064 : In Monochrome

「まだ、話さなきゃならねえことがあったな」

 浅い息をしながら話すデュオを、アルトは最早、止めなかった。

 カランド山脈の麓に見つけた、薄暗い洞の中である。ぴしゃん、ぴしゃんと定期的に落ちる水音を聞いていると、その度にやるせない気持ちが募っていく。

 わずかな灯りを与える小さな焚き火に、クロトゥラがそっと薪を足した。メレット宮からルシェルへ戻り、レイジス達父子から事の顛末を聞いた彼は、取るものも取りあえず馬を駆ってアルト達を探しに出たのだという。始めは聞こえた爆音を手がかりに、その後は風の向くまま闇雲に走ってきたというから、偶然合流できたことも「風の精霊に好かれている」おかげなのかも知れなかった。

 静寂の中に火のはぜる、ぱちぱちという音が響く。

 横たわるデュオの下にはクロトゥラのマントを敷いていたが、それも洞の湿気で既に水気を帯びている。薬もない、清潔な包帯もない、最低の衛生環境だ。わかっているのに、それをどうする術もなかった。

「まずは……そう。置き手紙に書いた、ヴィントシュティレのベルのことだ。彼女について、何か聞いたことはあるか?」

 言われてアルトは、ゆるゆると首を横に振る。しかしデュオが目を細めて身じろぎしたのを見て、改めて「いや」と声に出した。

「そうか。……会えと書き残したのは、俺とあいつが調べていたことについて、お前も知っておいた方が良いと思ったからだ」

 ぴしゃり、と、洞の奥でまた水音が鳴る。

「ベルってのは、モノディアの妹の名前だ。つまりお前の叔母にあたる。……もっともモノディアが第四王妃として召し抱えられてからは、ベルからもモノディアに連絡を取ろうとはしなかったし、モノディアも妹がいることを他言しようとはしなかったけどな。……平民の出だったモノディアをよく思わない貴族は多くいたから、妹の存在を知られれば、ベルに何か危難が及ぶと思ったんだろう」

 言って、デュオが不意に目を閉じる。それから大きく息をして、こんな事を言った。

「俺達は、遠く全知の塔に住むという『白髪の子供たち』の事を調べてた」

 聞いて、息を飲んだのはクロトゥラだった。アルトは意味がわからず眉をしかめたが、デュオにとってもクロトゥラの反応は意外なものであったらしい。一方クロトゥラはいくらか悩むような素振りをした後、「全知の塔のこと、知ってるのか」と問うた。

「そういうお前さんこそ、何か知ってるような口振りだな」

「……。藍天梁としか国交を持たない、『閉ざされた国』の事だろ? けどあの国のことは、ほんの一握りの人間しか知らないはず。デュオ殿はそれを、一体どこで知ったんだ」

 問われてデュオはにやりと笑みを浮かべると、「国家規模の代物を、その存在ごと隠蔽しようなんざ、ハナから無理な話なんだよ」とだけ笑ってみせる。アルトにはその『全知の塔』というものが何であるのかわからなかったが、白髪の子供に関してのみ言えば、一つ思い当たるところがあった。

(ウラガーノからマラキアへ戻る幻の中で出会ったツキは、確か、混じりけのない真っ白な髪の色をしてた――)

 しかしその『全知の塔』とやらの住人と、デュオや顔も知らぬ叔母に何の関係があるというのだろう。藍天梁国は知らぬ者のない大国だが、この国クラヴィーアと長く交流のあるレシスタルビア帝国と常に冷戦状態にあったため、ただでさえ内部情報を得にくいはずなのだ。

「オスティナートの顔に、太刀傷があったろう」

 唐突に知った名が登場したのを聞いて、アルトは思わず眉根を寄せる。オスティナートといえば、マラキアからカランド山脈まで執拗にシルシを――アルトのペンダントを追ってきたジェメンドの男のことであったが、今の話に関係があるとは思えない。しかしデュオは言葉を揺るがす様子もなく、ただ左手で傷の広がった腹部を押さえて、言葉を続けた。

 その指が、染み出した血で赤黒く染まる。

「あの傷は昔、俺がつけたものだ。あの野郎、バラムからちょくちょく姿を眩ますと思っていたら、近隣の町で攫った子供を奴隷として売り飛ばそうとしていたんでな。――あの時は奴を追放して、子供達を保護することで片がついた。そう思っていた。だが奴はその数年後、また同じ犯罪に手を染めたんだ。それに気付いて行動を起こしたのが、モノディアだ」

 続いて登場した母の名に、アルトははっと顔を上げた。オスティナートから聞かされた言葉が、不意に脳裏を過ぎっていく。

――殺しそびれた女にそっくりな、あんたに今日出会えたからさ!

