エピローグ もしかして三太郎?

 頭を漬け物石でがつがつ殴られているみたいにひどく痛む。胸焼けしているみたいに気持ちも悪い。でもって、身体が鉛みたいにだるくて重たい。


「風邪引いたね、私……」


 家に帰ってきてから、ちょっと気分がよくなって机の上に置かれていたシャンパンをぐぃぐぃ煽り、そのままコタツに突っ伏して寝たのが原因だろうことは、医者に行かなくてもわかる。

 いや、二日酔いも重なっている気もしないわけじゃない。むしろ、がっつり重なっている。ゆえの重症状態。


「さぶぃ……」


 寒気に大きく身震いし、思わずひしっと両手で我が身を抱きしめた。途端に尿意までもが攻めてきて、気が重くなる。暖かいこたつは魔物だ。根が生える。そこからできれば一歩たりとも動きたくない。けれど生理現象には逆らえない。いくら一人暮らしだからと言ってもトイレを我慢して粗相はまずい。

 

 まだ二十一。

 花も恥じらう二十代。

 

 こういうとき共同ってどうなのよと思う。やっぱり、あのとき三太郎が持っていた左の鍵にしておけばよかったかな……なんてこともチラリと頭をよぎっていく中、私は重い腰を上げた。

 

 いや、そもそもだ。

 

 橙色のはんてんを着込んだ背中を丸めてトイレへと向かいながら、昨夜のできごとを思い出す。


 あれはリアルだったのか?


 ここが一番引っかかっている。なぜなら、実際、こたつの上には財布の入ったバッグもスマホもあった。財布の中身も調べたが、取られた形跡はまったくない。大学の身分証明書もしっかり入っていたし、盗まれた系の跡はなにひとつなかったのだ。


 と、なるとだ。


 私は出掛けたのか……という疑問が頭の中を駆け巡るが、記憶がかなり怪しい。

 三太郎という私担当サンタと言った男の存在も、シャンパン飲んで記憶ぶっ飛んだ私の妄想世界なんじゃないの? と思えてならないのだ。

 サンタさんがいるなんて世界は素敵だとは思うけど、サンタさんは会社員で給料制で働いてますなんて、どうも現実味を帯びない。


「脳に風邪菌入ったね」


 間違いない。

 昨夜のことは夢オチ確定。


 寒くてしかたない廊下を歩けば、足にまで震えが走る。このトイレまで数メートルが長く感じて仕方ないが、それでも頑張って行くしかない。廊下でもよおすなんてことになったら、自室でもよおすよりも悲惨すぎる。二十一歳、女子大生。廊下で失禁……は人生最大の汚点になりかねない。いや、なる。


「就職したら、もちょっといいとこ住もうっと……」


 学生時代は我慢して、就職したらせめてトイレ付の部屋に住もうと心に決めながらトイレの前に立ち、扉を開けようとしたけれど……


「開かないってなんで!?」


 ガチャガチャとノブを回してみても、押しても、引いてもトイレは一向に開く気配なし。


 ちょっとちょっとちょっとぉ!!

 トイレ入れないって誰よ、長便!!


 ドンドンドンドン扉を叩いていると、ふいに背後から声がした。


「トイレ、水流れなくて現在使用禁止って書いてあるけど?」


 どこかで聞いたことがある声に、記憶を一気に遡る。

 遡る?

 さか……!?


 風邪で頭が痛いとか、気持ち悪いとか、だるいとか、もうそんなことぶっ飛ぶくらいの勢いでギュンッと首がもげそうなくらいの首を回してみれば、そこには声にならないほどの驚きが待っていた。


「……三……太郎!?」

「……呼び捨てかよ……」


 壁に寄りかかり、艶やかな長い前髪から視線だけを寄越している長身のイケメンは紛れもない。


 楠三太郎。


 その男だった。

 出で立ちは真っ赤なサンタ服じゃなくて、上も下も黒のジャージなんだけど……三太郎に間違いない。こんな身長も高くて、足が長くて、襟足遊んだ髪型で、三白眼なイケメンが世の中に二人も三人もいてもらっては困る。それこそ、世の中引っくり返る。


 っていうか夢?

 私まだ夢の続きを見ているんだろうか?

 だって彼はサンタクロースのはずでしょ?

 サンタって……普通の人だっけ?

 いや、なんか盛られたか?

 あのシャンパンになにか入っていて、私は幻を見てるとか?

 もしくはこの目の前にいる男は幽霊かなんかで、実際には他の人にはまーったく見えていないとか?


「あんた、眉間に皺寄せてくだらんこと考えるの、ほんと得意だな」


 はぁ……『そんなんだからオレ、苦労する羽目になんじゃん』とかブツブツと三太郎はこぼしまくった。


 苦労する羽目?

 なんのこと?


 目をぱちくりさせて三太郎を見上げる。尿意はすでに彼方へと吹っ飛んで行った。


「っていうか、どうしてここに?」


 私の質問に三太郎が疲れ果てたというような顔を向けた。一気にイケメンの顔から生気がなくなって老け込んだように見える。


「それ言うか?」


 口をへの字に曲げて、三太郎は大げさに肩を落として見せた。


 なに?

