f−4/2 北海道撮影旅行 その1
その次の年の夏は、私にとって思い出深い夏休みとなった。
本来なら今頃私も、高校に進学して明子達と夏休みを楽しんでいたとこだろうが、社会人となってしまった私には、夏休みなど無縁のモノだとばかり思っていたところに、
「はい? 北海道………………ですか?」
7月に入り、あちこちでプール開きの広告が目立ちだした頃、山田先生はまるで思いだしたように、北海道へ撮影に行かないかと、誘ってきたのである。
「うむ、せっかくだから、慰安旅行がてらと思ってな。君の腕試しにいい被写体や、見せたい場所もあるし、丁度いいだろう」
何故か山田先生は嬉しそうにそう言った。
先生は北海道の、東の方にある中標津近くにある、小さな村の出身なのである。
今ではその村も、過疎のためになくなってしまったそうであるが、それでも数年ぶりの帰郷に、先生は年がいもなく嬉しそうだ。
私も思いもしなかった旅行の話しに、顔には出さなかったものの、心の中では飛び上がって喜びたい気分だった。
家出をする前、大介や明子達と卒業旅行の計画を立てていたのに、結局は行けずじまいだったし、東京に来てからというもの、ずっと忙しくてそれどころではなかった。
だが、考えてみれば私はまだ16歳なのだ。
せっかくの若い時期を、このまま終わらせることもない。でも………………
「でも、いいんですか? スタジオの仕事の方はどうするんです?」
「その心配はいらんよ。休みの間は中野君に任せることにしているから」
中野君というのは、フリーの写真家であり、私と同じ山田先生の弟子だった人である。主に雪山の撮影を専門にしていて、私も何度か会ったことがあった。
「彼は冬しか写真の仕事ができないし、だからといってそうそう海外にまで行くわけにもいかない。そこで夏の間は時々、彼にスタジオの仕事を頼んだりするんだよ。まあ、彼だけでもないが、東京は土地代が高いからね。自分のスタジオを持てない写真家が多いんだ。そこで、私の仕事の空いている時期に、こうやってスタジオをレンタルしているわけだよ」
「そ、そうだったんですか……………」
意外かもしれないが、山田先生はせっかくのスタジオを、殆ど使わない。
自然界の動物写真を主にしているので、それも当然といえば当然か?
スタジオでの仕事は、先生が無名時代からやっていた通常のスタジオ撮影、つまり成人式や七五三といった記念撮影、モデル撮影などだが、今では高名である山田先生に、わざわざ撮ってもらおうという、度胸のある一般人はまずいない。
そして幸いにも、しばらく出版社からの仕事の予定もないので、この夏はちょっと時間が余っていたのである。
8月5日、撮影機材を満載した先生のワンボックスカーは、フェリーで北海道に向かった。
およそ30時間にも及ぶ船旅の後、苫小牧から海岸沿いを南下して行く。
助手席の私は、初めての北海道旅行に興奮する自分自身をごまかそうと、ずっと自分のカメラををいじくっていたが、さすがの長距離移動に疲れ、思わず眠りこんでしまっていた。
当時、方向音痴だった私には、そのとき先生がどんな道順を走ったのか分からなかったが、目を覚ましたときには、あの歌でも有名な襟裳岬に到着していた。
岬には駐車場があり、そのすぐ横にお店があったが、北海道に来たばかりなので、お土産を買うのはまだ先だ。お買い物よりも、まずは撮影である。
私は岬の方に走った。
「す、すごい……………」
柵の向こうは、水平線の彼方まで続く、広大な太平洋が広がっている。
この海が南半球まで続いていると思うと、何とも感動的だ。
ここから見える大海原は、私が今まで見たどの海よりも、その雄大さを感じさせた。私がいた熊本での海と言えば、対岸に普賢岳が見える有明海や島原湾だったし、今、住んでいる東京で見える海といえば、湾内を多くの船がひしめき合う、狭苦しい東京湾だ。
だが、この海の景色のすごさはどうだ?
これが同じ地球上の景色なのだろうか?
目に見えない巨大な何かに圧倒され、私はしばし呆然と立ち尽くしていた。
そして、この素晴らしい絶景を、どうやって写真に撮ればいいのか分からずにいた。
「どこが『何もない〜♪』よ? こんなにすごい景色があるのに?」
「まあ、そういった意味の歌詞ではなかったと思うがね。それより、柵に近付きすぎだ。大きな物や景色を撮る場合、たとえ広角レンズを使っていても、被写体とはある程度の距離をとらないといけない。そこからだと、後で見たときに、どこの海の写真だか分からないだろ? 何か他にその場を示すモノと一緒に撮った方がいい」
先生に言われるまま、私は『襟裳岬』の看板を撮って、次にその看板が画面に入るよう、構図を工夫して撮ってみる。
次にこの海の景色を、いかにして小さな写真の中で表現するか考えた。
巨大な被写体を撮る場合、相手の大きさ分の距離を空けないといけないらしい。
例えば東京タワーだと、タワーから300mほど離れて撮る、といった感じだ。
だが、相手が海だと、さすがにそうもいかない。
カメラ片手に駐車場や近辺をうろつき、いろいろと構図を考えたが、どうにも満足のいく画が決まらないまま、私の北海道での初作品、『襟裳と大海原』は撮影された。
作品の出来がイマイチ納得いかないまま、私達は国道336号線、通称『黄金道路』を北上、今日の宿泊予定地、広尾を目指した。
ちなみに、この道が何故『黄金道路』と呼ばれるのかというと、断崖が続く海岸線の工事に、多額のお金がかかったからだそうだ。
工事の際には、多くの殉職者も出たらしい。
その話しを聞くと、海岸を打ち付ける波の音が、死んだ人達の悲鳴のように聞こえてくる。
私はその道を抜けるまで、恐くて海の方を見ることができなかった。
翌日は、国道236号線を通り、数年前に話題になった『幸福駅』『愛国駅』を見て、少し感動に浸り帯広に入る。
まだ時間が早かったので、私は故郷の父と明子、大介に土産を郵送することにした。
誰にもまだ、東京で写真の仕事をしているとは伝えていないので、土産に『今、仕事で北海道に来ています』と、一筆添えれば、何とかごまかすこともできるだろう。
土産物屋を探し、帯広の街をうろついていると、さすがは北海道だ。こんな内陸だというのに、カニが嘘みたいに安い。
一瞬、カニの形をしたカニ蒲鉾かと思った、というのは大袈裟かもしれないが、それでもかなりお手頃な価格で売られている。
店先にズラリと並んだ毛ガニや花咲ガニを、私は値踏みしながら選んでいった。
「お父さん、きっと喜ぶぞ。あ、でもお母さんはカニとかエビとか苦手だったっけ」
そう思ってカニを選ぶ手を止めた。が、
「な、何でお母さんのことなんか…………」
慌てて首を振り、心の迷いをごまかす。
これは父に送るお土産だ。何も母のことなど気にする必要もない。
「で、でも、お母さんの嫌いなモノを送ったら、後でイヤミを言われそうだな…………」
そう思って、私はその場を離れた。
でも、本当にそれが理由で買うのをやめたのだろうか?
「………………………………」
しばし考えたが、すぐにやめた。
そのことを、あまり考えたくなかった。
結局、お土産は、明子の好みに合わせて、帯広で有名なホワイトチョコレートと、バタークッキーにした。
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