その14:仕置~昔ばなし「ももたろう」に曰く

 一四、おき



 真っ二つに割られた桃という奇妙な家紋が看板に添えられた小さな病院は、東京大空襲による焼亡を免れた古い長屋が現代いまも立ち並ぶ古めかしい下町の一角に所在している。

 太平洋戦争以前の風情を残す狭い路地の隙間へ無理矢理に押し込められたような洋館風の建物は、墨田区京島このまちに詳しい住民でもなければ東京都が有形文化財に指定したものであろうと誤解してしまうはずだ。

 正面玄関に立てられた看板からは洋館そこが町医者であることを十分に読み取れるのだが、割れた桃の家紋と共に記された医院名は余りにも不吉であり、初めて訪れた者は無数の槍を並べたかのような洋風柵の向こうに進むことを躊躇ためらってしまうだろう。

 やぶ整形外科医院――院長自ら「儂は生まれついての藪医者」などと称しているが、笑うに笑えない冗談とは裏腹に腕は確かであり、墨田区京島このまちでも最高水準のリハビリ施設まで完備している。

 〝藪医者〟とは確かな実績に裏打ちされた諧謔ユーモアであって、通院患者は誰も口にしない。営業妨害を企んだ者がを吹聴して回ったときには、院長室に飾られている十文字槍が窮屈な鞘から解放されるのだ。

 戦国時代の黎明期にと結び付いて巨万の富を築き、『鬼』の異名で畏れられた瀬戸内の水軍とも海運を巡って争った関西の豪商・やまおかと同じ家紋を用いている為、初代ももろうの末裔ではないかと噂する者も少なくない。

 院長秘蔵の十文字槍も本来はやまおかで取り引きされていた逸品なのであろう。一代で財を成した山岡桃太郎は寺社に押し込んで鐘や仏像を鋳潰し、にせがねを造り出すなど当時の史料にも極悪商人として記されている。桃太郎没後のやまおかは阿漕なやり口が祟って崩壊の憂き目に遭い、歴史の表舞台から抹殺された挙げ句、お寿という妻女など一部の親族はいのくに――つまり、山梨県まで落ち延びたそうである。

 山岡屋栄枯盛衰の顛末は初代に付き従ったにいじまかなめなる人物がまとめ、『せんごくももろう』と題された古文書にも記されている。くだんの筆者は旗揚げ以来の同志と共にいのくにではなく地中海へ新天地を求めたという。

 家伝『せんごくももろう』はにいじまらの船出をもって締め括られているが、山岡桃太郎に連なる者たちも家紋の通り、真っ二つに割れてしまったわけである。

 口さがない者には先祖から当代に至るまで何もかも胡散臭いと揶揄されてしまう〝藪医者〟――院長のやぶそういちろうは痩せぎすの頬から顎の輪郭を覆い隠す豊かな髭を左手でもって撫でつつ、対の人差し指と親指で挟んだ厚手の紙片を他者から己に向けられるものと同じ目で凝視していた。

 それは訪問者に手渡された名刺である。

 切れ長の双眸が正面の椅子に腰掛けている訪問者と名刺を交互に見つめるたび、総一郎の片眉が訝しげに吊り上がっていき、今ではそれぞれの高さが段違いとしか表せない有り様となっていた。

 祖先の山岡桃太郎は「誰より早く布団に入り、誰より早く床を上げるが、目の下は常に黒く腫れていた。寝不足でないなら悪鬼羅刹の如き心根が表れているのだろう」とにいじまかなめの古文書に記されているが、その子孫に見受けられるのはの皺くらいである。

 ワイシャツからスラックス、サスペンダーや靴下に至るまで全身を黒一色で揃えたのは本人なりのこだわりであろう。その上から清潔な白衣を羽織っている為、こくびゃく対比コントラストが眩しいくらいに鮮やかであった。

 口元の皺は深みのある陰影を刻んでおり、町医者というよりに扮するベテラン俳優といった佇まいである。緩やかに波打つ頭髪かみは襟足やびん旋毛つむじに白い物が混ざっていた。


「声優事務所『オフィス・アッポジャトゥーラ』――無学ゆえに芸能関係の会社というくらいしか儂には読み取れぬが、社員個々の我がままにも耳を傾ける風通しの良い社風なのじゃろうな。加えて慈善事業にも積極的と見えるわい」


 舌にも馴染んだ癖なのだろう。総一郎は往年の時代劇俳優スターの如く古めかしい言い回しで名刺に刷り込まれた企業名を読み上げていく。「医者の不養生」ということわざが似つかわしい痩身にも優しい背もたれへ体重を預けた拍子に革張りの椅子が小さく軋んだが、それと同じくらい甲高い声であった。

 慇懃無礼な態度は名刺を差し出してきた相手に対する率直な反応といえるだろう。通院患者で溢れ返る時間帯に医療機器の売り込みにやって来たセールスパーソンを追い払う際にも同じような表情かおを見せるのだ。


「マネージャーのおおとりさと殿どの……か。おぬし、儂の目には課外授業か何かでこどもらを引率する教師せんせいのようにしか見えぬぞ。気苦労は察して余りあるがのォ」


 音楽用語に由来するという企業名と併せて名刺に刷り込まれた個人名は、丸い診察椅子へ神妙そうに座っている細身の男性の物であった。背広を着込んだ姿は仕事帰りのビジネスパーソンといった印象であるが、名字の前に添えられた肩書きによると声優事務所にマネージャーとして勤務しているようだ。

 差し向かいの二人はどちらも畏まった装いである。襟のないワイシャツに身を包む総一郎に対して、おおとりさとと名乗った男性はネクタイの締め方にまで几帳面な人柄が表れているようだった。

 院長から第一診察室に迎えられてはいるものの、大鳥は通院患者ではない。モニターに電子カルテが表示されたデスクトップパソコンの時計は一七時過ぎを指しているが、藪整形外科医院は土曜日の診察時間を一三時までと定めており、当然ながら現在いまはリハビリ室も消灯している。

 入院施設は備えていないので院内に残っている医療スタッフは総一郎のみである。パソコンの隣へ設置された板状の投影機シャウカステンには何枚かのレントゲン写真フィルムが貼り付けてあるが、診察時間の終了後にも電源が入っていること自体が院長にとって由々しき問題であった。

 何しろ今夜は最愛の妻と外食に出掛ける約束なのだ。

 警視庁・科学捜査研究所――通称『そうけん』に勤務する妻とは一年の内に数度しか休日を合わせることができない。つまるところ、互いをねぎらう貴重な時間に予定外の出来事が割り込んできた次第である。

 院長じぶん以外には誰も残っていない院内へ招き入れた相手は忙しい頃合にわざわざ押し掛けてくるセールスパーソンよりも遥かに厄介というわけだ。迷惑に思っていることを隠そうともしない慇懃無礼な態度はレストランの予約時間に遅れるかも知れないという焦燥感の発露あらわれであった。

 赤坂のランドマークである地上五四階の超高層ビル――ミッドタウン・タワーに所在するフレンチレストランの窓際を押さえてある。万が一にも東京ミッドタウンの夜景を一望できる特等席をキャンセルする事態に陥ったなら、妻からどのような仕打ちを受けるか、分かったものではない。

 それでも急患として飛び込んできた人間を追い返さなかったことは、冗談めかして〝藪医者〟を自称する総一郎が誠実な医療従事者であるという何よりの証明あかしだろう。

 尤も、彼が診察すべき対象は正面に座っている青年――おおとりさとではない。名刺を挟んだ会話の中でも言及しているが、一見すると帰宅途中のビジネスパーソンのようにも思えるこの男は、あくまでも患者の付き添いに過ぎないのだ。


「開業医ゆえにレントゲンも院長ワシ単独ひとりで撮影できるのじゃがな、身も心もすっかり終業オフになっておったからとにかく腰が重いのよ。診察終了間際の滑り込みくらいに来院てくれたなら、もう少し気持ちも違ったのじゃがなぁ」


 総一郎が厭味を引き摺りながら視線を巡らせた先には患者に応急手当などを施す為の診療台が据え置かれており、その上にキリサメ・アマカザリととらすけが並んで腰掛けていた。

 改めてつまびらかとするまでもなく、秋葉原の市街地にて〝げきけんこうぎょう〟を演じていた二人こそが総一郎の週末の予定を狂わせた元凶もとい急患である。

 板状の投影機シャウカステンに貼り付けられたレントゲン写真フィルムも彼らの物であり、寅之助の竹刀に幾度となく打ち据えられ、痛ましいほど青く腫れてしまった両腕の骨も鮮明に浮かび上がっている。


「本当にすみませんでした……頼れるお医者さんが藪先生しかいないから、私、すごく無理をお願いしてしまって……」

「ああ、いや、……すまぬ。そこまで深刻に受け取られるとは思わなんだ。口が悪い老人ジジイの冗談など聞き流してくれい。何よりおぬしの父上とは長い付き合いじゃろう? 左様な相手からの頼み事に応じなくては儂の男が廃るというものじゃよ」

「……何もかも僕の所為せいです。みーちゃんを責めないであげてください……」

「キリサメ君まで真に受けるか……患者がおぬしとあらば診ぬわけがなかろう。儂はおぬしの〝かかりつけ医〟でもあるのじゃぞ? 伸ばされた手を振り払う理由などあるまいて」


 総一郎の厭味ジョークを受けて申し訳なさそうに俯くキリサメの隣では、診察時間の終了後に押し掛けてしまったことを未稲がひたすら詫び続けていた。

 SNSを通じてインターネット上に広く拡散された屋上庭園の〝撃剣興行たたかい〟は彼女たちが到着して間もなく終息を迎えたが、その際にも大きな混乱はなく、野次馬の群れも速やかに解散していった。

 寅之助の太刀筋が敵兵をに重点を置いた戦時下の剣道――『せんけんどう』へと替わったときには本物の殺し合いではないかと勘繰る声も上がり、園内も騒然となったのだが、金髪のパンチパーマから鉄板に黒革を張ったような靴の爪先まで一九七〇年代の不良ツッパリブームを意識した扮装コスプレにしか見えない恭路が乱入したことで潮目が一変した。

 一挙手一投足に至るまで段取りに則った〝見世物おしばい〟ひいてはこれを題材とするPVプロモーションビデオのゲリラ撮影であろうという誤解が野次馬たちに刷り込まれたのである。屋上庭園を去ろうとするキリサメに「としても十分にやっていけるよ」と声を掛ける者も少なくなかったのだ。

 御剣恭路という存在によって虚構が現実を塗り潰してしまったわけである。彼が駆け付けていなかったら、『天叢雲アメノムラクモ』の新人選手による暴行傷害事件という見出しがスポーツ新聞の一面を飾っていたはずだ。

 〝げきけんこうぎょう〟と並行するように野次馬の間でも諍いが起こっていたので、何か一つでも掛け違いがあれば最悪の展開を迎えるほど際どい筋運びであったことは間違いない。羽交い絞めにされながらも互いに蹴りを出し合うほど揉めていた男女が打ち解けた様子で屋上庭園を去っていったのは奇跡としか表しようがあるまい。

 尤も、キリサメには戦いを継続するつもりなどなかった。当初は人質に取られたものと思われていた未稲も無事な姿が確認され、何より寅之助が正眼の構えを解いたのだ。応戦以外の目的で中米マヤ・アステカ得物マクアフティルを振り回す理由など現在いまは持ち得ないのである。

 〝生きていてはいけない存在〟を消滅せんと逸る激情も幼馴染みの幻像まぼろしと共に消え失せている。そうでなくても未稲の目の前で『聖剣エクセルシス』を鮮血の色に染め上げる事態ことなどあってはならないのだ。

 その『聖剣エクセルシス』も今は鞘代わりの麻袋の中に納まり、第一診察室の壁に立て掛けてある。

 キリサメの隣に腰掛けた寅之助は総一郎の厭味を黙殺するように自身の携帯電話スマホを操作し続けているが、どちらも秋葉原駅前の工事現場から回収された物だ。

 屋上庭園から引き上げる間際のことであるが、集団のまま移動すればどうしても目立つと懸念する声が上がり、散り散りに京島の藪整形外科医院を目指す手筈となったのだ。

 今度の騒動さわぎはSNSを通じて広範囲に知れ渡っており、警察の捜査が開始されていることも十分に想定される。そこで週末の混雑に紛れて秋葉原から離脱する作戦が立てられた次第である。

 『ガンドラグーンゼロしき』なる呼び名の〝ゾク車〟を放置したままキリサメたちを追い掛けた恭路はくだんの商業ビルへと引き返し、そこで長細い麻袋と携帯電話スマホ、ついでに帆布製の竹刀袋とパッションピンクのバンダナをも拾ってきた。

 警察に確保されるより早くの回収に成功したわけだ。

 作戦の実行に当たって藪整形外科医院を合流地点として提案したのが未稲である。彼女の父である岳にとって総一郎は〝かかりつけ医〟であり、下北沢から京島までわざわざ通うほど八雲家との関係も深かった。

 電知との路上戦ストリートファイトを終えて東京へ帰ったのち、キリサメも総一郎のもとを訪れており、幾度もアスファルトに叩き付けられた肉体からだを長野の病院から引き継ぐ形で診察してもらっている。「おぬしは結局、ストリートファイター志望なのか」と皮肉を飛ばされはしたものの、今日もレントゲン撮影から負傷箇所の応急手当まで全く不足のない応対であった。

 しかも、総一郎は岳による根回しではなく未稲当人の直接的な電話連絡に応じ、本来の診察時間が終了した後も玄関を施錠せずに急患の到着を待っていたのである。〝藪医者〟という自嘲に満ちた名乗り方が全く成り立たない篤志の人であった。

 先祖の山岡桃太郎は商談の相手にさえ「貴様の話を聞いていると耳を水で洗い流したくなる」と罵られるほど邪悪な人物であったそうだが、同じ〝血〟を引きながらも子孫たる総一郎の性情は正反対で、厭味な態度は一種の照れ隠しであるのかも知れない。


「警察の間抜けは底ナシだね。秋葉原の駅前には交番だってあるのに工事現場のフェンスがブチ破られたって知らん顔だもん。通報を受けなくたって様子くらい見に来るってモンじゃないかなぁ、フツー。押収されなくて助かったけど、手元に携帯電話スマホが戻ってきたのがボクには信じられないよ」

「真面目な話の最中に携帯電話スマホをイジっていられるてめーの神経が信じられねーんだよ」


 総一郎と同等か、それ以上の皮肉を弄する寅之助の真隣には、彼から「照ちゃん」と呼ばれる上下屋敷が腰を下ろしていた。散り散りとなった際に何処かへと逃げ去ることがないよう藪整形外科医院まで張り付いてきたのである。

 屋上庭園では二連の数珠を結び合わせたかのような鞭を寅之助の左手首に巻き付けていたが、愛犬の散歩に用いる長い引紐リードともたとえるべき拘束は未だに解かれていないのだ。

 ただでさえ狭い診療台をベンチ代わりにして男女四人が並んで座る状況は、傍から見ても窮屈そのものである。それぞれの肩が完全に接触しているのだから、本人たちの感じる息苦しさは尋常ではないだろう。

 総一郎も「そこは女衆レディー優先ファーストじゃろう。床に胡坐を掻かれるのはちと困るが、男衆は壁際にでも立っておればよかろうに」と呆れ返っていた。


「ところで、電ちゃんはいつまでその体勢カッコを続けるのかな? そろそろ足が痺れてくる頃合じゃない?」


 携帯電話スマホの液晶画面から視線を巡らせた先――診察台の下ではキリサメにひれすような恰好で電知が床に額づいていた。

 週末の秋葉原にいて寅之助が引き起こした一連の騒動に対する尋問は、診察と手当の間に執り行われている。そのときに彼は「だって、サメちゃんだよ? 電ちゃんと本気ガチり合った拳をボクだって感じたいもん」と、余人には理解し難い動機を明かしたのだ。

 真剣勝負を望んで止まない電知と、自分より先に命のやり取りを経験したキリサメと闘いたい。電知の身に刻まれたという破壊の技を自分も感じたい。電知が晒された戦慄を自分も味わわずにはいられない――キリサメが標的となった原因も、暴挙に至った発端も、全ては〝電ちゃん〟という一点に集約されているのだった。

 自宅を出発したときと同じ姿の未稲がキリサメの隣へ腰掛けているからも瞭然のように共犯者デザート・フォックスと手を組んで彼女を監禁したという通達は完全な狂言である。腕比べを申し入れるだけでは〝プロ〟という立場を理由に断られてしまうだろうが、家族が危険に晒されたなら血眼になって自分を追い掛けてくるに違いなく、死にもの狂いで闘ってくれると期待したそうだ。

 未稲に近付く為に同じネットゲームを遊び、ゲーミングサークルにまで潜り込むという手の込んだ計略も、地球の裏側に永眠ねむ砂色サンドベージュの想い出を穿り返す悪質な挑発も、電知を生死の狭間にまで追い詰めたキリサメの〝本気〟を引き摺り出さんが為である。

 子どもじみた我欲が文明の利器を通していびつに膨らみ、周囲を巻き込んで破裂したともたとえられるだろう。

 斬り合いそのものを〝げきけんこうぎょう〟に仕立て上げたのはデビュー戦を控えた〝プロ〟への配慮とも寅之助は言い放っている。万が一、駅前の交番から警察官が駆け付けたとしても野次馬を巻き込んで見世物おしばいと主張し続ければ確実に誤魔化せたというのだ。

 その手立てを先に踏み破ったキリサメのほうこそ注意を受けるべきと寅之助が肩を竦めた直後、堪え切れなくなった電知は勢いよくキリサメに額づき、傍若無人としか表せない幼馴染みの所業を詫びたのである。

 己こそが寅之助を暴走に駆り立てたのだと、思い詰めていることは明白であった。

 当然、キリサメの座った位置からは電知の背中を見下ろすことになる。じゅうどうの背面に刷り込まれた『E・Gイラプション・ゲーム』のロゴマークも今や見慣れたものであるが、そこから溢れ出す覇気が現在いまは全く消え失せており、どうしようもなく居た堪れないのだ。

 それ故に声を掛けることさえ憚り、俯き加減となりつつも丸まった背中から目を逸らしてしまう。如何なる理由があろうとも弱々しく感じる姿などキリサメは見たくなかった。

 その気持ちを知ってか知らずしてか、当の電知はキリサメの眼下にて土下座の体勢を維持したまま長時間にわたって身じろぎ一つしないのである。遠巻きに眺めている者から「土下座すれば何でも解決するってか思わないほうがいいよ。昭和の発想だから平成ではあんま通じないよ~」と戒められても決して立ち上がろうとしないのだ。


「他人事みてェに言ってんじゃねぇぞ、寅ァッ! てめぇ、自分がやらかしたコトの重大さが一ミリも理解できてねーのかよ⁉ 読解力までポンコツか! さんじゅくがくえんにくっついた『進学校』ってェ看板キャッチフレーズが泣いてるぜ!」