 私のせいって顔してるけど。

 私、この人困らせるようなことってした?


 しばしの沈黙に、記憶を手繰り寄せる。がしかし、思い当たるところがまったくない。彼を困らせることはしないわけじゃなかったかもしれないが、それでも全部丸く収まって、いい別れ方……ってキスまでしたじゃない……って思ったら、顔が火照って、腰がくねる。


「おいっ……妄想やめろ」

「はっ! あはは、やだ、私ったらぁって……記憶にないんですけど……なにかしてたっけ?」

「……なにかされてます」


 そう言うと三太郎は黒ジャージのズボンのポケットから折りたたまれた紙を私に差し出して、笑顔も見せずに「そういうことだから」と言い放った。


 どういうこと?


 疑問符を浮かべたまま、差し出された紙を受け取って、そっと中を開く。


「しゃ……く……よ……う……しょ? 借用書~ッ!?」


 しっかり、じっくり、中身を拝借。しかし何度見直しても、そこに書かれている文字が変わることはない。

『借用書』と黒い太文字明朝体が浮かんでいらっしゃる。

 それでもいい。百歩、いや、千歩譲って借用書はいいとしよう。問題はそこじゃない。


「五百万円って……?」


 借入金額五百万円。指で追って、何度も数えたから間違いない。五百万なんて大金を借りた覚えなぞ、まったくもってなし。

 すると三太郎はまた大きくため息をついた後「それ、あんたの値段」と言った。


「私の値段?」


 ということは……私はなにか?

 五百万で売れたってこと?


「あんたは五百万で売られたの。でも、実際にあの男、あんたの元彼が手にしたのは百万。計算できるよね? あの男の四百万の借金と合わせた金額がそれ」


 そう。

 すごいね、私。

 五百万で売れたんだッ!


「そこ、喜ぶとこじゃねぇんだけど」

「違うの?」

「だいたい、なんで五百万くらいで喜べるんだよ。あんた、本当に救えないよね? もっと自分を大事にしろよなぁ、本当に」

「じゃ、なに?」


 はぁ……答えの代わりに大きなため息が返ってくる。


「あんた、あの男幸せになってほしいって言ったよな?」

「うん。言った」

「あんた、逃げたよね?」

「ん? 逃げたっていうか、逃がされた?」

「助けられたんです、オレに」

「ああっ、やっぱり助けてくれたの、三太郎だったんだ!」


 アハハと笑った途端にこめかみをげんこつでグリグリされる。


「いたたたっ! ちょっとなにするのよっ!」

「ムカついたから罰」


 目の座った三太郎の背後に真っ黒なオーラが見えた気がして、私は大人しくその場に正座した。冷たい廊下は氷みたいで身体が縮こまる。

 そんな私をじっと見つめながら、三太郎は続けた。


「逃げた場合、借金どうなる?」

「ん? どうなるんだろうね?」


 借金清算の肩代わりが私。逃げてしまった場合の事なんて考えたこともない。というか、あのときは売られたなんていうことも知らなかったし。売られていたと知ったら逃げなかった……のかもしれないけども。


「あのさ。あんたを買った連中はさ、あんたを他のところに売ろうとしてたよね?」

「ですね」

「……逃げたから売れてないよね、あんた?」

「そうですね」

「商品逃げたらさ、そのお金返せってなるんじゃねぇの、普通?」


 ぽかんと口を開けたまま、三太郎を見つめ返す。


 えっと……まとめると。

 優介が私を五百万で売ってお金儲ける。

 売った相手は私を売って儲けようとしたけど失敗する。

 儲けが得られない相手は元手から金を返してもらおうとする。


「優介、お金ないから取れないよね?」


 元手のお金がない場合は払えないから……借金帳消しにしてもらったということだろうか?


「お金だけならいいけど、普通、そういう場合って命までとられなくねぇか?」


 確かに私を取り囲んだ人たちは黒スーツにガタイがよくて、見た目的にはもう裏社会にいそうな怖そうな人たちだったけど……ということは?


