第7話 はい、あ~んして下さい

「ぎゃぁ!」


 目を閉じた俺の耳に飛び込んできた悲鳴、それはカシワバラさんのものではなく忍者のものだった。同時に犬が唸っているような声も聞こえる。目を開けてみると巨大な白い犬に組み敷かれ喉元に食いつかれている忍者と、カシワバラさんとサイカ流当主の間に立ちはだかる、やはり白く巨大な犬二頭の姿がそこにあった。どうやら当主は犬の攻撃を避けるために後ろに飛び退いたようだ。もう一人の忍者はそれがかなわず、すでに大量の血を流して絶命していた。


「あ、あれは……うぇっ」


 さすがに流れ出る血を見て俺は吐いてしまったよ。


「す、スノーウルフ……?」


 カシワバラさんが自分を護るようにして当主に相対する犬の背を見て呟いた。スノーウルフ、ってことはあれは犬ではなくて狼ってことか。それにしてもデカい。


「な、なぜスノーウルフがここに……!」


 サイカ流当主、カシワバラさんの父親もこの出来事には驚いているようだ。もちろんユキさんもアカネさんも言葉を失って放心状態となっている。そこへひづめの音も荒々しく、数騎の騎馬兵が走ってきた。あの鎧はこの国では見たことがないものだ。


「我が名はババ・ノブハル! タケダ国騎馬隊のおさである!」


 騎馬兵の先頭にいた人が馬をいななかせ、馬上から槍を当主に向けて叫んだ。


「ババ殿! これはいったいどういうことか!?」

「国王陛下の勅命ちょくめいである! サイカ流当主サイカ・ナガイエ殿、直ちに国元へ帰還せよ!」

「国王陛下の? バカな! なぜ国王陛下が……」

「逆らえば我ら騎馬隊五百とスノーウルフ三頭が相手ぞ!」


 これは後で聞いた話だが一人いちにん五千の力量を持つサイカ流当主といえども、五百の騎馬兵と三頭ものスノーウルフが相手では勝ち目がないということだった。中でも騎馬隊長のババ・ノブハルという人は一騎当千の強者で、サイカ流を含めた武闘派と呼ばれる忍者たちからも一目置かれ恐れられている存在らしい。気がつくと騎馬隊長の後方数百メートル辺りに、ずらりと整列した騎馬隊の姿が見えた。


「な、なぜ他国であるこの地に我が国の軍勢が……」

「陛下がオオクボ国王に書簡をしたためたのだ。我が国の失態は我が国によって始末をつけると。オオクボ国王はそれを快諾されたということである」

「し、しかしシノは……この娘は我らサイカ流の掟を破ったばかりか大罪である抜け忍を目論もくろんだ者ですぞ! このまま生かしておいては……」

「サイカ・シノは確かに抜け忍。されどその前にすでにサイカとは絶縁したと聞く。そして今はカシワバラ・スズネと名乗りこの国の民として平穏に暮らしているとのこと。なれば我らタケダにとってはもはや他国の民。その民を殺せばオオクボ国王も黙ってはおられまい」


 そこでババ隊長は馬から降り、一枚の書状をナガイエの前に指し示した。


「これなるは我が国王陛下とオオクボ国王の連名による書状である。ここにはカシワバラ・スズネが忍法を封じタケダ並びにオオクボ国にあだなすことがない限り、移民を認め安穏を保証すると記されてある。これでもまだ逆らうか!」

「ぐっ……」

「サイカ殿にかせを! サイカ殿、自害は許さぬぞ。そなたには国王陛下が直々に聞きたいことがあるそうだ」

「ふんっ! 我らを舐めるな。我らには……」


「この方たちはどうしますか?」


 そこに楽しげな声と共に現れたのはユキさんのお母さん、チカコさんだった。チカコさんは縛り上げた黒装束の忍者五人を、お城の守衛さんたちに引かせながら歩いてきていた。


「なっ! お前たちまさか!」


 信じられないというように絶句したのはナガイエだった。


「申し訳ごさいません。この女、我らではまるで歯が立たず……」

「あらあら、まるで私を化け物のようにおっしゃいますのね」

「母上、これは一体……」


 チカコさんはこの五人が城に侵入したので、とりあえず生け捕りにしたのだそうだ。五人によると全く抵抗することも出来ずに文字通り瞬殺だったらしい。気がついたら縛り上げられていたということだった。どうやら刺客は俺たちが苦戦した三人だけではなく八人いたらしい。


「サイカ殿、どうやら万策尽きたようだな」

「くっ……」


 カシワバラさんの父親でありサイカ流当主サイカ・ナガイエはそこで力なく膝を折り、両手に枷をはめられがっくりとうな垂れた。


 こうしてカシワバラさんの父親サイカ・ナガイエとその一味は騎馬隊に連行され、俺たちは何とか全員無事にタノクラ男爵の城に入ることが出来た。それにしても腕に刺さった苦無くないを抜いた時の痛かったことといったら、死ぬんじゃないかと思ったくらいだよ。足のけんを斬られたカシワバラさんも心配だったけど、彼女は別室で休んでいるのであれ以来会っていない。代わりにユキさんとアカネさんが甲斐甲斐かいがいしく看病してくれるので、ちょっとだけ役得気分を味わっているところだ。


「ヒコザ先輩、はい、あ~んして下さい」

「ちょ、ちょっとユキさん、それは恥ずかしいって。自分で食べられるから」

「何を言ってるんです。私が油断したせいでヒコザ先輩にこんな怪我をさせてしまったんですから」


 そうそう、城に着いてからユキさんの動揺がハンパなかったんだ。あれにはちょっとビックリしたくらいで、しばらく俺に抱きついて泣きじゃくっていたっけ。その横で腕を治療してくれていたアカネさんがむくれていた気がする。ともあれ大切な友達を失うこともなく、こうして大好きな未来の妻二人に看病される日常も悪くないよ、うん、悪くない。


「それはそうとヒコザ先輩、怪我が治ったら剣術の特訓しましょうね」


 そう言って微笑むユキさんは可愛いけど、俺は不安しか感じなかった。やっぱり早く家に帰りたいよ。

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