第8話 決定的瞬間
これまで大学時代も全くモテなかったわけではないが、自分から告白したり好意を表現することを想像すらできていなかった僕は、実は女性と一度も付き合ったことがなかった。
しかも大学時代までは、少し女の子と仲良くなることがあっても、その度、あの「ずーん」という音によってやる気がなくなってしまい、それ以上進展する事は一度もなかった。
そんな僕が「相手から来てくれたら付き合うけど」という、ごく普通の、でも一世代前の人から見ると異様な感覚を持っていても不思議ではないだろう。
僕が今まで女の子と付き合ったことがないのは、女の子から告白されるほどはモテなかったから、というのがその理由なのだ。
そんな僕だけど、この時ははっきり意識した。いや、これだけ心臓の鼓動が明確に聞こえたら、誰だって意識せずにいられないだろう。
それはお酒の効果もあるのだろうけど、照れてるチヤコ先輩に対して、もう僕は全身真っ赤っかだけの存在になったような、そんな気がした。
だから僕は
「なんと。先輩に意識させるなんて、俺イケメンですね」
などという陳腐で意味のない返答をするので精いっぱいだった。
その後は必死に二人で別の話題に持って行った。次のサッカー日本代表のスタート時のレギュラーであるスターティングメンバーについて二人で予想して盛り上がって、その日は終わった。
その日の飲み会の途中で、失恋したタカナシ先輩が僕とチヤコ先輩のことをひやかす場面があったのだが、その時は結構もう酔っぱらっていて内容は覚えていない。
でも、その時チヤコ先輩はまんざらでもない顔をしていたので、なんだかこの想いは可哀そうなことにはならないのではないかという、ほのかな期待を僕は持ったのだった。
その後も僕とチヤコ先輩とは毎朝入り口のエレベータ前で挨拶したり、昼休みや外出の時に声を掛け合ったりするような仲だった。
先日の件から少し意識し始めた僕とは対照的に、チヤコ先輩は全くいつも通りで普通だったが、それは受付という外向けの仕事をしているからかもしれないと、僕は自分に都合のいい解釈をしていた。
十一月になって、一つ上の同期入社と僕の同期入社のメンバーによる、定期的にやっているテニス会に僕は参加した。僕は大学時代から課題だったサーブが少しうまくなり上機嫌だった。
テニスの後、昼ご飯をみんなで食べた帰り、一部の人は雑貨ショップに会社の備品を見に行く事になり、そのせいで、いつも同じ方向で帰る人が何人かいる僕の駅への帰り道はチヤコ先輩と二人きりになった。
それでその日も僕達は、たわいもない会話で帰り道を満たしていた。
「すっかりサーブがうまくなったね」とチヤコ先輩は僕に感心して言った。
「いや、今日はたまたまですよ」僕はそう謙遜したけど、まんざらでもなかった。みんなでテニスをする日以外も練習した成果が出てきたと思った。
「いいなあ、私とか全然うまくならないし」とちょっとチヤコ先輩がすね気味に言うのがかわいいなと思いながら、僕は
「でも、チヤコ先輩はバックハンドで打ち返すのが相変わらずすごくうまいですよね」
と返事し、ついつい一言付け加えてしまったのだった。
「そして、すごく綺麗だし」
チヤコ先輩は本当にすぐ赤くなる方らしく、その時もほっぺの辺りが、化粧をしすぎたんではないかと思うくらい、でも全く嫌味のない、かわいらしい赤さで染まった。
その一瞬で僕は何も考えられないくらい、頭の中が、胸のうちがチヤコ先輩の美しさでいっぱいになってしまった。
それで僕は何かごまかさないとと思って、反射的に慌てて付け足した。
「う、打ち方がですよ」
その一言で体制を立て直そうとしたのに、チヤコ先輩は一瞬で、一言で僕の努力を粉々にぶち壊した。
「もう。そんな順番で言われたら、ドキドキするじゃないのよ。やめてよ」
これがいけなかった。これがだめだった。これが最後の一撃だった。せめて「ドキッと」くらいの表現に留めていてくれたら、こうはならなかったかもしれない。
僕は混乱しながら、全くもって用意していなかった言葉を口にした。
「チヤコ先輩。前から気になっていましたけど、今はっきりとチヤコ先輩を好きなことに気づきました」
もう本当は自分ではどんな言葉を使って言ったのか覚えていなかった。後から聞いたらこう言っていたらしい
「好きです。チヤコ先輩。付き合ってください」
もうお互いに誤魔化しようのない、決定的な僕の告白を前にチヤコ先輩は困っていた。最初は恥ずかしがっているだけかもと思ったが、その返答の遅さは絶望的だと気付いた。
僕が気付いた少し後にチヤコ先輩はこう言った。
「ごめんなさい。他に気になる人がいて」
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