八日目②

 子供のいる家庭は共働きが当たり前の香港。自宅で朝食を済ませる人は少ない。むしろ出勤前に外で食べる方が多い。朝ごはん持参で仕事前に食べるのも一般的らしい。

 飲茶や粥が食べられる店だけでなく、イギリス文化が入り込んでいる土地柄からイングリッシュブレックファーストの形態を取っている店もある。

 朝粥をもとめて散策していると、一軒の粥屋がサクヤの目に留まった。ホテルから西へ二百メートルほど行ったところにある、新光粥店だ。

 店内は広く、丸テーブルが並び、閑散とした内装とタイル張りが中国っぽい。メニューは広東語表記のみ。朝食を取っているのは地元の常連客ばかりだった。

 サクヤは気にせず、壁にかけられた赤いメニュー板を指さし、皮蛋痩肉粥と油器を注文した。ピータンと豚肉の粥は香港朝食の定番といっていい。

 ピータンは好き嫌いの好みが出やすいと聞くが、それは初めに食べた物による。いい物は、外側はゼリー状で塩味がきき内側の黄身は濃厚でねっとりとした食感になっている。悪い物だとアンモニア臭がきつくて味以前だ。

 運ばれてきた粥はやけどするほど熱い。

 カリカリとした塩味のある揚げパンは、粥に浸して食べるとうまかった。炭水化物に炭水化物の組み合わせが不味いはずもない。


「熱いな。今日は暑くなるのかな」


 サクヤは、手うちわをしながら粥をすする。薄味であっさり。米感はほぼ無いが、癖もなくサラッと入ってくる。値段の割に、ピータンと痩肉は結構な量。こういうところは素直にうれしい。


「ふう、満腹まんぷく」


 食べ終えて、さてホテルへ帰ろうとしたときだ。


「む、むむむ」


 ポケットが空っぽだ。カバンももっていない。

 そういえば手ぶらで部屋を出てきたと、いまさらながら思い出す。

 冷や汗が流れ、息がどんどん苦しくなる。


「財布、財布って英語でなんだっけえっと……」


 サクヤは店のおばちゃんに身振り手振りで訴える。

 身体の中から心臓の音が聞こえ、頭がぐるぐる回り出す。どうしていいかわからず、その場にうずくまってしまいそうだった。


「そう、ウォレット! I left my wallet at my hotel.」


 おばちゃんは表情変わらず首を傾げている。

 英語が通じない。中国表記のメニューがある段階で気づくべきだった。

 頭に血がのぼって膨れる感じがして、指先が小刻みに震えている。


「我把……えっと財布……ピンインだっけ」


 サクヤは必死になって、シャムロックホテルに財布を忘れたので取りに戻ることを、知ってる広東語と英語と身振り手振りも交えて伝えた。

 自信は過信となり、過信は慢心を生む。

 ホテルへ走りながら、一人旅の辛さを思い知るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る