第七回 長沙王司馬乂は兵を聚めて評議す

 長沙王ちょうさおう司馬乂しばがいは朝廷での葛旟かつよ王戎おうじゅうへの怒りを見て、懸念が深まるばかりであった。

「二王と通じていることを察知されては葛旟の輩に謀を阻まれよう」

 そう考えると、私邸に還って幕下の部将を集めて事を諮った。集った者は上官己じょうかんき皇甫商こうほしょう王瑚おうこ王矩おうく宋洪そうこう董拱とうきょう陳珍ちんちん逮苞たいほう馮嵩ふうすう劉佑りゅうゆうの十人、長沙王が信任する勇将揃いである。

 長沙王は諸将に問うて言う。

「齊王は独り天下の政道を専らにしてその横逆おうぎゃく驕暴きょうぼうは知るとおりである。先日、河間王かかんおうより書簡があり、成都王せいとおうとともに入朝して齊王せいおうの罪を正さんとの意趣であった。孤もその議論に同じて協力を約する書簡を返したところ、二王は軍勢を発するに先んじて齊王の罪科を責める上表をおこなった。近日中に二王が軍勢を発して齊王との戦になるのは必定であろう。孤はこの洛陽らくようにあってどのように身を処するべきか。良策があればそれに従いたいと思うが、如何か」

 長沙王の麾下に馬咸ばかんという者があり、馬隆ばりゅうの長子にあたる。馬隆はそもそも齊王麾下の部将であったが、馬隆の死後に孤児となった馬咸を齊王は撫育ぶいくせず、馬咸は常々このことを深く恨んでいた。

 その馬咸は長沙王の麾下に加わって末席に控えていたが、長沙王の言を聞くと進み出て言う。

「先んじれば人を制すると申し、これは古より常のことです。齊王はただ葛旟と董艾とうがいの言を聞き、朝政を返上せず位にしがみついて権を専らにし、百官は誰もが不平を懐いております。早晩に必ずや変事が出来することは火を見るより明らかです。関中かんちゅうぎょうの軍勢の到来を待って余人に大功を奪われ、空しく手をつかねている必要がありましょうか。官民の怒りに乗じて先に義兵の旗を挙げ、与する者を求めれば左袒さたんして来る者は数え切れますまい。そうなれば、まずは宮中に討ち入って諸宮の門を閉ざし、公卿に令して天子を奉じ、将士に命じて葛旟、董艾、衛毅えいき路秀ろしゅう劉眞りゅうしん韓泰かんたい孫恂そんじゅんを捕らえさせ、世人のために誅殺すれば、桓文かんぶんきょというものです。時機を失ってはなりません」

 長沙王はそれを聞いて喜び、腹心の部将である宋洪そうこう上官己じょうかんきに画策を命じた。上官己が献策して言う。

「大事をなすにあたっては名分が正しいことを重んじます。数日の間は二王の軍勢の到来を待ち、一鼓に悪党を捕らえるのであれば、仔細を定める必要もございません。大王が独り軍勢を起こされては、ほしいままに干戈かんかを動かしたとのそしりを身に受けられることとなり、宜しくございません」

 その諫言に従い、長沙王は諸将に箝口令かんこうれいを布いて二王の軍勢の到来を待つこととした。

 

 ※

 

 数日を経ずして洛陽に密使が到り、長沙王に書状を呈して言う。

「河間王は李含りがん林成りんせい馬瞻ばせんらに三万の軍勢を与えて陰盤いんばんに兵を進められ、あわせて、張方ちょうほう郅輔しつほ張輔ちょうほらも同じく三万の軍勢とともに新安しんあんに駐屯しております。成都王の軍勢は南下して洛陽を囲んで齊王を攻めることと定まっており、それゆえ先行してお伝えに上がりました」

▼「陰盤」は長安ちょうあんの西、潼関どうかんの手前にある。

▼「新安」は『晋書しんじょ地理志ちりしでは司州ししゅう河南郡かなんぐんに含まれ、「新安、函谷關かんこくかんの居る所なり」とある。この場合、新安にある軍勢が前駆、陰盤にある軍勢は後詰ということになる。

 河間王の出兵を知り、長沙王は諸将を集めた軍議を開いて言う。

「河間王と成都王の軍勢が近日中には洛陽に到着するという。遅れをとれば葛旟、董艾らの奸計に陥って身を誤ることになりかねぬ。急ぎ二王に同調すべきと考えるが、諸卿はどのように考えるか」

 皇甫商が進み出て言う。

「二王が動かれるのであれば、事は必ずや成りましょう。従われるべきです。しかし、機謀は謹密でなくてはならず、余人に知られぬように事を運ばねばなりません。すでに二王の軍勢が外に威を張っているとなれば、齊王が洛陽の城門を閉ざして備えるのは必然です。そうなっては二王の軍勢が攻め寄せても易々とは入城できますまい。大王は齊王とともに朝政を執られる身、身の処し方も余人とは自ずから異なります。かつ、朝廷満座の権貴はすべて齊王の党与、東海王とうかいおうも齊王に与しております。一朝に事が漏れればたちまち禍が降りかかって参りましょう。事を行なうにも万全の策を定めてかからねばなりません」