 寅之助の揶揄は電知にとって導火線にも等しいものであり、顔を上げるや否や、眼を血走らせ、つばきを飛び散らせる勢いで怒号を張り上げた。

 つまるところ、電知は無神経の極みとも呼ぶべき幼馴染みに代わって被害者キリサメへ詫び続けているわけだ。相当に長い間、鼻の頭を床に擦り付けていたで剥き出しの眉間を埃が汚してしまっている。

 電知の携帯電話スマホに寅之助からキリサメ襲撃を匂わせるような連絡が入ったのは、およそ二時間前のことである。大工の一員として日暮里で上棟式に出席していた彼はすぐさま作業着からじゅうどうに替え、秋葉原まで自転車ママチャリで急行したのだ。

 同じように寅之助とキリサメの居場所を追跡していた上下屋敷と携帯電話スマホでもって連絡を取り、秋葉原駅前にて合流した電知はインターネットの世界で拡散し続ける情報に基づいて屋上庭園へ飛び込んだのである。

 全ては寅之助の暴挙を食い止め、キリサメのデビュー戦ぶ影響など出ないよう事態を収束させる為であった。

 斬り結ぶ二人を捕捉した屋上庭園から藪整形外科医院へ移る際に各々それぞれが別の経路で京島もくてきちを目指そうと言い始めたのも電知である。


「要するにいけけんの新撰組と同じ作戦だぜ。京都焼き討ちを企む過激な連中を取っ捕まえる為に雇い主の会津藩と八坂神社の近くで合流する段取りになったんだが、隊士全員でゾロゾロと歩いてったら一斉捜査が相手にバレちまうってんで、人数を分けてバラバラに屯所から送り出したってハナシだ。〝〟の隠密作戦なら間違いナシだぜ」


 発案者の電知は着想を得たという新撰組のおおとりものを長々と語っていたが、日本ハポンの歴史など亡き母から教わった程度しか知らないキリサメには内容の半分も理解できなかった。

 寅之助と恭路の言い争いでも隊名なまえを挙げられていた新撰組と池田屋事件は辛うじて記憶に留めているが、〝〟という異名は「むらの浪人」という由来まで含めて一度も耳にしたことがない。

 発想の原点はともかく作戦自体の合理性はキリサメも疑ってはおらず、未稲と共に電車でもって京島まで赴いたのである。秋葉原から自転車ママチャリで出発した電知とは藪整形外科医院の第一診察室にて合流したのだが、それ以来、キリサメは眼下に『E・Gイラプション・ゲーム』のロゴマークを捉え続けていたのだ。

 そして、こそが電知なりに考え抜いた末の誠意であった。

 幼馴染みの暴挙を心の底から詫びている最中だというのに、よりにもよって寅之助当人に鼻で笑われたのだから憤怒を爆発させるのは当然であろう。自尊心プライドすらかなぐり捨て、全身でもって最大限の謝意を表すのは同じ浅草の水で産湯を使った竹馬の友を想えばこそである。

 真隣に陣取っている上下屋敷が寅之助の脇腹目掛けて肘を突き込み、電知の憤激を引き受けていなかったら、診察室という狭い空間で竜巻の如き一本背負いが披露されたことであろう。

 屋上庭園で繰り広げた〝撃剣興行たたかい〟のような状況であれば巧みにかわすか、竹刀の刀身や鍔などで防御したことは想像に難くないのだが、現在いま携帯電話スマホを操作しながら甘んじて肘鉄砲を受け入れている。

 本気で怒鳴り声を張り上げる上下屋敷に対して嬉しそうに微笑み返すのはを無作法への折檻ではなく寅之助が恋人同士のじゃれ合いの一つと感じているからに他ならない。

 翻せば他人の感情には根本的に無関心という何よりの証しでもある。


「電知も立ってくれ。僕は何とも思ってないんだ」

「でも、それじゃお前だって気が済まねぇだろ」

「何の罪もない友人に頭を下げさせたくない。そっちのほうが僕には苦しいよ」

「……う~ん……ダチに気を遣わせちまうはアレだけどよぉ……」


 これは偽らざる本音であった。電知は言うに及ばず、加害者である寅之助にも自分への謝罪など求めていないのだ。未稲から厳しく糾弾されるべき後者はともかくとして、前者に何の責任を問うというのか。

 友人同士の衝突を止める為に秋葉原まで駆け付けてくれたことには感謝しかなく、眉間を床にこすり付けるほど心を砕いて貰える寅之助が羨ましいくらいであった。


「――あ~、あったあった。どこかで見た気がしてたんだよ。さっきお兄さんがボクから竹刀をった技、あの所作うごきって『西洋剣術』だよね」


 その寅之助は右の人差し指で示した携帯電話スマホの画面を上下屋敷に翳し、彼女から再び肘打ちを見舞われている。

 あるいは上下屋敷よりも慕っているだろう相手が何を措いても自分へ寄り添ってくれる事実ことの大きさを寅之助は本当に理解できているのか、キリサメには甚だ疑問であった。


「実際に見たのもやられたのも初めてだよ、『西洋剣術』。今日だけでサメちゃんとお兄さん、二人にボクの初体験はじめてを奪われちゃったな」


 右腕を掴んだキリサメから引き上げられ、電知は床の上に胡坐を掻いた。その頭を飛び越す形で寅之助が声を掛けた〝お兄さん〟とは、総一郎の正面で丸い診察椅子に腰掛けている背広姿の青年――大鳥聡起である。

 丸い診療椅子を回転させて寅之助に向き直った大鳥は己の鼻先へ突き出された携帯電話スマホの液晶画面を覗き込み、「ほんの一瞬で見破られたことに脱帽するばかりです」とだけ控えめに述べた。

 インターネットに接続されているものとおぼしき液晶画面には鎖帷子チェインメイルを纏った男性二人が相対する写真と、双方の動作うごきを細かく解説する英文が表示されていた。

 その内の一人は中世ヨーロッパで用いられていた幅広の両刃剣ブロードソードを両手に一振りずつ握り締めているが、差し向かいに立ったもう片方の男性は右の五指から〝何か〟が滑り落ちたかのような姿勢のまま固まっている様子だ。

 英語による解説文では「刃で斬撃を受け止めた瞬間に空いている側の手を伸ばし、敵の剣のツカを握って素早く掠め取るのが肝要キモ」などと記されている。写真の構図から察するに両手に何も持たない男性は己の得物ブロードソードを奪われた驚愕で硬直しているのだろう。

 まるで教本の一部を抜き出したかのような写真は幅広の両刃剣ブロードソードの二刀流とは異なる技巧ものを示しているのだった。


「サメちゃんも電ちゃんも見てみなよ、ホラ。ていうか、サメちゃんだってお兄さんの神業を間近で見てたでしょ? やっぱり、コレとおんなじだったよね?」

「……僕は寅之助おまえほど視力が良いわけじゃないから何とも答えようがない……」


 頼んでもいないのに携帯電話スマホの液晶画面を翳してくる寅之助の問い掛けに対して、キリサメは喉の奥から曖昧な返事を絞り出すことしかできなかった。くだんの解説文を完全には読み解けなかったものの、写真の中で間抜けな姿を晒している男性には左手による片手突きを大鳥に封じられ、あまつさえ竹刀までられた直後の寅之助が重ならなくもないのだ。

 しかしながら、何処かのホームページにて公開されている『西洋剣術』の写真と、大鳥が〝撃剣興行たたかい〟の最終局面で見せた神業が全く同じ術理に基づいているか否かは『聖剣エクセルシス』を力任せに振り回すだけのキリサメには判別し難いものがあった。

 写真の中の男性も寅之助も、キリサメの目にはそれぞれの得物を力ずくでもぎ取られたようにしか見えなかったのだが、さすがは剣士というべきか、後者は相手の剣のツカを瞬時にして握るという所作うごきから『西洋剣術』という仮説まで辿り着いている。

 自分キリサメであれば危険を冒してまでツカを押さえる必要はないと判断し、刀身を掴みながら蹴りでも喰らわせて引き剥がしてしまうことだろう。そもそも接近した状態で〝ツカを掴み返す〟という発想自体が思い付かないのだった。


「――只者じゃないと確信はしていましたけど、私の貧しい想像力なんか軽々と超えられちゃいました。『せいしょこたん』さん、剣の腕前だけじゃなくての〝心得〟もあるのですね。まさか、底ナシの才能がこんな身近にいるなんてビックリですよぉ」


 寅之助の洞察力を柔らかな声でもって褒め称えたのは恭路に続いて屋上庭園の〝げきけんこうぎょう〟へ乱入した謎の騎士である。

 大鳥の隣に用意された椅子には座らず、第一診察室の片隅に設置された人体の骨格標本を興味深そうに眺めながら近くの人影に「理科室にこういうの、置いてありましたね」と声を掛けていたが、この場の会話に耳だけは傾けていたようだ。

 鋼鉄の籠手ガントレットに包まれている左右の手のひらを打ち鳴らすと、甲高い金属音が室内に響き渡る。先程まで携えていた幅広の両刃剣ブロードソード逆三角盾ヒーターシールドはキリサメの『聖剣エクセルシス』や寅之助の竹刀と並んで壁に立て掛けてあった。

 現在いまはバケツを引っ繰り返したような形状のヘルムも外されて素顔が露となっており、キリサメたちも女性であることを確認している。合流後に行われた自己紹介によれば本名はつかより――未稲と同じゲーミングサークルに所属する〝ネトゲ仲間〟で、今日もオフ会へ出席する為に秋葉原を訪れていたそうだ。

 現代の法治国家日本には余りにも不似合いな板金鎧プレートアーマーに身を包んでいるのは、出席者全員が何らかの〝制服〟を纏うというオフ会の取り決めに従った為である。

 筑摩は中世から現代に甦った騎士たちによる合戦絵巻――『甲冑格闘技アーマードバトル』の競技選手であり、半月ほど前にスペインのベルモンテ城で開催された第一回世界大会でも日本代表の一人として剣を振るっている。

 堅牢の二字を具現化したかのような鎧姿こそが彼女にとっての〝制服〟というわけだ。寅之助を『せいしょこたん』と呼んだ筑摩当人は『ヘヴィガントレット』を通称ハンドルネームとしているが、その由来は改めてつまびらかとするまでもないだろう。

 逆三角盾ヒーターシールドの表面には四振りの剣と八枚の旗を組み合わせた勇ましい紋章が浮き彫りにされているが、これは筑摩が所属する甲冑格闘技アーマードバトル騎士団チーム『ギルガメシュ』のロゴマークであった。


「絶対、『せいしょこたん』さんには甲冑格闘技アーマードバトルの才能がありますって。見学の日取りはどうされます? 上下屋敷さんもご一緒に是非是非っ」

「今はもうオフ会じゃないし、通称ハンドルネームじゃなくて瀬古谷でお願いしますよ」


 で用いられる装備は洋の東西を問わず〝中世〟と分類される時代の物を再現しているが、国際組織主催による世界大会が二〇一四年ことしになって初めて開催されたことからも察せられる通り、甲冑格闘技アーマードバトルという競技の歴史はそれほど古くない。

 騎士たちも知名度の向上や競技人口の拡大に努めている最中であり、今度の一件に巻き込まれて甲冑姿がSNSに筑摩も「剣と盾と鎧――三種の神器は永遠の憧れですからね。注目を集めないハズないですよぉ」と良く言えば前向きに、悪く言えば能天気に構えて宣伝効果を期待しているくらいであった。


「さっきも竹胴より重い物を着たらって動けないってお断りしましたよね? ボクはの心得があるだけで一介ただの高校生に過ぎないんですから。子どもたちの指導で忙しいし。体験コースは照ちゃんだけでお願いします」

「自然な流れでオレを巻き込むんじゃねーよ! どうやりゃとりじゅつ甲冑格闘技アーマードバトルで生かせるんだぁ⁉ そんなもん、オレのほうがきてぇわ!」

「またフラれちゃいましたか~。次はもっと捻りを加えてお誘いしないとですね。それでも上下屋敷さんの約束は取り付けたのだから今日は大漁ですよぉ」

「いやいや待て待て! どこが大漁だ⁉ 釣り針に食い付いてもいねーってのに気ままに魚籠びくへ放り込むんじゃねーっ!」

「やっぱり『せいしょこたん』さん――瀬古谷さんも諦めきれませんよぉ。屋上庭園さっきのトコで拝見した片手突きは惜しくて惜しくて仕方ないですもの。サトちゃんの神業で不発になってしまいましたけど、命中してたら盾ごと吹き飛ばされていましたよぉ」


 ネットゲームの世界では『せいしょこたん』なる通称ハンドルネームを名乗っていた寅之助を強引且つ執拗に甲冑格闘技アーマードバトル勧誘スカウトしたのち、筑摩は上下屋敷の喚き声を聞き流しつつ大鳥の背後に回り込んだ。

 隣同士で並んでみないと正確には判らないが、丸い診察椅子へ座っている大鳥と筑摩の身長は互いに立った場合に大して変わらないようだ。その事実ことに複雑な感情を抱いているらしく筑摩の気配を背中で受け止めるようになった直後から大鳥の眉間に縦皺が増えた。


「八雲さんや上下屋敷さんに観て頂いた第一回世界大会の動画ビデオでも大勢の選手が使っていましたけれど、サトちゃんも同じように『西洋剣術』を極めているんです。フィンランドのヤスミン・レンタヴァクルキ選手にも剣捌きは負けてません」


 左右の指先まで籠手ガントレットに包まれた手で目の前の肩を何度も何度も叩く筑摩は、我がことを誇示するかのように大鳥の力量ちからを褒め称えた。


「瀬古谷さんが見抜かれた通りに『西洋剣術』なのですけれど、一口に〝ヨーロッパ式〟といってもサトちゃんの場合は――」

「――依枝さん、『西洋剣術』の話はまた別の機会に。これ以上、脱線し続けては遅い時間に病院を開けてくださった院長さんにもご迷惑でしょうし……」

「むう~、サトちゃんのことなら三日三晩、お喋りしていられるのにぃ……」


 『西洋剣術』にまつわる話を大鳥から遮られてしまった筑摩は左右の五指にて口元を隠し、次いで彼の頭越しに総一郎へこうべを垂れた。

 『サトちゃん』なる愛称ニックネームが用いられるほど大鳥と筑摩は親しい間柄のようだが、あるいは同じ流派を修めているのかも知れない。実際、寅之助も二人のやり取りを手掛かりとして己から竹刀を掠め取った技が『西洋剣術』であろうと分析したのである。


(……というか、『西洋剣術』とやらにもみたいな流派とか道場があるのか?)


 一方のキリサメも中世ヨーロッパの騎士と同じ板金鎧プレートアーマーを纏う人間が日本の剣道を使うとは想像できなかった。おそらくは〝仮想敵〟として注目していたであろう寅之助とは異なり、『西洋剣術』に対する理解も絶無に等しいのだが、それでも二人の〝剣〟が群を抜いて秀でていることは少しも疑っていない。

 寅之助の片手突きを破った大鳥は言うに及ばず、筑摩も片手一本で握る幅広の両刃剣ブロードソードをノコギリ状の刃に引っ掛け、渾身の力で振り抜かれた『聖剣エクセルシス』を受け止めたのである。

 それはつまり、横殴りに飛び込んできた重量物を片腕一本のみで凌ぎ切ったということだ。ひょっとすると板金鎧プレートアーマー鎖帷子チェインメイルは防具ではなく屈強の肉体を晒さない為の隠れ蓑代わりであるのかも知れない。仮に大鳥の動作うごきが間に合わなかったとしても寅之助の片手突きを逆三角盾ヒーターシールドで弾き返したことであろう。

 その上、筑摩は中米マヤ・アステカ欧州ヨーロッパの剣が交わる瞬間までキリサメと寅之助に足音の一つも気取らせなかった。

 斬り結ぶ相手に意識が集中していたとはいえ、鉄靴がウッドパネルを軋ませたなら鼓膜まで届かないはずもなかろうに、実際に金属の擦れ合う音が響いたのは二人の少年の間へ割り込む寸前の一度きり――頭部あたまから爪先まで鋼鉄に包まれようとも素早く駆け抜ける技術を磨いてきたことが窺えた。

 そういう意味では野次馬たちの喧騒へ紛れる形で屋上庭園に潜り込み、寅之助から〝抜き足差し足忍び足〟の達人の如く讃えられた大鳥も同じようなものであろう。同門という関係性を端的に表しているようキリサメには感じられた。


「サトさん……だっけ? ボクはもっとお兄さんたちの話を聞きたいな。『西洋剣術』なんて滅多に遭遇できるもんじゃないし。『ヘヴィガントレット』さん――もとい、筑摩さんもお願いしますよ、ねェ?」

「てめーなぁ、マジでいい加減にしとけよ。脱線すんなって話が出たばっかしだろうが。上下屋敷も上下屋敷で、ちゃんとこいつの手綱引いとけよ」

「何でもかんでもオレに責任振るなよ。空閑にも止められねーもんをどうしろってんだ」

「サメちゃんだって興味あるよね? 何ならボクらでタッグマッチを挑んでも良いし」

「僕が一度でも欧州ヨーロッパの剣術に反応したか? ないだろう。それが全てだ」

「そこまでズバッと言い切られてしまうと、甲冑格闘技アーマードバトルに青春を捧げた選手としては悲しくなっちゃいますねぇ~」


 胡坐を掻いている電知から制止を訴えるように脛を蹴られ、キリサメと上下屋敷から冷たい視線を浴びせられても寅之助は『西洋剣術』に関する講釈を大鳥に求め続けた。

 『サトさん』などと馴れ馴れしく呼び始めたのは強烈な関心を抱いた証左であり、同時に二人の剣士の力量ちからを認めたということでもある。そして、それはキリサメの次に付きまとう標的を見定めたようなものとも言い換えられるだろう。

 完全なる不意打ちではあったものの、〝森寅雄タイガー・モリの奥義〟とまで称した片手突きを破った相手なのだから興味の対象になることは決して不自然ではない。問題は面白いと感じた人間が自分に殺意を叩き付けるよう仕向けていく物騒極まりない思考回路だ。

 寅之助に翻弄され続けた一日を振り返り、同様の経験を何年も何年も積み重ねてきた電知と互いの顔を見合わせたキリサメは大鳥への同情を禁じ得なかった。興奮した声色から察するに寅之助が理不尽な勝負を挑む日も遠くはないはずだ。

 砂色サンドベージュ幻像まぼろしとして浮かび上がったの囁きを想い出すようでくらい気持ちになってしまうが、未稲や自分のような〝被害者〟を増やさない為にも息の根を止めておくべきであったと思わなくもなかった。


