第38話 猫の王の想い

 玉座に腰を据えた猫の王は、とても穏やかで優しい瞳を僕に向けている。

 僕は口を開いた。


「まさか、貴女は――」


 もしかしたらそうなのかも。その程度のあやふやな憶測ではあったのだが、僕はその既視感の正体を知っている気がした。

 なかなか核心に至れない僕に、とうとう我慢出来なくなり、猫の王は言った。


「ロッキンチェアーを覚えているかしら?」


 猫の王のその単語で、僕の抱いていた疑問はすぐさまその答えへと変わった。

 驚きを隠せない僕の表情を見て、猫の王は少しばかり口角を上げ、口許が緩んだ。


「そうよ、私はあの時の猫。あなたのおばあ様の御宅で、私は何度もあなたと会っているわ」


 まるで僕の心を見透かしているかのように、猫の王は微笑みながら言った。

 玉座で優雅にくつろぐその姿は、祖母の家の特等席だったロッキンチェアーを独占していた、まぎれもなくあのペルシャ猫だ。


「そういえばよく、弟と妹の三人であの椅子を取り合ったな……」

「そうね、ふふっ。懐かしいわ。私もあの陽の当たる縁側えんがわの椅子から見える風景、とても好きだった。とてものどかで、たくさんの自然に囲まれて」


 猫の王は、その王たる威厳や風格からは、とても似つかわしくない、どこか可愛らしげで、まるで少女のような笑顔を見せた。

 祖母の葬儀を境に、その姿を見ることはなかったが、まさか死者の国を治める王になっているとは思いもよらなかった。


 そうか、今なら納得がいく。


 祖母の家へ訪れた夏の日、まだ幼かった僕の好奇心は、そのきれいでつやつやした毛並みに触れようと手を伸ばした。

 しかし、ツンとどこかへ行ってしまったちょっと生意気な所作は、気まぐれな少女のように感じていたが、王ゆえの風格だったのだろう。

 僕は懐かしさと安堵で、胸がいっぱいになった。猫とはいえ、とても近しい家族や親戚に会ったような気分になったのだ。

 僕と猫の王のやりとりを見ていた猫の紳士は、かたわらできょとんとした表情で、人形のように固まっていた。


「――あの冬」


 猫の王は眉をひそめ、物憂げな表情で語りだす。


「私は既に8命をまっとうし、最後の一生を穏やかに過ごしたいと思っていたの」


 猫に九生あり。僕はその言葉を、猫の紳士から教わった。

 既に8回もの死を体験しているのならば、最後くらいは。という気持ちになるのは、至極当然のような気がした。


「でも皮肉にも、私は山で罠に掛かってしまい、怪我を負ったの。すごく痛くて必死に泣き叫んだわ」


 祖母の家の近所には、確か腕っぷしの猟師がいた。熊や猪をいとも容易く捕獲する彼の罠は、もしも体の小さい猫が掛かってしまったのなら、きっと致命傷を負ったに違いない。

 僕はそれを聞いて、たまれなくなった。


「でも不幸の先には、必ず幸運が待っているのよ」


 猫の王は、ぱっと花が咲くかのように、にこやかに微笑んだ。


「たくさん血を失った私は、そこで最後の生を終える覚悟をしたわ。でも偶然、あなたのお父様に救われたの。そして、あなたのおばあ様の御宅で、私は飼われることになったのよ」

「その話は昔、僕は父さんから聞いた気がする。貴女は確か、血まみれになりながらも、必死に声を上げていたと」


 父がちょうど、高校を卒業する頃だったと思う。

 就職を期に家を出て、離れ町に住む予定だった父は、その後一人になってしまう祖母に、猫を託したのだ。


「私は、私を拾ってくれたお父様に、心から感謝しているの。だってそのおかげであなたのおばあ様に出会い、最後のその一生を、とても穏やかに過ごすことが出来たのですもの」


 今の父の姿からは、祖母に『猫を飼って欲しい』と、少年のようにお願いしている様子は、僕にはとても想像出来なかったが、きっと祖母が寂しくならないためなんだと僕は悟った。父にそういうところがあるのは、よく知っていた。


「猫はね、その九生をまっとうすると、妖精猫になるの。それはとても名誉なことなのよ」

「妖精猫……?」


 その過程は、そう簡単なものではない。9つの長い人生を歩み、9度の死を経験しなければならないのだから。

 しかし僕には、妖精猫がどのような存在なのか、おいそれと見当もつかないが、その辛く厳しい道程を、乗り超えた末にやっとなれる存在なのだから、それはきっと猫にとってはとても立派で、偉大なことなのだろう。


「――でも私は」


 猫の王は続けた。


「あなたのおばあ様と出会ったことで……最後の一生を終えるのが、とても悲しくて、怖くなってしまった――」

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