした。あの時無言で立ち去るような終わり方をしなくてよかった。例え結果は同じでも。


 僕は自分で自分を誉めてあげることにして、涙をこらえて笑顔で先輩が走っていた駅の方に歩いてその場から離れた。段々寒くなってきた頃だったからか、空がすごく青くてすごくきれいだった。

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