「おあつらえ向きに騎士サマが使うような剣もそこにあるんだし、日本剣道とお手合わせ願いたいね。東京下町に『西洋剣術』が甦るってシチュエーションも洒落てるし、洋館風の建物にもマッチしてるじゃん」


 寅之助が顎でもって指し示したのは、言わずもがな筑摩の得物である。幅広の両刃剣ブロードソード逆三角盾ヒーターシールドを手に取って『タイガー・モリ式の剣道』と立ち合うよう催促しているわけだ。

 よもや今日の内に挑戦するとは予想していなかったキリサメは、呆れたように溜め息を吐き捨てながら寅之助当人の足に目を転じた。スラックスの上から見ても分からないが、つい先ほど脛の手当てが終わったばかりである。

 キリサメからしこたま下段蹴りローキックを見舞われ、軽微と言い難いダメージが蓄積されていることは目と鼻の先にある興奮によって思考あたまから振り落とされてしまったのだろうか。


「自分は主に両手剣ツヴァイハンダーの技を磨いて参りましたので、専門外の幅広の両刃剣ブロードソードではそちらのご期待に添えられるとは思えません。どうしてもを望まれるということでしたら当方の練習施設までお越し下さい。日取りさえ合いましたら両手剣ツヴァイハンダーにてお相手致しましょう」

背広姿フォーマルなカッコらしくだねぇ。は萎えちゃうから、ボクのほうこそ遠慮させてもらうよ。本気のときには刃を潰してないヤツを要求リクエストするから楽しみに待っててね」

「手前ェのデタラメを手前ェで引っ繰り返してんじゃねーよ、バカ。……頼むからもう大人しくしていてくれ。オレだって気が気じゃねーんだぞ」


 大鳥の返答こたえに対し、冗談めかして肩を竦めてみせる寅之助であったが、挑戦そのものが本気であったことは間違いない。それを理解した上で大鳥は〝大人の対応〟を見せたということである。

 さりとて寅之助自身も竹刀を握ることは叶わないはずだ。診療台から僅かでも腰を浮かせようものなら、左手首に巻き付いた数珠の如き鞭によって引き止められるだろう。


(多分、寅之助こいつも気付いているのだろうけど、……芸能人タレントのマネージャーというのは随分と物騒な仕事なんだな)


 標的をいたぶることが目的ではなく、相手が心の奥底に秘めている暴力性まで引き摺り出し、生と死が鼻先ですれ違うような〝実戦〟にこそ快楽を覚える寅之助の性格上、闇討ちあるいは辻斬りを仕出かすことはないだろうが、万が一、そのような状況に陥ったとしても大鳥は決して後れを取るまい。

 キリサメの双眸は大鳥が羽織る背広の内側に何やら長細い膨らみを見つけている。おそらくは伸縮式の特殊警棒でも隠し持っているのだろう。

 二〇一三年に起きた『七月の動乱』では反政府組織の策謀によって同種の武器が抗議デモ参加者の手に渡っており、警官隊が構えた強化プラスチックの盾が打ち砕かれていく様子をキリサメも目の当たりにしていた。折り畳んだ状態であれば上着ジャケットやズボンのポケットに忍ばせておくことも難しくはなかったはずなのだ。

 先ほど大鳥から明かされた業務内容を考えるならば、特殊警棒それは自分自身ではなく〝他の誰か〟の警護を目的として携行する〝仕事道具〟であろう。傍目には物騒とも感じられる行為を勤め先から求められているわけであり、を抜かりなく成し遂げ得る人材と見込まれたのかも知れない。


「見れば見るほどおかしな集団よな。ハロウィンの渋谷を見ておるような心持ちよ。さすずめ大鳥殿は仮装大会の引率といったところじゃわい」


 診察の結果とも〝げきけんこうぎょう〟とも殆ど関係のない話題にし続けるキリサメたちを見回した総一郎は、小さな皮肉を呟きながらもどこか楽しそうに目を細め、右の五指にて顎髭を撫でた。

 シャツにジーンズという至って平凡シンプルな装いのキリサメや背広姿の大鳥はともかく、テレビゲームやアニメの世界から飛び出してきたとしか思えない〝制服〟が横一列に並んだ様子は珍奇以外の何物でもあるまい。そこには中世ヨーロッパから迷い込んできたかのような全身甲冑の騎士が混ざっているのだ。

 床に腰を下ろした電知に至っては黎明期に用いられた古い様式のじゅうどうを纏っている。虎の縞模様を彷彿とさせるドス黒い染みがあちこちに付着しているが、それは彼が激闘を潜り抜けてきた痕跡であろう。

 仮装行列と考えても統一性まとまりを欠いており、極めて雑多な印象に総一郎は苦笑を洩らすしかなかった。

 院内の別の場所に陣取っている御剣恭路まで仮想行列に加わったなら、ただでさえ窮屈極まりない第一診察室が更に息苦しさ――もとい、暑苦しさを増したはずだ。


「未稲君から連絡を貰ったときには、よもや甲冑格闘技アーマードバトルの選手まで一緒とは想像できなんだがのぉ。大鳥殿もどこぞの騎士団チーム所属はいっておられるのか? 儂の記憶が確かならば、両手持ちの長剣ロングソード同士で斬り合う試合形式もあったハズじゃが」

「いえ、自分は欧州ヨーロッパの剣術に心得があるだけです。……誘っては頂いたのですが、何分にも仕事が忙しいので、なかなか……」

「あらあらあら? 秋葉原でも無反応だった甲冑格闘技アーマードバトルに京島でそんな反応リアクションが貰えるなんてビックリです」


 総一郎の口から飛び出した言葉を受けて、筑摩は思わず前のめりとなった。彼の言い回しには甲冑格闘技アーマードバトルという誕生して間もない『現代』の競技に対する十分な理解度が感じられたのだ。

 大鳥の両肩に手を置いていた筑摩は自然と彼の頭上に影を落とす体勢になったのだが、これは互いの身長差を何よりも強調するものである。総一郎の目は大鳥の眉間に縦皺が増える瞬間を見逃さなかった。


「未稲さんのお父さんがお世話になっていると伺っておりましたけど、先生も格闘技雑誌パンチアウト・マガジン衛星放送パンプアップ・ビジョンをご覧になるのですか? 私たちの取り組みにもお詳しそうで光栄ですよぉ」

「古い馴染みが甲冑格闘技アーマードバトルの運営にも一枚噛んでおっての。その縁であらましは聞いておるのじゃよ。忙しさにかまけて未だに試合には足を運べておらぬがな。……お陰で人付き合いが悪い出不精ひきこもりだの、老後に独りで茶をすする未来が見えるだのと、家内にまでチクチク刺されておるわい」

「ええ~、どなたですかぁ? 私やサトちゃんも知っている人かなぁ? サトちゃん、心当たりはどうですか?」

「だから、自分は甲冑格闘技アーマードバトルには関われないって何度も……大体、脱線しないように釘を刺したばかりですよ、依枝さん」

「う~ん、サトちゃんがそういうなら引き下がるしかないですねぇ~」


 三人のやり取りには未稲も上下屋敷も目を丸くしていた。

 古めかしい言葉遣いなど世間の流行り廃りに疎そうな印象を受けるが、『天叢雲アメノムラクモ』統括本部長の娘でさえ今日まで把握していなかった最新格闘技にも総一郎は詳しい様子ではないか。

 院長室に模造品ではない本物の十文字槍が飾られていることも、悪質な来院者はを振り回して追い返していることも未稲は聞いているが、「昔取った杵柄」などではなく、今もまだ槍術の修練は続けているのかも知れない。鼻が利く物知りだとしても格闘家のかかりつけ医というだけでは武芸に関わる事柄へここまで敏感である必要はないだろう。

 以前いつぞや、総一郎が語っていた家伝の『せんごくももろう』によれば、初代の山岡桃太郎は刀槍による合戦を非経済的で全くの無意味と貶していたそうだ。にいじまかなめも彼の言葉として「いくさという圧倒的な現実の前には剣術などというものは人間一人の感傷でしかない」と書き残している。

 その一方でポルトガルから種子島に伝来し、紀州ごろけんもつかずながを経て大量生産に至った火縄銃てっぽうにはさつまのくに島津家や室町幕府第一二代将軍・あしかがよしはるにも先駆けて着目していたという。

 武芸との向き合い方は正反対であろうが、総一郎の鋭敏な〝鼻〟は初代桃太郎の遺伝子を強く受け継いだのかも知れない。何しろ山岡屋は独自の経路ルートから〝南蛮人〟と交渉し、火縄銃てっぽうの技術を手に入れたそうだ。


「竹刀だって基本的には両手持ちだから院長先生が言ってる条件にも合うね。やっぱり手合わせしようよ、サトさん。何ならサメちゃんのノコギリとやり合って貰うパターンでも構わないよ。見取り稽古だってボクには面白いし」

「……どうして僕をいちいち巻き込むんだ。寅之助おまえは電知に懐いてるんだろ?」

「厄介払いなら上下屋敷にしとけよ! おれだって別にこいつの保護者じゃないんだぜ⁉」


 なおも『西洋剣術』にこだわる寅之助をキリサメが横目でめ付けると、総一郎は喉を鳴らして笑い、次いでパソコンの隣へ設置された板状の投影機シャウカステンに目を転じた。


「左様に元気が有り余っておれば何の障りもなかろうて。念には念をとレントゲンも撮りはしたが、頭蓋骨、両腕、肋骨に至るまで亀裂の一本とて見られぬ。暫しの間、青く腫れて痛ましく見えようが、後は湿布と薬と時間が快癒してくれるはずじゃ」


 来月のデビュー戦までには間違いなく全快する――と断言した総一郎に対して、キリサメよりも早く未稲のほうが頭を下げた。

 微かに開かれた口から安堵の溜め息が滑り落ちていく。屋上庭園にて合流し、腕や頭部の手酷い打撲傷を見て取ったときからデビュー戦への影響を案じていた彼女にとって、それは祈るような想いで待ち続けた診断結果である。「怪我が治るだけじゃダメなんです。トレーニングの再開が遅れたら調整が間に合わなくなります」と、今後の治療計画をたずねる声も緊張で震えていた。


「未稲君が気を揉むようなリハビリも特には必要あるまいて。痛みさえ引かば明日からでも軽い運動は始められよう。無論、医者としては完治まで養生を勧めたいがの。……儂は骨接ぎ稼業ゆえ脳は専門外。キリサメ君の症状を聞く限りでは心配ないと思うのじゃが、僅かでも違和感を覚えたときには然るべき専門医に駆け込むことじゃ」

「そこがボクには悔しいんだよなぁ。小手調べのときはともかく、本気で打ち込んだのにアバラの一本も折れなかったなんて自信喪失も良いところだよ。ヒビだって入ってないんでしょ? サメちゃん、ドーピングでもやってんじゃないかってくらいカタいよねぇ」

「てめーがやってんのはあくまでも〝剣道〟だろーが。事故ならともかく、わざと骨をブチ折りにいく剣道をガキんちょに教えてんのかよ。バカも休み休み言いやがれ」

つけとうぞくをふんじばとりじゅつの跡取りなのに流血上等な地下格闘技アンダーグラウンドをやってる照ちゃんからそういう指摘ツッコミが飛んでくるのはちょっと面白いね」

「人の揚げ足取る前に手前ェの足元を見やがれってんだ。……敵ばかり作られたんじゃ、オレだってお前、気に病むこともなくはねーんだぜ……」


 キリサメの人生を左右するほどの晴れ舞台が幕を開ける前に躓くのではないかと憂いている未稲を慮り、上下屋敷は寅之助の脇腹を再び肘でもって小突いた。の神経が逆撫でされるような暴言を聞き流すほど彼女も薄情ではない。


(……みーちゃんだって上下屋敷このひとと同じに決まってるよな。僕さえいなければ、もっと穏やかでいられるハズなのに……)


 己が仕出かした不始末の所為せいで未稲に負担を掛けたことが心苦しくてならないキリサメは寅之助の脇腹に突き刺さった折檻の肘打ちを我がことのように錯覚してしまい、ざんの念と共に顔を俯かせた。

 そうして電知の座る床へと視線を垂直落下させた際に寅之助の両足を捉えたのである。


「肉体の頑丈さならば、お主とて大して変わらんじゃろう。何しろ裂傷が酷かった故、亀裂骨折くらいはあろうとレントゲンを撮ったというに写真フィルムが無駄になるとはのぉ。これほどの肩透かしも珍しいわい」


 古い時代の剣道に組み込まれているという足技を封殺するべく脛や膝を何度も何度も執拗に蹴り続けたはずであるが、総一郎の診断結果によれば皮膚の裂け方や腫れ方が惨たらしい一方で骨と筋肉に異常は確認されなかったそうだ。

 キリサメ自身の両腕と同じように負傷箇所の手当ても拍子抜けというくらい簡単に済んでしまった。

 鋼鉄の塊ともたとえられるほど硬く鍛え抜かれた電知の拳と同様に過酷な修行を経て肉体の強度がとしか思えないのである。レントゲン写真フィルムに浮かび上がった両足の骨は素人目にも極端に分厚いとは感じられなかった。


「兎にも角にも今日明日くらいは身体をゆっくりと休め、様子を見ておくことじゃ。さすれば、儂のほうから釘を刺しておくべき問題点など一つもない。キリサメ君も何ら患うことなく初陣を迎えられよう」


 たずねてもいないのに岳から延々と養子むすこ自慢を聞かされた総一郎も、キリサメのデビュー戦が間近に迫っていることは把握している。

 父親ともども長い付き合いである未稲を安心させようと、来月の試合には何の支障もない旨を強調する総一郎であったが、その言葉を傍らにて聞いていた電知は診療台の上から滑り落ちてくる安堵の溜め息とは真逆に誰よりも険しい表情かおになっていく。


「……じゃれ合い小突き合いってェ言い訳が通じねぇ大騒ぎになったっつーのに不自然なくらい問題点がねぇんだよな、今度の一件はよォ……」

「お主からすれば友人二人が仕出かした事件じゃろうに、警察沙汰にもならず落着したのが気に喰わぬか?」

「気に喰わねぇのは裏でコソコソと動き回った連中だよ。……釈然としねぇぜ」


 理不尽な言い掛かりとも感じられる電知の悪態が何を意味するのか、これを察した総一郎はパソコンのキーボードを左右の五指で素早く弾き、モニターの画面をキリサメと寅之助の電子カルテからるネットニュースへと切り替えた。

 画面そこに表示される内容を一瞥した電知は憎々しげな舌打ちを天井に撥ね返し、上下屋敷も白けたように鼻を鳴らしてみせた。直視を憚ったらしい未稲は丸メガネを外し、バッグから取り出した専用の布でもってレンズを拭き始めたが、その顔はどうしようもなく気まずげであった。


「みんな、そんなにカリカリしなくてたって良いじゃん。これもまただよ」


 総一郎が表示させたネットニュースも、これを受けて穏やかならざる気配を纏い始めた人々も、まとめて揶揄するような寅之助の口笛にキリサメは頭を掻くしかなかった。

 総合格闘技イベント『天叢雲アメノムラクモ』新人選手が秋葉原で異例のゲリラ撮影――そのような見出し文をキリサメの双眸は読み取っていた。言わずもがな、そこに記されている〝新人選手〟とは彼自身のことである。

 寅之助が未稲の監禁を仄めかしたことに端を発する一連の騒動はキリサメが『聖剣エクセルシス』まで持ち出すほどの緊急事態であったが、秋葉原の中心部を転々としながら長時間に亘って斬り結ぶ間に彼のデビュー戦で使用するPVプロモーションビデオの撮影と誤解されてしまったのだ。

 SNSを通じてインターネットの世界に拡散された決闘騒ぎは程なくして〝げきけんこうぎょう〟というPVプロモーションビデオの趣向あるいは見世物おしばいに置き換えられていったわけである。

 そこに彩りを添えたのは自分だと主張するアコースティックギターの音色がどこからともなく聴こえたような気がした。

 そもそも〝げきけんこうぎょう〟は寅之助の吹聴と、これを疑いなく信じ込んだ野次馬たちによる集団的な誤解に過ぎなかった――その筈であったが、くだんのネットニュースによれば当事者たちの与り知らないところで『天叢雲アメノムラクモ』の公式見解になっていたのだ。

 短文つぶやき形式のSNSに投稿されたメッセージを記者ライターが裏付け調査もせずに取りまとめ、速報の如く発表することは情報社会にいて珍しくもないのだが、該当記事には誤解を真実として刷り込まれた野次馬たちの言葉だけでなく『天叢雲アメノムラクモ』の最高責任者であるぐちいくのコメントまで寄せられていたのである。

 丁度、机上のモニターには全文が表示されている。その中で樋口は新人選手キリサメ・アマカザリの宣伝材料として使用するPVプロモーションビデオのゲリラ撮影であったことを公式に認め、本当の路上戦ストリートファイトと誤解され兼ねないがあったと陳謝し、併せて東京都が定めた迷惑行為防止の条例に抵触していないことを確かめているとも説明していた。

 改めてつまびらかとするまでもなく、これは完全なるでっち上げである。野次馬たちの誤解が既成事実にすり替えられてしまったことをも意味しているのだ。

 オフ会の欠席者である『デザート・フォックス』から届いた緊急連絡メッセージやネットニュースで〝げきけんこうぎょう〟を確認した未稲は、その時点で父親に電話を掛け、キリサメとの合流後に把握した背景事情も速やかに報告している。

 秋葉原中心部の決闘騒ぎを最初に報じた二時間前の記事の見出しもモニター内に表示されているが、およそ一二〇分前後で樋口社長と『サムライ・アスレチックス』が事件収束の筋書きを書いたのだろう。統括本部長の独力で解決できるような事態ではないのだ。


「元々、樋口郁郎は格闘技雑誌パンチアウト・マガジンの編集長だもんな。インターネットの記者ライターにも顔が利くんじゃねェ? あからさまにニュースを操作コントロールしてんだろ。薄ら寒いったらありゃしねェぜ」

「手ェ回したのが見え見えだぜ。あのタヌキ親父、アコギなやり口なんかお手のモンだろ。未稲の父ちゃんは単細胞丸出しだから、このテの裏工作は無理っぽいしよ」

「照ちゃん、それね、少しもお父さんの擁護フォローになってないからね」


 『天叢雲アメノムラクモ』を敵視する『E・Gイラプション・ゲーム』に所属し、契約選手の襲撃を企てるほど悪感情を煮え滾らせている電知や上下屋敷は樋口が主導したものとおぼしき情報操作と、そこに至る鮮やか過ぎる手際が癪に障ったようだ。

 あるいは岳の携帯電話スマホ宛てに未稲から連絡が入るよりも先に樋口は事態を把握し、収拾に向けて動き始めていた可能性も考えられる。

 キリサメと電知が三月の長野で繰り広げた路上戦ストリートファイトでは雨風を防ぐシートを被せただけの簡易ガレージが巻き添えとなって倒壊してしまったのだが、その折にも樋口が手を回して所有者である自動車整備工場と示談を成立させている。として表沙汰となる前に〝火種〟を揉み消したわけだ。