 それを聞いた宋洪が勧めて言う。

司空しくう羊玄之ようげんしは齊王におもねらず、五公の驕横が朝綱を乱す有様を目にして眉をひそめております。大官中の智人と申してよろしいでしょう。この人と策を定めれば、必ずや良策を見出せましょう」

 長沙王は密かに人を遣わして招請しょうせいし、羊玄之は人目を忍んで長沙王府を訪った。相見の礼を終えると問うて言う。

「臣の才識は浅陋せんろうにしてしばしば齊王より叱責を賜り、その側近たちからは侮られていたずらに日を送っております。この度のお召しはどのような用向きでございましょうか」

「齊王が朝政を執るもその心は仁ならず、群小どもが大任を預かっておる。これに天下の人は怒りを懐き、先には河間王が上表してその罪を責め、即日に成都王とともに軍勢を合わせて齊王の罪を問うとの報せがあった。孤が朝廷にあって齊王を扶けようと図ったところで徒労に終わり、二王を助けて入城させるにも力及ばず、如何ともし難い。拱手傍観きょうしゅぼうかんしておっては張方の勇猛により城は陥れられ、一旦に洛陽が失陥すれば玉石は分かち難く、黒白こくびゃくを弁じるにも及ばず城内はことごとく禍を受けよう。ゆえに司空にご足労頂いたのは、その知恵を借りて良策を定めんと願ってのことである」

「そもそも殿下はどのようにお考えになっているのかをお教え下さい。おぼされるところをお伺いすれば、臣の拙謀を献上するに駑馬どばの力であっても尽くして余しますまい」

「孤は先に馬武威(馬隆)の謀を用いて国賊を除かんと図ったが、齊王の一党の勢威が盛んにして事を果たしておらぬ。心中は怏々おうおうとしており、司空の奇識きしきあるを知るがゆえ、此処に招いて良策を伺おうと考えたのだ」

「齊王は矜驕きょうきょう不道ふどうにして下民を暴虐し、人々の忿怒は言うに及びません。まずは軍勢を率いて宮中に討ち入り、禁門を閉ざして天子を擁するのです。ついで、『河間王と成都王が軍勢を合わせて罪を問うと宣言し、党与を集めて叛乱を企てるのみならず、朝臣を従えて内の助けとなそうとしておりますゆえ、一党を入れぬよう禁門を固めております』と斉王をすかし、その間に勅命を奉じて羽林うりん各衛かくえいの兵馬を遣わして齊王府を囲み、葛旟、董艾、路秀、衛毅らの身柄を拘束すれば、大事は定まりましょう」

「妙計ではあるが、羽林の衛兵どもは齊王と五公を畏れて従うまい」

「大王のご命令であれば、おそらくはそうなりましょう。しかし、天子の勅命とあれば従わぬ者はおりますまい。その上、先に河間王と成都王の二王が張方を先鋒とする三十万の軍勢を率いて洛陽に向かっているとの風聞もあり、これを耳にした者で朝廷に背いて齊王に加担し、三族を戮されることを望む者はありません。すみやかに決行されるべきです」

 長沙王はすぐさま諸将に命じてそれぞれの任と合図を定め、きらびやかな旗幡きはん戈矛かぼうを整えて雲龍門うんりゅうもんに駐屯させた。長沙王も自ら金鎧きんがいを着込み、親將の王瑚、皇甫商、王矩、陳珍らが率いる一千の軍勢とともに宮中に入った。

▼「雲龍門」は洛陽の内城の東壁に設けられた門。


 ※


 長沙王が晋帝しんていに上奏して言う。

「齊王の司馬冏しばけいは身の罪の逃れようがないと覚って謀反し、葛旟たちに命じて城門を封鎖させております。すみやかに一党を取り押さえねばなりません」

 晋帝は上表を真に受けて言う。

「朕の見るところ、齊王は専権するより心中はつねに物足りぬようであった。何事かを起こすであろうと思っておったが、案の定、謀反を起こしおったか。この罪を正すのに、王はどのように処するつもりか」

「悪事が明らかになった上は仔細を論じるにもあたりますまい。陛下におかれましては東華門とうかもんに上がって頂き、事を見届けられますよう。護衛の羽林の諸軍には『反逆者を誅して朝廷を安んぜよ』と勅命を降され、趙王、孫秀の時のような失敗を避けねばなりません」

 晋帝はこれが長沙王の謀とは露知らず、宦官かんがんを遣わして羽林の諸軍に勅して言う。

「齊王の司馬冏が謀反した。すみやかに王府を囲んで一党を捕らえ、ことごとく誅して容赦を容れるな」

 諸軍は勅命を受けると勇躍して齊王府に向かったことであった。

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