 デュオがふと視線だけをアルトに向け、震えのある右手をのばしてきた。どうやらアルトが胸にかけたペンダントを求めているようだとすぐに気付いて、アルトはペンダントを外し、デュオの手にそっと握らせてやる。

「後でナファンから聞いた話じゃあ、モノディアは何らかの方法で、オスティナートが子供達を隠匿していたアジトを突き止めたらしい。あいつのことだから『突き止めた』というより、例の精霊の声か何かで知ったのかもしれないが――。だがその調査のため、マルカートやゾーラが秘密裏にマラキアを発った数日後に……」

 やりきれないといった表情で、デュオが奥歯を噛みしめる。歯を削るような鈍い音が、アルトにまで聞こえた気がした。そしてその後、間髪入れずに、

「モノディアは、あのテラスの下で冷たくなって見つかった」

 唸り声のような言葉が続く。

 

「風車塔のそばに、花壇を作ったんです。自分で種をまいてみたいと言ったら、チュラが手伝ってくれました。ちゃんとお水をあげて、手入れをすれば、春にはたくさん花が咲くそうです。ね、ここからも見えるでしょ?」

 隣に立つモノディアが、アルトに倣って身を乗り出す。ふわりと優しい香りがした。

「これなら毎日、花を育てるあなたを見ていられるわ」

 

 聞き返せずにいたアルトの代わりに、「待てよ」と言葉を挟んだのはクロトゥラだ。彼は案じるようにちらりとアルトの方を見て、それから続けてこう話す。

「つまりモノディア妃の死因は自殺じゃなく、何か事件に巻き込まれた可能性が高いっていうことか?」

 「いや、そうじゃない」と、デュオは一度断言する。それから、

「モノディアが直前まで一人でいたことは、裏がとれてるんだ。何者かが侵入した形跡も、争った跡も何もなかった。――だが、それでも、――モノディアは息子を一人置いて、自ら命を絶つような女じゃなかった!」

 すっかり掠れてしまった声で、苦々しくそう吐き捨てた。

 泣き声のようだとアルトは思った。

 涙はなかった。しかしそれは紛れもなく、デュオが初めて見せた泣き顔だった。

(――このひとは)

 どれだけ耐えてきたのだろう。そう思うと、胸の内が強く疼く。

 どれだけ堪えてきたのだろう。最も知りたい真実だけを知らされぬまま、複雑に絡み合った事象に立ち向かいながら。

「デュオ」

 ペンダントを持つデュオの手を、その上から強く握りしめる。そうして深く息をすると、アルトは自分でも驚くほど冷静な声で、言葉を続けた。

「さっき『白髪の子供たち』の話をしてたよな。それも、母上のことに何か関係があるのか?」

 聞くと、デュオはほんの少し驚いたように目を見開いて、それからくしゃりと顔を歪めた。

 深く皺の刻まれた目許に、素直な水滴が浮かぶ。

「ああ。情けないことに、この辺りの話は俺も後から聞かされたことなんだが……。モノディアに示された場所で、マルカート達は確かに、行方不明になっていた子供達を見つけたらしい。だがそこにはその倍以上の数の、奇妙な子供達がいたそうだ」

 そう言ってデュオは、握りしめていたペンダントをアルトの手にそっと返した。金でできたペンダントは、体温を吸収してほのかな熱を帯びている。

「その子供達は皆老人のような白髪をして、言葉を理解しなかったらしい。その上――目を離した隙に、全員、すっかり姿を消しちまったそうだ。親元の知れる、行方不明になっていた子供達だけを残して、な」

「誰にも知られず……姿を、消した?」

 眉をひそめ、呟いた。

 正直、気味の悪い話である。しかし一方で、だからこそ、その不自然さに一種の希望を持ち、水面下で事実を究明しようとしたデュオの意志も汲めるというものだ。

 白い髪の子供、オスティナートと母との因縁。それらが母モノディアの死因や、もっとそれ以外のこと――彼女を王妃にと召し抱えたアドラティオ四世の行動や、アルト自身のこの力のことなどとも、何か関わりがあるのなら。