 皺くちゃのワイシャツを平気で着続けるだらしない風貌とは裏腹に煮ても焼いても食えない怪物であり、万事にいて抜かりのない計算高さは上下屋敷が吐き捨てた〝タヌキ親父〟という蔑称こそ何よりも似つかわしい。

 上下屋敷と電知の口からは批難の域を越えた誹謗中傷が矢継ぎ早に飛び出しているが、未稲は苦笑を浮かべるだけで一度も反駁しなかった。彼女の父親は樋口社長と関わりの深い統括本部長である。それだけに真っ当とは言い難い風聞も耳に届いているのだろう。


(尻拭いをして貰った立場で何かを言う資格はないけど、……薄ら寒いっていう電知の気持ちは分からなくもないかな。こんな豪腕ちからわざ、まるでエスパダスみたいじゃないか……)


 恩義を感じている樋口社長への罵声はキリサメとしても聞き捨てならないはずだが、捏造も含む情報操作を故郷ペルーで戦った反政府組織の首魁に重ねてしまったことは確かであり、電知を窘めることもできずに口を噤み続けている。


(……前身団体バイオスピリッツと『こうりゅうかい』の黒い繋がりが公となった折にひょう殿――大親分と話をつけたのも樋口郁郎じゃったな。恐れを知らぬあの男ならば、これくらいは朝飯前じゃろう)


 初代桃太郎から受け継いだ遺伝子によって為か、あるいは〝裏〟の社会の情報網に通じているのか――『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体を破滅に追い込んだ指定暴力団ヤクザと樋口社長の接点を記憶の水底から引き揚げた総一郎は、大弱りといった表情かおで上下屋敷を宥める未稲をそれとなく見つめた。

 樋口の裏工作はこれからデビュー戦を迎える新人選手の立場を守る為に行われたものではなく、所属選手の不祥事によって『天叢雲アメノムラクモ』が被る損害を最小限に抑えようという政治的判断であったはずだ。あくまでも組織の利害が最優先であり、キリサメのことなどは余禄に過ぎまい。

 敢えて口にはしないものの、総一郎は樋口郁郎という男が契約選手に対するる種の親心や良心に基づいて行動する人間とは考えていない。情熱に衝き動かされる八雲岳とは正反対で、敏感な〝鼻〟は先祖の山岡桃太郎に近い性質ものを嗅ぎ付けている。

 『せんごくももろう』によると初代桃太郎は商売敵ばかりか、共に山岡屋を盛り立てる人々まで要不要で分けていたらしく、兵法三十六計やりくとうさんりゃくを諳んじるほどの知恵者であり、〝伴星〟とまで称された以心伝心の側近――にいじまかなめが記した名はいぬかいけんすけである――すら自分に歯向かう気配を感じた直後に粛清したという。


いぬかいけんすけはフグの肝臓のすり身を溶き混ぜた味噌鍋で毒殺されたそうじゃが、はてさて樋口はキリサメ君に何を馳走したのであろうな……)


 樋口郁郎も山岡桃太郎と大して変わるまい。キリサメの不祥事が前身団体バイオスピリッツと同じ崩壊を引き起こすと判断していたら、いぬかいけんすけのようにちゅうちょなく切り捨てたはずだ――と、総一郎は心の中で低く呟いた。余人には聞くことの叶わない声は酷く乾いていた。


「――サトちゃんの大活躍を忘れて頂いては弱っちゃいますよ。何といっても決め手は私の幼馴染みなんですから」

「……依枝さん、これは別に自分の手柄というわけではないから……」


 やがて山岡屋そのものの力を削ぎ落とすことになる先祖たちの内訌を振り返っていた総一郎の意識は、不意に口を挟んだ筑摩によって第一診察室へと引き戻された。

 依然として大鳥の背後うしろに立ち続けている騎士は、何やら誇らしげに板金鎧プレートアーマーで覆われた胸を張っている。

 鎧の下に着込んだ鎖帷子チェインメイルが甲高い音を鳴らして皆の視線を引き寄せたが、名前を挙げらえれたことで注目の的になってしまった大鳥本人はそこから逃れるように立ち上がり、空いた椅子へと幼馴染みを促した。

 入れ替わるような形で筑摩の背後うしろに回れば二人の身長差も自然と逆転する。大鳥の眉間に刻まれていた皺が何本か減った。

 幼馴染みの手柄であると誇りたくなる気持ちも分からなくはないが、筑摩の語った〝決め手〟とは大鳥個人の意思かんがえに基づく行動ではない。それは声優事務所『オフィス・アッポジャトゥーラ』のマネージャーという自己紹介と併せて本人が明かしており、第一診察室に居合わせた誰もが把握していることであった。

 キリサメとも寅之助とも面識のない大鳥が屋上庭園まで駆け付けたのは声優事務所オフィス・アッポジャトゥーラの意向というよりもそこに所属する希更・バロッサの心配りである。

 『聖剣エクセルシス』と『タイガー・モリ式の剣道』による斬り合いがSNSを騒がせ始めたのは、秋葉原駅とも近い宮崎物産館にいて『かいしんイシュタロア』のファンイベントが開幕する直前のことであった。

 人気声優が何人も参加し、数え切れないほどのファンがひとところに詰め寄せる大掛かりな催し物ということもあって警備上の綻びなど生じないようスタッフの誰もが神経を尖らせている。会場周辺にて発生した事件・事故を一つも漏らさずに収集するのは当然であり、友人が異形の剣マクアフティルを振り回す決闘騒ぎも希更の耳まで最速最短で届いていた。

 控室でSNSやネットニュースを確認した希更は状況の把握と対処を同行マネージャーである大鳥に託し、自分のことを心配してくれる共演者たちと共に努めて明るく登壇していったという。


「――バロッサ家が他流を研究した資料集でも見たおぼえがあるんだけど、キリキリがブン回してるってマヤ文明辺りの刀剣マクアフティルじゃないかって思うんだよね。何であんなシロモノっていうかキワモノが出てくるのかはさておき、……あの目は〝本気〟だよ。放っておいたらデビュー戦だ~って浮かれてる場合じゃなくなるわ」


 激しい息遣いや互いの肉体からだち合う鈍い音が鼓膜へこびり付くほど近くで電知との路上戦ストリートファイトを見守っていた希更は、本気で相手の命を脅かさんとするキリサメの眼光を知っている。くらい気配というものは背筋を駆け抜ける冷たい戦慄と共に味わっている。

 だからこそ、短文つぶやき形式のSNSやネットニュースから読み取れる断片的な情報と、斬り合いの一幕を捉えた小さな写真から見世物おしばいとは掛け離れた〝実戦〟であることが希更には直感できたのだ――と、担当声優の機転であることを強調するように大鳥は言い添えた。


「だけど、間に入って上手い具合に転がしたのはサトちゃんじゃないですか。もっと自慢してあげたいのになぁ~」


 顎を撫でて耳まで駆け上がってくる不満げな声に大鳥は返事もしなかった。

 一計を案じるにしても大鳥個人の判断と独力ちからで事態の収拾に向けて動き出せるものではない。彼はあくまでも企業の一員である。いくら担当声優の頼み事とはいえ、事件性を感じる以上、所属事務所の損害ダメージも計算せず引き受けてしまうことは余りにも無責任なのだ。

 すぐさま声優事務所オフィス・アッポジャトゥーラの上司に連絡し、次いで社長に状況を説明して正式な許可を取り付け、それでようやく希更から託された想いを握り締めることができるのだった。

 方針決定後の大鳥は機敏そのものであった。宮崎物産館に程近い家電量販店で手持ちサイズのカメラを購入するとインターネット上の情報から同僚が割り出した〝撃剣興行たたかい〟の舞台――屋上庭園へと急行したのである。

 秋葉原で繰り広げられる斬り合いは『天叢雲アメノムラクモ』の新人選手を売り出すPVプロモーションビデオの撮影ではないかと、その時点でも何人かの野次馬が認識を誤っていた。SNSに垂れ流されている勘違いで押し切ってしまうよう希更が提案し、社長たち事務所の人々もこれを支持したのだ。

 〝げきけんこうぎょう〟の場に紛れ込み、先に用意したカメラでキリサメを追い掛けておけば野次馬たちの目には本当にPVプロモーションビデオの撮影と映るだろう。稚拙な浅知恵と嘲られても仕方のない苦肉の策ではあるが、希更・バロッサひいては『オフィス・アッポジャトゥーラ』の関与をかくすという状況下ではこれが限界であった。

 どちらか片方でも命を落とし兼ねない状況へ陥ったときには二人の間に割り込み、大音声でもって「カット」と宣言して〝げきけんこうぎょう〟そのものを打ち切らせることまで大鳥は任されたのだ。

 つまるところ、事件の裏側で二つの力が同時に働いていた。直接的に連携を図ったわけではないものの、『天叢雲アメノムラクモ』の運営会社と声優事務社の思惑が歯車の如く噛み合い、既成事実の捏造という共通目的を引き寄せた次第である。

 キリサメと寅之助がどこで斬り合っているのかも特定し切れなかった未稲たちは焦燥感に駆られながら手探りで二人の足跡を追い掛け続けたのだが、当事者たちでさえ想像もしない裏舞台で〝事件〟は実質的に解決されていたわけだ。

 大鳥から聞かされた説明と、くだんのネットニュースから察せられる樋口郁郎の豪腕を併せて振り返った総一郎は先祖のことを想い出して口元を歪めた。


山岡桃太郎ごせんぞさまも手品の如きやり口で他者ひとの目を欺き、気付いたときには何もかも終わっておるという策略ばかり好んでおったな。いぬかいけんすけの入れ知恵もあったじゃろうが……)


 戦国時代の中国地方について記された他の史料では確認されない為、大幅な誇張が含まれているのだろうが、『せんごくももろう』によると山岡屋はいわぎんざんの一部を押さえて資金源にしたという。

 その当時に銀山の支配権を握っていた一族は桃太郎が吹き込んだ偽の情報に惑わされて本家と分家が相争う状況に陥り、自分たちが騙されていることにも気付かないまま滅亡の憂き目に遭ったのである。

 「気付いたときには何もかも終わっている策略」とはこのことであり、当事者の目が届かない裏舞台で自分たちの都合が良いような筋運びに書き換えていく作法は時代が移ろうとも大して変わらないと、総一郎は心の中で厭味に笑った。

 己の手のひらの上で転がされる哀れな者たちを見下ろすとき、桃太郎は決まって「足りぬやつだ」と嘲り、薄笑いを浮かべたとにいじまかなめは書き残している。

 採掘後に加工され、丸みを帯びた銀塊を桃太郎は『きびだんご』と称し、商売敵の買収工作にも大いに利用したそうである。鼻先にぶら下げられたカネに踊らされ、正常な判断力を失った人々も「足りぬやつ」の一言で切り捨てていったに違いない。


「サメちゃんってば愛されてるねぇ。ていうか、バロッサ家のお姉さんったら粘着質ギトギトでストーカー気質丸出しじゃない。おトモダチがちょっと秋葉原アキバで遊び回ってるってだけでここまで必死になるかい? ならないよ、フツー。気色悪いったらありゃしないね」

「ストーカーって……どの口が言うんだ。今日だけでも寅之助おまえの付きまとい方に辟易うんざりしているんだぞ。……電知のことを考えたら、こんなのは序ノ口に過ぎないのだろうけど」

「さすがにあんなのと一緒にされたくはないなぁ。電ちゃんは勿論、サメちゃんだって久し振りに思い切り暴れられてスカッとしたでしょ? 楽しい〝鬼ごっこ〟に余興の剣舞まで付いて一〇〇点満点のレクリエーションと、自分がちょっぴり関わってるだけのアニメのトークショーを私物化する人なんて比べるまでもないじゃん」

「比べるまでもなく寅がクソ野郎なんだが、おれやキリサメが楽しんでるって疑わない絶対的な自信がどこから来るのか、全ッ然分からんねーわ。ずーっと付き合ってても未だにてめーの思考あたまが理解できねーわ」

「焦らし上手の二乗なんて興奮し過ぎて今晩、寝れなくなっちゃうよ。照ちゃん、夜更かしのお相手、よろしくね」

「……空閑の台詞を借りるみたいでシャクだがよ、この流れでオレに話を振れるお前の図太さがマジで信じられねーよ」


 殺傷の技術という側面を持つ古代ビルマの伝統武術『ムエ・カッチューア』を極めた名門でありながら、それを娯楽エンターテインメントのように消化しているとバロッサ家の在り方を扱き下ろす寅之助はアイドル声優として人気を博す希更にも善からぬ感情を抱いており、今度の手回しさえ口汚く否定した。

 彼が暴行傷害事件の犯人ではなくPVプロモーションビデオの撮影に参加すると認識されたことにも希更は間接的ながら貢献している。それを省みようともせず極めて小さな範囲の嫌悪感だけを上乗せした陰口には上下屋敷も呆れ果て、酷く空虚な溜め息を吐き捨てるばかりであった。


「タレント業ってのは媚びを売るのが商売だろうけど、やり口がダイナミックだよねぇ。事務所まで動かしてサメちゃんに気に入られようとするんだから根っからのストーカー気質だ。これから大変だよ? 恩着せがましく迫られちゃうよ~。『あたしのお陰で命拾いしたのよね』って言われたら、ナニされても抗えないでしょ」


 武芸を志す者としての立場の違いと言い換えれば聞こえるが、寅之助の場合はバロッサ家に対する妬みとも逆恨みとも受け取れるくらい感情が根底に渦巻いている。その〝闇〟が僅かに漏れ出した瞬間をカメラのファインダー越しに視認していたであろう大鳥は担当声優に向けられた理不尽な厭味を聞き流すと、如何にも畏まった調子でキリサメのほうに向き直った。


「弊社が行動を起こしたのは、失礼ながら貴方の為ではありません。ましてやバロッサさんに流されたわけでもない。あくまでも企業としての利害を重く受け止めた結果です。そのことをくれぐれもお忘れなきようお願い申し上げます」

「……僕が同じ場所に居るだけでもバロッサ氏にはマイナスになるってコトですか」

「そこまで事態を悪化させない為の措置でした。貴方もバロッサさんも『天叢雲アメノムラクモ』と契約する〝同僚〟の選手です。その上、友人関係でもある。そのような方に暴力事件を起こされることが弊社のマイナスと申し上げているのです」

「キリくん――というか、……暴力事件の犯人とバロッサさんの関係をマスコミに騒がれたら声優人生もお終いだって仰りたいんですよね? 事務所的にも稼ぎ頭の看板に傷が付いたら大変だって……」

「……よろしいですか? ほんの些細なことであろうとも犯罪と見なされる行為に加担することは絶対に有り得ません。万が一、所属声優が巻き込まれる可能性があるなら、我々は全力を尽くして守ります。あらゆる手段を放棄しないということです」


 途中から押し黙ってしまったキリサメに成り代わり、未稲が尋ねたことに対して大鳥は企業人としての態度で頷き返した。その上で「我々はボランティアでマネジメント業をしているわけではありません」とも言い添えた。


「弊社は『天叢雲アメノムラクモ』に所属タレントをお預けしています。だからこそ、事業提携の相手でもある『サムライ・アスレチックス』とは良好且つ健全な関係を築き、保たなくてはなりません。本件に関しても然るべき会合を申し入れることになるでしょう」

「本当に面白いね、このお兄さん。キナ臭いを『天叢雲アメノムラクモ』の選手の前で明け透けにバラしちゃって良いの? こんなの、サメちゃんだって気まずいでしょ~」

「アマカザリさんは総合格闘家である以前に本件の当事者です。全てを聞いて頂く義務があります」


 揶揄をもって割り込んできた寅之助には一瞥もくれず、大鳥の双眸は真っ直ぐにキリサメを捉え続けている。担当声優にとっては大切な友人であり、『天叢雲アメノムラクモ』の〝同僚〟でもある少年と向き合い続けている。

 先程までカメラのファインダーを覗き込んでいた右目は裁判官の如き厳粛さを湛えており、これに貫かれたキリサメは我知らず背筋を伸ばしていた。


「確かに企業間のことやリスクマネジメントはアマカザリさんとは無関係ですが、社長を動かしたのはビルさえ突き破って貴方に手を伸ばそうとしたバロッサさんの気持ちです。そのことをお忘れではありませんね?」

「……今、初めて『イシュタロア』を観たいと思っています……」

「……『今、初めて』なのですか? 『改めて観たい』のではなく? バロッサさんのマネージャーからしますと、非常に切ない返事ことばを頂戴したわけですが……」


 希更の心配りを無碍にするつもりならマネージャーとして捨て置くわけにはいかないと暗に仄めかすような大鳥に対し、キリサメは大きく深く頷き返した。

 『かいしんイシュタロア』のファンイベントに参加した共演者は生きるか死ぬかの潰し合いしか知らない同僚キリサメに〝競技選手〟の醍醐味を訴え続ける希更を指して「きーちゃんは『イシュタロア』以外でも『つむぎちゃん』だねぇ~」と感心していた。大鳥が伝えようとしたことは、その一言に集約されているだろう。

 ビル群によって隔てられた宮崎物産館から屋上庭園へと飛び込み、ザクロの木立を震わせるほど大きく響いた希更の言葉トーク現在いまもキリサメの心に突き刺さったままである。

 最初はキリサメ自身も勘違いとしか思えなかったのだが、やはり、希更の呼び掛けは会場に詰め寄せたファンではなく同じ戦場リングに立つ仲間へと捧げられたものであった。

 寅之助が指摘した通り、それは主演作品のイベントを私物化することにも等しく、〝プロ〟としての信頼を失い兼ねないほど危険な行為である。理解ある共演者でなかったら登壇さえ叶わなかったはずだ。声優人生を天秤に掛けてでも『天叢雲アメノムラクモ』に引き留めようとしてくれた希更へ無感情でいられるほどキリサメも〝人間らしさ〟を手離してはいない。

 だからこそ、『聖剣エクセルシス』という暴力性の顕現あらわれを振り回し、その太刀風によって彼女のおもいを引き裂き続けた罪悪感が留まることを知らずに募っていくのだ。

 己の短慮を恥じ入り、ついには皆に合わせる顔がないと俯き加減になってしまった。


「……僕なんかの所為せいで、……希更氏ばかりか、数え切れないくらい大勢の人たちに迷惑を掛けてしまって――」

「――バカヤロ、キリサメは何も悪くねぇだろ。落とし前をつけるのは寅で――」

「――反省しなきゃいけないコトはあるけど、ここに居る誰も迷惑だなんて思っていないんだから! ……だから、キリくんはそのことで落ち込まなくて良いんだよっ!」


 被害者でありながら自分の精神こころを追い詰めていく友人を慰めるべく床から立ち上がろうとしていた電知の顔面を渾身の力で突き飛ばし、「ンな横入りがあってたまるかッ!」という怒声を頬で受け止めつつキリサメの正面に陣取った未稲は、悔やむ理由など一つとしてないことを強く訴えた。