「ちょちょちょ……優介無事ッ!? 無事なの!?」


 思わず三太郎の胸倉掴んでブンブン揺すると、彼は「ぁあ?」とだるそうに返事をし「無事じゃなきゃ困るんじゃね?」とぶっきらぼうに答えた。


「よかったぁ」


 胸をなで下ろし、三太郎の胸ぐらを離すが、彼はまた呆れたように「……よくないと思うけど」と返してきた。


「なんで?」


 不思議そうに見上げる私の手の中にある借用書を指差す三太郎。


「借用書、誰の?」


 そう言われてじっくり見た瞬間、私の目玉は数センチ飛び出した……に違いない。


「えっと……えっと……なんで私?」

「当然じゃね?」

「意味わかんない」

「だって、あの男にしあわせになってほしいって願ったじゃん」


 至極当然の結果でしょうと言わんばかりに冷静に答えられる三太郎に、私は思いっきり腕組みして首を傾げた。


 それはそうですけど。

 私、借金したいとは言ってません。


「ちなみに誰にお金借りているのか、ちゃんと見ないとダメじゃね?」


 誰にお金を借りているのか。

 そうだな。

 それ重要。

 利子の問題もあるものね。


 そう思い直して、もう一度じっくりと借用書を見る。


 見る。

 見る……って。


 時間が止まる。

 これなに? と思考も止まる。


「楠三太郎……なんで?」


 呆然自失寸前の私の手から三太郎は借用書をスルリと抜き取ると。


「そういうわけだから」


と言って、借用書を畳んでポケットの中へとしまい込んだ。


「っていうか、どうしてそういう大事な事を最初に言わないかなぁ!」


 唇をとがらせて不満をぶつける私に、三太郎は冷たい視線を浴びせて質問した。


「言ったらあんたやめた?」


 その言葉で、唇を尖らせた状態のまま静止画像になる。


 あんたやめた?

 優介をしあわせにするのやめた?


 三太郎の黒光りした瞳が何度もそう問いかけてくる。


「……やめて……ないような気がします」

「だよね」


 たぶん……その場で説明されていたとしても、私はきっと「YES」と言ったと思う。


「ほんと、呆れるくらいバカだよね、あんた」


 ひどいひどいひどいひどい!

 わかってるわよ。

 バカバカ言われなくてもバカだって、わかってるわよ。

 それでもよかったなって思っちゃうんだから。


「救いようがない人だよね、あんたって人は本当に」


 呆れて仕方ないという三太郎は目を細め「これだからな」と呟いた。


「というわけで……あんたが借金返してくれるまで、オレはあんたの傍であんたを監視させてもらうから」


 俯いていた顔をあげ、三太郎の顔をまじまじと見つめる。

 監視って、囚人でもあるまいし。監視されなくても借金踏み倒して逃げるようなマネはしないと思うのだけど。


「ちなみにそれ、会社の金だから。オレ、会社から派遣された身の上だからヨロシク」


 ポンっと肩を叩かれて、その場を後にしようとする三太郎のジャージをこれでもかというくらい力強く、むんずと引っ張る。


「……つーか、苦しいんだけど?」


 そりゃそうだ。

 苦しめるように引っ張っている。


 っていうか、なに?

 私、サンタクロースの会社に借金してんの?

 あんたたちの仕事って夢配達じゃなかったっけ?


「ま、とりあえず。バイトから始めたらいいんじゃね? 夢配達人になるのも悪くないと思うけど?」


 あんたなら……きっとイイ配達人になれると思うけど?


 そんな一言を告げられて。


「……かなぁ?」


 その気になる女がここに一人。


「……やっぱ、あんたって単純」


 はぁ……今世紀最大クラスの大きなため息が降ってくる。


「ってことで、改めてヨロシクな、くーみん?」


 ちなみにオレ、隣の部屋に住むことになったから……なんて耳元でポツリとささやかれる。


「えぇッ!?」


 見上げた三太郎はニッと白い並びのいい歯を私に向けて笑い。


「ってことで、早速仕事行くけど?」


 ワシッと首根っこ引っ掴まれて、私は三太郎に否応なく連れていかれる。


「って仕事って何!?」

「それは追々」

「えぇ~ッ!?」


 粉雪が降る。

 冷たさと優しい温もりを乗せて、粉雪が空から地へと舞い降りる。まるで雪の妖精たちが、遊びにやってくるかのように、優しい雪が降りてくる。


「ぶえっくしょんッ!」

「夢回収行くからって……ぉいッ! 鼻水ジャージで拭くなッ!!」

「だっでぇ……風邪……びいでんだもん」

「……あんた、ほんとに手ぇかかる」


 呆れただるい声で答える彼に連れられて、私は再び空へと舞い上がった。

 トナカイのソリはその姿を変えて……二頭の犬が引くそれに変わってはいたけれど。


「ま、いいっか」

「……軽すぎじゃね?」

「そうかな?」

「……前途多難な気がするわ」

「やぁだ。三ちゃんったら、ツ・ン・デ・レ」

「……落とすぞ」


 イケメンなのに、口が悪くて、だるくて、やる気なさげな彼は私担当サンタクロース。

 突如現れた謎のサンタコスしたイケメンと、一夜限りの出会いのはずだった。

 ロマンチックで心に沁みる素敵な思い出のはずだったものは、前途多難な未来への序章へと姿を変えていく。


「まぁ……悪くないかも?」


 私のつぶやきの後にはお約束のため息が追ってくる。それもきっとこれからは日常の一コマになるのだろう。


 ワクワクとドキドキを胸いっぱいに走り出した私の新しい日常はしかし、悪くないかもなんて思ったことを後悔するほどに大変になるのだけれど……それは、もう少しあとになってからのお話。



【END】


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今夜、その夢かなえます! 紫藤 咲 @saki030610

★で称える ヘルプ

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