第61話 深刻なエラー

「ふむふむ、なるほど。つまり弟が全ての記憶を投入したことによって、大災害が起きた――そういうことか」

 博士から聞いた話を、大臣はそのまま猫の紳士へ説明していた。


「その通り。そしてそれからなのだ――黒き者が現れるようになったのは」

「先ほど王の側近にもそれは聞いた。しかしその幸福バランサーとやらの破損によって、黒き者が現れたのであれば、早々にそれを撤去してはどうなのだ?」

「馬鹿者ッ! あれは偉大なモノなのだ! 易々やすやすと撤去してなるものではないわ!」

「貴様ッ! 大臣とは言え、わたしに向かって馬鹿者とはなんだ!」

 一気に何やら二人から険悪な雰囲気が漂い始める。


「ほらほら、いがみ合ってないで。コーヒーが入ったよ」

 僕はその二人のあいだを割って入る様に、カップを並べコーヒーを注ぎ入れた。


「待ってました!」

 博士も自分専用のカップを持って、早く注げとやってくる。


「おぉ……実に興味深い香りだ。これは煙草にも合いそうだな」

 猫の紳士はその薄い黄色のまなこをキラキラさせて、コーヒーをしゅるしゅると音を立ててすする。

 その横で大臣も、アチチと言いながらコーヒーを口に含んだ。

 助手の猫は丸眼鏡を曇らせながら、すーはー、とコーヒーの香りを楽しんでいる。

 博士はカップに注がれたコーヒーをこぼさないように注意しながら、自分の席へと運び、一口すすった。

 すると、ふぅっと一息ついて博士は語り始める。


「さて――伯爵さんも来たところだ。話を整理しようか」


「ああ、宜しく頼む」

 猫の紳士は博士の方を向いてかしこまった。

 

「死神組合の不正――キミはかたくなにそれを主張していたようだね」

 博士は猫の紳士に確認を取る様に話す。


「ああそうだ。彼は死神の手によって、ここへ連れてこられた。それは死神にとって禁忌の掟であったはずだ」

 猫の紳士は僕を指しながら、博士にその理由を問う。


「だから言っておろう! この国の危機なのだ! 王もそれを認め、我らに特命を出したのだ」

 大臣はわーわーと大きな声で弁明を始める。

 いくらか興奮気味な大臣を、博士はまぁまぁとなだめながら続けた。


「彼には生きたまま、ここに来てもらう必要があった。私はその必要性を王に訴え、特命を出してもらったんだ」

 間髪入れずに博士は、猫の紳士へ説明をする。


「彼はまだ死の淵を彷徨っており、死んではいない・・・・・・・。禁忌を犯したと言えばそうなのかもしれない。それはとても曖昧で、そしてグレイな状態だ。先ほど大臣は『この国の危機』と言ったけど、これはこの国だけの問題ではないんだよ。この死後の世界と現世は今、未曽有みぞうの危機に瀕しているんだ」

 博士の発言で、僕は意表を突かれた気分になった。


「それは、ど、どういうことなのだ?」

 猫の紳士は困惑した様子だった。


「幸福バランサーが故障して、弟が記憶を無くして、僕が不幸になった。そこに黒き者が出てきた。それだけだよね? なんでそれが二つの世界が未曽有の危機なの?」

 僕も博士に捲し立てる。

 大臣は青ざめた顔をして黙っている。

 きっと今の置かれている状況が、思っていた以上だったのだろう。


「『輪廻サイクルの乱れ』が生じているんだ。それは幸福バランサーの破損によるものだということはハッキリしてる。事故によって幸福バランサーの効率が極端に下がってて……そうすると、記憶の回収施術は遅れ、入国審査は詰まる。まぁ、そうなるのは当然だ。そして今はじわじわと少しずつ、だが確実に世界の均衡を蝕み始めているんだよ」

 『輪廻サイクルの乱れ』の話は、渡し舟の上で猫の紳士にも聞いた。

 確かに今のまま転生者の順番待ちが続けば、その内この死者の国は人口過多でパンクしてしまうかもしれない。

 それよりも転生者が少なければ、現世の人口はどんどん減る一方だ。

 極端に考えると、いずれ全ての命はこっち側の世界に来てしまう。

 つまりそれは、人類の滅亡を意味する。


 淡々と、そして冷静に、博士は続ける。


「もちろん幸福バランサーを撤去するというのも、暫定的な救済措置としてはアリなんだ。でもそれをすると保たれ続けていた均衡が一気に制御を失って、その反動で幸福のバランスは崩壊してしまう。そうなると再処理で生成したすべての有は、効力を失って無に変異してしまうんだ。無は海のようになって、いずれ混沌の嵐となってしまう。それだけは避けたいんだよ」


 僕が体験した不運の連鎖。

 もしもあれがみんなに降り注ぐとしたら――きっと想像もつかないような不運や災厄が二つの世界を襲うのだろうか。


 猫の紳士はブツブツと小さい声で何やら呟いていたが、何を言っているのか僕にはわからなかった。

 でもきっと、考えの範疇はんちゅうを遥かに超えていたのだろう。

 僕も整理できず、ただ困惑するだけだった。

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