 「クロトゥラ」と短く声をかける。見れば先程まで頑なに焚き火を睨め付けていた彼の視線が、躊躇いがちに揺れている。

 今回のことに関係するかは別として、彼が白髪の子供の件について何らかの情報を掴んでいるのは確実だ。アルトが無言で促すと、クロトゥラは観念したように息をつく。

「塔の存在は知ってたけど、今聞いたことに関しては初耳だ。ただ……」

「ただ?」

「……。塔の兵士だった人間に、一人知り合いがいる。力になってくれるとは限らないが、話を聞くことくらいはできると思う」

 まだいくらか躊躇いの残る口調でそう言って、積み上げておいた枝葉を焚き火へ放り込む。

 「お前みたいなのが一人いると、頼もしくって泣けてくらぁ」と、力なくデュオが笑ってみせた。確かにそれは、アルトも全く同感だ。しかしアルトが感謝の言葉を述べようとする一方で、デュオの瞳がぎらりと、一瞬強い光を帯びる。

「ついでに一つ教えてくれや。クロトゥラ、お前さん達は一体誰の、なんて依頼を受けてアルトの所へやってきたんだ」

 もはや視力も覚束ないのではないかという目が、クロトゥラの事を睨め付ける。そこには目標を捉えて逃さない、バラム城主の面影があった。

 クロトゥラが口をつぐんで、デュオの視線から逃れるように顔を俯かせる。アルトにとってもそうしたいのは山々だった。今朝方別れたときのことを思うと、ちくりと胸が痛んだからだ。

――おまえの『信じる』っていう言葉は、裏切られないための予防線か何かのつもりなのか。

 ルシェルで聞いたその言葉は、今でも記憶に新しい。

(失望させた。八つ当たりまでした。だけど)

 アルトはすっと顔を上げ、正面から真っ直ぐに、クロトゥラの目を見据えてみせた。あの一件があったからこそ、尚更、この友人の信頼を勝ち取りたかった。

 そうしていると、目があった。クロトゥラはアルトの視線にいささか驚いた様子で瞬きし、それからふと、表情を綻ばせて苦笑する。

「俺達は上から指令を受けただけだから、依頼主のことは知らないよ」

「どこかの組織にいたのか?」

「二人きりでやっていけるほど、甘い世界じゃなかったからな。ジェメンドみたいな暗殺組織に与してた」

 『暗殺』という言葉に、いくらか顔がこわばった。クロトゥラ達のことを今更恐れるではなかったし、もはやその言葉が自分に関わりのないものだとは露ほども思っていなかったが、それでも誰かから死を望まれることにいい気がするわけはない。しかしクロトゥラはそんなアルトの心情を察してか、苦笑を浮かべたまま、「別に殺しに来たわけじゃないさ」とすぐに続ける。

「俺達への指令内容は、クラヴィーアの第三王子の身辺警護だった。期限はお前がマラキアからスクートゥムへ移動する間。俺達が近衛に扮して相応の振る舞いをするのが条件で、先方が俺達の腕に満足すれば、契約延長もあり得るって話だった。……受けたときには、珍しくまともで、楽な仕事がきたと思ったよ。実際、『楽な仕事』なんて夢のまた夢だったわけだけど」

 聞いてアルトは苦笑する。一方でデュオは力なく、しかし声を上げてはっはと笑った。

「なら、まだ契約不履行にはなってねぇわけだ」

「かなりぎりぎりの線だけど、そうとも言える」

「騎士の契約を結んだとは言え、こいつが失脚したら、しらばっくれて組織に戻ることも可能だな」

「それはない。シロフォノはああ見えて案外律儀だから」

 毒の混じったデュオの言葉にも、クロトゥラは少しも怯まない。それを見たデュオはにやりとした笑みを浮かべて、「じゃあお前はどうなんだ?」と尋ねた。

「騎士の契約を結んだわけでもないし、いざとなったらいつだって見捨てられる。違うか?」

「デュオ、……」

「いいよ、アルト。別に構わない」

 クロトゥラが言って、デュオの方へと向き直る。それから真っ直ぐにデュオを見て、まずはこんな事を言った。

「正直、俺はこの件が終わったら、組織に戻るつもりでいる。だから依頼の内容も、本当は話すべきか迷ったよ」

 アルトに視線を移すクロトゥラの目には、強い意志が宿っている。

「俺にはまだ、あの組織の力を使ってやらなきゃならないことがあるから。……だけどマラキアで、アルト直属の騎士になりたいって言ったのも本心だ。そう簡単に、二人の信頼は裏切らないよ」

