第5話 どうか無礼討ちは私一人のみに!

「気がつかれましたか?」


 まるで小鳥がさえずるような声に目を覚ますと、俺は途端とたんに左頬にズキズキとした痛みを感じた。しかし右頬は何故か心地よい柔らかさと温かさかさに包まれている。この感覚、遠い昔に味わった覚えがあるぞ。そう、あれは……そうだ、まだ娘と呼べるくらいに若かった頃の婆さんの膝枕だ。


「婆さん……」


 俺はびっくりして半身を飛び起こした。そして恐る恐る振り返ると、こちらの世界では今までに見たこともないような可愛い女の子が優しげな目を向けていたのである。しかもピンクのいわゆるミニ浴衣というのを着ているので、俺は今の今までこの子の生脚で膝枕されていたということだ。何たる果報者だよ俺。もちろん可愛い、というのは俺基準だ。


「まあ、そりゃ私はブサイクですけど、いくら何でも婆さんはひどいです」

「あっ……いやいやいや、ブサイクなんてとんでもない! 婆さんと言ったのは……申し訳ない」


 前世の思い出を語ったところで理解されるわけがないので、俺は説明するのをやめて謝った。確かに今の俺と同い年くらいの少女に向かって、婆さんと口走ったのはあんまりだと思ったからだ。


「それはそうと、お怪我は大丈夫ですか?」

「えっと……」


 思い出した。俺は酔っ払いの一人に殴られて気を失ってしまったのだった。そう言えば酔っ払いはどうしたんだろう。あの中にこんな可愛い女の子はいなかったはずだ。


「あれ?」


 そんなことを思い出しながら辺りを見回してみると、先ほど俺に絡んできた酔っ払いは三人ともその場に伸びていた。そして今この場で意識があるのは、婆さんなどと暴言を吐いた俺を心配そうに見つめる膝枕のきみと、伸びた酔っ払いを木の枝で突いて遊んでいる少女だけだった。見る限りこっちの世界の義務教育を終えるか終えたかくらいの、日本でいうなら小学校高学年と思しき女の子である。


 少女は特に陽射しが強いというわけでもないのに、目深まぶかにキャペリンと呼ばれるつば広帽子を被っていた。加えて身につけているのが水色のミニ浴衣だったから、余計にキャペリンが不釣り合いに思える。顔を隠さなければいけない事情でもあるのだろうか。


「キミエさんたちは……」

「キミエさん? お連れの方がいらしたのですか?」

「あ、はい……」

「私たちが来た時にはどなたもいらっしゃいませんでしたよ」

「え? ではもしかしてコイツらをやったのは……」

ってはおりません! ただちょっとポカッと叩いただけです」


 あの、違いなんですけど。


 俺はそんなことを呑気に考えていたのだが、膝枕の君が指し示したのは腰に差した刀のつかだった。それはまるで日本刀のような柄で、どう見ても飾りには見えない。ちなみにこの世界で帯刀たいとうを許されているのは貴族と警察だけである。ところが膝枕の君はミニ浴衣姿なのだから警察の制服姿というわけではないし、身分を示すバッジも付けていない。となれば……


「あ、あなた様はもしや……」


 間違いない、この人は貴族だ。だとすると俺はとんでもないことをしてしまったことになる。平民の分際で貴族様に膝枕させたばかりか、あまつさえその相手に向かって婆さんなどと口走ってしまったのだ。これはもう、この場で無礼討ぶれいうちされても文句の言えない所業だった。


「男爵タノクラが娘、ユキと申します」

「だ、男爵……様の……」


 終わった。タノクラ男爵と言えばこの俺でさえ名前を知っている、古くから王都の東に広大な領地を持つ由緒ある豪族である。その娘に婆さんなどと言った俺は間違いなく首を跳ねられるはずだ。


「も、申し訳ございません! 男爵様のご令嬢様とも知らずにとんでもないご無礼を! ど、どうかお許し下さい!」


 俺はすでに無礼討ち確定だとしても、謝らなければキミエさんや俺の両親、果てはゆかりのある者まで沙汰が及ばないとも限らない。死ぬのは俺一人に留めなければならないのだ。


 ところがおでこをりむくくらいに地面にこすりつける俺を見て膝枕の君、ユキさんはクスクスと笑い出した。


「あなた面白い方ですね。お名前は?」

「は、はひ! ひ、ヒコザ、コムロ・ヒコザと申します!」

「ヒコザさん……それで、どうしてそんなに怯えているのですか?」


 ユキさんは相変わらずおかしくて仕方がないといった感じで、笑いながら俺に問いかけてきた。俺はというと未だに頭を地面に擦りつけながら、全身をガタガタと震わせていたのである。


「申し訳ございません! 私の無礼が許されないのは分かっております。ですが家族や友人には何の罪もございません。ですからどうか、どうか無礼討ちは私一人のみに!」


 そこでユキさんはとうとうこらえきれなくなって、声を出して笑い始めた。つられて酔っ払いを突いていた少女も笑い始める。


「アヤカ様、笑っては失礼ですよ」

「何を申すか。そちも笑っておるではないか」

「あ……あの……」


 俺は恐る恐る顔を上げて二人の様子を窺った。あれ、この少女、どこかで見た覚えがあるぞ。


「そなた、ヒコザとか申したの。わらわを存じておるか?」


 ちょっと待って、今思い出すから。ここは絶対に知らないって言ったらダメな気がする。えっと誰だっけ。さっきユキさんは少女のことをアヤカ様と呼んでいたが。あれ、待てよ、男爵令嬢のユキさんが様付けで呼ぶアヤカ様って……でもって妾ってもしや!


 俺は開いた口が塞がらないばかりか、二人の前でこれでもかというほどのバカ面をさらしていた。

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