 顔面を思い切り張り飛ばしてやった電知と自分の顔とを交互に見比べるキリサメの肩に両手を置き、いつもよりまぶたの開いた双眸を覗き込みながら「誰もキリくんを迷惑だなんて思ってない」と繰り返した。

 剥き出しのこめかみに青筋を立てて「言いたかった台詞まで横取りかよッ!」と喚き、人体の骨格標本に八つ当たりの背負い投げを掛けようとして近くにいた人影から大人気ないと笑われた電知と、激情を持て余しているなら一戦を交えて発散させようと誘う寅之助を順繰りに窘め、椅子から腰を浮かせた総一郎にも目配せでもって詫びたキリサメは、忙しなく首を振り続ける間に両肩から浸透した未稲の体温によって心を丸ごと包まれた。


(……僕には……僕なんかには……この温もりを受け取る資格なんかないハズなのに。それなのに今もこんなに安らいでいる……)


 電知を相手に苛烈な暴力を振るい、自らの獰猛さを省みて法治国家の日本で生きていくことを諦めかけたときと同じように今度も未稲は罪深い拳を受け止めてくれた。

 格差社会の底辺で研いだ喧嘩殺法が人を壊す力ではなく、命を明日へ繋ぐ為のすべであることを証明しようという未稲との誓いを破ったも同然であった。現実リアルの秋葉原で『聖剣エクセルシス』を振り翳す意味は彼女も理解っているはずなのに、それでも見捨てずにいてくれるのだ。

 例え心の底から溢れ出す〝闇〟に呑まれ、溺れそうになったとしても最後の一線だけは踏み止まり、自分たちを――〝家族〟を裏切ることはないと一片の疑いもなく信じているのだろう。

 その手に暴力しか握り締めることのできない異質な存在の瞳を真っ直ぐに覗き込んでくれる。彼女の丸メガネに映り込んだ自分の顔が不貞腐れた幼児こどものように見えて、キリサメは自嘲の薄笑いを浮かべるしかなかった。


「ていうか、バロッサさんのことを『希更氏』って呼ばなかった、今? んんん? ついさっきまで名字だったよね? そ、それが急になんッ――ど~ゆ~心境の変化? 『せいしょこたん』さんが言ったように好感度が攻略対象までうなぎ上りィ⁉ あ、あのトークショーってば特別スペシャル画像グラフィック付きの限定イベントだったのぉ⁉」

「……ごめん、みーちゃん……」

「い、いい、今のは、ど、どどどっちに何を謝ってるのかななな? 判断に困るどころのハナシじゃなくてててぇ! こっ、こここれから先の一つ屋根の下にもトラブル標準実装になっちゃうんだけどォおうゥ⁉」

「自分としても今の発言は聞き捨てなりませんね。私生活プライベートのことですし、バロッサさんの交友関係に口を挿むつもりはありませんが、冗談ではなく本当に熱愛スキャンダルが出回るような事態は担当マネージャーとして由々しき問題です」


 間が悪かった為に未稲と大鳥の双方へ妙な誤解を与えてしまったようだが、現在いまのキリサメには謝罪以外の言葉を選ぶことができない。

 何よりも未稲に対する感謝の口付けを抑えることで忙しかった。肩から体温が伝わってきた直後には彼女の頬を両手で挟みそうになったくらいである。「大勢に見せつけるキスは結婚披露宴まで焦らしに焦らしてから全力でねじ込むべし」という亡き母の教えが脳裏をよぎらなければ、身のうちから湧き上がる衝動に屈していたはずだ。


「世界は愛で回っているのです。愛が世界を満たすんです。それだから愛に迷っちゃうんですよね、サトちゃん」


 何故だか恍惚うっとりとした面持ちでキリサメと未稲のやり取りを眺めていた筑摩は大鳥に目を転じながら意味不明なことを口走った。

 大切な声優を預かるマネージャーの立場でキリサメと厳しく相対していた幼馴染みの姿にときめきを抑え切れない様子である。皆の視線が診察台のほうへと集中している為、彼女の様子に気付いたのは少しばかり離れた位置からこれを眺める総一郎のみであった。


「……儂は愛情どころか、家内から愛想を尽かされるかも知れぬわい……」


 デスクトップパソコンに表示されている時計を横目で確かめた総一郎が愚痴ボヤキと共に洩らした溜め息とて誰にも気付かれていなかった。


「――ったく。ダラダラ長々とてめーんトコの都合ばっかうるせぇぜ。キリサメの首が繋がったのはめでてェがよ、企業サマのメンツなんざ、こちとら知ったこっちゃねェんだ。……寅の〝落とし前〟をどうするか。これが一番だろうが」


 悲哀に満ちた溜め息を押し流したのは、人体の骨格標本から手を離して寅之助を睨み付ける電知であった。

 強い言葉に注目が集まるのは当然といえよう。〝落とし前〟とは寅之助に対する制裁のことである。

 付き合いの長い幼馴染みとはいえ――否、〝闇〟を抱えた為人ひととなりを誰よりも理解している電知だからこそ一切の擁護を許さないのだ。処罰を求めるのは自分しかいないと、おそらくは合流前から決意していたのだろう。

 能天気な口笛を返事に代えた寅之助を燃えるような瞳で見据えていた。

 多くの場合、〝落とし前〟は法律に反した私的制裁を指している。あるいは公然と罪に問うことが難しい者を始末する際に用いられる手段とも言い換えられるだろう。

 極めて野蛮な思考であり、法治国家日本では絶対に認められることのない振る舞いであるが、キリサメの人生を破綻寸前まで追い込む暴挙を仕出かしておきながら樋口たちの計略によって無罪放免となってしまった寅之助のことを電知が捨て置けるはずもあるまい。

 どうしてもキリサメにまで累が及んでしまう為、寅之助は傷害の罪で追及することが不可能となっている。結果的に社会的制裁を免れたわけであるが、悪さを働いた側が得をする状況こそ電知には許し難いのだった。


「……ここで暴力事件を起こされては元の木阿弥です。お気持ちは分かりますが、私刑のような真似はアマカザリさんにもマイナスにしかならないことをお忘れなきように」

「それはそれ、これはこれだ! 寅の仕置きとキリサメは関係ねぇ!」

「失礼な言い方を先に謝罪しておきます。しかしながら、幼稚な屁理屈など社会と法律の前には全く通用しないのですよ。アマカザリさんの将来と、いっときの腹癒せ――どちらを選ぶべきかは天秤に掛けるまでもなく明々白々でしょうに」

「スジの通らねぇ理屈なんざ捨てちまえ! 道理って言葉を辞書で引いたこともねェクサれた脳味噌と一緒にゴミ溜め行きだぜ!」


 秋葉原の騒動を何とか落着させた矢先に新たな暴力の気配を感じ取った大鳥は理詰めで電知に釘を刺したが、この場の誰に止められようとも彼は寅之助に制裁を加えるまで鎮まらないだろう。

 『コンデ・コマ式の柔道』を研ぎ澄ませる『E・Gイラプション・ゲーム』は反社会勢力の関与を徹底的に遮断シャットアウトするなど数ある地下格闘技アンダーグラウンドの中でも極めて高い健全性を謳っている。それ故に純粋な腕比べを目的としたプロ顔負けの猛者が集っているが、一方で競技用のグローブを嵌めず素手による殴り合いをもルール上で認めており、『天叢雲アメノムラクモ』と比べて苛烈な部分があることは否めない。

 暴力というものが感覚として身近にればこそ〝落とし前〟――私的制裁という無法なる発想を躊躇いなく口にしてしまえるわけだ。

 藪整形外科医院の院長として制止を呼び掛けるよう大鳥から目配せでもって請われた総一郎は、おどけた調子で肩を竦めるのみである。

 その態度は〝落とし前〟という殺伐とした言葉が飛び交う状況にも慣れている証拠であり、医療器具を壊されるような筋運びにでもならなければ椅子から立ち上がることもなさそうだった。


「何なら指でも詰めようか? お医者さんだからメスもあるだろうし」

「望みとあらば貸さんでもないが……『りゅうげんとく』と『アレキサンダー』、この二本ならば今すぐにでも用意して進ぜよう。『しょかつりょうこうめいふくりゅう』は砥ぎに出しておるわい」

「メスって大袈裟にめいを打つものだっけ? 一番、スパッとイケるのなら何でも良いよ。電ちゃんが切断してくれるのならボクはあるべきところに小指がなくても幸せだもん」

「……てめぇは……ッ!」

「電ちゃんがここまで本気マジになってくれるなんて思わなかったよ。大成功ってプラカードを用意しておかなかったのが悔やまれるなぁ。クソの役にも立たなかったカラーギャングとサメちゃんはやっぱり扱いが違うねぇ」


 改めてつまびらかとするまでもなく、寅之助は自分の仕出かした一連の暴挙を悪事などとは思っていない様子である。劫火にもたとえるべき電知の瞳を覗きながら嬉しそうに破顔し続けていた。


「そんなにエンコ詰めたきゃオレがやってやるよ。お前を喜ばせてなんかやるもんか」

「いやぁ~、愛しの照ちゃんにはさせたくないかな。いつも別の意味で悦ばせてもらってるのに、これ以上は欲しがりが過ぎるもん」


 正面の未稲に脇へと移って貰い、診療台から立ち上がったキリサメは電知と上下屋敷に叱り飛ばされる寅之助ではなく、大鳥の動きを警戒し始めていた。

 電知が口にした〝落とし前〟が私刑を意味することも、大鳥がこれを認めないことも把握している。力ずくでも阻止しなければならない状況に陥ったなら背広のポケットから特殊警棒を取り出し、両手剣ツヴァイハンダーの代わりにして寅之助への攻撃を斬り払うことだろう。

 筑摩と同じ西洋剣術の使い手というが、森寅雄タイガー・モリの奥義と称して繰り出された片手突きを竹刀ごと掠め取るなど彼女に比肩する力量を備えているはずだ。

 希更という存在を挟んではいるものの、立場上、一応は味方でもある。西洋剣術が電知へ向けられたときには新たな傷を増やす結果になっても割って入るつもりだが、双方を刺激しないよう押し止められる自信もなかった。


「ゲーミングサークルだって寅の悪だくみに巻き込まれたようなもんだしな。ケジメ取らなきゃアイツらに顔向けもできねぇよ」

「あれあれあれ~? 照ちゃんってそんなに『エストスクール・オンライン』にハマッてたっけ? それともオフ会が楽しすぎてほだされちゃったのかな?」

「ヘラヘラと茶化したら誤魔化せるなんて勘違いしないほうが良いぜ、寅。空閑は筋を通さねェてめーにキレてんだ。それはオレだって同じなんだぜ」


 同じ『E・Gイラプション・ゲーム』のメンバーであり、攻撃的且つ直情的な発想が似通っている上下屋敷も私的制裁は当然とばかりに電知へ続いた。

 寅之助は身勝手な目的の為に周囲の人間も巻き込んでいる。昼間に開催され、先ほど二次会まで無事に終了したという連絡が入ったオフ会もその中に含まれている。

 『エストスクール・オンライン』という大規模多人数同時参加型RPGロールプレイングゲームのメンバーに接近し、ゲーミングサークルへ入り込んだのも今日の計画に利用する為であった。未稲の動向を把握し、人質事件という狂言を実行するには同じグループに所属することが最も効率的だと悪しき知恵を働かせた次第である。

 新人じぶんたちの歓迎を目的としたオフ会であれば日時などを自分の計画に合わせて操作コントロールし易くなる上、未稲の身が脅かされたという狂言にも信憑性が増すだろう――理性が吹き飛ぶほどキリサメを怒らせることだけがネットゲームへ参加した理由であったのだ。

 事実、キリサメは黄色を基調としたセーラー服という未稲の出で立ちを寅之助から吹き込まれた直後に『聖剣エクセルシス』を握り締めた。狂言ウソを事実として刷り込まれ、正常な判断力も小さい疑念もろとも弾け飛んでしまったのである。

 自身に関わる人々とその絆を片端から踏み躙った寅之助に対して上下屋敷シャイニーテリーが燃え滾らせる憤怒は、この場の誰よりも激烈であった。

 くだんのゲーミングサークルに籍を置く上下屋敷シャイニーテリーにとって恋人という関係性など寅之助を庇う理由にはならなかった。彼に誘われてネットゲームの世界に触れたのだが、ひょっとするとオフ会の最中に未稲アンヘルチャントを足止めするよう期待されていたのかも知れない。

 何も知らなかったとはいえ、ゲーミングサークルに対する裏切りの片棒を担がされたようなものであろう。恋人である自分が蔑ろにされることには良くも悪くも慣れてしまったが、空閑電知を巡る因縁とは関わりのない〝仲間〟まで手のひらの上で転がすという振る舞いだけは、どうあっても許せなかった。

 彼女も電知も親しい人間からにされて腹を立てたのではない。凶暴性と表裏一体の純粋な義侠心が二人を衝き動かしているのだった。


「照ちゃんがブチギレる気持ちも分かるけど、サークルのコトはとりあえず忘れて良いと思うよ。誰かが迷惑したってワケじゃないし。勝手に名前を使われたデザート・フォックスさんだけは怒る資格があるけどね」

「そうですよぉ~。上下屋敷さんと瀬古谷さんはサトちゃんと一緒に甲冑格闘技アーマードバトルの未来を担うカップル騎士なんですから、私もお仕置きなんて望みません」

「未稲が一番キレて良いんだぜ⁉ うちのバカに情けなんかいらねぇぞ。オレに気を遣う必要もねぇ。ていうか、約一名、ハナシを妙な方向にややこしくすんなっ!」

「……それについては同意見ですよ。さりげなく自分まで組み込まないで欲しい」


 実際に巻き込まれた側――ゲーミングサークルの仲間メンバーである未稲アンヘルチャント筑摩ヘヴィガントレットは私的制裁には反対であると明言した。

 寅之助に利用されたことは間違いないが、これによって損害を被った人間がいるわけでもないのだ。オフ会に出席したメンバーの一人は彼が用意してくれた誕生日バースデーケーキを涙ながらに喜んでいた。ゲーミングサークルという括り方であれば、怒りや怨みどころか、感謝のほうが遥かに上回ることだろう。

 未稲アンヘルチャント筑摩ヘヴィガントレットも、この場には居ない他の仲間たちも、寅之助せいしょこたんに対する報復を上下屋敷シャイニーテリーに求めることなど絶対に有り得なかった。


「ボクのコトよりも心配すべきはサメちゃんのほうだよ。明日からちょっとしたタレント気分だよ? 今日の〝げきけんこうぎょう〟で大勢のファンを一気に獲得ゲットしたみたいだし、ネット上で顔と名前も知れ渡ったでしょ。これって宣伝効果抜群だと思うけど、『天叢雲アメノムラクモ』から謝礼とか出ないの?」

「……今、ほんのちょっとだけ照ちゃんにドツいて欲しくなったよ……」


 さすがに言葉を失い、呆然と口を開け広げる未稲を鼻先で笑った寅之助は、壁に立て掛けてある得物――帆布製の袋に納められた竹刀へと近付いていった。

 彼の左手首に数珠の如き鞭を巻き付けたままの上下屋敷も当然ながら追従していく。

 寅之助が善からぬ行動を取ろうとしたときにはこれを引っ張り、とりじゅつもってして床の上に組み敷くつもりであるが、竹刀袋の上から中身を掴んだ後にも殺伐とした気配が膨らむことはなかった。

 上下屋敷は言うに及ばず、今にも背広のポケットから得物を取り出しそうな目付きの大鳥も寅之助の一挙手一投足を注視している。そこにキリサメと電知の視線も加わるのだから、彼は鉄格子の檻ともたとえるほど幾重に監視を受けているようなものであろう。


「ファンに追っ掛けられるだけならまだしも、タチの悪いヤツらに目を付けられる可能性もかなり高いよ? そういうゴミ虫が群がってきたときにもを振り回して追い払うのかな? どこからどう見てもには役立たずの物騒極まりない凶器モノをさ」


 顎でもって『聖剣エクセルシス』を指し示した寅之助が何を言わんとしているのか、キリサメは掴み兼ねている。

 地下格闘技アンダーグラウンドという〝稼ぎ場〟を荒らされた指定暴力団ヤクザが寅之助を刺客として差し向けたということも狂言ウソの一部であると先程の尋問で確かめている。本人も明言していないが、関東で大勢力を誇る『こうりゅうかい』に雇われた〝人斬り〟という話も虚言の類いに違いない。

 寅之助は恭路の知り合いという〝新撰組の剣〟を引き継いだとも吹聴していたのだ。

 『こうりゅうかい』の刺客以外に自分を――『天叢雲アメノムラクモ』の選手を狙うとすれば『E・Gイラプション・ゲーム』の関係者くらいしかキリサメには思い浮かばなかった。

 眉根を寄せた様子から自分の述べた内容が殆ど通じていないことを悟った寅之助は「ウソでも良いからサメちゃんはもうちょっと自分の職場に関心持ってあげなよ」と、これ見よがしに肩を竦めてみせた。


「八雲家の皆サマも性格が悪いねぇ。今の格闘技界隈にどんな連中が粘着しているか、それすら教えないままMMAをやらせようとするんだもん。日本ではまだ実害の話を聞いたコトがないけど、はてさてこれからどうなることやら」


 〝連中〟と呼び付けるからには個人単位ではあるまい。『天叢雲アメノムラクモ』に批判を飛ばし続けるスポーツ・ルポライターのぜにつぼまんきちを指しているわけでもなさそうだ。

 キリサメには当該する〝何か〟が判らないものの、『E・Gイラプション・ゲーム』の電知と上下屋敷、寅之助から当てこすりのようなことを言われてしまった未稲が一斉に顔を顰めた。大鳥も記憶の水底から不愉快な事例を引きずり出したらしく、これまでとは異なる調子で重苦しい溜め息を洩らしている。

 の中で穏やかならざる気配を纏わせていないのはキリサメや寅之助を除くと筑摩ただ一人である。彼女の場合は物憂げな大鳥に心がときめいたようで、この場には不似合いなほど恍惚うっとりとした視線を幼馴染みに送り続けている。


「サメちゃん、便所蠅みたいのが一斉に群がってきたら実力行使で薙ぎ払うでしょ? ウザいヤツらを叩き潰すことに一ミリも躊躇ためらわないよね?」

「……そうだな。寅之助おまえなら良く知っているよな」

「殴られたら殴られた分だけ相手を〝邪悪〟と詰る声が大きくなって、血が流れれば流れるほど怒りを燃え滾らすのが〝正義の味方〟ってヤツでしょう? ……許すまじってヒステリーを起こす〝不当な暴力〟自体を養分にしちゃうんだからタチが悪いね。サメちゃんみたいなのは大好物だと思うよ?」

