048 : Make the way -2-

「どんぴしゃり、だね……」

 シロフォノが上げた感嘆の声に、アルトは肩を上下させ、視線を伏せたまま浅く頷いた。足場の悪い中を駆けたせいで、思った以上に息が上がっている。すっかり濡れそぼってしまった髪から、滴となった雨がぽたりと落ちた。

 薄暗い中にぼんやりと見える様々の影を見つめながら、ふと、溜息を吐く。脳裏はいまだ混沌として、考えが上手くまとまらない。

 アルトとシロフォノの二人は今、大地の溝をいくらか下った所に見つけた、薄暗い洞穴の中にいた。

 否、これを洞穴と一言で済ませてしまうのには、いささか語弊があるだろう。人の手の入った古いトンネル跡。天然の物ではないが、しかし、随分昔に打ち捨てられたそれは苔むして草が生い茂っており、すっかり山の風景へ溶け込んでいる。

 二人は地崩れの際に崩壊したらしい横穴から、トンネル内へと進入した。横穴といってもそう大きな物ではなく、そこに穴があると知らなければ通り過ぎてしまうような、草の茂った入り口だ。積もった土砂に足を取られないよう注意をしながら進んでいくと、埃っぽい、湿った空気が肌に触れた。制作者の意図を感じないこの横穴は唯一の明かり採りとなって、トンネルの内部を薄ぼんやりと照らしだしている。

「精霊って、親切なんだね。こんな入り口まで教えてくれるなんて」

 シロフォノがそう言って、刃に付いた血をはらってみせた。油断をしているようには見えないが、先程までとは打って変わった、悠々とした様子である。

 このトンネルへ着くまでに大半のジェメンドは撒いたはずだが、実際、いつ追いつかれるともわからない。そんな状況だというのに頓着しない、彼らし過ぎるその言葉に苦笑して、アルトは首を横に振る。

「多分、俺達に早く出ていってほしいだけだと思う。彼らはどうも、血の臭いを嫌うらしい」

「そんな事までわかるの?」

「はっきりとは……。でも、そんな気がする」

 言って、前を歩く友人から目を逸らす。自分で口にしておいて、その現実味の無さに溜息が出た。

 精霊。見えざる者達の声。アルトを導き、助ける者。

――俺はペンダントを取り返す。あれは多分、お前のために必要な物なんだ。

 デュオがそう言ってジェメンドへ向かっていくのを見て、アルトは即座に踵を返し、正反対の方向へと駆けだした。この辺りの地形を理解し、道を拓けるのは自分しかいないと思えたから迷いはなかった。しかし。

(デュオはああ言って、俺をあの場から逃がしてくれたんだ)

 そして同時に、アルトに考えるための時間をくれた。

 旅立ちの日に受け取ったペンダント。オスティナートは元々あのペンダントにこそ求めていたものが隠されていたと勘違いしたようだったが、アルトがマラキアで彼らと対峙したとき、恐らくペンダントにシルシは宿っていなかった。

 ペンダントはデュオから、シルシは母モノディアから、アルト自身が受け取った。だからこそ精霊達は、こんなにもアルトの声へ応えるようになったのに。

(あれは、俺が取り返すべきものだった)

 ――パキ、と足元で乾いた音がして、アルトは小さく息を呑む。なんということはない、ただ枯れ枝を踏んだだけのようだ。しかし薄暗いトンネルには、それすら何か得体の知れないもののように錯覚させる力がある。

 弱気を振り払おうと、アルトは強く拳を握った。気をしっかりさせなくては。今も戦ってくれている仲間のためにも、一刻も早くここから抜け出す方法を見つけなくてはならないのだから。

 トンネル内の造りは案外しっかりとしており、天井を覆うように組まれた梁もそのほとんどがいまだ役割を果たしているようだった。トンネル掘りに使われたのだろう当時の道具も、辺りに放り出されるようにして残っている。

(この分なら、トンネルに沿って麓まで降りられそうだ)

 風も、淀まず先まで通っている。

 腰をかがめて足下を窺い、そこに通された錆び付いた線路へ手をついた。恐らくは、土の運び出しに使ったトロッコか何かの線路だろう。組み木はいささか煤けているが、このままでも使えそうだ。

「灯りを、点ける?」

 問われて、アルトは首を横に振る。

 忠告が聞こえていた。

「ゾーラが、昔トンネルの工事中に火事が起きたって言っただろう? さっき熱湯と一緒に出てきた臭いの元に、その原因があるみたいなんだ。ここはそれほど臭いが無いけど、やめた方がいいと思う」

「へえ。それも、精霊が?」

 予想外の弾んだ問いに、アルトは呆れて言葉を切った。顔を上げてみればシロフォノが、いつも通りににこにこと笑ってアルトの方を振り返っている。アルトは一度溜息をつくと、濡れた頭を掻きながら、言った。

「お前って、精霊がどうとか……そういう突拍子も無い話を、随分簡単に信じるんだな。気味悪かったりしないのか?」

「気味悪い? どうしてさ」

 即座にそう返されて、思わず言葉を詰まらせる。対するシロフォノはきょとんとして、アルトが何故押し黙ってしまったのかも理解が出来ないといった表情だ。

「精霊だよ? そりゃ、悪魔からのお告げだとか言われたら、確かに不気味だけど」

「……そういう問題じゃなくて」

 言い淀んでいると今度はシロフォノが、困ったように肩をすくめてみせた。それから完全にアルトへ向き直ると、にやりと笑ってこう話す。

 横穴からのぼんやりとした光がその目に宿り、アルトのことを見定めている。

「君はその力で、『カランド山脈の化け物』さえ味方にしてみせた。疑う道理はないと思わない?」

 勝ち誇るような余裕の笑みに、アルトは一瞬面くらう。

 そうして思わず、つられて笑った。

――大丈夫。あなたは一人じゃないでしょう?

