第71話 Re:
甲冑の猫たちに連れられたその場所に、僕を『弟』だと言った彼がいた。
彼は僕を見つけた途端手を振っていた。
でも彼をどうしても思い出せない僕は、彼を見ないフリをした。
記憶が戻れば僕は、彼を思い出すのだろうか――。
僕は甲冑の猫に言われるがまま、研究施設の中へと入った。
中に入ると書物でいっぱいの部屋が現れた。
山のようになっている書物で、少し埃っぽかった。
研究施設は僕がいた、あの病室の窓から見えた。
でも施設の中がこんな風になっているとは思わなかった。
博士はこの書物の中から本を選んで、病室にいる僕に届けたのだろうか。
退屈しのぎ――あの時、博士はそう言って僕にSF小説を持ってきた。
だけど僕は、そのSF小説の世界に憧れ、脱走を決意する後押しになったように思える。
もちろん、脱走した理由はそれだけではない。
あの時は自分の記憶が戻ることで、今の僕が僕で無くなってしまうのではないかという恐怖もあった。
でもいつしかそれは、渡し守の仕事を通じて知った『現世』という存在と、かつて現世で生きていた僕という存在を、知りたいという好奇心で塗り替えられていた。
書物の山がある机。その下にもびっちりと敷き詰められた書物。
そのわずかな隙間の穴から、ひょっこりと丸眼鏡をして白衣を着たサビ柄が出てきた。
「お待たせして申し訳ありません。ではどうぞ中へ」
そう言ってそのサビ柄の猫は机の下を手で指し示した。
その先はどう見ても先ほどこのサビ柄の猫が出てきた、トンネルのようになっている書物と書物の隙間。
これを通り抜けるという想像を超えた案内に、思わず僕はそれを指差し、サビ柄の猫に確認した。
「何これ。この中を通るの?」
「はい、博士が奥に。すみません。整理が済んでなくて……」
僕の言葉に申し訳なさそうな表情で、丸眼鏡を触りながらサビ柄の猫は答えた。
僕はその言葉を聞いても、すぐにそれを理解することが出来なかった。
こんなに埃っぽくて、しかもこんな狭そうな穴に、僕は入りたいと思えなかった。
「いいから入りな。大丈夫だから」
突然、後ろから声がして僕は振り返った。
僕を『弟』だと言った彼がいた。
彼は僕が何かを口にするより先に、その穴へと潜り込んでいった。
その様子を見て僕は『仕方ない』と、そう思いながら彼の後に続き、体を屈ませその穴へ入った。
中は予想通り、暗くて埃っぽかった。古い本からする独特の紙とカビの匂い。
僕は早く出たかった。
なんでこんなとこを通らなければいけないのか。
言い知れない怒りがこみ上げてきたけど、出口に間もなく辿り着いた。
トンネルを抜けると、彼が急にふふっと笑った。
それを見て何か不愉快な気分になった僕は、彼に向かって言った。
「なに? 何がおかしいの?」
僕の言葉に、彼はニヤニヤしながら言った。
「いや、何でもないよ」
何でもないなら、なんでそんな嬉しそうに笑えるのか。
僕が不審そうに彼を見ていると、急に上の方から声がする。
「やぁ! やっと帰って来たか。久しぶりだね」
僕はその声を二年振りに聞いた。
白衣を着たその声の主は、病室に何度も訪れた博士の猫だ。
僕は後ろめたさでいっぱいになった。
博士はとても献身的で、僕の体調を気遣ってくれていた。
でも僕はそれを裏切る様に病室を抜け出し、この二年間ずっと帰らなかったのだ。
「……その、逃げて……すみません、でした」
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった僕は、博士にそう言った。
「大丈夫。こちらこそ対応が遅くなって悪い事したね」
博士は高い位置からゆっくりと降りながら、まるで自分に非があるかのように言う。
僕はそれを聞いて、心の底から反省した。
「そんな……大臣さんも貴方も、とても心配してくれたのに。僕は……」
どう考えても突然姿を消した僕が悪い。
きっと博士だけでなく、色んな猫に迷惑をかけたことに違いなかった。にもかかわらず、博士はそれを全く咎める様子もないのだ。
僕はそんな自分が恥ずかしくなった。
「とにかく……まずは、回収したキミの記憶の断片を、キミに返そう。話はそれからだ」
博士はそう言うと、後からトンネルを抜けてきたサビ柄の猫に目で合図した。
サビ柄の猫はどうやら博士の助手らしい。
僕は博士とその助手の猫に、奥の部屋へと案内された。
その部屋は見たこと無い物でいっぱいだった。
部屋の隅には様々な箱が、ウィーンと小さな音を立てていた。
僕は博士に促されるまま、中央にある変な形の椅子に座った。
すると助手の猫は僕の頭に、何か固い物を被せた。
視界が遮られ、周囲のぼんやりした明かりでうっすらと見える程度だった。
僕はこれから何が起きるのか不安ではあったが、今までかけた迷惑を考えると、僕が何か言うのもおかしい気がして、されるがまま全てを受け入れようと思っていた。
僕の身体は、緊張で
その様子を察したのか、僕の頭に覆い被せられた物の外側で博士が言った。
「緊張しなくて大丈夫だよ。痛みも何もない。始めだけ少し気分が悪くなったり、不快な気分になるかもしれないけども、それも一瞬で終わる」
博士の声はとても優しかった。僕はその声で少し緊張が解れた気がした。
「わかりました」
僕がそう答えると、僕の頭に被せた物で覆われた視界の先にぼんやりと見えた博士は、カチャカチャと何かをいじり始めた。
「――じゃあ、始めるよ」
「はい」
僕の返事と共に、頭の中に音が響く。
ブツッ……ブツッ……
しばらくすると、とても不快な音が頭の中を走り回る様に響き始めた。
……ィィィィィィィィィィ…………ン……
次の瞬間、部屋の中で鳴り響いていた音という音が、頭の中でぐわんぐわん回りながら響き始める。
まるでぐるぐると振り回された挙句、パッとその手を離され、遠心力でそのままどこかへ飛んでいくような感覚。
スーッと遠ざかる意識。僕はそのまま気を失った。
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