「どこの誰とも判らないヤツらの大好物って言われても……。ピンと来ない以上は迎撃も何もないし、そもそもお前の知ったことじゃないだろう」

「いいや、今こそ『タイガー・モリ式の剣道』の出番だよ。集団ヒステリーに囲まれても平気なように、これからはボクがキミの剣になってあげる」

「はあァ~ッ⁉」


 鼻から脳天まで突き抜けるかのように素っ頓狂な声を上げたのは、キリサメ当人ではなく彼の間近で寅之助をめ付けていた電知である。


「てめー、自分が何を喋ってるか分かってるか? マジで分かってるかァ?」

「平たく言えば身辺警護ボディーガードだよ。サッカーで言うフーリガンとかパパラッチから絡まれたときに拳を振り上げるわけにいかないスポーツ選手が身代わりを雇うのなんて別に珍しくないじゃん」

「ンなこたァ知ってらァ! フーリガン以前にてめーが一番の危険人物だろうが! 今日の所業を忘れたのかァ⁉ 導火線に火の付いた爆弾を抱えろってかッ!」

「落とし前落とし前って騒いでたのは電ちゃんじゃないか。身辺警護ボディーガード無給ノーギャラでやってあげるつもりだよ。試合会場とか合宿先への電車代とか必要経費くらいドンブリ勘定して貰えたら助かるけどね」

「無料奉仕は当たり前だろ! いや、当たり前じゃねぇよ! 当たり前のように今後もよろしくみてェな流れを作るんじゃねぇっつってんだ! 二度とキリサメに近付くなッ!」

「昼間は高校があるし、日によって小学校まで講師せんせいの出張をしなくちゃだから警護まもってあげられる時間は限られるけど、無給ノーギャラってコトで目を瞑っておくれよ」

「寅ァーッ!」


 キリサメに向けておどけた調子で片目を瞑った青年は人間界の常識を超越したことばかり口走っている。どこからどのように切り取り、咀嚼し、反芻したところで全く理解できる言動ものではない。

 ここへ至るまでに己が仕出かした所業ことを綺麗に忘れ去り、新たな暴挙を重ねたとも言い換えられるだろう。それが証拠に裏返った声で怒鳴る電知は短く切り揃えた頭髪かみを掻き毟り、寅之助の真隣に立ち尽くす上下屋敷は絶句したまま首を左右に振り続けている。

 それも無理からぬことであろう。〝落とし前〟――暴力に解決を求める私的制裁で脅かされていたはずの人間が勝手気ままに己の処罰を決めてしまったのである。そのような真似がキリサメに対する償いや慰めとなろうはずもあるまい。


「電ちゃんもさぁ、罪滅ぼしに前向きな人間を邪魔するもんじゃないよ。そうでなくてもボクとサメちゃんは友達なんだから、警護まもってあげたくなるのは人情さ」


 予想外の発言に誰もが目を丸くし、呆れの声すら絞り出せずにいる。その存在を寅之助が仄めかし、未稲たちが揃って思い浮かべたであろう〝正義の味方〟の正体を確かめることも叶わないままキリサメの眼前で状況は速やかに移ろっていく。


「押し掛けてくるのはハイエナみたいな集団ヒステリーだけじゃないからね。注目度急上昇のサメちゃんが気に喰わないバカがしつこく絡んできたらどうするのかな? 素人に手を出すことのできない〝プロ〟を安全圏からイビろうっていうちっちゃいヤツは、岩の裏に隠れた虫と同じくらい多いからねぇ。そんなとき、サメちゃんに代わって暴れてあげようって言ってるんだよ。自衛策を整えるのだって立派な〝プロ〟の業務しごとじゃないかな」


 自分を身辺警護ボディーガードとして迎え入れる利点メリットを想定し得る危険トラブルと絡めるように並べていく寅之助は「無駄に注目集めるハメになったのはてめーが原因じゃねーか!」という電知の指摘ツッコミも涼しげな顔で聞き流した。


「何なら『八雲道場』に住み込みで張り付いてあげても構わないよ。高校とか別行動している時間の穴埋めにもなるし」

「だ、ダメに決まってんだろぉ! お、お前、未稲と一つ屋根の下なんて……い、いけない過ちが起きちまったら、一体全体、どう責任取るんだ⁉」


 寅之助の口から「住み込み」という言葉が飛び出した途端、上下屋敷は彼の左手首に巻き付けてある数珠のような鞭を急激に手繰り寄せた。散歩中に暴走した愛犬を長い引紐リードで引き止めるかのような慌て方ともたとえられるだろう。

 左腕を引っ張られた寅之助は上体を大きく傾かせながら「筑摩さんが言った通り、世界は愛が回しているんだね」と満面を喜色で染め上げている。

 その一言を手掛かりに上下屋敷が動転した原因を見破った未稲は「ほっほ~う」と如何にも芝居がかった調子で両の眉を上下に動かしている。訳知り顔となった拍子に丸メガネが鼻から滑り落ちそうになり、右の人差し指一本で定位置まで押し上げられたが、この小さな仕草もわざとらしいのだ。


「いやぁ~、ラブコメだねぇ、青春だねぇ、照ちゃん。普段はツッパッてるコが好きな人の前で乙女心をポロッと漏らしちゃうシチュエーション、私も大好物だよ。今、ちょっとキュンと来ちゃったもん」

「ンなッ⁉ ……ば、ばば、ばばば、ばっきゃろォう! い、今のはそーゆーんじゃなくてだなぁ!」

「じゃあ、どーゆーコトかな? 私、清純派だからいけない過ちなんて言われても分っかんないなぁ~? 照ちゃん先生、詳しく教えて?」

「て、てめッ、未稲ェッ!」


 未稲から揶揄された憤激と羞恥が入り混じった上下屋敷は瞬く間に全身が沸騰し、顔と言わず頭と言わず蒸気を噴き出しそうであった。


「て、てめーだって思いっ切りラブコメだったじゃねーかっ! アマカザリからブチギレた理由を聞かされたときのこと、想い出してみやがれってんだ! 両目がハートになってたぞ! 少女漫画か、てめーらッ!」


 得意になって畳み掛けていたところへ強烈な反撃カウンターを受け、未稲の顔面も上下屋敷と同じ色に染まった。

 改めて詳らかとするまでもなく、キリサメが秋葉原の中心部で『聖剣エクセルシス』を振るったのは寅之助と共犯者デザート・フォックスから未稲を奪還する為である。今でこそ狂言ウソと判明しているが、そのことを一方的に告げられた瞬間には我を忘れるほど動転してしまった――と、キリサメは神妙な態度で述べている。

 どのような事情があるとしても、リングを離れた場所での路上戦ストリートファイトなど〝プロ〟のMMA選手にはあるまじき行為であり、興行イベントに参加する資格を剥奪されてもおかしくはない。

 現時点では『サムライ・アスレチックス』から処罰ペナルティの通達はなく、路上戦ストリートファイトの事実を揉み消された状況であるが、これをもって無罪放免と安堵することはできないのだ。統括本部長の娘として〝プロ〟の自覚を改めて問い質し、猛省を促すべきであった。

 しかし、乙女心も黙ってはいられない。『天叢雲アメノムラクモ』のリングに立てなくなる危険を冒してまで自分の為に『聖剣エクセルシス』を握ってくれたことが嬉しくないといえば嘘になる。心の奥から込み上げる甘やかな気持ちが未稲にはどうしても抑えられず、叱声の代わりに蕩けるような溜め息が唇から滑り落ちたのである。


「――後先を考えなかったことは間違いないよ。言い訳はしない。だけど、みーちゃんが危なくなったときに自分の将来なんか考えてはいられない。今度また同じことが起きても僕は迷わないよ。みーちゃんを守る為なら僕は何度でも『聖剣エクセルシス』を握る」


 おまけに口説き文句のようなことまで添えられては一溜まりもない。手鏡で確かめることはなかったが、上下屋敷から指摘されたようにその瞬間ときの瞳は熱い感情もので満たされていたはずだ。

 何しろ乙女心をときめかせる状況シチュエーションそのものである。異性から童話の〝お姫様〟のように扱われたこと自体が未稲は初めてであった。


「――それってまたノコギリを振り回すって意味? サメちゃんの養父おとうさんは〝素人〟への対処なんじゃちっとも教えてないみたいだね。何度も今日みたいな真似をするワケ?」


 そのときにも寅之助はキリサメが抱える問題点を指摘したのだが、脳が蕩けそうな未稲の耳には届いていなかった。


「しょ、少女漫画みたいっていうけど、あんな破廉恥な真似はしてないよ! それを言うなら照ちゃんこそ助平エッチなゲームの扮装コスプレじゃん! を着て秋葉原アキバを歩き回る度胸にビックリだよ! 町行く人に見せびらかして興奮ドキドキしてたの⁉」

「ちょ、ちょっと待てよ! 最近の少女漫画ってそんなカンジにアレなのか? ……もう一つ待った。この服が何だって? は? 助平エッチな……何? コレは寅のヤツが……」

「深夜放送のアニメにもなったパソコンゲームの制服だよ! 知らずに着てたの⁉ その花びらみたいなスカートが御開帳おっぴろげにならない日がないようなアレなんだけどっ!」

「寅ァッ!」


 赤熱としかたとえようのない顔を見合わせ、大鳥が居辛そうに瞑目してしまう言葉を互いに飛ばし、そのさまを筑摩の朗らかな声で「ラブコメの王道ですね」と冷やかされて俯いた二人はさておき――キリサメと寅之助の間に流れる空気が再び張り詰めようとしている。


「サメちゃんはさ、腕力に訴えて不都合を引っ繰り返すことに慣れ過ぎてるよね。故郷ペルーではそれで良かったのかも知れないけど、同じ感覚を引き摺っていたら日本でやっていけないでしょ」

「……育ちが悪くて、すまなかったな」

「月並みな言い訳で自分を誤魔化していないで、もっと現実を見なよ。思考かんがえるより先に肉体からだのほうが反応するのはボクたちみたいなには理想的だけど、サメちゃんの場合は相手が素人でも無分別に飛び出すでしょ。見境も何もあったもんじゃない」


 感情の宿らない瞳で睨み返されても怯むことなくキリサメが抱えた問題を追及する寅之助の耳には、扮装コスプレの真相を知らされた上下屋敷の怒声など全く届いていないだろう。


「そりゃあ〝プロ〟の選手だって状況によっては場外での正当防衛も認められるだろうけどね、相手の目を容赦なくブチ抜いたら世間の皆サマはどう見るかな?」

「……その懸念には同意しますね。屋上庭園で斬り結んでいた折にアマカザリさんとぶつかったのは自分ですが、仮の他の見物客かたがたが進路を妨害した場合、サッカーボールのようにシュートしたのではありませんか? マクアフティルの両手持ちを維持したまま瀬古谷さんの虚を衝くには足でを撃つのが最も効果的でしょうし」

「おやおや~? 想いも寄らない援軍が来ちゃったよ。そうそう、このバカデカいノコギリの取り回しって意味でもサメちゃん、アブないコトばっかりやってたもんね」

「……自分は客観的な意見を述べたまで。別に味方をしたわけではありません」


 言動の一つ一つが危うい寅之助を警戒し続ける大鳥であるが、真っ当と思える見解は感情を差し挟むことなく認めるようだ。

 一度だけ首を頷かせ、寅之助への同意を示した大鳥から目を逸らし、誰にも聞こえないくらい小さな呻き声を洩らしたキリサメは、そのまま口を真一文字に結んでしまった。

 大鳥が想像として述べた内容ことは実践の有無を除いて的中に近い。事実、船のオールと見紛うばかりの刀剣マクアフティルを満足に振り回せないほど狭い路地裏で斬り合っていた最中には彼が指摘したことを本当に考えていたのだ。

 希更から事態の収拾を託されたマネージャーが〝鬼ごっこ〟に追いついたのは最終盤であり、屋上庭園以外の場所にける戦いを直接的には目にしていないはずだ。それにも関わらず思考を見透かされてしまうような悍ましい殺気を撒き散らしていたのだろう。

 我を忘れて『聖剣エクセルシス』を振り翳した証左であり、それ自体が寅之助や大鳥の指摘を裏付けているのだった。


「腕力に訴えて不都合を引っ繰り返すことに慣れ過ぎだよ、サメちゃん。ここはね、もう故郷ペルーじゃなくて日本なんだ。その日本で〝プロ〟のMMA選手になるんでしょ? ……証拠隠滅の為にこのノコギリを灰にしたっておかしくないんだよ」

「偉そうにペラペラ語ってるがよ、その〝プロ〟の資格とやらがブッ飛びそうになったのはてめー所為せいじゃねぇか。矛盾の極みとはこのことだぜ」


 もう一度、念を押すかのようにして寅之助は同じ言葉を繰り返した。

 即ち、深淵の如き〝闇〟と共に心の奥底でうごめく暴力的な本能をリング外で抑え切れるのかという問い掛けである。それは〝競技選手〟として致命的ともいえる問題であった。

 そこに込められた意味は極めて重い。寅之助もキリサメも、電知の差し出口に反応などしてはいられなかった。


「だからこそ、キミが振るうハズの暴力をボクが引き受けるのさ。集団ヒステリーに取り囲まれたときとか、過剰防衛になりそうな場合は人目に付かない場所でサクッと始末するから大丈夫。『八雲道場』の看板にもキズを付けない安全健全プランをご提案だよ」

「過剰防衛前提のどこが安全で健全なんだよ。キリサメのスタッフがやらかしたっつって銭坪満吉辺りが大喜びで飛び付くだろうぜ。誰が手を下したのかなんてクソみたいなマスコミどもには関係ねぇしな」

「確か『聖剣エクセルシス』――だっけ? 御大層ななまえはともかく、物騒なんてレベルじゃないノコギリが返り血に浴びる事態になったら『天叢雲アメノムラクモ』を離れるだけじゃ済まないってコトもキミは理解わかってるハズだよ。それでも身辺警護ボディーガードを断る理由があるなら、教えて欲しいね」

てめーの場合、断られない理由を探すほうが大変じゃねーか」

「ボクがサメちゃんの剣になる。『タイガー・モリ式の剣道』が『八雲道場』に降り掛かる災難を全て斬り払えることは、他の誰でもないキミ自身が一番理解わかっているだろう?」

「何だよ、その『タイガー・モリ式の剣道』って……。てめー、とうとう『コンデ・コマ式の柔道』までパクりやがったのかよ」


 合いの手のようにもってきた電知の差し出口を丸ごと聞き流した寅之助は、帆布製の袋の内側へ納めたままの竹刀をキリサメに向かって水平に翳した。

 それはつまり、狂おしいほどに執着する〝電ちゃん〟の声を黙殺してキリサメただ一人に向き合っているということだ。

 当のキリサメは寅之助本人とは目を合わさず、竹刀袋のる一点――地に伏せた虎の刺繍を静かに見据えた。

 彼の仕出かした事態の深刻さと比べた場合、この罪滅ぼしはとても釣り合うものではない。しかし、身辺警護ボディーガードということだけに絞って考えれば悪い申し出ではないだろう。寅之助の謳い文句が誇張でないことは比喩でなく本当に身をもって知っているのだ。

 包帯で覆われた両腕は青く腫れている。もしも、寅之助の得物が真剣かたなであったなら、防御に用いた『聖剣エクセルシス』ごと肘から下を断ち切られていたはずである。

 しかし、腕前これを確認背景を水に流すことなどできようはずもあるまい。電知という存在を通して友人と捉えてしまう〝錯覚〟は未だに拭い切れていないが、身勝手極まりない計略に未稲を利用された事実は肌を刺すトゲのように残り続けるだろう。

 〝生きていてはいけない存在〟という認識も微動だにしておらず、上下屋敷とは異なる意味で一つ屋根の下での共同生活などもってのほかと考えている。『八雲道場』では岳も暮らしているのだ。電知だけでなく自分にまで執着し始めた寅之助が〝家族〟を巻き込んで如何なる暴挙を仕出かすのか、分かったものではない。

 地に伏せる虎の刺繍もキリサメの目には凶兆としか映らなかった。これまでの悪行を振り返るまでもなく、「罪滅ぼし」や「友達」といった耳に心地良いも全く信用できないのだ。何もかも嘘に聞こえる自分のことを疑心暗鬼と嘲る気にはなれなかった。


(……故郷ペルーでのをみーちゃんに吹き込まれても困るしな……)


 砂色サンドベージュ幻像まぼろしけしかけられた為とはいえ、一度は本気で命を奪おうとした相手である。抑え難い暴力性を〝プロ〟以外に向けさせない為、それら一切を自分が引き受けると謳っていたが、寅之助その人が傍にる限り、故郷ペルー非合法街区バリアーダスで〝墓守〟をしていた頃と同じように四六時中、攻撃的な感覚が昂り続けるはずだ。

 〝人間らしさ〟を教えてくれた場所で暮らしながら、心の働きは地球の裏側で砂塵に晒される暴力の巣窟に引き戻されてしまう――何時までも〝闇〟の深淵に囚われたままでは未稲との誓いなど果たせるはずもあるまい。


「――こやつを傍らに置くこと、あるいはおぬしにとって良い方向に働くやも知れぬぞ」


 椅子が軋む音と共にキリサメの思考へ割り込んだのは総一郎の声であった。「看板に偽りナシってか⁉ 正気かよ、この藪医者ヤブッ!」という電知の素っ頓狂な声が天井を突き刺すほど意外であるが、彼は寅之助による身辺警護ボディーガードを支持するようだ。


「おぬしらが大都会のド真ん中で斬り合ったこと、そこまで拗れた背景もあらまし聞かせてもらったが、キリサメ君が目ン玉を血走らすのも無理あるまいて。……おぬしほとけごころなど持ち得なかったのじゃろう?」

「……コンピューターで調べて貰えば分かるかと……」

「捻くれた返答こたえじゃが、それ以外は素直でよろしい。……その素直さよ。己がからぬことを仕出かしたと心の底から悔いておる。二度と同じ過ちは繰り返すまいと強く決めておるのじゃろう?」

「それは、……当たり前です。これ以上、迷惑は掛けられません。もう誰にも……」


 寅之助を迎え入れるということは自ら毒を呷るようなものであろう。総一郎の問い掛けに頷き返しながらも、そこに秘められた意図を読み切れないキリサメは幾度も首を傾げそうになった。

 当の総一郎はまぶたが半ばまで閉ざされた双眸を覗き込み、「素直で大変よろしい」と右手でもって顎髭を撫でている。


「こやつの行状、疑い始めれば際限キリがないことは重々承知しておる。再び何らかの罠を仕掛けてくるやも知れぬわい。おぬしが善からぬ感情を抱くとしても、それは当然のこと」

