第75話 作戦開始

 出発前に博士は、猫の紳士と僕にあるものを渡した。

 それは小さな穴が4つ開いた、衣服についているような小さなボタンだった。


「これはいわゆる通信機だ。使い方はとても簡単だ。ぐっと摘まんで話せば、もう一方の通信機へと音声が送信される」

 それはお互いの声を送受信できる、トランシーバーのようなものだった。

 黒き者を引き付ける囮となるため、先行するのは大臣と猫の紳士が率いる兵士達。

 そして黒き者が引き付けられている間に、博士と僕、助手と弟で幸福バランサーを修理し、12基全てを再稼働させる。

 お互いの位置を把握しつつ、黒き者の動向を共有することが必要になるため、この小さなボタンは非常に重要なアイテムだ。

 もちろん黒き者と遭遇することが無ければ、この作業は難なく終わる。

 とにもかくにも現在この死者の国は、死者が全く転生できない状況になっている。

 急がないと現世にどう影響が出るかも分からない。

 もしかするとこの期間がしばらく続くことで、現世の人口が極端に減ってしまう時代がいずれやってきてしまうかもしれない。



 大臣は猫の紳士と共に、ぞろぞろと猫の兵達を引き連れて北の森に先行して入っていった。

 少し遅れて出発の僕たちは、森には入らずに回り込むようにして西側の幸福バランサーを目指した。

 もしも先行した大臣達が黒き者と遭遇した場合は、森の南側の城の方へと引き連れる算段になっている。


<――あーあー、聞こえるか? 青年――>

 小さなボタンから早速、猫の紳士の声が聞こえる。

 ボタンを通して聞こえる猫の紳士の声は、少し声色が違うのかとても凛々しく聞こえた。


「ああ、聞こえるよ。とてもクリアに聞こえる」

 僕はボタンから発された、猫の紳士の問いかけに応じる。


<――うむ、感度は良好だな。これより森の中で黒き者の索敵を開始する――>


「わかった。無理はしないでね」


<――わかっている。君もな――>

 猫の紳士との通信が終わる。


 博士と助手の猫は、修理用の工具を積んだ台車をせっせと二人で引いていたが、大きさ的にどう考えても僕か弟のどちらかが引く方が早いと思ったので、僕と弟が交代でその台車を引くことにした。


「兄さん、じゃんけんしようよ」


「おうよ、じゃあ勝ったら荷台に乗れる事な」


「じゃんけん――ポンッ」

 同時に手を差し出す。僕がバーで、弟はチョキを出した。

 最初に台車を引くのは僕。


「へっへー!」

 弟は嬉しそうに白い歯を見せて、台車に乗り込んだ。

 思ったよりも軽い力で動く台車は、やはり博士の発明したテクノロジーのおかげらしく、既に台車の荷台にちゃっかり乗り込んでいた博士が、聞いてもいないのに僕たちに自慢げに話した。

 博士のそういう話に弟は興味を示したようで、台車の上でわいわいと博士の発明話に花を咲かせていた。

 助手の猫は何やらメモ帳に書き込みながら、難しい顔をしていた。

 状況が状況だけに一刻も争う事態ではあるのだが、緊張に押しつぶされて萎縮するより、いくらか能天気な雰囲気の方が、むしろいいのかもしれない。

 ちらりと森の方に目をやると、僕は祖母の裏山の風景が思い浮かんだけど、この世界の森はなんかとても不気味で、まるで童話や絵本に出てくる魔女の森を思わせた。

 弟たちを積んだ台車を押していると、なんだか僕は昔のことを思い出した。

 家族で行った大型のショッピングモール。

 そこは日頃行くスーパーとは違い、輸入食品が大量に安価で手に入る。

 すべての物がとても大きくて、まるで巨大なおもちゃのブロックが綺麗に整頓されているように見えた。

 母は買い物に夢中だったけど、多くは僕ら子供達の大好物なものをじっくりと見定めていた。

 父が押す大きな大きなショッピングカートに、僕と弟と妹の三人はきゃっきゃと乗り込む。

 まるでアトラクションのように、青果のコーナーを進み、鮮魚のコーナーを通り、鮮肉のコーナーを回る。

 父の運転するカートは、母の後をついていきながらも、たまに横道に逸れたりして僕らを楽しませてくれた。

 母と少し離れ、辿り着いた場所でカートがゆっくりと止まる。


「――お菓子エリアに到着致しました。ご乗車のお客様はお足元にお気をつけてお降り下さい――」

 まるで車掌のアナウンスを真似た声で、父は僕たちに言う。


「――母さんには内緒だぞ! 一人二個までな」

 ウィンクしてにやっと笑いながら父は言う。

 父のその言葉で僕たちはカートから飛び出し、普段見たことない海外のお菓子を、さも宝物を見つけたかのように目をキラキラさせて選んだ。


 懐かしいな。

 弟は覚えてるだろうか――。




「あれだ! あれが幸福バランサーだ」

 博士が荷台から身を乗り出して、僕に言った。

 前方の森の切れ目の辺りに、細い煙突のような円筒型の小さな建物が見えた。

 目を凝らしてよく見ると、建物の端が少し崩壊し白煙を上げていた。


 僕はその白煙を見て、少し緊張した。

 建物には明らかに不自然な大きな爪痕。


「博士。もしかしたら、近くに黒き者がいるかもしれない」

 僕は声を潜めるようにして、荷台の博士に言う。


「ああ、焦らずゆっくりでいい。慎重に進めてくれ」

 博士はとても冷静に答える。

 弟も助手の猫も押し黙って、そっと荷台から降りる。

 万が一、黒き者に遭遇しても散らばる様に逃げることで攪乱できる。僕らは事前にそう打合せしていた。

 もちろん遭遇するかもしれないその瞬間が、もしも訪れた場合の話だ。

 しかし、まさか1基目でその可能性にぶち当たるとは。


「兄さん。僕が先に行って、見てこようか?」

 弟が僕に耳打ちする。

 確かに台車を押しながらだと、もしもの時逃げ遅れる可能性がある。

 でも弟を危険な目に遭わせたくない――。

 その時――急に小さなボタンから猫の紳士の声が響く。


<――おいっ、聞こえるかっ!――>

 その声は何か、焦燥感のようなものを感じた。

 ボタンの向こう側で、猫の紳士は続ける。

 僕はそれを聞き、全身が粟立った。


<――黒き者を、発見したっ!――>

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