 幻影の中で聞いた言葉が、ふと、脳裏をよぎっていく。あの時に背を抱きしめて、愛おしげに髪を撫でてくれる人があった。

 あの人は。

「殿下」

 打って変わった冷静な声が、トンネル内に小さく反響した。シロフォノだ。その言葉は研がれた刃のように鋭かったが、いつもと同じく労るような暖かみも持ち合わせている。アルトは「突然何だ」と返そうとして、すぐに態度を改めた。この友人の意図するところに、ふと思い当たったからである。

 そうして黙ると、彼は続けた。

「迷われる事はございません。その御力は殿下を導くつるぎにこそなれ、陥れる類のものではないでしょう」

「随分、確信のある言い方をするな」

「特異な力は王者の証。殿下が王位を望むにしろ、望まないにしろ、民草は力ある者をこそ畏れ敬いたがります」

 聞いてアルトははっとした。一つ、謎が解けたように思えたのだ。

 アルトが思考を巡らせている目の前で、シロフォノが刃を置き優雅な仕草で片膝をつく。それが何を示しているのかは容易に理解がいったから、アルトは深く息をして、問うた。

「父上が母モノディア妃の力を知っていたのなら、俺に王位を譲ると言い始めたのも、それ故のことかもしれないな。……そう思わないか?」

「その可能性は、高いかと」

「この力があれば、俺にでも国を治めることは出来ると思われたのだろうか」

「それには同意しかねます。力とは刃。そして盾。扱い方を知らぬ者にとっては何の価値も無いものです。ただ――」

「ただ?」

 アルトが問うと、シロフォノは顔を上げ真っ直ぐにアルトを見て、大真面目な顔でこう言った。

「皇王アドラティオ四世陛下も、それは存じておられるはず。その上で殿下を選ばれたのなら、なかなか見る目のある御仁なのではないかと」

 シロフォノはそれだけ言って、また何事もなかったかのように頭を垂れた。

 アルトも笑いはしなかった。だが張り詰めていた肩の力が、抜けた。

「ところで、殿下。私を騎士にと仰せのお言葉、今もお変わりありませんか」

 薄暗い中を進んで行く。頭を垂れたシロフォノの目の前へまで歩み寄ると、湿った風が頬を撫でる。

「お前の口振りは俺を皇王にしたがっているように聞こえたが、俺は心を決めかねている。その期待に応えるという約束は、出来ないぞ」

「御意のままに」

 立ち止まり、アルトは自らの剣を引き抜いた。そうして構えた白刃を、シロフォノの肩へ軽くのせる。

 賑やかな声が、辺りを包んだように思えた。打ち捨てられたトンネルは閑散として、しかし吹き込むいくらかの雨粒が、湿った大地が、言祝ぐように舞っている。

 アルトはそれらを聞きながら、一度深く、目を閉じた。

「ならばもう一つ問おう。――私の家臣となる事を、望むか」

「望みます。私は私の誇りにかけて、これからは殿下に対して誠実である事を、そして殿下に対する臣従礼を嘘偽りなく遵守する事を、永久に約束いたします」

 シロフォノがすらすらと、しかし重みを持ってそう答えた。アルトは厳かに頷いて、古くからこの国クラヴィーアで使われてきた文言を、そっと口に出す。

「血と骨に刻め。これより汝の信念は、常に私と共にある」

 天井をつたう水滴が水溜まりに落ちて、ぴしゃん、と静かな音をたてる。

 静寂。

 アルトは剣を鞘へと戻し、立ち上がったシロフォノに対して微笑んだ。

「案外、上手く言えた」

「……しまらないなあ、我が主は」

 眉間に皺を寄せ、シロフォノがそんなことを言う。アルトは取り合う素振りも見せずに辺りを見回すと、再び足元へ注意を向けた。線路があるのだ。これで当時のトロッコでも残っていようものなら、これ以上にない儲けものである。アルトはトロッコというものを見たことはなかったが、トンネルから掻き出した土を載せて運ぶというのだから、人を乗せるくらいわけはないだろう。

 線路を辿ってしばらく行くと、いくつか箱のような台車が見えてきた。思っていたほど大きなものではないにしろ、数えてみれば三台ある。その内の一つは大破しており使えそうになかったが、二台もあれば十分だろう。

「これ、一体どう動かすんだ?」

「下るだけなら、ただ坂道を転がしてやればいいんだよ。本当は巻き取りのリールを使って安全に下ろすんだけど、どうせなら素早く移動できた方がいいもんね」

「つまり転がり落ちるのか」

「まあ、平たく言えばそういうこと」

 そう答えて、シロフォノがはっと背後を振り返る。アルトが視線で事を問うと、彼はまた手に刃を構えた。

「クロトゥラからの警笛だ。多分足止めしていたのを、突破されたんだと思う」

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