「……今の僕には寅之助を心から信じることは難しいです」

身辺警護ボディーガードを依頼するか否かはともかく、こやつが傍にる間はおぬしも常に気を張っておらねばならぬのじゃな。挑発に乗って今日と同じ醜態を晒すわけにもいくまい」

「藪氏の言葉を借りるようで申し訳ないのですが、……同じ過ちはもう二度と繰り返したりしません。寅之助から何を言われても、どんなことをされても決して……!」

「もはや、こやつに引き摺られることはないと申すのじゃな? 結構結構。されど、その自信はどこから来るのじゃ? いや、細かい男と笑ってくれるな。医者の性分ゆえ原因が確定せぬとなかなか安堵できぬのじゃよ」

「結局、寅之助と僕はですから――」


 そこまで話して言葉を区切ったキリサメは刹那ほどの短さで寅之助を一瞥し、次いで総一郎に視線を戻すと、今度は自分のほうから彼の双眸を覗き返した。

 言葉を交わす内に総一郎の真意が自然と脳裏に浮かび、不可思議と思えるくらい馴染んでいったのである。他者から受け取ったものにも関わらず、心の片隅に初めから存在していたかのようであった。

 「寅之助とは似た者同士」という一言を自ずから発し、強く念じるよう総一郎に導かれたとも言い換えられるだろう。誰かに諭されて意識を向けるよりも自覚という形で見出したモノのほうが心を大きく振幅させるのだ。


「……寅之助を抑止力にする――と仰りたいのですね?」


 前髪の向こうに覗く眉間に何本かの皺を寄せているキリサメに対し、総一郎は口の端を吊り上げることで答え合わせに代えた。


「要するに邪悪な感情ものを鎮める秘訣じゃ。最も身近な例じゃとりんうちゆうかの」

「……キリン? 日本に来て半年も経っていないので、藪氏が何を仰っているのか、僕にはさっぱり……」

「なんじゃい。最も通りが良いと思ったのじゃがな」


 総一郎が例に引こうとしたのは日本を代表する名女優と伝説的ロックスターの結婚生活である。

 夫のほうは破天荒を絵に描いたような人物であった為、一度や二度ではない女性問題や逮捕など傍目には順風満帆とは見えず、実際に四〇年もの間、別居し続けることになったのだが、それでも離婚にしなかった理由をたずねられたとき、妻は「夫は自分の心の醜い部分を教えてくれる有難い存在」といった旨を答えたという。

 を悪と見なして否定してしまったら何も生まれない――る種の悟りを開いたであろう名女優は、己が向き合う一切を感謝として受け容れるほどに達観しているそうだ。

 五十路いそじの医師にとってはたくさんのものが胸に去来するような話だが、両者の名前すら聞きおぼえがないという若者キリサメに語っても特に響くことはないだろう。


「人間という生き物は面白いものでな、己が恐れるモノに限って他者に見つけてしまうのじゃよ。己が隠しておきたいもの、己でも持て余しておるものばかり他者という鏡に映り込むわけじゃ。それが為に己と似通う人間に苛立ち、目を背けるだけでは足らずに鏡まで割ろうとしてしまう……尤も至極よ。恐れ慄くモノが己を見下ろしておるのじゃからな」


 「今日の僕みたいにですか?」と喉から飛び出しそうになったキリサメは、これを飲み下すべく慌てて口を噤んだ。

 敢えて聞き返すまでもなかった。顔面に刻まれている数多の皺が五十路いそじという年齢とは釣り合わないほど深いようにも見えるこの医師おとこは、視線を交わしただけでも心の奥底まで見通してしまえるのだろう。

 キリサメ・アマカザリという暴力の申し子だけでなく、先程の尋問では誰も言及していなかった寅之助の〝闇〟にも勘付いているはずだ。見据える相手は依然としてキリサメであるが、紡ぎ出される言葉の数々は寅之助にも当て嵌まるのだった。


「我執、超克、憧憬、解脱――身の丈を超えるほどの大望まで人間は己以外の誰かに映してしまうものよ。しかして、そこには魂を焦がした先に待つ虚しさが映し出されておる。大望を果たした理想の在り方など見えぬ。それ故にの持ち主を恐れるのじゃ」

藪医者ヤブのおっさんよォ、そいつは寅のコトを買い被り過ぎだぜ。キレたら何をやらかすか分からねぇってトコは確かに似てっけど……いや、もしかして、か?」

「然り――の持ち主を間近で眺めておる間は苛立ちが身のうちまで食い破ろう。一言一言が癇に障り、足の運び方一つまで真似するまいと独り善がりを噛み潰し……左様な葛藤を気が遠くなるほど繰り返す内に己を焦がし続けた邪悪な感情ものは燃え尽き、枯れてゆくのじゃよ。その灰をもって如何なるモノを芽吹かせるかは、……次第よ」


 いつしか電知までもが総一郎の言葉へ神妙に頷いていた。話す内容も声さえも、耳を傾ける者に深く深く染み込んでいく。

 『せんごくももろう』は山岡屋初代の父親をしょうろくいのぎょうとりたけ讃岐さぬきのすけ――通称『讃岐さぬきおきな』と伝えている。しょうろくいのとは日本の朝廷で用いられた官位であり、決して低い身分ではない。即ち、総一郎は高貴なるの末裔でもあるわけだ。

 古式ゆかしく大仰な語り口が空疎には聞こえず、自然と耳に馴染むのは古代より現代まで歴史と共にった〝血〟の顕現あらわれともいえるのかも知れない。

 尤も、にいじまかなめは同家伝の中で「桃太郎は讃岐さぬきの翁の養子であって直接的な血縁関係ではない」との説も紹介している。更には桃太郎がことも匂わせており、お寿という妻女の存在も、後世の藪家に繋がる系図であったほうが都合の良い何者かが勝手に書き加えた可能性もあるようだ。

 つまるところ、人の心をも読み解いてしまえる賢者の佇まいは遺伝ではなく総一郎自身の経験によって育まれたものであろう。


「……身に過ぎた欲は若者の特権じゃ。それを青春と懐かしむ日はまだまだ遠かろう」


 痩せぎすの体重を支える椅子が天井に小さな軋み音を撥ね返した。

 言葉を区切ったのちに溜め息を滑らせた賢者は腕組みしながら天井を仰いでいる。真上に取り付けられた蛍光灯ではなく、発光ダイオードの輝きの向こうに現実こことは違う遠い過去どこかているのだろう。まるで己が紡いだ言葉を噛み締めているようであった。


「……小難しいというか、小賢しいことを随分と並べてしもうたわい。心の在り方は旧友ふるなじみの専門じゃというのに――まァ、何じゃァ……『人の振り見て我が振り直せ』ということじゃよ。悪しきを映す鏡であらば、瀬古谷寅之助こやつほどの適任など他にはおるまいて」

「電ちゃん、聞いた? ボクってばすっかり邪悪呼ばわりだよ」

「……むしろ、てめーを邪悪以外で表す言葉を教えてもらいてェな」


 この期に及んで悪ふざけのような態度を取り続ける寅之助に総一郎の話がどれほど響いたのかは分からないが、キリサメのほうは邪悪な感情ものを鎮める秘訣を既に何度も反芻している。


(……信じられない人間のほうが効果的っていうのも、どうかと思うけどな……)


 生きていてはいけない存在――即ち、貧民街スラムの暴力性を剥き出しにさせられてしまう存在を敢えて傍らに置くことで魂まで血の色に塗り潰す〝闇〟を見つめ直し、これをもって自らを律するものとキリサメは理解していた。

 今日のような情況は、二度とは有り得ないのだ。

 〝プロ〟のMMA選手にあるまじき路上戦ストリートファイトのみを指すのではなく、これによって生じた混乱と損害が大勢の奔走で解決されたことをも含んでいる。

 単純に感謝すれば良いというものでもない。今日は希更たちの尽力に助けられたが、再び不祥事を仕出かしたときには二度目の奇跡など起こり得ないと、強く念じ続けるということでもあるのだ。

 その為ならば、瀬古谷寅之助という毒を呷ることもやむを得ないだろう。


(――ま、当面は好きにやったら良いよ。ボクは誰かに飼い慣らされる気はないし、変わろうとも思わないけどね)


 キリサメに態度の軟化を促した話をも心の中で切り捨てる寅之助であったが、味方となり得る総一郎に敢えて楯突く必要もなく、身辺警護ボディーガードの申し出が受け入れられる瞬間を薄笑いでもって待ち続けるつもりだ。


「コペルニクスさんもビックリな逆転の発想ってコトは何となく伝わってきましたけど、幾らなんでも無理があるんじゃないですか⁉ 先生が想像している以上にキリくんって野性味溢れてるんですよ⁉ 抑止力ストッパーになるどころか、逆効果全開でブーストするんじゃないかなぁ~っ!」

「一つ屋根の下はダメだって何度も言ったんだろ! どうしてもっつうならオレも一緒に居候だよ、この野郎! 未稲と同じ部屋で風呂まで一緒だ! 何が何でも眼福ラッキー系のハプニングを阻止してやるから覚悟しろ⁉」

「もう一つ、コペルニクス的転回が舞い降りましたよぉ。りんさんとうちゆうさんの関係をお二人に当て嵌めるということは、瀬古谷さんたちが晴れの門出を迎えるという意味にも取れますよね。身を固めると落ち着くと言いますし、とてもオイシいと思います」

「院長先生は仏教でいうところの〝だいだっ〟を引用したいご様子ですが、自分にとっての〝邪悪〟を見極めるまでアマカザリさんがノコギリ挽きを我慢できるのか、甚だ疑問ですね。激情を溜めておく器の底が抜けているようにお見受けしましたが……」


 何やら妄想にも近いことを口走った筑摩はさておき――未稲と上下屋敷は真っ向から総一郎に反対した。具足が擦れ合う音を真隣で聞くことを嫌がり、幼馴染みとの身長差を意識しない位置まで移動した大鳥も二人には同調している。

 漫画やアニメの世界から飛び出してきたものと錯覚しそうな二種類の学生服が板金鎧プレートアーマーと並んで喚き散らすさまは仮装行列も同然。あとはアコースティックギターの演奏でも加われば完成――と、苦笑いを浮かべつつ金切り声を受け止める総一郎も大きな反発が起こることは織り込み済みである。

 むしろ、当然とさえ思っている。寅之助という〝同類項〟がキリサメの抑止力となり得る根拠は先に述べた通りだが、複雑で繊細な領域への作用である為、必ずしも成功するとは限らない。確証がない以上は危うい賭けでしかないのだ。

 事実、未稲と大鳥も異なる見解に基づいてキリサメたちを引き寄せまいとしながら、悪化する危険性の高さに見合う試みではないという認識で一致している。


「そもそも先生のおうちはご先祖様からして猛毒の培養みたいな感じじゃないですか。桃太郎さんでしたっけ? 以前まえにバカ話として教わった初代の人、ヤバい仲間ばっかり侍らせた結果、あくどさに歯止めが掛からなくなったって話してましたよねっ?」

「そこで山岡桃太郎を持ち出すか……」

「瀬戸内海の『鬼』と合戦したときなんて、相手が立て籠もった砦のド真ん中に死んだ馬を放り投げて伝染病を引き起こしたんですよね? 最悪な前例を知っているのに、どうしてキリくんに無茶振りするんですかっ」

「……あのな、未稲な、確かに寅も性根が腐ってるけどな、オレもさすがに馬飛ばしてバイオハザード起こすようなヤツとはな、付き合っちゃいねぇんだぞぉ?」


 過去に総一郎から聞かされた話として未稲が挙げたのは、初代桃太郎率いる山岡屋と瀬戸内の有力水軍との間で海運を巡って勃発した武力衝突である。家伝『せんごくももろう』ではおとぎ話になぞらえて『鬼が島の戦い』との総称が与えられていた。

 未稲が指摘した通り、『鬼』とも畏怖される水軍の砦を攻撃した際に山岡桃太郎は大量の馬を火縄銃で撃ち殺し、その遺骸をわざと腐乱させた上で投石機に乗せたという。籠城策を内側から崩壊せしめたのである。


「桃太郎さんが馬を飛ばしたのも相棒の入れ知恵って聞きましたけど、瀬古谷さんから悪い影響を受けちゃったら、キリくん、きっと大変なコトになりますよ」

「路上の殴り合いと競技としての試合が区別できない事態を恐れておる――と? そこはおぬしらが手綱を握ってやるのじゃ。何もかもキリサメ君に押し付けるのはよろしくない」


 馬産担当の協力者から外道と罵られたこの戦術は〝伴星〟こといぬかいけんすけの進言から編み出されたものとも総一郎は語って聞かせたおぼえがある。未稲はキリサメにとっての寅之助が桃太郎とけんすけの再現になりはしないかと危惧しているわけだ。

 持って生まれた悪徳はともかくとして、その歪みから絞り出される奸計を実行へと加速させたのは、深く交わった〝伴星〟の影響に違いあるまい。


「そもそもな、儂の御先祖と比較するのは幾らなんでもキリサメ君に失礼じゃろう。借金で首が回らなくなった者に火薬と石を詰めた樽を背負わせ、『鬼』の本陣で自爆させる鬼畜外道など極端な例にも程があるわい」


 未稲から言われるまでもなく、総一郎の脳裏にも初代とその〝伴星〟がよぎってはいる。しかし、キリサメという〝素直〟な少年が寅之助に〝汚染〟され、後戻りできないほど道を踏み外してしまうとはどうしても思えなかった。


「未稲君はキリサメ君を信じ切れぬか? 何事も蹴る殴るの暴力で楽に済ませるほうに流され、溺れて終わると見えるかの? 儂の経験上、〝人間らしさ〟をすっかり失うほど堕ちる者は彼ほど心根が素直ではなかったぞ?」

「……ずるいなぁ、先生。そんな風に言われると反論できなくなっちゃいますよ」

「いずれにせよ、蠅がたかるような死骸モノを飛ばすほど〝足りぬやつ〟には堕ちまいて。堕ちようがないと言うべきかも知れぬわい」

「それはどうかなぁ……キリくんってば手段を選ばないトコロもあるし、似たようなコトもやり兼ねないかな~って……」

「そこまで気長な真似はしないよ、みーちゃん。敵の拠点に何かを投げ込むのならパイプ爆弾のほうが手っ取り早いし」


 総一郎による説得を丸ごと覆し兼ねない物騒な発言も飛び出し、未稲は困ったように口を噤んでしまった。

 答えに窮したものと見て取った総一郎から「おぬしの親父ならば、でも儂の提案に食い気味で頷いた筈じゃ」と畳み掛けられては、いよいよ返す言葉が見当たらない。


「今後も連れ立って行動し続ければ、ネット上の風聞ウワサもたちまち真実まことに変わるじゃろう。瀬古谷寅之助こやつが『八雲道場』の雇われ者と知らしめれば、その分だけ信憑性が増すという算段よ。刷り込みとは反復を重ねることこそ肝要なのじゃ」

「手鏡扱いの次は悪党呼ばわりで、今度は真っ当な雇われ者? 今日一日だけでボクも大忙しだねぇ。さっきはサメちゃんのお嫁さんみたいに言われちゃったし」


 さすがは商人の子孫というべきであろうか――総一郎はキリサメの傍に寅之助を付けるをも未稲たちに示していった。


(……この人、一体、何者なんだろうな……)


 精神面に期待される作用と、樋口たちの計略とも結びつく有効性――二種の影響を理詰めで説いていく総一郎の横顔を眺めながら、キリサメは何とも例え難い気持ちを持て余していた。

 現在いまは未稲と向き合っているが、自分の顔を――双眸を覗き込んだとき、藪整形外科医院の院長は懐かしそうに目を細めたのである。

 初めて診察を受けた日も同じであった。信じ難い存在ものと遭遇した瞬間のように双眸と口を大きく開いたのち、何度も何度も首を頷かせながら相好を崩したのだ。

 亡き母も青年海外協力隊時代の旧友が日本から訪ねてきた折に同じ表情を見せたものと記憶している。

 それ以来、キリサメは総一郎の眼差しから深い親愛の情を感じ取るようになった。主治医と患者という立場や長い付き合いである八雲岳との関係性も飛び越え、慇懃無礼な態度フィルターさえ挟まない感情を直接的に向けられるようになったのだ。

 ひょっとすると総一郎はまぶたが半ばまで閉じた双眸に〝誰か〟の面影を見出しているのかも知れない――その確信がキリサメの中で一等強まったのは、心の奥底に抱えた恐怖おそれを鏡の如く他者へ映してしまうことについて諭されたときである。

 厳めしい物言いで幾つもの実例を挙げていたが、その間にも此処には居ない〝誰か〟を思い浮かべていたのかも知れない。総一郎にとってはキリサメこそが懐かしい面影を映す鏡なのだろう。

 自分と同じく猛毒を呷るよう迫られた〝誰か〟なのか、あるいは総一郎が猛毒と感じる相手であったのか――普段は何事にも無感情なキリサメであるが、〝同類項〟かも知れない人物だけに興味を惹かれないといえば嘘になる。

 無神経と弁えているので詮索するつもりはないが、仮に後者であったなら奥底にるモノが読み取れない瞳は果たし得ぬ大望が枯れた果てた先に何を捉えたのだろうか。

 一方のキリサメも総一郎の双眸に故郷ペルーで共闘した国家警察のワマン警部を重ねている。反政府組織の壊滅を図った激戦地で遭遇し、『聖剣エクセルシス』を向けることになったニット帽の日本人男性とも似ているようであった。

 背筋が冷たくなるような洞察力を備えた総一郎の瞳は、寅之助が陽気な立ち居振る舞いの裏に隠し持っている〝闇〟をも見抜いたが、それは〝表〟の社会で生きる者には触れる機会もないモノである。

 他者の心を読み解く慧眼とはいえ、超能力者エスパーでもない以上は過去の経験や積み重ねた知識、これまでに出逢った人々の行動・心理の傾向パターンなどを手掛かりとするしかなく、これに基づいて九分九厘ともたとえるほど高い精度の推理を弾き出しているに過ぎないのだ。

 それはつまり、藪総一郎も余人には窺い知れないほどの〝闇〟を抱えた一人という証左である。破壊の本能にも直結するくらい感情の在り方まで理解していることは、ここに至るまでの言行からも瞭然であった。

 だからこそ、社会の〝裏〟を主戦場とするワマン警部や、その深淵を根城にするニット帽の日本人男性が総一郎と重なったのだ。

 破壊と殺戮の衝動に飲み込まれたキリサメのように分かり易く妖気を撒き散らすことがない慧眼は、心の働きにいても寅之助という鏡が必要と静かに見極めている。


「――激情を溜めておく器の底が抜けているようにお見受けしましたが」


 先程まで己を脅かしていた竹刀と、これを納めた帆布製の袋へ視線を巡らせたとき、大鳥から示された懸念がキリサメの脳裏に甦った。

 もはや、己自身が竹刀袋に刺繍された虎の如く地に伏せるしかないのだろう。故郷ペルーから遠く離れた今、容易く牙を剥くことなど許されない。そのように変わっていかなくてはいけないのだ。


