6 跳んで飛んで翔んで

「なかなかのSF値。特にそこの女の子。短髪の」


 懐から取り出したソリッドなデザインのサングラスをおもむろに着用したその女子は、遠ざかるヘリには眼もくれず、ここにいる一同を見渡しながらそう切り出した。


「エ……エスエフ、値?」

「ああ。エーテロン・カウンター、霊子計測器によるスピリチュアル・ファクターの実際値を指す。大規模な霊気集合体やエーテル・ボディはむろん、どんなに微弱な霊子エーテロンの残骸でも、一兆分率レベルで検知可能な優れ物」


 明らかに異国風の相貌。それでいて、その血の気の薄い唇から出てくるのは、ネイティヴの日本人と比べても遜色そんしょくない、流暢りゅうちょうな日本語だ。むしろ格式張った物言いの分だけ、俺の知り合い連中よりずっと知的に感じられる。ただ、奇っ怪な専門用語の羅列が、言っている意味をほとんど理解不能なものにしていた。


「フッ、面白い」額にかかる前髪を掻き上げ、新たに現れた謎の女子は低く笑った。「少々予定が遅れてしまったが、おかげで面白いものにありつけた。強力な霊剣に霊気をまとう女、木刀の四人にも霊子エーテロンの関与あり、と……おや、そこの坊やは」


 坊や? 俺のことか。見た目完全に同年代のはずなんだが。


「君は部外者。霊子エーテロンが少なすぎて測定できない。この場にそぐわない」


 部外者って言われても。いや、まあだからこそ、俺はここから逃げ出したいわけで。


「あなた、誰?」


 問いかけたのは、なかなかのエスエフ値と言われた短髪の女の子、つまりサナギだ。


「申し遅れた。ワチキはアルティア・ハイデルマン。今日からこの学校に通うことになった」

「え? じゃあ、あなたが転校生?」

「そう」


 そうって……転入生がヘリで来るかよ普通。


「取り込み中すまないが、誰かヘッドマスター、校長の所に案内してくれ」

「そこなる女性にょしょうよ。今はそれどころではない」リーダー格の仁が一蹴した。「邪魔立てするなら、お主も敵と見做すぞ」

「判った。では独りで行く。そこを通してくれ」

「それもならぬ」

「んー話にならんな。仕方ない、そこの坊やに頼むとしよう。君が一番無害そうだ。この中では」


 と言いつつ、アルティアと名乗った自称転入生は俺を素通りして鉄柵の前まで歩いていく。

 何をするのかと全員が見守る中、その転入生はいささかの躊躇ちゅうちょもなくスカートの裾を引き裂き、柵を乗り越えた。


「お、おい、その先は何もない……」

「何をしている。早く来い」


 転入生は荷物の中から何か大きな品を取り出し、それを手早くカートに取りつけると、二本あるベルトにそれぞれ腕を通し始めた。

 ……そういうことか!

 俺は一目散に駆け出した。


「ま、待て」

「逃がすか!」

「ちょ、ちょっと追一!?」

「山田さん!」

「サナギ、ルキは任せた……!」


 鉄柵をツーステップで跳び越え、逸速いちはやく転入生の許に辿り着く。既に転入生は屋上の縁ギリギリの箇所に立っていた。


「こことここを掴むんだ」


 指示された通りにベルトの一部を握り締める。


「こうか?」

「ああ」


 全ての箇所にロックを施した転入生は、ワン・ツー・スリーで飛ぶぞ、と言ったが、即座に首を振って、


「いや、郷に入っては郷に従えとのいいもある。一、二の三に変更する」

「なんでもいいから早く!」

「待てい!」

「待ちなさいよ!」


 追手とサナギは間近に迫っている。四人組の一人が柵を軽々と跳び越えた。


「いっせーのーせ! にするか。待てよ、そうするとカウントが一つ増えて紛らわしい」

「いいから飛んでくれー!」

「逃がすか!」


 男の手が俺の体にかかる直前、俺と転入生の姿は宙を舞った。


「追一!」

「山田さん!」


 転入生が紐を引く。加速度的に落下するかに思えた俺たちは、風圧を受けて開いた簡易パラシュートのおかげで、辛くも投身自殺の難を逃れることができた。


『結構な眺めじゃねーか。こういうのも悪くねーなぁ。次はもっと高い場所でやろうや』


 暢気なもんだなお前は。

 部活帰りの連中がたむろする玄関前を優雅に滑り、花壇脇の芝生にゆっくり着地する。


「あんた、いつもそんなの持ち歩いてんの?」


 当然のように目撃者からざわめきが起こる中、落ち着いた様子でパラシュートを回収する転入生に声をかける。


「ああ。フォーウォーンド・イズ・フォーアームド。備えあれば憂いなし」


 淡々とした答えが返ってきた。


「さあ校長の所へ連れて行って……」

「悪い! ほかを当たってくれ」


 俺は両手を合わせ頭を下げ、それから脱兎の如く、いやぶが如く逃げ出した。


「君、ワチキを置いていくのか」


 そんな声が背後で聞こえたが、追いかけてくる気配はない。九死に一生を得たことには感謝するが、今日はもう校舎に戻りたくない。


『なんかこの学校、変わった奴ばっか湧いて出てきやがるなあ』


 傍観者みたいな感想を述べるな。その筆頭がお前なんだよ。

 俺はひたすら走った。

 大抵長い休みが明けた初日は時の流れを遅く感じるものだが、今日一日の長さは異常だった。謎の男たちに襲われ、同級生の少女にも襲われ、終いにはクラスメイトの幼馴染みにまで襲われかけた。疲れた。心身ともにヘトヘトだ。

 後方で俺を呼ぶ青汰の声がしたが、無視して走り続けた。気づかぬうちに追い抜いていたのか。悪友の後ろ姿に考えが及ばないほど、俺は無我夢中で走っていたようだった。

 女子及び部外者の侵入を一切認めない男子寮が、安息の地のように思えてならなかった。そこを目指して遊歩道をひた走りつつ、俺はこれが長い長い夢の一片であってくれたらと心から祈った。醒めない夢はない。だったら今醒めてくれ。


『眼が醒めたら、もっとひどいことになってるかもしれないけどな』


 嘲笑気味に言われ、俺はそれでも構わないと思った。何が取り憑いたのかさえ判らない、こんなふざけた状況に比べたら。


 残念なことに、食事も風呂も断り寮のベッドで一分と待たずに眠りに就くまで、この嘘みたいな世界から覚醒する様子は一向に現れなかったのだけれど。

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