 

 その晩は、意外に暖かかった。

 薄暗い洞の中に、明かりは既に灯っていない。洞へ隠れる前に拾った、薪代わりの枝葉が尽きたのだ。

 わずかながらさし込む月の明かりを頼りに、アルトは手探りで水筒の水をシャツの切れ端にかけ、しぼったそれでデュオの額を拭った。

「もう何度も死を覚悟したつもりでいたってのに――いざこうなると、まだまだやり残したことだらけのような気になるもんだな」

 つっかえつっかえに話すデュオの言葉に、アルトは黙ったまま俯いた。何か返そうと思っても、言いたいことは次から次に、脳裏に浮かんで拡散してゆく。

 苦しいか、死は恐ろしいか。

 問うたところで、デュオは鼻で笑うだけだろう。ならばこう聞いてみるのはどうだ。

 母を、そしてデュオの運命を狂わせた元凶かも知れない自分のことを、恨みに思ってはいないか。

 ――聞くまでもない。答は既にもらっている。

「ジルウェットは――」

 唐突にデュオが呟いた言葉に、アルトはびくりと肩を震わせる。ジルウェット・ティル・アドラティオ・ダ・ラ・クラヴィーア。この国の現皇王の名を、この期に及んでデュオが、こんなにも柔らかに口に出す理由がアルトにはわからなかった。

「あいつは内から国を守ると言った。……事実、国は豊かになった。近隣諸国との国交に力を入れたせいでレシスタルビアからの支援は減ったが、大国の思惑に左右されることがなくなった分、交易は随分発展した。リビルに長城を建てたおかげで国境拡大の進路は絶たれたが、今は戦争もなく平和でいる。――」

 うわごとのように呟くそれを聞いていると、何故だか心が和らいだ。古く友人だった人間に裏切られたはずのこの男は、それでも、その友人の功績を認めていた。

 そうして恐らく、今でも彼を信じている。

 しばらく聞いて、アルトは自らの目許を袖で拭った。それからぽつりと、言葉をこぼす。

「なあデュオ、俺は、――善政を敷き、国を豊かにする王になれると思うか?」

 何を聞いているのだろうと、苦笑する。しかしアルトが思っていたよりずっと早く、そして確かな口調で、デュオはこう返事した。

「おまえが、そうあらんと願うなら」

 暗闇の中に、デュオの双眸だけが月明かりを受け、輝いていた。脂汗の浮いた顔は疲れ果て、しかし満足げに笑んでいる。

「アルト、一つ頼みがあるって言ったろう」

「ああ。……だけどそれは、無事に町へついてからじゃなかったのか」

「手厳しいな。少しくらいは甘やかせよ」

 苦笑するデュオの顔は、晴れやかだ。

「一度でいい。それきり二度と望まないから、一度だけ……」

 

 明け方、アルトは短い夢を見た。

 葉の落ちる紅葉の秋、アルトはとある木の下で、いっぱいに両手を広げていた。ぱらぱら、ぱらぱらと舞い落ちていくその葉を、どうしても受け止めたかったのだ。

 けれどどんなに足掻いたところで、所詮無理な願いだった。

 木の葉はアルトの指先をすり抜けて、静かに地へ落ちてゆく。

 

「しかし、しかしお考えください! あの男が、あなたさま、そしてあの方に何をしたのか――」

「疑って何になる、何ができる! もう俺達は……手をひかなけりゃならないところまで、来ちまったんだ!」

 マラキアでデュオとナファンの言い争いを聞いたとき、アルトには一つ望みがあった。

 

「おやすみ……、父さん」

 洞の中で、一言呟く。

 これほど望まれた言葉はないだろう。

 これほど、望んだ言葉もないだろう。

 その言葉はじんわりと、掘り返したばかりの土へ融けていった。

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