(……頭の中身をイジられるみたいで、どうしようもなく気持ち悪いけどな――)


 瞑目を挿むほど躊躇ためらったのち、キリサメは寅之助の顔に目を転じた。突き刺すような視線に気付いた彼と改めて向き合い、そのまま言葉もなく互いの瞳を覗き込む。

 気遣わしげな表情かおで双方の様子を交互に窺う電知の優しさを受け止めながら、キリサメは深い吐息と共に口を開いた。


「――ちょっと待って下さいや、総一郎のダンナァ! こんなもんが後始末になるんですかい⁉ 何のお咎めもナシたァ釈然としねぇよ! ああ、納得いかねぇッ!」


 キリサメから寅之助に向けられるはずであった言葉は、突如として割り込んできた大声によって最初の一言から無残に押し流されてしまった。

 第一診察室に居合わせた全員の鼓膜をまとめて痛め付ける大声からも乱入者の正体は明らかであろう。壁に叩き付けるような勢いで開け放たれたドアの向こうに立っていたのは当然の如く御剣恭路その人だ。

 ドアの近くから聞こえてきた悲鳴を黙殺し、一等吊り上げた狐目で寅之助を睨み据え、「そうやってアマカザリの隙を狙おうってハラなんだろうが!」と指差した恭路の強面は何時にも増して迫力が漲っている。

 尤も、狭量という言葉が〝短ラン〟を着て遠吠えしているような中身も、『あらがみふうじ』なる古武術の腕前も大したことがなく、どれだけ凄んだところでメッキ同然と知れ渡っている為か、誰一人として立ち竦むことはない。ただただ迷惑そうに顔を顰めるばかりという有り様であった。

 そもそも恭路は秋葉原を揺るがす大騒動の当事者――『天叢雲アメノムラクモ』の新人選手を追い掛けてくるだろうマスコミを迎え撃つべく正面玄関での見張り役を買って出たのである。診療時間外でも構わずに土足で踏み込んでくる不埒者たちを待ち構えていなくてはおかしいはずの男が第一診察室へ現れること自体、理解に苦しむのだ。

 キリサメに向かって「オレに任せとけって! お前に指一本、触れさせるかよ!」と豪快に請け負ったのが己自身ということまで忘れ去っている可能性が高い。


身辺警護ボディーガードだったら真っ先にオレを呼べよ! 何の為の兄貴分なんだよ⁉ つーか、それがスジってモンじゃねぇか⁉ 得体の知れねェクソガキを選ばれたんじゃ、こっちはやってらんねーやいッ!」

「どうもおれには分からねぇんだけど、御剣の野郎、さっきからキリサメのことを弟分みてェに扱ってるよな? お前ら、何時の間に義兄弟の契りなんか交わしたんだよ?」

「……僕のほうがきたいよ。この人、いきなり兄弟分なんて妄想し始めたんだ」

「別に『さんごくえん』の〝とうえんの決義ちかい〟みてェなのをやったワケでもねぇのか。すがだいらンときからおかしかったけど、パンチパーマをアンテナにして変な電波でも受信してんのかよ」

「二人してツッコミ入れるのはそこなのかい。恭ちゃんってば自分の持ち場を勝手に離れてるんだよ。玄関、施錠されていないんでしょ? 院内なかまでワイドショーのレポーターが押し掛けてきたら責任問題だよ」

「るせーな! てめぇがまたアマカザリにちょっかい出すんじゃねーかって、そればっかり気になって仕方ねーんだよ! つか、その『恭ちゃん』はやめろっつってんだろッ!」


 案の定というべきか、恭路は早々に持ち場から引き上げてきたようだ。ひとところに留まっていることが苦手な性格であろうと誰もが分かっているので寅之助以外に咎める声もない。

 その寅之助に対する制裁の行方を恭路は全て把握している。一〇分と経たない内に己の役目に飽きてしまい、第一診察室の外で長時間に亘って聞き耳を立てていたのだ。

 薄壁一枚を隔てた向こうで結論に至るまでの経緯を盗み聞きしていたようなものだが、無粋な追跡からキリサメを遠ざけるという大切な役割さえ簡単に放り出してしまえる男が更に難易度の高い身辺警護ボディーガードを買って出るとは悪い冗談としか思えなかった。


「……恭路、おぬしが入ってくると話が拗れて敵わぬ。大人しく表を見張っておれ」

「そりゃねェッスよ、総一郎のダンナァ! 瀬古谷のクソ野郎はペルーの悪魔に雇われた刺客なんスよ⁉ アマカザリの絶体絶命なんだ! ダンナが得意だったっつう逆さ吊りの刑で悪の計画を洗いざらい吐かせましょうやッ!」

「阿呆め。仮にも院内で左様に血腥い真似ができるか。五寸釘も百目蝋燭も買い置きがないわ。……おぬしのことじゃ、きっと今回も思い込みで突っ走っただけじゃろう?」


 総一郎から目配せでもって答え合わせを求められた寅之助は、大仰に肩を竦めつつ頷き返した。

 狂言ウソの中で指定暴力団ヤクザとの繋がりを仄めかし、キリサメの動揺を誘いはしたが、依頼主と偽ったのはあくまでも日本国内の反社会組織であり、恭路が妄想するペルーの悪魔などではない。彼の発想がどこからやって来たのか、寅之助にさえ分からないくらいなのだ。

 早とちりと思い込みが御剣恭路という人生の大半を占めていることに理解があるらしい総一郎は「ますます親父に似てきたのォ」とかぶりを振りつつ笑ってみせた。


「あやつも――『きょうへい』もそうであった。ひとたび、信じ込んだら周囲まわりの声など耳を貸さずに一直線よ。遠巻きに眺めておる分には痛快じゃろうが、身内に持つと堪ったものではないわい。……そういえば、『恭平』と同じ愛称も付いたようじゃな。これまた懐かしい気持ちが込み上げて参ったぞ」

「あ、あのクソ親父とそっくりってのだけは勘弁して下さいや! 名前を聞いただけで蕁麻疹が出ちまわァッ!」


 互いの呼び名からも明白であったが、総一郎と恭路は旧知の間柄であるようだ。

 長い付き合いであることも間違いなく、「入院患者はらずとも此処は病院よ。おぬしが恭平と違うのであれば、それ相応の態度を見せい」と窘められただけで声を落としてしまうのだから、恭路にとっては〝城渡総長〟と同様に畏敬の対象なのだろう。

 聞き耳を立てながらも入室まで踏み切れなかったのは、身勝手に持ち場から引き上げたことを総一郎に叱られたくなかった為であるのかも知れない。


「……瀬古谷の野郎、『てんぐみ』の名前まで持ち出しやがったんスよ。総一郎のダンナも隊を虚仮コケにされたら黙っちゃいられねェでしょ?」

「うッわぁ~、恭ちゃんってば本当に話をややこしくしてくれるなぁ。裏社会そっちの事情に詳しい人から教わったコトをそのまま話しただけなのに」

「ウソつけ! 殺し屋一味みてェにクサしてやがったろうが! 一番許せねぇのは新撰組の丸パクリ呼ばわりよォ! 新撰組あっちは『誠』の隊旗、覇天組こっちの隊旗は『仏捨』で全ッ然違うだろーが! てんぐみをナメんなッ!」

「ツッコミ入れるの、そこなのかい」


 恭路が寅之助へ食って掛かる間に総一郎の眼差しが少しずつ変わっていった。

 目付きそのものが険しくなったわけではなく、変調などは殆ど見受けられないが、瞳の奥に得体の知れない〝何か〟が蠢き始めている。

 間もなく寅之助を射抜いた眼差しはてんぐみ詳細ことを何処の誰に聞いたのか、洗いざらい白状するよう求めていた。瞳の奥で「言い逃れは断じて許さぬ」と脅かしているのだ。


「……ちょっとした知り合いのカラーギャングから教えて貰ったんです。中野界隈でふんぞり返る『桃色ラビッシュ』って名前くらいは聞いたことがありません? 少し前にも警察沙汰を起こした非行集団ガキのあつまりなんですけど、そいつらが泣く子も黙る『こうりゅうかい』と繋がっていたんですよ。手下のツテから知っていた情報のお裾分けって具合です」


 『仏捨』の二字を隊旗に掲げ、揃いの黒装束を纏っていたという集団について、を知り得た経緯や、個々の隊士は一人として把握していないことを寅之助は皮肉の一つも交えず素直にしていった。

 隣に立つ上下屋敷をも竦ませるほどくらい瞳が突き刺さっているのだから、それも無理からぬことであろう。内面から滲み出たものとは違う作り笑いを貼り付けた寅之助は、総一郎が首を頷かせる動作うごきにまで倣っている。


「恭路が持って帰ったあの布切れ、何か見おぼえがあると思うたが、成る程、末端の使いパシリじゃったか……」


 パッションピンクのカラーギャングと電知たちが所属する地下格闘技アンダーグラウンド団体『E・Gイラプション・ゲーム』は二〇一四年ことし初めに縄張り争いのような事態に陥ったことがある。

 電知に本気で闘ってもらうことを至上の夢とする寅之助はその際にくだんの非行集団へ加担し、乱闘騒ぎにまで発展するよう内側から扇動していたのだが、構成員ギャングのリーダーにでも『こうりゅうかい』傘下組織の詳細ことたずねたのだろう。

 壊滅的ともいうべき大敗後、『E・Gイラプション・ゲーム』の雑用係にまで成り下がったカラーギャングは度重なる暴走を理由に『こうりゅうかい』から絶縁され、その絶大なる後ろ盾を失っていた。

 上下屋敷が震える声で付け足した説明はなしに頷いたのち、総一郎は苦虫を噛み潰したような表情で頭を掻いた。


「……ひょう殿とは思えぬ不手際よ。組織が大きくなるとを見落とすものじゃが、あの才覚をもってしてもそうなるか。〝こうしゅうばく〟のすえも今や関東最強じゃからのぉ……」

「……院長先生、どうして大親分の名前を――」

「――てんぐみがこと、胸に仕舞って二度と口にするでない」


 たずね返す寅之助の声を重く静かに遮った総一郎は、次いで左右の手を胸元の辺りまで持ち上げた。

 手術直前の医師も洗浄後の清潔な状態を保つべくこうした姿勢で患者と向き合うが、総一郎の場合は真っ二つに割れた桃をそれぞれの手で持ったようにも、天秤を模った構えのようにも見える。

 おそらく寅之助の目には後者と映ったことだろう。総一郎はてんぐみの残照を追い掛けることで身を危うくすると諭しているのではない。生死のどちらか一つを選び取るよう迫っているのだ。

 天秤を模った左右の手には割れた桃ではなく生命が握られている。ほんの一瞬ではあるものの、総一郎の目の下が黒ずんだように誰もが錯覚した。


「その隊名はそのまま忌み名。『昭和』の彼方に消えた亡霊よ――穿り返さば身の覚えのない怨みがおぬしを取り巻き、骨の一欠片とて残さずに焼き尽くすじゃろう。名も知らぬモノらに祟り殺されるがは望むところではあるまい」

「……ボクは一介ただの高校生ですよ? 刑事でも私立探偵でもありませんから。これ以上、嗅ぎ回る必要なんかありません。用事だってもう済みましたし」

賢明いいこじゃ」

「ちょっと待ってくだせェ! それじゃあ、結局、お咎めナシじゃねェッスか! 十八番おはこの十文字槍もブン回さないんスかァッ⁉」

「こやつの言葉を借りるなら儂ゃ一介ただの開業医じゃぞ? あらごとなど好かんわい」


 裁定に納得できないらしい恭路は硬い音を撥ね返す靴で地団駄を踏み続けたが、総一郎当人も寅之助も、彼の喚き声など全く相手にしていない。

 てんぐみという〝忌み名〟を二度と口にしないことが最良の選択と、彼ら二人だけでなくこの場に居合わせた誰もが理解しているのだ。そして、それを認めたからこそ総一郎も天秤を模る構えを解いて腕組みに戻したのである。

 瞳の奥で蠢いていた得体の知れない〝何か〟も今では鎮まったようだ。

 尤も、大鳥などは『甲龍会ヤクザ』との関わりを仄めかされた直後から険しい表情で総一郎を見据えている。品行方正を絵に描いたような青年にとって極めて珍しい面持ちであることは恍惚うっとりと眺める筑摩の姿が表しているだろう。

 恭路本人だけでなく、彼の父親とも古い付き合いであったことが総一郎の言葉から窺えた――口に出して確認しようとは思わないが、キリサメは己の認識が他の者たちにも共有されていることを疑わなかった。

 岳ともども藪整形外科医院を懇意にしている未稲は『天叢雲アメノムラクモ』の前身団体を破滅に追い込んだ『こうりゅうかい』と総一郎の関わりを既に承知しているのかも知れない。そのような意味でもてんぐみのことは深く詮索するべきではないと心の中で念じるのだった。


(御剣氏だってシャットアウトするべきなんだろうけど、……それを言い出したら岳氏が藪整形外科医院に通っていること自体、おかしな話になってしまうよな……)


 商業ビルの工事現場にて寅之助へ挑みかかった際、恭路はてんぐみのことを自身が所属する暴走族チーム『武運崩龍ブラックホール』に勝るとも劣らない〝武闘集団〟と讃えていた。

 その最中に己の父親もてんぐみ隊士であったようなことを口走ったのだが、あるいは藪総一郎も同志の中に含まれているのかも知れない。他者へ教え諭し、導くような物言いに慣れていることから幹部ではなかろうかともキリサメは想像していた。

 あくまでも想像のみに留めている。てんぐみへの興味を僅かでも晒せば、再び総一郎に天秤の構えを取らせてしまうだろう。先程も人外の〝何か〟を垣間見たようで心臓が凍り付くほどの戦慄を味わったばかりである。

 もしも、得体の知れない瞳が自分に向けられていたら、心の奥底にる〝闇〟が尋常ならざる反応を示したかも知れない。

 『天叢雲アメノムラクモ』のリングで岳が披露した『超次元プロレス』には大いに昂った。古い時代の技をふるう電知と寅之助にも心身が軋むくらい圧倒された。しかし、彼らから受け取った心の振幅とは〝何か〟が異なっているように思えるのだ。

 フランス外人部隊エトランジェ出身を称し、イラン由来の拳法で襲い掛かってきたニット帽の日本人男性や、変則的な二挺拳銃と短剣ボウイナイフを巧みに組み合わせる殺し屋デラシネといった故郷ペルーで相対した強敵に近いモノを総一郎には感じている。

 使い方次第で殺傷のすべとなり得る希更の『ムエ・カッチューア』も〝こちら側〟といえるのかも知れない。


「――で、わたしは何時までここにいなくちゃいけないんですか?」


 飽きもせずに喚き続ける恭路を除いて第一診察室の皆が口を噤んだ瞬間、人体の骨格標本の近くに控えていた一人の女性が己の存在感を示すように右腕を、次いで左腕を続けて突き上げた。

 薔薇の花びらと見紛うほど大量のフリルをあしらったロングスカートを穿いている上下屋敷と似たような出で立ちの女性シンガーである。

 秋葉原駅前で路上ストリートライブを行っている最中に商業ビルへ突っ込む〝ゾク車〟を目撃し、何事かと覗き見たのが彼女には不幸の始まりであった。寅之助から演奏役として〝げきけんこうぎょう〟に引きずり込まれ、成り行きでアコースティックギターを爪弾いている内に京島ここまで同行させられてしまったわけだ。

 キリサメたちの斬り合いをプロモーションビデオの撮影と偽り通すには演奏役の彼女にも関係者スタッフの一員として撤収完了まで留まって貰わないと困る。それ故に屋上庭園で帰らせるわけにはいかないと大鳥から説得されたのである。

 もはや、一連の騒動は終息した。誰に断るでもなく藪整形外科医院を後にしても構わなかったはずだが、ときには身を刺すほど張り詰める空気に呑まれてしまい、今の今まで満足な自己主張も叶わなかったのだ。

 居た堪れない気持ちを持て余したまま時間だけが無為に過ぎ、先程も暴力的な勢いで開け放たれたドアに巻き込まれそうになっていた。迷惑極まりない恭路から奪い返し、大事そうに抱えていたアコースティックギターを叩き壊されるところであったわけだ。

 その女性シンガーに大鳥は恐縮した様子で陳謝し、これを一瞥した電知は「とっとと帰りやがれってんだ」と素っ気なく言い捨てた。


「わたしだって帰りたかったけど、雰囲気的に居残ってなきゃダメな感じだったじゃん。後で電知くんに『先にトンズラしやがった』とか文句言われるのもイヤだし」

「知らねーよ。ボケーッと間抜けヅラで突っ立っていやがるとは思ったけどよ」

「そこまで言うなら『何してんだ』って一声掛けてくれたら良いじゃん。今さら言っても後出しじゃんけんでしかないよ。電知くんっていつまで経っても気が利かないね」

「ほっとけ!」


 砕けた調子で言い争うということは、電知と女性シンガーが旧知の間柄であることは間違いない。屋上庭園で鉢合わせした折にも互いのことを名前で呼び付けていたのだ。

 電知のほうからは女性シンガーに『とちない』と声を掛けていたはずである。

 キリサメは寅之助に、未稲は上下屋敷にそれぞれ目配せでもって栩内という少女の正体ことたずねたが、二人は互いの頭部を擦り合わせるような恰好で首を傾げている。

 『E・Gイラプション・ゲーム』の同僚選手に過ぎない上下屋敷はともかくとして、幼馴染みである寅之助でさえ知らない人間関係ということだ。


「とぉ~っても仲良しさんですけど、一体、お二人はどういうお付き合いなのです?」


 傍目には気心が知れた関係としか見えない二人に強い興味を抱き、真相に迫った筑摩は想像と極めて近い返答こたえを受けて興奮し、その場で飛び跳ねつつ鋼鉄の籠手ガントレットで包まれた両手を打ち鳴らすことになる。


「……おれが答えなきゃいけねぇのかよ。面倒臭ェなぁ……」

「そこでウジウジするって! 肝心なトコで男らしくないなぁ。この人、わたしの元カレなんです」

ちげェよ! ちげェって何度も言っただろうがッ!」


 栩内の発言を大慌てで否定し、「私とサトちゃんの遭遇も合わせたら天文学的な確率ですよね。そのレベルの再会なんて奇跡じゃなくて運命ですよぉ」と鼻息の荒い筑摩にも訂正を促そうとする電知であったが、もはや、それは後の祭りというものであろう。

 藪整形外科医院は洋風柵の向こうを行き交う京島の人々が仰天してしまうほどの大騒ぎとなった。


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